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Full text of "Gzen to bungaku"

PL 

715 

N32 



Nakagawa , .:oichi 
Guzen to oungaku 



East Asia 



PLEASE DO NOT REMOVE 
CARDS OR SLIPS FROM THIS POCKET 



UNIVERSITY OF TORONTO LIBRARY 



Digitized by the Internet Archive 
in 2010 with funding from 
University of Toronto 



http://www.archive.org/details/gzentobungakuOOnaka 



最も 危險の 少な い 云 ひ 方が したければ、 人生と は 必然と 偶然との 一 一つに よって 成 

立して, Q ると 云 へばい い にき まって ゐる。 

^らに 最も 流行 的な 云 ひ 方が したければ、 人生と は 必然の 法則 以外に は 無い と 云 

つ て嗨 いて ぬればよ からう。 然も その 爲 めに は 巨匠 ホ ッ ブス から 今日 横行の 唯 物 家 

の 文章に 至る まで、 例證に はこと 缺かぬ ものが ある だら う。 

それに も拘 はらす、 一人 吾々 の 徒が 偶然と いひ、 飛び ゆく 現赏 として 現實 を祓雜 

に體驗 しょうと する の は、 今日の 思想の 習慣に、 敢て大 膽の冒 險を願 ふから に 他な 

らぬ。 



本 居 宣長は 彼の 一 冊の 中で 云って ゐる。 「大 かたよの つねに ことなる 新ら しき 說 

VJ おこす ときには、 よき あしき をい はや、 まづー わたり 世の中の 學者 にに くまれ、 

そしらる る ものな.. 0。」 

だが 吾々 の覺悟 は孤峭 にある。 それ は集圑 による 運動で もなければ 政策で もな く、 

一 片^ .lu; を 追究す る 哀切 さに あれば こと 足りる からで ある。 

また 吾々 は 世間 好事の 贊同者 を 必要と しな い。 人生に 對 する 最も 深奥なる 驚きに 

よって 出發 したから である。 德 孤なら ゃ必ゃ 隣り あ, o。 现; i は 理論と して 獨 行し、 

交 響 する にち が ひない。 

私 は 今日い よい よ 多くの 批判が この 問題に 向って 集中され てゐ るの を 見る。 私 は 

謙虚に これらの 批判に よってい ちいち 反省し、 敎訓を 感じ、 且つ この 問題が かくの 

如く 論じられなければ ならぬ 理由 を 痛感す るので ある。 

思へば 今日 ほど 永遠の 思想に 缺 乏し、 しなやかなる 思考に 枯渴 して、 無味と 乾燥 

との 中に ゐ る 時代 はない。 私 はこの 事 を 思って 寂寥に 堪 へや、 文學 者と しての 忍 ひ 

あがった 馬鹿馬鹿しい 責任に 馳 られ、 前途の 風車に 向って 進. 擊す るので ある。 2 



私は荇 て ^九 百 三十 ハ小、 この 問題に 就いて 小冊子の 中で 觸れ、 以來 今日に この 問 

題 を沈潸 させた。 私の 考 への 如き は 恐らく 一文 藝 家の 放言に すぎす、 百 尺 竿頭 尙ほ 

微塵 も附け 加へ る もので はない かもしれ ない。 だが 私 は 一個の 偶然 論者と して、 こ 

の 一 冊 を 忍 想の 冒 險を 愛する 人々 に 不思議の 交通 を以 つて 獻 じょうと 思 ひ、 又 この 

問題に 就 い て 常に 多くの 便宜 を與 へ られた 石 原 純、 成瀨 無極兩 氏の 机下に 感謝 を ひ 

つ て 格げ る 者で ある。 



ヘルク、, ン への STI メ. ooooooooooooooooooooooooo U-U 

ビカソ の言势 ooooooooooooooooooooooc-oooooo ヒ へ 

力 て OC-0000000000000000000000000 V 

^ク- 構:;^ ooooo ooooooooooooooooooooooooo 八 一一 一 

^ひっきの 缺乏 0000。 。。。。。。。。。。。 0000。。。。。。。。 八.!、 

文學を 蘇生せ II めよ oooooooooooooooooooooooooo ^ 

偶.^ 論ハ の 反撃 oooooooooooooooooooooooooooo P に 

AN£^ に牽 ry 力 00000000003000000000000000000*0 'X 

ェ クト とサリ リ oo oooooooooooooooooooo O^^^M 

仇 然^ S と モラル。。。。 oo。。oo。ooo 。。ooo。。。。。。。 o。 二. p 

『n flj.s』 ooooooooooooooooooooooooo ooooo ニー Q 

小説に 於け る 偶然と 人生に 於け る 偶然。。。。。。。。。。。。。。。。 I 一 一 If 

朱き 老ノ に^:. ST す o つ o o o o o o oo o o o o o o o o o o o o o o o oo ニー 一.^ 

確率 槪 念の 訂正 を 中心に 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ニー マ 



6 



#-cx ク^ ooooooooooooo 

碎 がお の Eoooooooooo 

政治 形態と 文^-。。。 ooooo。o 

P マ ン 心情と? C 然論。 o 。 。 。 o 。 。 

パに ひ u リ:, し o o o o o o o o o o o o o 

秋の アルル カン o o 。 。 。 。 C 。 。 。 

u ^ 琴 抄,, ; ^«M^OOOOOOOOOOO 

^1 Jl^r ooooooooooooooo 

^ "j{ 一つ. oooooooooo o o o o o 

ォ r, f ooooooooooooooo 

桁^ 性と いふ こと。。。。。。。。。 

雄 略天帛 と 後光明 天皇 。。。。。。 

ooooooooooooooo 

ーフウ : • * シ ユッフ ィ厂 o o o o o o 

一 九 三 二 年の 帝 辰。。。。。。。。。 



000 000 000 000 0^^0 

OOOOOOOOOOOOOOOOOJ に^ r 

oooooooooaoooooo 二 g 八 

oooooooooooooo 00014-。 

00000000000000000^ 

00000000000000000^^-^ 

0000 000000 0000 OOOJ.pl 

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00 00 000 o o 00 o 000 OOI.P..P 

000 ooooooooooooooo-^™ 

000000000000 ooooo^^v 

OOOOOOOOOOOOOOOOOJ 九 J 

00 000000 000000000 一一: Q 

00000000000000000 



直 木! 二十 五の 死 。 

偶然 論と 意志 說 - 

祌祕 主義に 就いて 

ゲァレ リイの 飜譯 

新ら しい 意志 說 o 

S 愛小說 。 。 。 。 

^ p OOCOOO 

小說の 定義 。 。 。 

偶然の 皆無 。 。 。 

科 學ク; flwsf o o o 



つれづれ 形態 學 。。。。。。 

山に 就いて 。。。。。。 o, 

^に 就いて O 。。。。。。£ 

にがいて OOOOOOC 

美 哉好少 ^、美 哉 好 少女 。 。 

韻徘 !ii そ の 他 。。。。。。。 

本に 就いて。。。。。。。。。 

野鳥の 離。。。。。。。。。。 

女 爇 時評 ( 一 )。。。。。。。 。 

新人の 二^作 。 。 。 O 。 。 C 

秋 * 氏の 傑作 「1 つの 好み」 

リアリズム を 破壊せ よ 。t 

石 坂. 丹 羽の 作品 。 。 。 。 < 

志 « 氏の 名作 「n 記帖」 。< 

r 月 ネ 力 リ II など o O O O O C 

V 藝 時評 (二) 。。。。。。。。 



一一 2 

一一 六 七 

一一 七 四 

11 八〇 

一一 八 六 

二八 六 

一一 八 八 

一一 九 一 

一 1 九 四 

一 1 九 六 

一 1 九九 



9 



日褡^ : と 歷史性 0000000000000000000000000000 ^0^ 

子供 を 描いた 二 佳作。。。。。。。。 00。。。。。。。。。。。。。。。。 一一 一 on 

『コ ナン 大尉』 の ©概。 。。。。。。。。 o 。。。。。。。。。。。。。。。。 一一 一〇 七 

「 脫 出 一推 稱 oooooooooooooooooooooo oooooooo 一一 一一 〇 

{uil 一 瑪 リア リフ、 " ooooooooooooooooooooooooooool 一一 ニー 一 

■ I - こ ^ J^v る I ゆ 畔、1 oooooooooooooooooooooooooooj 一一 1 七 

^yM と リア リス ム 000000000000000000000000000 一一 一一 一四 

文? & 雜.^ ooooooooooooooooooooooooooooooooj 一二 一一 Q 

『二 十 他 紀英. 5 學 の ^'述 節』 o。o。。。ooooo。。。o。oo。oo 。一一 ニー 一 〇 

文 あ IffQ 交 逸 oo ooooooooo oooooooo oo oooooooo"! 一一 一二 j 

年 齡 クー I ィ M 議 ooooooooooooooooooooooooooooo 一一 ニー 一^" 

し C, ^ 3^* oooooooooooooooooooooooooooooool 一二 | 一、 

「アジアの 變」 ま 日 譚 oooooooooooooo。o。ooooooooo 一一 一四 一 

時 9! の 風景。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 一一 Isrl 一一 

然 論文 駭目錄 OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO^-^NW I 



れに 失敗す る。 こんなに 眞劍で 滑稽 極まる 世界と いふ もの は 滅多に ある もので はない。 噓 がいへ 

ない のみ か、 噓を つかう とした 心理 さへ が、 ありあり として 文章の 行 問 から 見えて くるの が、 小 

説の 場合の 必定で ある。 

だから 小 說を讀 むと、 常に 我々 は そこに 人間の 全 體を毘 る。 かくて 人間と いふ もの を もっとも 

深く、 適切に、 ぢ かに、 我々 に 知らせる もの は小說 以外に は 何もない。 

だが これが 小説の 美點 かとい へば さう ではない。 これ は 小說の 持って ゐる 一 つの 特徵 である。 

人 ^を 計る 機械の やうな もので この 機械 は なかなか 正直 だとい へ る。 卽ち これ は小說 とい ふ もの 

の 中に 內在 する 厳格なる 眞實 である。 だが 我々 が 試みよう とする もの は、 この 機械 を 通して、 更 

に 我々 が 小説の 中で もう 一 つの 眞實を 追究しょう として ゐる ところに、 二重の 眞實 への 努力が 現 

はれて、 その 小說が 拙から うが 巧みで あらう が、 鬼に 角、 小説と いふ もの を 素晴らしい と对 へし 

める 现 由が 生れて くる。 

つまらぬ とい ふの は、 そこに 抽象がない からで、 道が 遠い とい ふこと である。 だが そのことの 

ために もっとも 具體 的に、 恐らく これほど 懸命に 全力 を 以て 露 K を 追つ かけて ゐる もの はない と 

いふ ことが わかって くる。 

小說の 中で 噓 をい へない とい ふことの ために、 作者 は 常に 生活 を 一層 眞摯に 追究す る。 それ は 

科舉 者が^ 微錯を 見る よりも、 政治家が 農村 を 視察す るよりも、 もっと 複雜 に、 身 體全體 を 以て 



14 



IX は-七 こもの 狂 ひに、 時には 冗該を 以て、 もう 一 つの 眞實を 嗅ぎ 廻して ゐる 

乂、 おは どうしても 噓 がいへ ない とい ふことの ために、 何とかして 自分の 噓を 完全に しょうと 

して 最も 恐るべき 力 を ふる ひ 起す 亊が ある。 噓とは 人間に とって 必要 だからで ある。 然し、 彼 は 

常に 噓に 失敗す る。 然し、 その 爭鬪 のために 反って 彼は噓 への 努力 を さへ 見事な 記錄 として 殘す 

ここで は 何よりも 最も 眞實が 大切で あり、 然も 虚構まで が 役立ち、 惡德 までが 輝き、 病的な 妄想 

までが 立像 を 作る ので ある。 わななく 破倫 さへ が 破倫で あれば ある ほど、 人生の 爲實を のぞかす 

ので ある。 ァ ラン はいって ゐる。 「小說 を 支配す る 感情 は あらゆる もの il 情熱 も 犯罪 も 不幸 さ 

、 I 進んで 欲求され た、 さう いふ 人生の それで ある。 これによ つて 眞の 小說は 宥恕と 希望と 友 

靑と を^に 喚び 覺し、 苦 惱に打 勝つ 事になる ので ある。」 

僕 は 小説と いった。 だが ここで 大衆 小說 まで を 意味して いい かどう か は 知らない。 自分 は讀ん 

だ こと もない し、 それ を 批判す る 資格 も 持って ゐ ない。 然し 現代の 滔々 たる 大衆 小說 の汎濫 とい 

ふ ものが、 或 ひ は小說 とい ふ もの を、 寧ろ 低俗に 考 へしめ る 役目 を 果して ゐ はしない かとい ふ杞 

变を 正直に 感す る。 實際 眞實の 小說の 世界と いふ もの は、 もっと 高く、 もっと 進み、 その 精^と 

さ 法の 中には 可 者よりも 優れた 世界が 存在す るので は あるまい か。 我々 は 再び 純粹な 小說の 世界 

に 股 を 向け、 小說 とい ふ もの を考 へな ほさなければ ならない 時代に 來てゐ る。 ここに こそ 文化の 

もっとも 髙 度な 生活の 表現が あると 考 へる。 



5 



二 

小説と いふ もの は 常に 創造の 世界で あると いふ 事の ために 長い間 尊敬され た。 人々 は小說 を讀 

し e 

「本當 に 自分 達の 氣 持ち を 云 ひ あてられ たやうな 氣 がする。」 

と 云って 主人公の 動きに 同感 を 示す。 又 或る時 は 

「私達の^ 界 はこん なに 荒唐無稽な もの かしら。」 

と 云って、 時に 恐怖して 反撥 を 示す。 又 

「よくこん な 事が 書け たもんだ わ。」 

と 云って その 表現の 力に 驚く。 

これ は小說 の傳統 である。 ロマンと いふ ことで ある。 小説が 常に 何 かの 形式 を 持って ゐる とい 

ふこと である。 創造の 逞し さに 就いて 驚かす ので ある。 

だが、 こんな こと は 作者の 個性の 問題であって、 どんな 作者に もこれ を 求める こと は 出来ない- 

或る 作者 はかう い ふ 才能 を 持ち、 又 或る 作者 はかう いふ 才能 を 甚だ 少しし か 持って ゐ ない。 

だが かう いふ 創造の^ 界 がた とへ 少く とも、 小說 とい ふ もの は 常に 素晴らし いので ある e それ 

は 下手く そな 小說 でも、 巧みな 小說 でも 同じで ある。 とい ふの は、 小說 とい ふ ものが 常に 人生と 



!0 



いふ もの を、 犯罪 も 不幸 も 進んで 欲求しながら、 最も 眞劍 に觀 察し 考へ ようとして ゐる ところに 

小説と いふ ものの 烈しい 魅力が あるから である。 下手 は 下手な りに、 ボン ャリは ボン ャリ なりに 

こ Q^R に 這 入った ほどの 者 は、 この 宗旨の 熱烈 さを以 つて、 人生の 醜惡と 美貌と に 向 はなせれ 

ばなら なくなる とい ふ 宿命 を 負 はされ る。 僕が 雜誌 小説の 多く を通讀 して 感じた もの もこれ であ 

り、 この ことこ そ 現代の 小說を 最も 高い 文化の 頂 點と考 へしめ る 理由で ある。 

、ま こぞって.^^ の 世界と いふ もの をもう 一 度 見な ほさなければ ならない, 

少 くと も雜 誌に 現れる 限りの 論文と いふ もの は、 それが 經濟 理論で あっても、 科擧 上の 理論で 

あっても、 か;: 一 つの 實驗の カスで ある。 熱情 ある 實驗 は旣 に實驗 室で 果 され、 吾 々が 活字 を 通し 

て 知る もの は 紹介 か 、興味 か、 抽象 かにす ぎない。 讀ん でし まへば それで 卒業す ると ころの もので 

ある。 多く 第二義の ものになる の は、 その 性質 上 仕方がない。 だが 小說 のみ は小說 それ 自身が 目 

的で あり、 小説の 世界に 全部の 世界が 鑄 込められて ゐる。 ワイルドが 云 ふやう に 生活と 藝術 とが 

逆になる ほど 彼 は 小說に 全力 的で ある。 これ は 理窟で はない。 讀後感 である。 これほど 正直に 眞 

焚 を全體 的に 追つ かけて ゐる もの は 見あたらない。 例へば 德 田秋聲 氏の 「一 つの 好み」 を讀 み、 

志 加 USI 哉 氏の 「日記帳」 をよ み、 それから 某々 の 駄作 を 請んでも、 尙ほ 彼の 眼が 人間 そのものに 

對 する 追究 を 試みて ゐる 限りで は、 小說 とい ふ ものが 美しく、 壯遝に 見えて くるので ある。 

麻 i 賭博と か 何とか 云って 小說 書きが、 社 食の 好奇心の ために、 不當に 誇張せられ 傷められて 



17 



ゐ るの を 見る が、 然し 彼等 ほど 自己の 生活 を 正直に 吐き だし、 生活の 虚飾 をす てて、 ^赏 Q 生活 

に觸れ ようとして ゐる ものが 何處 にある だら うか。 彼等の 中に 嘗て どんな 犯罪者が あり、 然も そ 

の 犯罪 を どんな 方法で 果し たか。 

恐らく 眞 にあら ゆる 生活の 表裏 を、 高潔 さと ズル さと をく ぐって、 尙ほ 人生の 師表と すべき 人 

格 を 求む るなら ば、 何處の 世界よりも 藝術界 に 於て 探す より 他ない だら うとい ふ 氣持さ へ する。 

,1 一一 

總 てのものが 眞實を 追つ かけて ゐる。 科擧者 も、 宗敎家 も、 商人で さへ も。 

その 追究の 仕方 は 違って ゐる としても、 だが 小説家 ほど 自己 を 食 ひ 破って まで も踩赏 に 到達し 

ようとして ゐる ものが あると は 思 はれない。 眞責を 追究す る ことの 烈し さの ために 彼等の 数人が 

發 狂した としても、 それに 何の 不思議が ある だら うか。 

私 は 今日の 多くの 畢生が 平 俗な 讀 書に 興味 を 持って ゐる とい ふこと を 聞いて、 彼等 はもう 一 度 

漱石 時代 の やうに 高尙 な文藝 趣味と いふ ものに 引き返すべき だとい ふこと を考 へる。 恐らく 特殊 

な 人々 の みは 今日の 淺 薄な 趣味 を輕 蔑して ゐる。 だが こ の 信念 はもつ と擴 がらなければ ならな い 。 

さて 私の この 文章の 主題 は 眞實を 追究 するとい ふこと であった。 これの みが 小説の 全部で ない 

こと は 云 ふまで もない。 然しな ほこの 概念に 就いては ハツ キリ させて おきたい とい ふの は、 眞實 ^ 



とハふ ものの 概念が 從來 より は變 化し、 殆ど 逆にな つたから である。 然 らば、 その 新ら しい 眞實 

,4 一 ま 一 ra^ か。 それ を 如何にして 表現す るか。 第三者が なほ それ を眞實 として 受取る かどう 力 

^は 文^-上の a; 贲とは 「正確に 見る ことによって ものの 不思議にまで 到達す る」 ことで あると 

^て 書いた。 これ は從 來の單 純な 眞實を 否定して、 匿され た 眞實を 見ようと する 文擧 上の 新 精神 

である。 卽ち 作者 は 常に 虞荧 とい ふ もの を眞實 にっか まへ なければ ならない。 眞.實 の 不思議 を 捕 

へなければ、 それ は文藝 上の 發見 とはいへ ない。 

だが ここでい ふ 不思議と は 神 祕主篛 ではない。 眞實 の眞實 である。 宇宙の 本質 を 偶然と みる 事 

によって 起る ところの 新ら しい 驚きの 立場で ある。 この 立場に 於ての み 吾々 は とい ふ ものの 

持って ゐる 不思議に 到達す る。 そこで は 正確が 一 つの 藝 術に 到達し、 二つが 一 つになる。 何より 

も 從來の リアリズムが 破壊 せられる。 もし 從來の やうに 洗 ひ 立てて 何の 不思議 もなくなる ものが 

^货 なら、 今日まで 文^-も 藝術も 生れ やうが 無かった 箬 である。 

吾々 が 常に 心 懸ける もの は廣實 とい ふ ものの 持って ゐる 不思議な 相貌で ある。 吾. < は 常に 一 見 

平凡の 屮 から 輝く M 實を 見つけなければ ならない。 これ 藝 術が 永遠に なり 得る 理由であって、 こ 

の 中に こそ 流行と 時代と を 越えた ものが 常に 橫 たはって ゐる。 

^^とい ふ^に 對 して は 無數の 解答が ある。 だが これ を 一 つの 偶然 論の 上に 於て 見なければ な 

らぬ とい ふの が 今日の 問題で ある。 



19 



だが 第二の 表現の 方法と いふ ことになると、 それ は 驚くべき 多岐に 分裂す る。 方法 上の リア リ 

ズム とい ふこと は資 に複雜 である。 卽ち、 眞實 を眞實 によって 語る 場合と、 眞 實を噓 によって 語 

る 場合と、 噓を噓 によって 語る 場合と。 ある 作者 は 構造に よって、 ある 作者 は 素材に よって、 又 

ジョイ ス の やうに 心理 學 的に、 叉 ブル ー ストの やうに 回顧的 方法に よって。 

それ はァラ ン がいって ゐる やうに、 大體 「記述が 事物に 迫るな どと いふ こと は 到底 出来ない」 か 

ら である。 かくて 小説の 噓 とい ふこと は、 小説の 眞實 とい ふこと と 何時も 同 時 に 成立して ゐる。 

だが この 問題 は 短い 紙面で は 到底 論じつ くされない。 ただ それら 表現 せられた 眞實 が、 なほ 作 

者 以外の ものに とっても 貭實に 感じられ るか どうか、 とい ふ 問題が 殘る。 

然し、 その 事 を 知って ゐ るの は 神 だけで ある。 神と は 批評で ある。 批評が これ をき めれば いい- 

然し この 批評と は 世の 聰明な 批評家の 事で はない。 かくの 如くに して 小説の 追究す る腐資 とい ふ 

もの は 社會に 放散す る。 

これ こそ^み が ひの ある ものである。 人 問の 生死の 喜び を報吿 する 唯一 の もので あり、 肉 ^を 

以て 永遨 につながら うとす る 唯一 の 手段で ある。 

吾々 はこの 事を自 © し、 小說 とい ふ ものに 封す る關心 をもう 一 度 人々 の 心に 呼び 起したい • 

(『東京 朝 R 新聞』 昭和 九 年 六月 八日) 



I 

2 

M .ィ4 と ま 

蒸し 暴い 夏の 夜、 男が 家の外で、 その 妻 君の 歸りを 待って ゐ ると、 子供が 眠 さうな 聲で 

「お父さん、 なぜ 蚊 は 血 を 吸 ふんで せう」 

とい ふ §2; 問 をす ると ころがあった。 

その 父親が 何と 答へ たか、 恐らくうる ささう にあしら つた やうに 覺 えて ゐる。 若しかしたら, li 

切に わけの わからぬ 返事 をした かも 知れない。 

これ は 小說の 中の 一 つの シ ー ンで、 確か チェ ホフの 小說 であった と 思 ふが、 どんな 主題の もの 

であった か 忘れた。 勿論、 題な ど覺 えて ゐ よう 害がない。 何 か 吸血鬼の やうな 妻 君が 出て くる 小 

晚 であった かも 知れない。 

ただこの 一 行 だけが 不思議に 頭に 淺 つて ゐる。 よほど この 一 行が 氣に 入った からに 違 ひない。 

勿論 この 一 行が 子供の 素扑な 懐疑。 動物と しての 爭鬪 心。 きっかけ のない 父親に 對 する 同情。 



陲ぃ 時の 馬鹿馬鹿しい 思 ひっき— そんな もの 全體を 適確に 押へ て その 場景に 生彩 を與へ て ゐるこ 

とが 私 を 喜ばした からに 違 ひない。 

ところが、 その後、 新聞の 婦人 攔か何 かで、 蚊は產 卵す る 前に 動物の 血 を 吸 はなければ ならな 

いの だ、 とい ふ 記事 を よんだ。 

それで 子供の 質問が 私に 於て 初めて 解答が 與 へられた。 私が 一行 を 記憶して ゐ るのに は、 この 

解答 も 亦 多少の 關係 があった かも 知れない。 

何れにしても 子供の 質問に は 驚くべき 科擧 上の 祕密が 匿され てゐ たので ある。 不用意の 間に、 

寛に 結構な 疑問が かくされて ゐ たので ある。 チェ ホフが これ を 知って 書いた か、 知らす に 書いた 

か はわから ない。 恐らく 知って 書いた のかと 思 ふが、 併し 問題 は その 一行の 含蓄 ある 實に 生彩に 

富んだ 描 寫の點 にある。 - 

吾々 は 今、 リアリズムと いふ 言葉 を屢 使って ゐる。 併し 吾々 が從來 使用して 來 たこの 言葉に 

は 「ありのまま」 とい ふ 意味が 多分に 含まれて ゐた。 それ は リアリズムと いふ 思想が、 十九 世紀 

の 物理 畢と 平行した 思想、 必然 論に よって 組みた てられた 不思議の ない 實と いふ ものに 立脚し 

てゐ たからで ある。 . 

だから 或る人 は、 文學で 「ありのまま」 など は 描け ない と 云って、 リアリズム を 否定し、 又 あ 

る 人 は 最も 常套 的な 描寫を 見れば 見る ほど、 それ を リア リズ ム だと 思って 喜んだ。 



22 



併し さう いふ 懐疑、 或 ひ はさう いふ 考へ 方と いふ もの は 否定せられ なければ ならぬ。 なぜなら 

ば、 吾々 の 時代の リア リズ ムと いふ もの は 今では 全然^の ものに ならう として ゐ るから。 

吾々 に 於け る 文粱の 描寫は 何時も— 科 學と云 はすと も、 哲學と 云 はすと も、 社 會學と 云 はすと 

も、 常に 文举 それ 自身に 於て、 何 かの 發 見の 上に 立って ゐ なければ ならぬ とい ふところまで 來て 

ゐる。 これ は餘 りに あたり まへ であるた めに、 澤 山の 解說が 必要で ある。 

だが、 兎に角、 チ H ホフの 描寫が 意識的で あつたか、 なかった か、 そんな こと はどう だってい い 

として、 ただこの 描寫の 中に、 生と いふ ものへの 深い 驚きと 疑問と が 含まれ、 文舉 としての 發見 

に 溢れて ゐる こと を^-へ なほして みる 必要が ある。 

一一 き 

三 木 淸氏は 『改 选』 九月 號で r シ h スト フ的 不安」 を 巧妙に 解説して、 不安と リアリズムと を密 

接に して 「不安の 文 不安の 哲舉 は、 その 本質に 於て、 非 日常 的な リアリティ を 探求す る 文擧、 

哲舉 である。 それ故に 若しも 斯様な 文舉ゃ 哲舉の 批判が なさるべき ものである とすれば、 批钊は 

何よりも リアリティの 問題の 根幹に 觸れ なければ ならない」 と 云って ゐられ る。 

そして 文舉、 哲學に 於け る リアリティと いふ もの を 「曰 常 的な ものへの 憤怒、 抗議」 とし、 

「科舉 や 理性の 現 赏に對 する 抗議が 合理性の 非合理 性に 對 する 抗議で あると すれば、 悲劇の 哲 SS. 



23 



の それ は、 反對 に、 非合理 性の 合理性に 對 する 抗議で ある。 非合理 性 は 合理性への 剩餘 とい ふ 如 

きもので はない」 と說 明して ゐられ る。 

伹し ここで 云 はれて ゐる 科學の 合理性と いふ 言葉 は、 今日で は 單に三 木 氏說の 如く、 單 純に 呼 

んで すまされない かも 知れない と 私 は考へ るが、 それにしても 近頃 最も 見 ごた へ のす る眞實 とい 

ふ もの へ の解釋 で、 こんな 優れた 所說 をな し 得る 人 はそんな にある もので はない と 思った。 然も、 

僕の 偶然 論に よる リア リズ ム 論と 或る 點で ふれあ ひ、 とりわけた のしかった。 

僕 は 新ら しい リアリズムと いふ もの は、 最近の 物理 學が說 明す る と こ ろの 偶然 論と 同じ 方向に 

あらねば ならない とかね がね 主張して 來た。 卽ち 物の 眞實 とい ふ もの は、 偶然の 上に 立脚して、 

決して 從來の 不思議 を剝脫 された 必然的 眞實の 上に ある もので はない。 

眞 K それ 自身と いふ もの は、 寧ろ 不思議に みちみち たもので あり、 吾々 は それに 向って 突進す 

る ことによって、 文舉 上の リアリティと いふ もの を捉 へなければ ならない。 

货は 吾々 は リアリティと いふ もの を、 長い間、 誤解して ゐた。 それ故に 文學 上の リアリズムと 

いふ もの を 否定し、 又は 安價な 日常 的描寫 を歡迎 したりした。 併し それ は 決して^; 實 ではない。 

^實 とい ふ もの はもつ と 深く、 面白く、 その 偶然 論 的 意味 を 新ら しく 發見 すれば する ほど、 吾々 

は 吾々 の 世界が 深く、 無限の 變 化を以 つて 現 はれて くるのに 氣 付く。 

果して 三 木 氏 は叉說 明して、 



24 



「偶然 的な もの、 或る r 氣 紛れ」 である」 とも 云 ひ、 又 「人間 を その 日常 性から 彼の 本 來の存 

在 可能性た る 地下室の 人間に 連れて 歸 らうと する」 ことで あると 繰返して 主張して ゐられ る。 

然し 唯 だ 一 つ、 この 優れた 論文への 疑問 は、 吾々 の文擧 上の 眞實 が、 悲劇から ばかり 到達 せら 

れ なければ ならな. s とい ふこと はない ので はない かとい ふこと である。 

それ は 人間 論 的に 悲劇と いふ ものの 持って ゐる 性質の 深切 さに は 一 應 驚き、 それ をく ぐって く 

る ことの 痛切 さは わかる としても、 尙ほ 吾々 は 喜劇に よっても 文擧 上の 虞實に 到達 出來 ない とい 

ふこと はない からで ある。 

たまたま シ エス トフが、 一一 イチ ェ、 パスカル、 ドスト イエ フス キイ、 チェ ホフ、 トルストイに 

一貫した もの を 拾 ひ あげたと しても、 それ は 彼の 哲擧の 性格であって、 吾々 は 叉^の 作家 を 持つ 

て來て 羅列す る こと も出來 るので ある。 

ゲ ー テ の 信仰と、 バ ル ザ ヅ クの 人間性と、 フ B 1 ベ I ル の 審美と を。 义 ロバ ー ト. ヘリックの 

おどけた 詩。 ホイット マ ンの 中に さへ 眞實 が捉 へられて ない とい ふこと は出來 ない。 

三 木 氏が 「一種の 流行」 であると ころの 現代の 不安と いふ こと を 巾 心と して 論じ、 そこから 

「日常 的」 な ものへの 否定 を 試みられた 意圖は 十分 わかる が、 現代の 持って ゐる 希望と いふ もの 

も ある 箬 でめる。 

吾々 は 悲劇と 云 はや、 喜劇と 云 はす、 偶然 性、 可能性の 上に 立脚す ると ころ-の 眞實を 追究す る 



25 



ことによって、 吾々 の 文舉を 新ら しくし なければ ならない。 

r チ ェ ホフ は 壊れた 瓶の かけらの こと を 書いて、 月光の 描寫 をす る」 —— と。 

これ は 誰れ やらの 本で 讀ん だ。 恐らく ロシアの 文藝 批評家 か、 それとも^の 作家の 誰れ かが 云 

つたのに 違 ひない。 

チ ェ ホフと いふ 作家 や 口 シァ の文藝 批評家 を そんなに 好きで 取り あげる ので はない が、 どうし 

たの か描寫 とい ふこと になる と、 つい 出て くる。 

何も 月の 光 を 描く のに 他の もので 描寫 しなければ ならぬ とい ふわけ ではない が、 これ も 誰れ や 

らが、 比喩と 象 徵とを 區刖 して 「比喩 は 類似に よって 描寫 する が、 象徵は 全然 別の ものに よって、 

その 厲 實を捉 へようと する」 と 云って ゐ たの を、 思 ひだした からで ある。 

チェ ホフ は 大抵 象徽 的な 手法 を 用 ひたので あらう。 然し 新 リアリズムの 方法と いふ もの は、 ^ 

の もので はなく、 恐らく 月 自身 を もっと 見る ことによって、 もっと 不思議な 月の 世界と いふ もの 

を發 見す る ことから 始まる ので はない かと 考 へて ゐる。 「非合理 性の 合理性への 抗議」 によって 

行 はれ、 更に それが もう 一 っ奧で 合理で ある ことに 氣付 くと ころまで ゆかなければ ならない の だ 

と 思って ゐる。 



26 



私 はこの 顷 『ュ リシ," ズ』 の 下卷を 讀ん で、 この 中には 驚くべき 描寫が あると 思った。 何も 私 

のい ふ リアリズム は 描お にだけ 限って いふ わけで はない が、 例へば 第 十五の 會 話の 中に ある ブ ル 

1 ムの 心理 描寫の 如き は、 赏に 不可解の 美し さにまで 到達して ゐる。 

ああい ふ ものが 何處 から 出て くる かとい ふこと は 到底 わかる もので はない。 然し それ は 比喩に 

よって 接近しょう とする もので も、 叉 象徵 によって 肉迫しょう とする もので もな く、 ^ろ 現實を 

よく 見る ことによって 初めて 至り 得る 全然 逆の 世界で はない かと 思って ゐる。 見る 事と は 觸れる 

^であり、 感じる 車で ある。 . 

それ は 幾ら 見ても 見えない とい ふこと は あるに 逭 ひない。 然し それ は發 見の 翼 を 折られて ゐる 

からで、 吾々 は^で 見、 皮 腐で 見、 形而上で 見なければ ならない。 それ は 對照を 無限に 愛慕し、 

時に また 拷問す る 痛烈 さを覺 悟して 見なければ ならない。 齋藤 茂吉氏 はこの 作用 を說 明して 「 實 

相に 觀 入して 自然、 自己 一 元の 生 をお す」 とその 寫生 論で 云って ゐられ る。 

かくの 如くに して 吾々 は 神饌 渺々 とした 世界 を 探し あてる に 違 ひない とい ふところに、 自然の 

可能性が 無^に 撗 たはって ゐる。 古來 多くの 優れた 藝 術が、 常に 一 つの 不可思議 境に 到達して ゐ 

ると いふ こと は、 實と いふ ものが 常に 平凡で も 「ありのまま」 の もので もない 證據 で、 ここに 

^術と いふ ものの 計りつ くせぬ 魅力が 匿され てゐ る。 . 

三 木 氏 は 「無からの 創造」 を解說 して 次ぎの やうに 說 明して ゐられ る。 



2 7 



「^が 單 なる 必然性であるなら ば、 創造と いふ こと も あり 得ないで あらう。 地下室の 人 問が 突 

き あたった 無 はしばしば 「運命」 と 云 はれて ゐる、 そして 運命 は 普通に、 必然性の 別名の 如く 考 

へられて ゐる。 けれども 必然性と 考 へられるべき は 却って 世界、 人間が そのうちに 投げ だされて 

ゐる 世界で ある。 世界 は 固より 遝 命と 見られ 得る がそれ は 外的 運命で あり、 その やうな 「必然 

性」 に對 して 本來の 運命、 無 は 却って 「可能性」 であり 自由で ある」 

それ は 外的と 內 的と を 問 はす、 私は總 てが 偶然に よって 進行して ゐる とい ふところに、 人 問 Q 

悲痛と 歡苕 とが、 自由と 可能性 の 中に 現出し てく るので はない かと 恩って ゐ る。 

かくて 吾々 は 吾々 の 周圍、 吾 自身 を 見る 眼 を、 一 新す る ことが 出來、 吾々 は 吾々 のす ぐ £ く 

に 深刻な 悲劇と 喜劇と が 裏返し になつ て 存在す る こ と を 知 るので あ る。 

そこで 私 は 突然に いふが、 吾々 の 文攀の 持つべき モラルと は、 自然主義が 「ありのまま」 の 露 

货 によって 總てを 理解し 行動した やうに、 「可能性と 偶然 性」 の眞實 によって 總てを 理解し、 行 

動す ると ころに あるので はない かと 考 へて ゐる。 ここに 文擧の 新ら しい 理想が 出發 する。 これ こ 

そ 吾- <? の 時代の モラルで あり、 純 粹小說 の 問題 はこの モラルの 實驗 にか かって ゐる。 吾々 は 新ら 

しい モラ ルを臭 し、 その 中に 小說を 開花せ しめなければ ならない と考へ る。 

ふとす ると、 「とてつもない」 とい ふこと が 吾々 にと つての 最上の 美に ならぬ とも? ^ら ない。 

(『讚 资新^ il 昭 和 九^ 九 十四 00 



28 



9 

2 

偶然の ^毬 、 ま: き" にい: ぶ 

數年 前、 形式主義と いふ 一 つの 諷刺 小 說を發 表した。 あれが 正しかった か 問 違って ゐ たかに つ 

いて は、 多 救の 批評家が 出沒 して 完 霜な きまでに 食 ひち らして くれた。 然し 今 も 尙ほ當 時に 提出 

した {$题 がー っ绕 つて ゐ るのに 氣 付いた。 氣 付いた とい ふより は、 私 は 今日に それ を淺 したので 

ある。 

私 は 當時、 マルクス 主義者の 必然 論に 對 して、 吾々 の 思考の 根據を 偶然 說に 置かなければ、 吾 

吾の 文^-は 枯死す る だら うとい つた。 ところが 當時、 小 林秀雄 氏の 如きで さへ が、 まるで 見當違 

ひの 論法 を 以て、 形式主義 を 批評しながら 唯 物辯證 法に 隨喜 したので ある。 誠に あはれ むべき こ 

とに は、 この 無 方向の 批評 衆まで が當 時の 流行 思想に 憑かれて ゐ たので ある。 

滔々 として、 以來 吾々 の 思想が 必然 論の 上に 安心し きって 進行して 來 たこと は事實 である。 或 

る 男お 唯 物辯證 法的 創作 方法と いふ やうな こと をい つたり、 歷 史的 必然 小說 とい ふやうな 言葉 さ 



へ 案出した。 

それ は^に マルクス主義 作家の みならす、 ひとしく 藝術 派と 稱 する 作家まで が、 必然 論と いふ 

ものに 何の 疑 ひも さしはさまなかった ので ある。 かくて 吾々 の 文舉は 明らかに 不思議と いふ もの 

を丧 失して しまった。 日常 微温の 小説に 專 念し、 觀 念の 絶望に 耽溺し、 創造的 氣カを 見失って し 

まった。 もともと 必然 思想と いふ ものの 中に 不思議と いふ ものの 存在の しゃう がない からで ある- 

だが 改めて 現實の 世界 を 見な ほす 時、 吾々 は そこに は 不思議が みちみちて ゐる ことに 氣付 くの 

である。 吾.^ は 何處を 探しても 決して 同一なる 二つの 個性 を 見出す こと は 出来ない。 また 上と 思 

つて ゐる ものが 下で あり、 東と 思って ゐる ものが 東 を 追究す る ことによって 西に 到達す る ことに 

氣 付き、 直線 を 無遠慮に 引けば 遣 線になる こと を 知り、 そして アイ ンシ ユタ インが 云 ふやう に 

「直線 は假說 である」 ことに 思 ひ 至る ので ある。 

それ か あらぬ か、 ジ イド を 中心とする フランス 文壇の 諸氏 も、 叉 ベルグ ソン 哲皋に 新ら しい 注 

目を拂 つて ゐ るので ある。 

『行動』 正月 號の 小松淸 君の 論文に も ある やうに、 フェル ナン ヂスゃ クルチ ュ ウスの 文擧論 Q 

根據 をな す ものが、 常に ベルグ ソンで あると いふ こと は、 誠に 當然 すぎる ほど 當然の 傾向と いは 

なければ ならない。 

これ は 明らかに ベ ルグゾ ンの 偶然 說に對 する 歸 依であって、 必然 論と 對立 すると ころの 彼の 流 



3° 



と 創^的 進化 說 とに i 點 が あるので ある。 

ところで 彼等 は 疑 ひもな く 左翼 思想 に 接近 を 示して ゐる。 人々 はこれ を稱 して ジ イドの 左 1 と 

批評した。 然し 彼等 は 何も 左 心 想 を 金 科玉倏 として ゐ るので はない。 恐らく 彼等 は マルク シズ 

ムの 必然 論で は 安心 出來 ない に逮 ひない。 もっとも 根本的な 點 において 彼等が マ ル キス トと異 る 

4i は、 彼等が ベ ルグ ソンの 偶然 性に 立脚して ゐ ると いふ 一事であって、 この 大事 を 忘れて 彼等の 

^倾を 論す る こと は 無意 眛 である。 

吾々 は、 もう 一度 吾々 の 世界に 對 する 思考の 形態 を 改めなければ ならない。 人生の 瑣末 を 克明 

する こと も 吾々 の 任務で ある。 だが 批評家 を W て 任す る 人. ^までが、 その 思考の 棂柢 をす ら自覺 

しない ことほ ど、 もの 悲しい こと はない。 

吾々 人生の 神鉸は 常に 吿 げてゐ る。 

—— 待ち人 あり —— 

それ は 美貌の 女で あるか。 むくつ けき 男で あるか。 限りない 希望で あるか。 金剛石の 爪で ある 

か。 不幸で あるか。 屈辱で あるか。 だが 常に 吾々 の 人生に は 不可解な 待ち人が 立って ゐる。 

「人と 魔法 使」 の 毛毬を 一日 も 早く ときほぐした いのは、 吾 の 性格の 中に ある 偶然に 對 する 

^仰に 他なら ぬ。 



3i 



二 

吾々 は脊て 十七 世紀 以來、 科舉の 勃興に 對 して、 科學が 主張す ると ころの 必然 論に お ぞけを ふ 

るって 恐怖した 人々 を 見た。 

わけても 當 時の 宗教家 は、 悉く 科畢の 必然 論に 反對 し、 神 を冒潦 する ものと して 一 齊に攻 翳し 

た。 その 攻攀の 根本 は、 科擧 とい ふ もの は 決定論であって、 そこに は 何等の 發展 がない、 必然 論 

に は、 何等の 不思議 も 希望 もない とい ふこと であった。 彼等 は あらゆる 比喩と、 神罰と を 用意し 

て 科 ^を 威嚇した。 そして 自分 達の 偶然 論の 中に のみ、 生命と 豐富 さと 自由と が ある こと をカ說 

した。 

かくの 如くに して、 もともと 吾々 は 長い間 偶然 論の 中で 生活して ゐ たので ある。 ところが 今日 

では 誉て 攻掣 したと ころの 必然 論者に 文藝 家まで が 改宗して しまったの である。 必然と いふ こと 

を 恰も 永久の 眞理の やうに 考 へて、 それ を 何よりも 大切に しだした。 

ところが 飜 つて 今日で は、 科舉の 方が 反って 偶然 論に 進歩して、 その 深切 複雜な 構造 を 披瀝し 

てゐ るので ある。 

卽ち ハイゼンベルク、 ボルン、 ョル ダ ン 等 は、 そ の 量子 カ學 において、 「不確定性原理」 と い 

ふ もの を發 表して 吾人の 腽を聳 動 させた。 



32 



彼等 はいふ 「^子の 有様 は 位遛と 速度と によって 與 へられる。 しかも 位笸と 速度と は 同時に 確 

定 しない。」 彼等 は 物理的^ 界を 奥深く 追究 すれば する ほど、 偶然 性に よって 構造 せられる 世界 

を發 見す るば かりで あると 説明して ゐる。 

不^お I- 偶然と は 確かに 吾々 にと つて 一 種の 苦悶で あるに 逸 ひない。 だが 「不確定 を 自然の 

^相と して 寧ろ これ を 受け入れる ところに 現代が ある」 と エディントン は 批評して ゐる。 又 「不 

確お 性 原理 は、 相對性 原理 を 更に 越える ところの 二十世紀の 科學 上に おける 一大 創見で ある」 と 

も 説明して ゐる。 

卽ちチ 日で は 科舉の 方に 不思議が 論じられ、 文舉 宗敎の 方に 不思議が 無くなつ たので ある。 

だから 吾々 は 吾々 の 周 園に 何時も 舊態 依然た る リアリズム 論の 繰返し を 見る ので ある。 庹實と 

いふ ものの 概念に 何等の 發展 がない からで ある。 

だが 吾 々は 者へ なほす 必耍が ある。 眞赏と は ハイゼンベルク などが いふ やうに、 宇宙の 极本を 

不 確-おの 不可 思諾に S くもので なければ ならない。 眞實 それ 自身の 性^の 中に 不思議が あると い 

ふこと を 理解す る もので なければ ならない。 不思議の ない 眞實 などと いふ もの は 空疎な 僞り でし 

かない。 卽ち 今日の リアリズムと は 偶然 論に 立脚す ると ころの 眞 赏 の 不思議、 不思議の^ 赏を追 

つかけ る もので なければ ならぬ とい ふところまで 來た。 

それにしても 何故に かくの 如き 事 を 吾々 は 論じなければ ならぬ ので あるか。 理論的に 云 へ ば從 



33 



來の 必然 論と、 それに 立脚す る 非科擧 的な 唯 物辯證 法と いふ 機械論 を 全部 否定し つくさなければ 

ならぬ とい ふこと である。 だが それよりも もっと 大切な こと は 吾々 の 文 寧が 必然 論 的 貫 を 追究 

する ばかりに、 創造的 氣カを 失って ゐ ると いふ 一事で ある。 これ は 毎 曰の やうに 目!^ する ことで 

あって、 吾々 の小說 はしばしば 吾.!!; の 曰 常 性から 高く も 深く もなら ぬと いふ ことで ある。 今日 ほ 

ど 創造と いふ ことが 忘却 せられて ゐる 時代 はない とい ふこと である。 

吾々 の 哲舉者 ベルグ ゾン は、 「創造的 進化」 をい ひ、 「純 粹な 意識 は 一つの 不斷の 流動で ある」 

とい つて ゐる。 進化と いふ 言葉 は 暫く 措く として 創造と 流動と を 吾々 にもたら す もの は 偶然の 思 

想に 他なら ぬ。 

ボ ー ドレ ー ル はいった。 「美と は 驚かす ことで ある」 と。 吾々 の 文舉は 今、 何よりも それ を 失 

つて ゐる。 吾々 は 創造と いふ ことに 何よりも もっと 注意 を 傾ける 必要が ある。 そのために は 吾々 

の 思想 を 偶然 論に 置き か へ なければ ならない。 それ は 碁石の やうに たやすく 布 局 出來る もので は 

ない。 だが 最早 吾々 は 偶然 論に 何等の 不安 を 持つ 必要が なくなった。 なぜならば 過去の 世紀に お 

いて 吾々 は その 中に 安住し てゐ たので あり、 八 r また 今日の 科擧と 優れた 哲學 とが そ れを證 明し 出 

して ゐ るからで ある。 而も 信念と して 吾々 の持續 する もの は、 それ 自身と して 昂揚し 獨行 する。 



「近 t の 科學は カントよりも バ ー クレ ー に 近づいて ゐる」 とェ ルン スト. マッハ は 批評, L てゐ お 

る さう である。 

卽ち 「主 觀の價 値 は 如何に 廣汎 なる 客觀を 持つ 主觀 であるか である。 人智に おいて^ 贳 なる 純 

客^が 成立 しないと すれば 人 は 到底、 物の 赏體を 知る 時 はないで あらう。」 

これ こ對 して 野^- 眞 一 氏 は 次ぎの やうな 解說を 加へ てゐ る。 

II 現 t の.^ 哩攀ま 数理に 基礎 を 置いて ゐる。 そして 「描かれた る 自然 は 結局 單 なる 数字に 化 

してし まふ。」 然し その 1 字の 根元が 「確率」 と 「偶然」 とに ありと すれば、 數は數 としての 本 

質 ぶくなる わけで はないだら うか。 ディラック は數の 本質 を Q 數と名 づけ、 Q 數 は實數 でない 

として ゐる。 ((祌 は 整 數を迭 り、 その他 は 人が 造った もの だ)) (クロ, -ネ 力,")。 物理 は 畢竟 心理 

である 

ここまで いふと、 それ は 明らかに 混同で ある。 だが 今や 吾々 の 世界で は客觀 とい ふ ものが 主觀 

こ yyt- し、 禺然, ェ おいて 烈しく 密接しょう として ゐる ことに 氣^ くので ある。 

私ま^て 「現^の リアリズムと は 眞實の 持つ 不思議 を 追究す る ことで ある」 といった。 

だが この 言^ は 同時に a マ ン チシズ ム の 主張に も變 化する ものである。 

X ぜな らば、 この 命題 は、 不思議 を 強調 すれば 口 マン チシ ズム になり、 眞赏を 強調 すれば リア 

リズムに よる^ら である。 だが もっと 適切に いへば、 今 曰で はこの 二つの イズムが 偶然 論に おい 



て 强カ に 結び つけられなければ ならなかった ので ある。 

保田與 重郞、 龜井勝 一郎の 諸君が 日本 浪 S 派と いふ もの を 宣言し、 又 舟橋 聖ー、 小 松淸の 諸君 

が 行 励 主義と いふ もの を、 王 張して ゐ るの も、 畢竟 この 口 マ ン チシズ ムと リア リズ ムとを 結びつけ 

ようとす ると ころの 设 初の 運動に 他なら ぬ。 . 

保 田 君 はいって ゐる。 「過去 日本の 文擧界 において、 俗調の 流行 極まり、 先代の 糟粕を 食 ひて 

嫌 はざる こと、 今日の 事情に 過ぎる もの を 知らない。 しかも 省みて 藝術 する 自覺の 切迫の 極點に 

形成され しこと、 今日の 靑 年文藝 人に 勝る もの ある を 見ぬ。 觀 じくれば、 日本に 於て 未だ 嚴密な 

る浪曼 運動の 發生を 見ない ので ある。 今にして 次代 は 一 つの 萠芽に 己 を 蔵め つつ、 現代 は 混沌と 

して 分明で ない。 僕ら わが 世代の 歌を唱 へねば ならぬ。」 

叉 小 松 君 等 は 行動主義の 货後 にべ ルグゾ ン哲 學が潢 たはって ゐる こと をハ ッ キリと 告げて ゐる。 

ベルグ ゾ ンは その 高邁な 一^の 中で いって ゐる。 「思惟が 捕捉す る もの は實在 そのもの ではない。 

思想 は 具體的 寧實を 抽象し て 固定 的に する。 對象を 捕捉す る も の は 主 觀客觀 の^を 超越せ る直觀 

によって のみ 可能で ある。」 

だが、 吾々 は必 すし も ベルグ ソン や、 或は 科學說 にの みよる 必耍 はない。 眞實 とい ふ ものの 方 

向 は 何時もき まつ てゐ るからで ある。 

かくて 今や 文 學はー つの 改變^ に 到達して ゐ るので は あるまい か。 それ は 政治的 關 心と、 修鋅 ^ 



的^ 心と、 人 問的關 心との 如何 を 問 はす、 靜 止の 中に 沈沒 して、 偶然の 毛毬を ほどかう とする 意 ジ 

愁を 持た ぬ ^り 無意味 の やうに 思 はれる。 

純粹 必然と は 一 切の 其體的 內容を 失へ る單 なる 論理的 公理であって、 これ を 外界に 適用す る こ 

とも 出來 なければ、 又 これによ つて 何物 を說 明す る こと も出來 ない。 吾々 の歷史 も 叉 丁 生 も、 一 

度も^ て豫想 を货 行した こと はない。 吾々 の 生活が 必然の 法則に よって 動いて ゐ ると 考へ るな ど 

は大 それた 偕 越で しかない。 

人生の ^博 を 知らぬ 必然 論 は 人間 生活 の 中に ある 本能 力 を 無視し よ うとす る 敵で しかない。 

偶然 論と は W 能 性 を 信す ると ころの 哲舉 であり、 人生 それ 自身の もつ 不可知、 無限の 幸福と 不 

幸と におく ところの 思想で ある。 

吾々 は 吾々 の 文舉を もう 一 度^ 然事の 多寡に よって 判斷 し、 偶然の 眞實 によって その 素材 を 選 

^し、 人 問 生活の 中に ある^ 想 力 をもう 一 度 羽ばたき させなければ ならない。 ^は 今日 G 文舉を 

蘇生させる もの は、 こ の 根本的 思对 の改變 にの みか かって ゐ ると 固く 信じて ゐる。 

(文中、 物^ 41- に^する^ 分 は K =. なき を 期し 石 K ^ 博士の 校闼を 得た〕 (『爽 -京朝 B 新開』 二月 二十 八:! ) 



三 連 符 

船の 旅行と いふ もの は、 吾々 の 日常の ゎづら はし さ を 忘却 させて くれる とい ふ點で 最も 好まし 

いもので ある。 とりわけ 私 は 船が 好きだから、 この頃め 季節が 來 ると 何時も 船に 乘 つて 何處 かへ 

出かけた いと 思 ふ。 

船に のる ことの 樂し みは —— 吾々 の 生活 を そこで は 一 變出來 ると いふ ことで、 總て む 習慣が 地 

上と は變 化して しま ふ。 そのこと が 何よりで ある。 

あの 上衣 を 吹き 取らう とする 海風、 ふとい 汽笛の 昔、 船員の ゆきとどいた 服装、 生命 を 脅威す 

る 暴風、 喫煙室の 小さい 社交、 何よりも 船が 持って ゐる淸 潔と いふ 精神。 いつも 動き 流れて ゐる 

波。 總て 吾々 を 吾々 の 日常から 開放して くれる。 

私 は十數 年來、 船に 就いては 知られる 撵會が あれば 何時も 觸れ、 その 種類と 形態と、 能力に つ 

いて しらべて 來た。 



,3« 



私 はどう やら 船に 就いて なら、 どんな 質問に も應 じられ さう である。 それ はカヌ ー や モデル . 

シップの やうな ものに も M ハ味を 持った、 私の やうな 人間が あるか どうか は 知らない。 然し、 私 は 

吾 々の 生活 を 開放して くれる ものと して、 何時も 旅 を 思 ひ、 そして 船 を 思 ふこと が 多い。 

歌 

私 は 昔、 歌 を 作った ことがある。 それでと いふ わけで はない が、 歌 を 見る と 何時もな つかし さ 

を<ぉ える。 

今の 歌人 達の 歌に は 感心す る ことが 少ない が、 萬 葉 集を讀 むと、 何時も 心が 切なくな り、 こん 

な^ 晴らしい も の は何處 にもな い と 思 ふ。 日本 文攀中 最も 傑出した も の が 萬^ 集 だ とい ふこと は 

誰れ しも 異論の ある 箬 はない と 思 ふ。 

紫 式部の 仕^に も、 西 鶴の 仕事に も、 近 松の 仕事に もまして 人 ii の 仕事 は獨 歩で ある。 あの 切 

迫した 愛情、 壯 大な氣 宇、 高調した 情緖。 全く 無類と 思 ふ。 

^れ て來た 人 を 思って 「妹が 門 見む、 靡け、 この 山」 と 歌った 人 麼の心 を 思 ふと、 彼の 如き は 

^界 におお した 詩人 だと 思 ふ。 こんな 千古 を 貰く 壯烈な 表現 を 何處の 誰れ がした だら うか。 私 は 

彼の 歌 を^むた びに 驚かされ、 悲しく され、 日本 民族と いふ ものの 深遠 さに 打 たれる。 

それにつ けても 今 曰の 歌人と いふ ものが、 小説 や 詩に のみ 憧れ、 自分 達の 持って ゐる 歌の よさ 



39 



を 忘れて ゐ るの を 見る と氣の 毒で たまらない。 今日の 歌人 は 何故に もっと 自分 達の 世界 を 見、 そ 

の 世界 を 愛さない のかと 思 ふ。 

今ョ の 歌が ゆき つまって ゐ る 理由 は、 何 よりも 歌に 對 する 愛情が 缺乏 して ゐる とい ふこと に 他 

ならぬ。 

病 氣 

數 年來、 私 は 醫藥に 親しんで ゐる。 胃潰瘍の あと を 胃腸の 惡 魔に 惱 まされつ づけて ゐる。 

人 は 逢 ふと、 僕の ために 溫泉 をす すめて くれ、 散歩の 德を說 明して くれ、 注射 をい つて くれ、 

^法藥 を 講義して くれ、 灸ゃ マッサ ー ジを敎 へて くれる。 そしてもう 殆ど 何も かに も 試みた。 だ 

が、 どんなにして みても 僕の 病氣は 少しも 變ら ない。 そして 僕の 精神の 方が 徐々 に 昔と は變 つて 

しまった。 僕 は 人間と いふ ものが 苦しみ を 背負って 生れて 來 たこと を考 へ、 精神の 事 を 思 ふ 日が 

多くな つた。 病氣の 意地 惡 さに ほと ほと 屈服し さう になりながら、 それでも 癒りたい 氣 持ち はや 

$、 さう いふ 境涯に ゐて 常に 旅 を 思 ひ 藝術を 思 ふ 自分 を考へ る。 

胃が 苦しくな ると、 私 は 今にも そこの 管 を 切り捨て たいと 願 ひ、 切開したい 希望に 馳られ る、 

そこ には惡 魔が ゐる とより 實感 として 思 へない。 

だが どんなに 願って みても、 醫 者と いふ もの は、 さう いふ こと は I: 率に はして くれない。 そし 



4。 



て 私の 苦痛 ま そわに 對 する 反動の 心理と 一緒に 益 5 深化す る。 私 は 十五 六 年 前、 強度の 精神障害 

いら 數 年に S つて 狂氣の 生活 をした ことがある。 今 この 胃の 苦痛 を 思って、 これ も 又 昔の 靖- 神の 

陣 害から 來てゐ るので はない かと考 へたり する。 明らかに それ は 精神の 惡 魔と 一 緒に ゐ るので あ 

る。 明らかに 發 狂して ゐる ことに M 付く ので ある。 私 は その 中に めって、 寧ろ この 人生に 平和と 

安らか さ をのみ 求めて ゐる。 

私 は 務めて 冷^で ゐる。 然し 私の 精神 は餘 りに も 憧憬し 餘 りに も苦惱 して ゐる。 大體私 は臀者 

の 家に 生れた ので、 科舉 的で ない ものに はどうしても 信頼が 持てす、 信仰 は すすめられても それ 

に G- か カトリ ッ クの やうな 美の 形式で もなければ 這 入って ゆけ す、 どんな 苦痛が あっても 宗敎ょ 

り は 微舉に 期待す るので ある。 これ も 一 つの 性格 悲劇 かもしれ ない が、 その 中に ゐて私 はやつ と 

私 の 日常 を 想 つ て 自分 の 孤獨を 高め 精神 を^ めようと してね る ことに 氣 付く こと 力 ある 私 か ラ 

ウル . ジュッ フィに 自分の 本の 装幀 を 求めた の も、 病氣の 最も 烈しかった 時で、 私 は 人間が 最惡 

の 時に ゐて 最高の もの を 求める 哀し さ を 思 ひ、 生き方と いふ もの は無數 にある の だと 思 ふこと 力 

多い。 

人 は 如何なる 境涯に ゐても 常に 自己 を莊 厳に したい 狂氣を 捨てない ものと a える。 私 は 一 度 精 

种 科の^: にみ て もら はう と、 この 一. s、 それの み を たのしみに 考 へて ゐる。 



41 



靳 らしき S 歌 

岡 邦 雄 氏の 批評に 答 へ る 



「偶然 論」 に關 する 私の 小論に 對 して 岡 邦 雄 氏が、 誠に 辛辣なる 批評 を 『大 朝』 紙上に 試みて ゐら 

れ るの を このごろ になって 拜 見した。 同氏 は 私の H ッセィ を 批評して —— 支離滅裂な 童話の やう 

な (宜 話なら 童話と しての 藝術 味が あるので あるが) 藝術 ぬきの 偶然 論 を 主張して ござる が、 そ 

れも どうぞお 好きな やうに —— とい ふので ある、 お好きな やうに とい ひながら、 岡 氏 は 私の 「偶 

然論」 が氣 にか かると 見えて、 長々 しい 前置き を 書き、 更に 二日に 亙って 小論に 對 して 精一杯の 

嫌がらせ をつ づけて ゐ るので ある。 だが お 互 ひの 所 說は镄 がらせ くら ゐで屛 息す る やうな もので 

は あるまい。 

私 は 私達の 所說が 如何に 岡 氏な どの 「必然 論」 的 世界 觀を 逆上 させ、 狼狽させる もので あるか 

とい ふこと は 初めから 十分に 承知して ゐた。 私 は 岡 氏が どんなに 岡 氏の 立場 を 死守し、 僕ら を攻 



42 



職して みたところで、 攻隳 すれば 攻擊 する ほど、 僕らの 立場が 炳 として、 今にい よいよ 分明し だ 

す こと を 信じて ゐる ものである。 

私 は 今日の 人々 が 如何に 必然 思想に 憑かれて ゐ るかと いふ ことに つ いて はこ こで は說 明す る こ 

と を 避ける。 だが 人 は 何かとい ふと、 すぐ 「必然性がない」 とか、 「必然的 だから」 とい ふので 

ある。 だが 吾々 の 世界が 必然に よって 動いて ゐる と^へ る ことの 危險を 何よりも 先づ私 は獰吿 し 

てお きたい。 吾々 の歷史 が、 吾々 の科學 が、 吾々 の^ 術が、 それより もっと 平易に 吾々 の 日常 生 

活が、 嘗て 一度で も 必然的に 動いた ことがある だら うか。 吾々 は 常に 不可思議なる 偶然に よって 

吾々 の 生命 を 動 させて ゐ ると いふの が B 實 である。 しかし これ は 卑近なる 一 例で ある。 私 はか 

うい ふ こと を說 明す るた めに かう い ふ、 王 題 を 選ん だので はない。 

私 はとり わけ 今 曰の 藝 術が 創造力 を 失って ゐる とい ふこと をい ひたかった ので ある。 何故に 創 

造 力 を 失った か。 吾- V を 支配す る ものが 餘り にも 誤られた 必然 思想に 憑かれて ゐ たからに 他なら 

ぬ。 必然 思想と いふ ものの 中に 創造と いふ 作 ffl の あり やうがない からで ある。 

モ ンテ H ュ ュは 繪赘を 論じて いって ゐる。 「偶然な くして はいかなる 高貴な こと も 成就され 得 

ぬ。」 

私 は 古來藝 術の 世界 を 貫く 一 つの 不思議 —— それ は眞實 の 深さと いっても よく、 詩の 塊り とい 

つても よく 不可知と いっても よく <智 によって 說明 しがたい 壯烈 さに よって 常に 支配せられ 



43 



て來 たこと を 知って ゐる。 それ は 偶然 を 待った ので はない。 偶然 を 自覺し 偶然の 力に 參與 する こ 

と を 努力す る ものである。 今 曰の 如く 滔々 として せばめられた 必然と 合理と に 安心して ゐる 時代 

はない ので ある。 人間 それ 自身、 宇宙 それ 自身 は、 もっと 本能 的で 恐怖すべき 業火の 壯麗 さの 中 

に 常に さらされて ゐ るので ある。 

われわれ は 今や この 一 事 を 何よりも 先に 痛感し なければ ならない。 

さて 岡 氏 は 私の 物埋 擧に關 する 引用文の 誤謬に ついて、 專門 的な 揚げ足を取って ゐられ た。 こ 

のこと について は 旣に私 は その. 直後 出典 を 明らかにし、 たまたま 私の 参考した 一冊に ついて 『柬 

京 朝日 新聞』 で說 明した。 その 故に ここで は 重複 を さける が、 私の 引用文に おける 輕率を 正直に 認 

める としても、 それより 大切な こと は、 論旨の 主 耍點を 何處に 置くべき かとい ふこと ではないだ 

らう か。 岡 氏 は 私の 偶然 論 を 「人生 を 偶然と し、 おみくじと 見る やうな 人 及び 作家に 用 はない」 

と めつ けて ゐられ た。 ところが 純粹に 科舉的 立場 を 守って ゐられ る 石 原 純 博士 は、 反って 私の 

偶然 論 (『日本 欲 人、』 i? 和 十 年 一 月號參 照〕 に與味 をよ せ、 その 主宰 せられる 雜誌 『立像 J において 

今年の 二月 號以 來、 毎月の やうに 偶然 論への 感想 を 述べられ、 「中 河 氏の 引用せ る 如く、 新ら し 

.S 科舉 理論 は、 自然が その 根 木に おいて 偶然に 支配され る ものである こと (少 くと も 我々 の 可能 M 



の觀 s 手^に 對 して 自然 はさう であると しか 現 はれない こと) を敎 へる」 と 批評せられ、 H 月 二 お 

十一 日 また^らに 小 朝日 新閒』 において、 私の ハイゼンベルクの 不確定性原理との 平行 を批 

f ンて 「人 問の 心现 がい は ゆる 偶然の 不 mi を 甚だ 含む こと は 我.^ 自身の よく 體驗 すると ころで 

ある。 この 點で それが 量子 カ學的 偶然 性に ©比 されても よいで あらう。 ただ 我 々はこの^ 三の も 

の を 科 裂^に は 全く 取り扱 ふこと が出來 ない のに 反し、 人 問に 對 して は 我々 はこれ を こそ 文 寧の 

. 主 题と する ので ある」 といって ゐられ る。 

岡 氏 は 私の 一文 を 批評して 藩 術 味ぬ きの 童話との のしり、 出躂 目の 曲 歪と 斷定 せられる。 しか 

るに かくの 如く もっと 深奥の 科^的 立場に おいて 小 文 を 適 営に 批評 せられる 人 も あるので ある。 

私は搌 して 何れに 去就すべき であらう か。 

失禮 ながら 私は藝 術に^ して は^ 氏より は苦勞 して 來た。 藝 術的投 作が 決して 必然 論に よって 

説明の つき 難い こと は あまりに も 明白な ことで ある。 私 は 岡 氏が 藝 術と 必然 論との 關係を 如何 や 

うにして 說 明せられ るか、 切に それ を拜聽 したい ものである。 

もともと 岡 氏の 立 揚が マルクス主義 的 必然 論に 立脚して ゐる こと は 私の 夙に 偌 聞して ゐた とこ 

ろで ある。 

私 はもと もと 唯物史観と いふ ものに は大體 論 として は贊 成して きたので あるが、 そォ か^ 然論 

によって 叉 s 物辯證 法に よって 說 明せられ ると き、 何時も そこに 不可解な 虚構 を 感じ、 rvv^ を感 



じる のが 常であった。 岡 氏 は 自分の 立場 は 「機械的 必然 論で はなく 歷 史的 必然 論で ある」 とい は . 

れる。 しかし 機械的 必然 論 も 歴史的 必然 論 も、 共に 十九 世紀の 科舉 思想に 立脚す る 思想であって、 

吾々 にと つて は 设早ゃ 五十歩百歩 としてし か 取扱 ひがたい。 

吾々 は旣に 吾々 の 思考の 根據を 「偶然」 の^ 讓と 眞實に 置く より 他に は 生き方が なくなつ たこ 

と を自资 する ので ある。 

三 

岡 氏 は 「リアルな 世界と 生活と を、 より リアルに 描かう とする 作家の 現代の 自然 科舉现 論の 正 

しい 把握 を朋 待せ すに は をら れ ない」 と 最後に いって ゐられ る。 

だが ー體岡 氏の 自然 科學 理論と は 何で あらう か。 恐らく 物^の み を 契機と する 唯物論で あり、 

-唯 物史觀 であるに 違 ひない。 これ は 皮肉で はない が、 寧ろ 「現代の 自然 科擧 理論」 などと いふ 言 

葉 を 使 ffl する より は、 さう 書きな ほされる 率直 を 私 はすす めたい。 だが さうな ると これが 科舉 U 

論と い へ ない こと は 先刻 十分に 承知して ゐられ る ことと 思 ふ。 

では 岡 氏な どの 主張と 遠 ふ 新ら しい リアルと は 一 體何 であらう か。 これ は 幾度 も說 明した 故、 

ここで は 云 はない。 然し 不思 のない リアルな ど は 誠し やかな 噓 でしかない。 必然 論に 立^す る 

リアル など は 吾々 にと つて は リアルと いふに は あまりに も 貧困し すぎて ゐる。 



エミ ー ル . メ I ルゾン は^; て 必然 論 を 批評して 云 つて ゐる。 7 

I K 在 を 法則の 槊 積と 同 一 視 せんとす る 試み は 人間の 思惟の 產物 に過ぎない ものに 赏在 を與 

へんと する 觀念 的な 試みで ある。 眞の實 在が 新ら しい 質 を 露呈す る 時、 かかる 見解 は 何時も 裹 

切られる。 又 如何に 觀念論 的な 舉者 でも 彼の 日常の 實 験に 於て 素朴なる 實 在が 忍び込む の を 防 

ぐ こと は 難 かしい。 卽ち^ 在と は 無限の 擴 がり を 持つ 不可知で ある。 故に 彼 は 仕事 をしょう と 

する 限り 自己の 意識から 獨 立す る實 在の 新ら しい 出現 を 常に 承認 せざるを得ない。 

n IK 在 を 法則の^ 積と 同 一 視 せんとす る 試み は 本質 (essence) と 存在 (existence) の 問題 

をお 同して 居る ので ある。 然も これ は無邊 際の 實在を 容易に 否定す る 論者に 對 して 口 實を與 へ 

る ものである。 

m 自然が 一 おの 法則に 從 つて 居る と考 へる こと は、 自然 を 研究す る 際に 於け る 重要な 假說で 

ある。 必然 論お はこの 假說 を實在 自身 の 性質で あると 考 へる 點に 於て 說 いて ゐる。 

かくて メ,' ルゾ ンの 立場 は 明らかに 人 問の 意識から 獨 立した 莨 在の 存在 を 承認し、 その 無限の 

梵 在が 自然 科, の えざる 源泉で ある こと を 説明す るので ある。 且つ この 科舉の 方法 を 「同一 Q 

原則」 に 於て 論じよう とする ものである。 

この 立場 は、 宛 も カントの 「物 自體の 世界」 と 「範嘻 概念」 に相當 する もので、 彼が 一種の 力 

ン ト-^ 者で. - ひる こと を 暗示す る ものである。 卽ち、 彼 は その 立場に 於て 今日の 必然 論 を 攻擊し 



てゐ ると 云 へ るので ある。 

いひ かへ ると、 實 在と は 必然: si によって 計り 知られる ほど 微小な もので はない。 法則の 奥-積の 

微^ さは K 在 の 神秘の 大きさ に較 ベ れば 、 恐らく 芥子 粒の 大きさに も 及ばない とい ふので ある。 

吾々 が 若し、 岡 氏の やうに 世界 を 見ん として 微小なる 必然 論 だけに 限られた 世界し か 見ない とし 

たら、 これほど 不萵實 な 態度が あるで あらう か。 必然 論に よっての みすべ てが 解 釋出來 ると 考へ 

ると したら、 これほど 不遜な 態度が あるで あらう か。 

偶然! ii 的 方法と は * すべての 思考の 方法 を 担 否し、 運命に 賴る とい ふこと ではない。 むしろ 豉 

も廣大 なる 宇宙 の 眞實 に ふれよう とす る 最も 大膽 にして 氣 ある 態度で ある。 偶然 である が 故 に 、 

吾々 の 世界に 希望と 計り知れない 恐怖と、 未知へ の 探求と が 追及せられ るので ある。 

吾々 の 所期す る もの は、 絕ぇざ る赏驗 的 計算 によって 到達し ようとす ると ころの 深切の 不思? 1 

である。 私 は 今日の 如く 人々 が 不思議の 氣魂を 忘却して、 常識と 卑屈なる 計算と によって 日常 を 

乾燥 させて ゐる 日々 ある を 知らない。 吾々 の藝 術と は そこに こそ 新ら しい 出發^ を 見付けて、 吾 

吾の 生活に 新ら しい 側面 を^さなければ ならぬ ことに、 今日 痛切の 義務 を 感じて ゐ るので ある。 

0. 大阪朝 1H 新聞』 五 =5 三 RO 



偶然 文學論 

三 ra: 十七 日、 私 は大阪 からの 歸 りの 汽車に 乘 つて ゐた。 

^方 こ ある 山々 が 曇って ゐ るので、 恐らく 雨に でもなる の だら うと S つて 眺めて ゐ ると、 そお 

はやが て 窓ガラス を 白々 と美し い 雪片に 變 へて 亂れ ながら 襲って 來た。 汽車 は 多少 氣 候の 變 化す 

る^ 根 あたりの 山^の 中に 這 入った のに 遠 ひなかった。 

と、 私の^ 前を黑 い 魔物が、 雪 を 吹き消して、 更に 烈しい 音響と 一緒に、 暴風の やうに 擦 過し 

て ゆく のに 氣 付いた。 

私 は 何 かもの^ い あ ふりの やうな もので、 顔 を ひつ 込めながら、 擦れち がって ゆく 汽車 を 見つ 

めた。 汽ー卑 は豫定 通りに 邂遐 したのに 違 ひない。 だが、 その 中には 私の 親しい 友人が、 私 を 常に 

敵視して ゐる 人物が、 それとも 私 を I おし 求めて ゐる 人間が、 私と は 全然 反對の 方向に 私 を 追つ か 

けて. gl 下して ゐる かも 知れなかった。 

然し それ は餘 りに 速度が 速い 爲 めに、 私 は乘客 どころ か、 最早、 白い 雪片 も變 化する 風景 も、 



眼界から 匿され、 ただ 黑ぃ 魔物の 通過と して、 それ を 眺める ばかりであった。 

私 は 自然 の 應 接と 遝命 の 偶然と に 搖られ な がら、 ふと これらの 汽車の 速度が お 互 ひに もっと 早 

ければ、 自分 は更 に その 黑ぃ 魔物 さ へ も 透明な も のとして 以上 に は 見る こ とが 出來 なか つたに 遠 

ひない と 思った。 魔物 だけで はない。 吾々 は 吾.^ の 周园を 「H I テ ルの やうな 一 形體 をな した 無 

救の 天 使の 群に 圍繞 されて ゐる」 こと を氣 かすに ゐる かもしれ ない と 思った。 

大體、 こんな こと はどう だってい いこと である。 だが 私 はふと して 餘 りに 速力が 早いた めに 吾 

吾の 眼界から 匿され る 無数の 物と、 H 1 "テルの やうな 天使 ゃ惡 魔に、 吾々 自身と りかこ まれて ね 

ると いふ こと も、 一 つの 客觀 として 取扱へ ない こ ともないと 思った。 

そして 私 は 今更の やうに、 吾 々の 世界 を 構造して ゐる ものが、 二重に も 三重に も 匿され たお 限 

の 不可知に よって 吾々 を 包み、 偶然の 作用に よって、 吾々 の 世界 を 逆流 させたり、 平和に させて 

ゐ るのに 氣 付いた。 

汽車 は 一 つの 法刖の 中で 走って ゐる としても、 そこに 乘り あはして ゐる 人々 は、 みな 不可 見の 

偶然の 中で、 人事の 冒險と 天使の 囁きと を經驗 しつづけて ゐ るので ある。. 

だが 事資 とい ふ もの はもつ と 平易で ある。 もっと 泥の やうに、 埃に まみれた 曰 常 生活の 屮で、 

吾々 はもつ と複雜 で、 もっと あたり まへ な 調子で、 計り 知れぬ 偶然と いふ もの を、 もっと 痛烈に 

^験し つづけて ゐ るので ある。 否、 吾々 の 生活 全部が 客觀 と、 王 觀とを 通じて、 不可 見の 偶然で し 



5" 



かない こと を 知る ので ある。 吾々 は甞て 吾々 の 生活が 一 度で も 必然的に 動いた 例 を しらぬ。 

吾々 は 常に 希望 を 持って^きて ゐる。 聰明な あきらめより は、 より 多く 不 聰明の 希望に よって 

生きて ゐる。 時間と いふ 不思議な 流れの 中に ゐる。 常に 飛翔す る現實 にあって、 何 かの 朱來を 常 

に S 懾 する こと を 止めない。 時には 絶望 それ 自身 を さへ 憧惜 する。 それ は不 聰明と いふより は、 

もっと 矛盾に みち、 合珂を 越えた 木 能 的な 宇宙の 偶然 力、 豫期 によって 生かされて ゐ るから に 違 

ひなから う。 

ヱピク c ス は快樂 とい ふ。 だが、 それが 美で あらう と、 醜で あらう と、 吾等^ 率の 不思議に 驚 

く 者に とって は、 最早 それが 何で あらう とか ま はない。 

-ー イチ ヱはダ ー ウィン 流の 必然から 起る 進化 主義 を 否定して、 眞理の 標準 は 「ただ 力の 感情 を 

切迫せ しめる ところに 存す」 と 云って ゐる。 

私 は 今にして、 今日の 文舉 が、 何よりも 這 殺の 驚き を 失って、 全部の 人が 全部、 安心し きって 

必然 思想に のみ 憑かれて ゐる ことに、 何よりも 危險を 感じる 者で ある。 彼等 は 必然と さへ 云へば 

や T= 力 M 決し、 全部が 明瞭す ると 考 へて ゐる。 だが 刻々 にして 變貌 し、 生きつ づけて ゆく 壯大な 

自然の^ を^して 必 お 思想に よって 吾々 は說 明す る ことが 出來 るで あらう か。 あの 不可解に 近い 

總 ての 小說 的な 人 問 の 悲痛と 喜びと を、 龍の 繪ゃ 解^の 烈しい 近代の 繪熹 を、 必然 論に よって 說 



5i 



明す る ことが 出來る だら うか。 人が 今日 小説 を 愛讀 する の は、 小說 よりも 總て 奇怪なる 自分自身 

を、 小說の 形式に よって 認識しょう とする ことに 他なら ぬ。 

だが、 吾々 は 先 づ冷靜 に 吾々 の 知って ゐる 法則、 必然と はー體 どんな もので あらう かと、 考へ 

てみ る 必要が ある。 それ は 數學的 法則で あらう か。 辯證 法的 法則で あらう か。 遣傳の 法則で あら 

うか。 それとも 力 ント のい ふ 先驗の 世界で でも あらう か。 

赏は 私は數 ヶ月 前、 「偶然の 毛毬」 とい ふ 一文 を、 文擧 上の 思考に 於け る 多少の 革命的 改變と 

して 提出した。 私 はこの 問題に 就いては 旣に數 年 前に も 一度 論じ、 以來 この 考へ を持繽 して 來た 

ので ある。 

そして 今度の 小論に 對 しても、 旣に 西村眞 琴、 石 原 純、 岡 邦 雄、 森 山 啓、 三 波 利 夫、 吉村貞 司、 

^ 木雅 ニ郞、 望月 欣 一郎の 諸氏が、 贊否樣 々の 意見 を 呈示せられ るの を 見た。 これらに 就いては 

次第 に應 接す る 積り であるが、 その 前に 私 は 法則の 問題 を 通過し なければ なるまい。 

因^律と か 法^と かいふ ものに 對 して は、 古, お. 無數の 解釋が ある。 否定と 肯定との 巾で 幾度 も 

裏が へされた。 

ところで ヨルダン は、. ヒュ I ムの 驚くべき 洞察と、 偉大な 功績 を、 物理 擧的實 -驗の 立場から 推 

稱 しながら 云って ゐる。 

「因 粟 律 は 物理的 科 舉 の 可能性に 對 する 必要な 假定 であ ると いふ カント の 說明は 疑 ひもな く炳 



52 



^な ni つ 正常な 注 怠 を 含ん で ゐる が、 併し 決お 的な 冈 ^^の 存在 を 結論 するとい ふ こ と は 全く 皮 

を^え た 敷衍で ある」 

货 際 吾々 は どんな^ ゆ 的 法則に も 一 定の始 源と、 用意 せられた 環境 條件 とが 常に 必要な こと を 

知って ゐる。 必す しも 三角形の 內 角の 和 は 二直角と はき まらない ので ある。 まして それ 以外の 法 

^に^って は 「如何なる 法則 も 例外な くして は 成立し ない 」 とい ふ 言葉が ある 如く、 それ は^し 

て 必然的な もの ではない ^で ある。 

これ は 法刖を 否お しょうと する ので はなく、 如何なる 法則と 雖も それが 常に 「確率」 としての 

みじか 現 はれない とい ふので ある。 それ は 決して 必然と いふ やうな もので はない とい ふので あ 

る。 人々 は 「確率」 と 云へば やや 滿足 する であらう か。 . 

だが^ 際 數现と 秩序の 世界と 雖も、 その 紛糾せ る點に 於て、 暗儋 たる 點に 於て、 決して 他の 世 

界と變 り はない ので ある。 恐らく もっと 吾々 の 思考 を 微細に すれば、 吾え が 原因 結 架の 理論 を完 

全に 飛び越え、 確率 を さへ 無視し なければ ならなくなる こと は 寧ろ 當然に 違 ひなから う。 

エミ ー ル. メ ー ルゾン は、 一 九 〇 七 年 その 名 荖 『同 一 性と 實在』 に 於て、 今日の 法則 を 批評し 

て 誠に 適切の 言 をな して ゐる。 この ことに 就いては 旣に 前掲の 論文 C 四十 七頁參 照〕 に 於て 觸れた 

が、 彼に よれば、 ず、 在と は 必然 論に よって 計り 知られる ほど 微小な もので はない とい ふので ある。 

法則の^ 精の 微細 さは、 資 在の 無 邊 際に 較べれば、 大海の 泡沫、 芥子 粒の 大きさに も 及ばない。 



53 



然も その 法刖 たる や、 その 時代に 於け る 確率に しかす ぎない とい ふので ある。 

吾々 は 泡沫の 法則、 芥子 粒の 確率 を以 つて 無邊 際の 生活と 自然と を 曲 歪す る 輕薄を 何よりも や 

めなければ ならない。 見ようと する こと はいい。 だが それで 全部が 解決せられ ると 考へ る舉^ と 

不遜と はやめなければ ならない。 然も それ を 必然と 考 へて、 それによ つて 吾々 を 倭 小に 押しつけ 

ようとす る こと 今日の 必然 論者の 如く 甚だしき はない。 

信仰 を 持つ 社會 改良 家に は 誤謬 も 亦 一 つの 崇高 さ を 持つ かもしれ ない。 だが 吾々 文^の 徒 は、 

全體と L ての 自然と、 生活の 大きさ、 豐富 さに、 何よりも その 眞 K さに、 率直に 驚^なければ な 

ら ない。 

ボ I ル •* ゥァ レリ ー は 云って ゐる。 

「僕 はた だ あらゆる 精神の 根柢 をな す あの 偶然 を賴 るの みだ。」 

叉 彼 は 詩を說 明して 云って ゐる。 

「詩 は 言語 の 運の 純 粹な體 系 である。」 

吾々 の藝 術の 對照 する^ 界が、 又 それの 言語 配列の 形式 作用 さへ が、 偶然に よって ゐ ると いふ 

こと は、 ^りに も 明白な 吾々 日常の 經驗 である。 私 はこの こと を 寧ろ 云 ひたいの である。 

三 木 淸氏は 文體に 就いて 云 つて ゐる。 

「スタイル は 諸 5 の 偶然 を 性格に 蓮 命に 轉 化する 時に 生れる ので ある。」 



54 



ベ,. 口小^と いふ ものが 無味な 倦怠と 退屈と に 流れた 理由 は、 一 體 何で あらう かと 考 へて、 私お ^ 

も,. が 厶然& 想て よって 來てゐ ると い ふこと を 先づ感 する ので ある。 こ の 重壓を 押しの けす L て 

ま 今 口の 藝術は 枯死す るに^ ひない。 この 重 趣に 對 して 反撥の 理論 を さへ 持たぬ とい ふこと は、 

明らかに 今日の 文學 者の 一 つの 怠惰に 遨 ひない。 

必ぉ& 想レ! いふ もの は、 常に 無邊 際の 生活 を捉 へようと して、 法則 以外の もの を 四捨五入し、 

削除す る こと を 何時も 要求す る。 橫 光利 一 氏 は 云って ゐる。 

「わが 阈の純 文舉は 一番 生活に 感動 を與 へる 偶然 を 取り 拾て たり、 そこ を 避けたり して、 生活 

に懷 疑と 倦怠と 疲勞と 無力 さと を 許り 與 へ る 日常 性 をのみ 選槔 して こそ リアリズム だと レッテル 

を はり 廻して 來た」 (『改造』 四月 號、 「純 粹小說 論」〕 

吾々 の 人生への 解 釋を倭 小に 跼跄 する もの、 吾々 の 思想から 創造 を 奪 ふ もの、 今日の 必然 周 想 

の 如き もの はない。 

あり 得ない もつ、 あり 得ざる 倭 小さ を 信す る ことの 正直 さに 就いては 最早 述べない。 だが 必然 

^想の 中に 如何にして 創造 作用が あり 得る であらう か。 

菊 池寬氏 はお 近 何 かで 

「今日の ^術 小說 が 面白くな いのは 創造と いふ ことが 缺 乏して ゐ るから だ」 



と 指摘して &られ た。 吾," < は 創造と いふ 言葉 を 甘やかして 使用した く はない が、 今日の 如く 思想 

の 公式 化せられた 時代に 於て、 かくの 如き 非難が 小説に 起る こと は當 然と 云 はなければ ならない。 

ひところ マ ル クス 主義 尊 一 術 は 公式主^で あると 云って 非難 せられた。 そして 彼等 は それ を 率直 

. に 改めよう とした。 然し もっと 根本的な 問題 は 彼等が 必然 思想に 跼蹐 して ゐ たとい ふこと に 問題 

があった ので ある。 必然 思想の 中に ゐて藝 術と いふ やうな ものの 制作せられ よう 害がない からで 

ある。 私 は左冀 右翼に こだ はるので はない。 もっと 深切の 立場に 於て 今日の 必然 思想と いふ もの 

を 否定して ゐ るので ある。 

古往今来、 誰れ が 藝術を 計算の 中から 割り だした 男が ある だら うか。 俳句の 如き 短詩 形 さへ も、 

吾々 は 如何なる 數 字の 組合せに よっても 制作し 得ない ので ある。 

だが この 必然 思想の 流行と いふ もの は、 この 十數 年來、 唯物論の 流行と 一 緖に 殆ど 全盛 を 極め 

て、 ^術 淤と稱 する 者まで が、 それ を 信じて 疑はなかった ので ある。 

何時か も 書いた が、 小 林秀雄 氏の 如き 批評家 さ へ が 得々 として 必然 思想 を 語った ので ある。 

何 かいふと、 すぐ 「必然」 とい ふ。 人間の 狂信の みじめ さは 思っても 戰傈を 感じる ばかりで あ 

る, 

今日荡 術 小說が 行き つまった とい ふの も、 亦 今 ョの藝 術 小 說を純 粹小說 によつ て 解放し なけれ 

ばなら ぬと いふが 如き も、 云 はば 如何に 彼等が 必然 思想の 桎梏の 中で 小説 を 殺して ゐ たかを 反證 ^ 



する 霄^に しかす ぎない。 それ は^ 術 だけで はない。 八, 日の 如く 乾燥と 無味と を 生活し、 雄渾の 

氣魄を 失って、 5 十: W の 計^ をのみ ことと して ゐる 時代はなかった ので ある。 

吾々 は 吾々 の ^術に 於て、 心臓 を、 生活 を、 社會 を、 再び 偶然の 辜實 によって 見な ほし、 生き 

生きと それ を 感じ、 ^生せ しめなければ ならぬ 時代に 到達した。 かくの 如くに して 吾々 は 始めて 

吾々 の 生活に 希^と 絶望との 鼓舞 を與 へる ので ある。 未 來を签 想して 現實を 切實に 生きる もの、 

それ は^ 人 連 だけで はない。 偶然の 論理に 於て 吾々 は 初めて 未 來と現 貰と を豐 富に 生き、 吾々 の 

日常 を 永? s につな ぐので ある。 

これ は 文擧の 中に 於け る 芬 語で はない。 取って つけた やうな 社 會的關 心と 現象論と 文體 論に も 

まして、 最も 深奥なる 文學 精神の 根本 にさ かの ぼらう とす る ものである。 

カフ 日で は 科 ^さ へ が 自然の 無限と 不可知と に 驚いて ゐ るので ある。 卽ち 彼等の 量子論に 於け る 

「不確定性原理」 はいふ。 

「古典; i に 於て は 時 間{仝 問と H ネル ギィ 運動量が 客觀 的に 全部 精確に 知れる から、 從 つて 因果 

律が 成立す る。 然し 量子論に 於て は 全く 事情 を 異にして ゐる。 觀 測の 客觀 化が 原則として 行 は 

わない 結^、 獨 立した 體系 とい ふ ものが 古典 論の 意味に 於て 存在し ない。 例へば 時間 空間の 位 

置 をお 確に 求める と、 お^の 影響に よって H ネル ギィ、 蓮 動量 は 或る 程度 迄 不明と なって しま 

ふ。 卽ち此 體系は 古典 論の^ 味に 於て、 狀 態の 明に 知れた 獨 立の ものと は 云 ひ f ない。 從 つて 



57 



古典 論の 立場から 云っても、 其 運動が 確率 的に は 解っても 因果 的に は 定め 得ない のが 當然 であ 

る。」 (仁 科芳雄 博士〕 

彼等の 意味す ると ころ は、 物理的 世界 を 奥深く 追究 すれば する ほど、 偶然 性に よって 構造 せら 

れる 世界 を發 見す るば かりだと いふ 事で ある。 卽ち ハイゼンベルク、 ボルン、 ヨルダン 等の 物理 

學に 至って、 吾々 は 今日の 必然 論、 從來 の因娱 律に よる 世界が 完全に 實驗 的に 破壞 せられる の を 

見る ので ある。 ここに 至って 吾.^ は 最早 計算の 上で、 從來の 必然 論と いふ ものが 全く 根柢から 破 

壊せられ たの を 見る。 吾々 は眞に 吾々 が 謙虚に して 自然 を 丹念に 追究 すれば する ほど、 不可解の 

大きさ を增 すと 云 ふこと を 知る ばかりで ある。 然も その 不可解に よっての み、 吾々 は 益、、 前途の 

深遠と 新ら しき 確率に 向って 方向す るので ある。 それ は 物理 學 に 於け る 偶然 性、 不確定 性と いふ 

もの は、 その 偶然 性、 不確定 性 さへ も 法則に しょうと すると ころに 今日の 物理 畢の 性^が ある。 

然し 一 應 それらの 法則 性 を硤壞 すると ころに <J「 曰の 出發が 用意せられ るので ある。 

かくの 如くに して 今日の 科 舉は旣 に 偶然 論に 到達して、 その 不思議の 結實に 於て 吾々 を 瞠目 さ 

せる ので ある。 言荧を かへ て 云へば、 今 曰の 科擧 が全體 的に なった とい ふこと であり、 义藝銜 の 

性質に 接近した ものと も 云 へ るので ある。 

それにしても マルキスト 達が 常に 「科 學、 科學」 と 連呼しながら 今日の 科學を 殆ど 暴戾の 態度 

で竭斷 しそれ を跼 踏しょう として、 過去の 必然的 科學を 押しつけて 來た 理不盡 の 罪科 は 指摘 せら 



5^ 



わねば ならない。 吾々 が 嘗て 科學と 呼んだ もの は マ ル キ ストが 常に n にした 如く 確かに 必然 論で 

あった。 これ は 被靓測 IS だけ を 計算す るが 故に 起る ところの 必然であって、 それ は 明らかに 觀 測 

^を 思考の 中から 逸脫 して ゐる ものであった。 然し それ は 最早 今日の 科擧 ではない。 

然も 彼等 は 今日の 科學を 呼んで 反動 科學と 呼ぶ。 私 は 彼等が さう 呼ばなければ ならぬ 理由 をよ 

く 理解す るので ある。 だが 問 S は無數 にある。 然 らば 十九 世紀の 科學が 菜して プロレタリアの 社 

伶 構^から 生れた もので あるか、 どうか。 何に よつ C それが 證 明せられ るの か、 全く わからない 

ので ある。 

少く とも 彼等が 十九 世紀 乃至 古典 科學に 固執す る 限りに 於て、 彼等の 中から 新しい 科 舉が現 は 

れ なかった とい ふこと は 動かしが たい 事實 である。 

私は甞 て 年少の 曰 マル クス 主義に 驚喜し、 今 も 唯物史観と いふ ものに は 大體の 與味を 持つ もの 

であり、 今日の やうな^ 雁-の 烈しい 時に あたって 落ち目の マル キ シズ ムを 上下す る こと は 好まな 

い。 だが 彼等が 必然 論に 於て 彼等の 過誤 を强耍 する 時、 依然として それに 不 滿を感 する の は 止む 

を 得ない。 

彼等の 誰れ もがい ふ、 「一般に 社會の 機構が その 世界 を 規定し、 この ものが 科擧の 構造 を 制約 

する」 と。 それ は 制約 するとい ふ 言^の 限りで は 正しい としても 今 曰の ロシアに 何等 新しい 科學 

12 系の 無い とい ふこと は 誰れ しも 認める ところで ある。 これらの 人々 に 詰問す。 新しい 科 學とは 



59 



一 體何 であらう か。 

私の 如き は 寧ろ 科^ 上の 發見 が 新 社會を 構造 し、 經濟 生活 を變 化させる もので はない かと考 へ 

てゐ る。 そして ハ イデ ラバ ッド 王國の 巨億の 富と 英國 とのこと を 思 ふので ある。 

私 は 嘗て 科舉を 連呼した 人々 が 新しい 今日の 科舉 に近魏 し、 その 新しい 眞赏の 基底で あると こ 

ろの 偶然 說に 觸れる ことに 決して 怯 懦 であって はならない と考 へる。 科學 にも 無 救の 部門と 諸說 

とが 存在す る。 彼等 は 彼等の 愛する 科學に 於ての み 寧ろ 今後の 生き方 を 摩擦し、 旺盛に 發 見し、 

吾々 と共に あるべき だと 考 へ る。 

ここで 私 は 一寸 模 道に それる が、 ハイゼンベルクの 計算す る ものが、 一種の 世界 觀に は考 へら 

れて も、 彼 は それ を 物理的 世界 像に とどめる ものであって、 それが 數理を 超越して 自由意志 論に 

まで 發展 する こと を 主張す る もので はない。 

吾々 は 彼の 1 つの 主張が 吾々 の 世界 觀にー つの 強力な 贊成を 示して ゐる こと を 知る。 然し それ 

以上で ある 必: 耍 はない ので ある。 叉 彼の 如き 嚴 格な 存在 は、 自ら 最も その 限界 をよ くわき まへ て 

ゐ るので ある。 

一二 波 利 夫 氏は膂 て 私の 偶然 論 を マルクス 主義 的 立場から 最も 熱心な 態度に 於て 批钊 しながら、 

ハ ィゼ ンべ ル クを e 然發生 的な 唯 物: i 者で あると か、 マ ッ ハ 的觀念 論者で あると か 云つ て 攻?: :::- し 



6o 



てなら れた。 (『作家 群』 五 月號) 然し 彼の 理論 を攻搫 する ために はさう い ふ 世界 觀的觀 點を以 つてし & 

て は 無-お 味で あらう。 彼 を 訂正す るた めに は 彼の^ 學的 計算の 誤謬 を 指摘し なければ 間違 ひで あ 

らう。 彼が K 驗的 を 披瀝 するとき、 それ を 破 壌せ すして、 それが 自然 發生的 唯物論で あると 

いって 否お しても 無意味で ある。 彼 は 純粹に 物理的な 觀 察と、 その 結 實とを 報じて ゐ るので あつ 

て、 物理 舉的 革命の 世界から 必す しも 出ようと する もので はない。 叉 吾々 が ハイゼンベルク を 引 

用し、 シ ユレ 1- ディン ガ I を 引用す るの は、 吾々 の 世界 觀に對 する 一 つの 强 力なる 數 擧的證 明と 

してであって、 それ 以上で はない。 

彼 を f せおす るた めに は 最早 彼 を 否定す る 別の 科舉 的根據 によるべき であって、 單 なる 唯 物辯證 

法の 如き ものに よって 一 蹴し 去れる もので はない。 

尙ほ 一二 波 氏の 評論に は、 アイ ンシュ クイ ンと 量子 力 m_r とが 街 突す ると か、 マッハが バ ー クレ ー 

と 同様で あ ると いふ やうな ことが 書かれて ゐ たが、 それらの 言說 は說 明す る ま で もな く 問 遠 ひ で 

ある。 アイ ンシ ユタ イン は 同時に 量子 カ學 への 偉大なる 貢獻 者で あり、 ただ 法則の 世界の 保存 を 

小さい 部分で 希望した のにす ぎない。 

さて ここまで 探索して 來て、 若し 吾々 を 構造す る ものが 總て 偶然で あると すれば、 吾々 の 生活 

を批 I; する 所謂 正誤 曲直の 方圖は 何處に 置くべき かとい ふ 問題に 逢着す る。 私 は そこで、 それ を 



批判す る もの は 前に 述べた 確率で あると 考 へる。 吾々 は經 験の 抽象に よって 確率 を 得る ので ある。 

私 は 私達の 生活 を 組織す る ものが 「偶然と 確率」 以外に 無い こと を斷 やる ものである。 確率 以外 

に 基準の ない こと を 知る こと、 これ 人生の 大悟で はない か。 然も これ は 確率で あるが 故に 人間の 

哀切な 夢 をの ぞいて は 叉 何時の 曰か 硖壞 されなければ ならない。 ただ 殘る もの は 夢と して の 美し 

さ だけで ある。 

ところで、 私 は 確率に 對 する 人間の 憧憬が、 時に 必然と なって 現 はれても、 それ は 不思議と は 

思 はない。 それの みか、 それ は それと して、 一 つの 偶然への 要請と して、 その 意味 を 新ら しく 認 

める ので ある。 だが 今日の 吾々 を 鼓舞す る も の が 遂に 偶然 で なければ ならぬ とい ふこ と は 最早 疑 

ひ 得ない 事赏 である。 

三 g: 二十 七日、 岡 邦 雄 氏 は 輝く その 公式主義の 立場から 『大阪 朝日 新聞』 に 於て 私の 偶然: i を 

「おみくじの やうな 偶然 論」 と 痛 篤し、 「藝術 味ぬ きの 童話」 ときめつ けて ゐられ た。 叉 三 波 氏 

もハ ィゼ ンべ ル クを 批評す ると 同時に 私の 說を 「迷論」 と 極論して ゐられ た。 然し 今日で は 岡 氏 

や 三 波 氏な どのい ふ 必然 論 こそ おみくじの やうに 手 頼りない 「迷論」 である こと を、 「^術 味ぬ き 

の 童話」 でしかない こと を 悟らねば ならぬ 時代に なった ので ある。 私 は 同氏 等の 判斷を 更に 要求 

したい ものと 思って ゐる。 

眞理 とい ふ 言 紫 は 誰れ しも 口にする、 然し +日 では それが 變 化する とい ふこと に旣に 一 つの 確 & 



率 を 認めなければ ならぬ 時代に 到達して ゐ る證據 であって、 最早 今日で は 從來の 必然と いふが 如 

きもの は 「あり 得ない 夢」 「せ やかされた 迷信」 にし かすぎ なから う。 吾々 は相對 性に よって 絕 

對性を 得、 懷 疑の 屮に 新しい 確率 を發 見しょう として 吾々 の 論理 を 構造す るので ある。 

だが 「あり 得ない 夢」 も 亦文藝 象に とって は 「あり 得る 夢」 だとい ふ 意味で は、 必然 思想と い 

ふ もの も 亦必耍 にち が ひ. なから う。 ここに 至れば 最早 必然; i も 偶然 論 もない ので ある。 それほど 

に 吾々 の 生活が 偶然の 中に ゐる とい ふこと は、 旣に 論理の 必要 を俟 たない ほど 明白に なって くる 

ので ある。 確率の 鼓舞が 偶然 論に とって 必要で ある こと は 認める が、 今 曰の 必然 論に よって 吾々 

の 生活お 曲折し、 整理しょう とする 滑 锗は旣 に 明らかに 終末 を 告げるべき である。 

誰れ であった か、 又 私の 偶然 論 を 批評して 思 ひっき だとい つた 男が ある。 なるほど 考 へて みれ 

しもざ f 

ば、 その 男の 敎 へて くれた やうに 思 ひっき かもしれ ないし、 それ どころ か、 もっと 下 樣の氣 紛れ 

かもしれ ない ので ある。 だが、 M 々たる 誹謗の あやな どが ー體 何で あらう か。 大體思 ひっきと い 

ひ、 氣 紛れと いふ 冒險 がどうい ふ 作用で 人間の 頭に 到來 する もの か。 そんな こと は なかなか わか 

つた もので はない。 そんな 言 ひ 草で 人の 作品が 批評 出來 るの は 人 問 一 生の 仕事 を 見た 上の ことで 

さう でなければ 決して 出来る もので はない。 

ベ ルグゾ ンは 「創^的 進化」 とい ひ、 ブ ー トル ゥは 「同 一 なる もの は何處 にも 存在し ない」 (巾 

井 s-ニ 氏轺 介、 『H ス. フ リ』、 創刊 號) とい ひ、 ジン メル は 「偶然 的な もの」 とい ひ、 エヂ イン トン は 



63 



「不確定 性の 法則が. M 際 上の 豫吿 に對 する 基礎と して、 曾て 決定 性の 法則が さう であった と同樣 

に 有用な こと を 見る であらう」 といって ゐる。 又ケ ー レルの 心理 寧 も 一種の 形態に 對 する 直^に 

よって 說 明せられ る もので は あるまい かと 考 へ られ る。 

私 は 何も 偶然 論と いふ もの を 萬能膏 にす る氣 はない。 だが 今日の 行動主義と いふ もの も、 浪曼 

主義と いふ もの も、 等しく この 偶然: i 的 立場に 於ての み說 明せられ、 鞏固なる 理論的 立揚を M ハへ 

られる ものであって、 この 基礎に 到達せ やして は、 それらの 「主張 も 水泡に 歸 する」 ので はない • 

かと 思って ゐる。 

旣に小 松 淸氏は 行動主義が 合理主義に 對 する 非理 性 主義で ある こと を 表白し、 合理に よって 說 

明 出来ない 全體 である こと をい つて ゐる。 人間の 本能 的な もの を 強調し、 ベルグ ソン 哲學 のい ふ 

直觀 と 行動と を 重ん やる こと を 表白して ゐる。 これ は當然 偶然 論 に 於て 落荖 すると ころの もので 

あり、 又浪曼 主義 も 同樣に 偶然 論を據 所と する もので あり、 それに 純粹な 方向 を與 へる もので あ 

る こと は、 保 田 與重郞 氏の 哀切なる 美擧 批評 r 怫國 寺と 石窟 庵」 の 中で も 十分に 察 しられる。 

「それ は ある 日の 浪曼 主義で あり、 追 ひ つめられた 靑舂の 歌で あり、 廢墟に 獒神を 祈る 心で あ 

つた。 廢墟の 美 を 歌 ふ 心情 は 不幸な 時代の 夢 かも 知れない。 だが それ は 危險な 時代で ある こと を、 

これ は 歴史的 事 實が敎 へる。 頹餒 でな く、 切迫の 噓 である。 詩と 眞實 とい ふ 考へを 僕 は 文字通り 

に 虚構と 2MK とい ひ、 一 つの 噓 のために 百の 噓を 創り、 一 つの 噓と いふ 至高 至醇の 美し さ を かす Q 



かて 保たん とする 心の 第ぜ; を 尊んで ゐる」 6"- 

佝ほ引 W すれば、 それ は浪曼 主義に 於け る 「驚異の 復活」 とい ふ 思想に 見られ、 フリ ー ド リツ 

ヒ. シ ユレ ー ゲルの 「各人 は 全く 己れ の 道 を 歩んで ゆけ、 愉快なる 希望 を以 つて、 最も 個性的な 

方お で」 に 於て 見られ、 それ はヒュ ペリ オンに 於け るへ ルデル リ ー ンの 無限に 對 する 狂 氣 した 憧 

惯の 烈し さに 於て 見られ * 又, ほら エピキュリアンと 稱 する ことに 誇り を 感じた ベ ー タ ー に 於て 見 

られ、 又 執拗に 不可知の 深淵 を 追慕した ュ,. 'ゴ ー に 於て 見られる。 彼 はいって ゐる。 

「照 股 も 只 辛うじて 不可知 を 包み 得る に 似たり、 常に 夜! 常に 晝! 常に 曉! 吾等 は 歩め 

ども 未だ 堇 かに 一歩 だ も 進み 得す、 吾等 は 依然として アダムの 夢 を 夢みつつ あり。 萬 象 は 風の ま 

に まに!! 浪流轉 す。 われ 等 は 闇の 中に 一個の 巨像 を 識^し、 これに 向って 「エホバ」 と 呼ぶな り」 

叉 彼の 文學を 批評して ギ ユイ ョ— はいって ゐる。 

「ュ ー ゴ ー が 表現 せんと 欲した る もの は卽ち あらゆる 形式 を以 つて 現 はれた る 普通の 神^で あ 

る。 或 i 無限に 大きく、 或 ひ は 無限に 小さく、 或 ひ は 輝く 天と なり、 或 ひ は 曇れる 签 となり、 叉 

或 ひま 日の 中に、 或 ひ は 夜の 中に 現 はるる 神秘で ある。 要するに 彼 は 「あらゆる 事象に 潜む 深遠 

なる 恐ろし さ」 を 感じた ので ある。」 

ドゥダ ン はい つて ゐる。 

「余 i 小規模の 明晰 を 愛する と 同時に、 また 大規模の 混亂を 愛する 鍚 合が ある。 詩人 は 特に 明 



哳な觀 念と 偉大なる 不可解との 分界線 上に 立つ ものである. 一 

かくて 今日の 文埒を 支配して ゐる 思想 は、 —— 川端 康成 氏の 「自由主義」 にしても、 大島豐 氏 

ぬ 「自然法 則の 危機」 にしても、 春 山 行 夫 氏の 「誠 實の 問題」 にしても、 中島 健 蔵 氏の 「深淵 論」 

にしても、 舟橋 聖 一氏の 「能動 主義」 にしても、 深 田久彌 氏の 「科 舉 的文學 論」 にしても、 豐田 

H; 郞 氏の 「進歩主義」 にしても、 十 返 一 氏の 「文 擧現實 論」 にしても、 伊藤整 氏の 「小説 的 思考 

の 強化」 にしても、 河 上 徹太郞 氏の 「自意識の 問題」 にしても、 何等かの 意味で、 みな 偶然 論へ 

の 流れ を豫感 して ゐる ものと 解して 解せられ ない こと はない。 

私 はこ こで リアリズムの 問題に 這 入って ゆく。 だが リアリズムと は寫眞 でもな く、 平凡な 疲勞 

した 曰 常 を寫す ことで もな く、 眞の眞 實を寫 す ことで ある こと は 誰れ しも 知って ゐる ところで あ 

る。 だが その 時、 眞の眞 實とは 何んで あらう か。 リアリズムと 云へば 人 はすぐ 舊來の 所說を 徒、 し 

にくり か へ す。 

堂々 めぐりと, 小 悧巧な 處世 論文が 日本 文壇の 特長になる としたら、 これほど あはれ むべき こ 

と はない。 私 は 私の 小 文が 處: M 論文で ない とはい はない。 だが 私 は 何 か を 熱情 を以 つて 求めて ゐ 

る。 こ Q 心の M 實は何 かに 於て^ される に 違 ひない。 

さて 私 は 眞實の 問題に 歸 らう e 吾々 の 求める 眞實と は 一 體 何んで あらう か。 無 數の處 世 學がぁ 

ら ゆる 理論 を 待って ゐる。 だが 私 は 同じ やうに 「偶然」 とい ふ。 偶然 論 的 M 實に 於ての み、 それ M 



は 新ら しい 解 釋を與 へられる。 この ことに ついては 旣に 一 二度 觸れ たこと であるが、 私 はものの ペ 

本質 を 偶然と 考へ る ことによって、 そこに 本質の 持って ゐる 不思^ を捉へ る ことのみ が リア リズ 

ム であると 考 へる。 卽ち 今日で は 對象を 追究す る ことによって、 物の 本質で あると ころの 眞實の 

不可 思 G、 偶然に 突き 常る こと、 これの みが リアリズムで なければ ならない。 B 實を 追究す る こ 

とに よって、 不^ に 到達す る もので なければ ならない。 かく 解釋 する ことによって のみ、 吾々 

は歷史 に^た はる 偉大なる 作品の 數々 を 理解す る ことが 出来る。 彼等の 藝 術が 持 つて ゐ る 眞實と 

は、 悉くが^. K の 持って ゐる 不可思議 である。 ここに 至っての み、 吾々 は 初めて リアリズムから 

這 入っても、 ロマンチシズムから 這 入っても、 最高の 藝 術と いふ もの は、 常に この 眞實の 不可 思 

感、 虚^の^ 奥に 至りつ いて 美の 姿 を 開眼す る ものである こと を 悟る ので ある。 その 意味に 於て、 

今ョの n マン チシ ズム と は 中 谷 孝 維 氏が いふ やうに、 決して リア リズ ム と 衝突す る もので はない 

とい ふこと がいへ るので ある。 

卽ち 今日で は リア リズ ム を解釋 する ために も、 a マン チシ ズム を 理解す るた めに も 偶然 論を必 

要と する ので ある 。今日で はこの 正 反對に 見える 二つが、 一 つに ならう として ゐ るので ある。 一 

つが 一 つで ある 間 は、 それ は 決して 新ら しい 文學 ではない。 

ただこ こに 注意すべき こと は、 ^然 論と いふ もの を單 なる 神秘主義、 主觀 主義と 考 へる こと © 

28 である。 



成^ 無 極 博士 は ウイ ンデ ル バ ン ドを 引用しながら、 ショ ルツ の 思想 を 紹介して、 「置き忘れら 

れた 一 本の 蜗蝠 お-が、 その 主人 を 探し 求めて ゐる」 とい ふやうな 考 へに 興味 を以 つて、 彼シ ョ ル 

ッが 偶然 論 的 文 舉論を 制作した と 『近代 戯曲 全桀』 の 中で 說 明し、 彼の 「偶然 I 一名、 遝 命の 豫 

俯 形式、 關係 者の 牽引力」 とい ふ H ッセィ に 觸れて ゐられ た。 

私 はショ ルツの 該 論文 を讀 まぬ ので、 それが どうい ふ もので あるか をよ くわき まへ ない が、 偶 

然 論と いふ ものが、 時として 思考力 を 否定して、 一 つの 人生 を 不可解に 糊塗しょう とする こと は 

警戒し なければ ならない。 吾々 は 今日の 物理 舉 者が 不斷の 思考力の 結果と して 到達した やうに、 

偶然: i を絕 えざる 努力、 人生への 謙虚な 參加、 力の 根源と して 取扱 ひたいと 思 ふ。 人生と は 心 S 

く、 又 へりくだれる 者に のみ、 その 本 當の姿 を 見せる に 違 ひない。 吾々 は 吾々 の 周 園に 天使 を 見 

なくと もい い、 叉 雪 野 を 走る 汽車の 向 ふに 匿され た 多くの 物 を 見る 必要 はない。 だが 吾々 の 世界 

が、 未來へ 向って、 不斷の 偶然に よって 飛翔して ゐる こと を 知らなければ ならない。 かくの 如き 

自覺に 於て、 吾々 は 自らの 性格と 遝 命と を 創造す る ことが 出來、 更に 社會の 性格と 運命 を さへ 創 

造す る ことが 出來 るので ある。 

今日の 偶然 論 は、 明らかに 舊來の 神秘; g とは異 る。 それ は リアリズム 論のと ころで も 述べた 通 

りに、 それが 客 觀と主 觀の兩 面から 導き だされる 不思議で ならなければ ならぬ とい ふこと も 明ら 

かで, める。 ^ 



「芥 卅舉^ 篇』 にも 「假 一; 外 丹ー徴 一一 內象こ と ある さう であるが、 ピカゾ も 又 同じ やうな 事を自 

分の 繪 について iH つて ゐ たやう に 思 ふ。 彼の 繪に 於て は 不可分に 客觀 と主觀 とが 交流して、 常に 

1 つの 不总議 に 到達し なければ ならない のであった。 

さて、 私 は 數年前 「形式主義」 とい ふ 小論 を發 表し、 そこで は 藝術を 一 つの 切り離した 容觀と 

しての み 提出した。 だが その 中で 「飛^」 とい ふ 言葉 を 無 解決に 殘 した。 今 あの 一文 を 回顧して、 

あの 時代の 「飛^」 を 埋める 部分 こそ、 今日の 偶然 論で ある ことに 思 ひ 至って ゐる。 恐らく 從來 

の考 へに 生きる 人 はかう いふ 口調 も 「忍 ひっき だ」 といって 批難す る だら う。 ところが 吾々 にと 

つて はかう いふ 思 ひっきと い ふこと が なかなか 重大な 問題と なって 起き あがって くるので ある。 

さて 私の 述べた ところに よって 私の いふ 偶然と いふ ものの 概念 はや や 分明した かと 思 ふ。 そこ 

で 私 は橫尤 氏が 純粹 小説の 耍素を 偶然 性と 見、 又 通俗 小說の 特徴 を も 偶然 性と 見て ゐる ところの 

混合 を 適 常に 說 明しょう と 思 ふ。 だいたい 偶然 性と は 横 光 氏が 云 ふやう に、 決して 通俗 性の 特徵 

ではなく、 いよいよ 深く 眞實の 小說を 成立 さす 最も 重大な 耍素 なので ある。 卽ち 「純粹 小說」 とい 

ふ ものに 偶然 性が 要求せられ ると いふ 意味 は、 それに 通俗が 耍 求せられ るので なく、 寧ろ 本當の 

小說の 要素が 要求 せられる だけで ある。 その 意味に 於て 橫光 氏の 主張 は 推理の 順序 は 暫くお いて 

^常な 卓見で あると 考 へられる。 



6っ 



それ は橫光 氏が 數へ てゐ たやう に 「ドス トイ H フス キ I、 トルストイ、 ス タンダ I ル、 バル ザッ 

ク、 これらの 大作 家の 作品」 のどれ を 見ても、 それが 如何 やうな 庹實の 不思議から 始められて ゐ 

るかに よって、 吾々 は その 小說に 引き入れられ、 豫 期し 得ざる 如何なる 偶然の^ 實に 至りつ いて 

ゐ るかと いふ ことによって 最も 烈しい 感動に 胸 をつ かれる ので ある。 

フ n I ベ I ルはボ ヴァリ ー 夫人と レオ ン との 不思議な 邂逅に よって 小說を 高調 させ、 愛情と. S 

ふ ものの 無限の: t 結 を破產 とい ふ 結末に よって 報酬した。 モウ パッ サン は 『脂肪の 塊り』 に 於て、 

正義感と いふ もの を 食慾と 賣 笑と いふ 二つの 條 件で 無殘に 回轉 させ、 ゲ ー テ はヰル ヘルムと マリ 

ァ,' ネ との 戀 愛から その 敎養 小說を 始め てゐ る。 

さて 私 はこの 主題に 關 して 無数の 關聯 した 思想 を 次ぎ 次ぎに 想起し、 澎湃 たる 浪 S 主義 の 問題 

に、 文舉に 於け る モラルの 問題に、 歷史の 問題に、 心理の 問題に、 理知の 問題に * 神の 問題に、 

思 ひ 至る ので ある。 だが、 それらに ついては * 恐らく もっと 適當な 人が それ を 論じて くれる に邋 

ひない。 私 はた だ 古來眞 率の 藝 術と いふ ものが、 常に 偶然に よっての み 成立して 來 たこと を、 こ 

の 一 文に 於て 痛感したかった までで ある。 

恐らく モ ン テ エー ーュ に 於て、 バ ルザ ック に 於て、 サン ト. ブゥブ に 於て、 アナ ト ー ル • フラン 

スに 於て、 人々 は 何 か を 見出す だら う。 だが それに も拘 はらす、 さう いふ 立場 を 分明した 藝術論 

の ある こと を 私 はま だ 知らない。 ゎづ かに 九 鬼 周 造 博士が 「日本 詩の 押韻」 に 於て 文字の 配列 を 



7o 



偶然から 論じよう として ゐられ るの を 見て 深甚の 興味 を覺 えた。 又 『セル パン』 六月 號に 於て 石 1 

原 純 博士の r 祌は 偶然 を 愛する」 を設 み、 この 一 文が 現代の 偉大なる 頭隨 として 最も 傾聽 すべき 

所論に 溢れて ゐ るの を 見た が、 旣 に觸れ るべき 紙數を 使ひ枭 した。 

こ の問题 は^ 界觀の 問题を 含んで ゐ ると 同時に、 微細に は 文字 配列の 形式の 問題にまで 文學に 

關聯 してく るので ある。 

グ ウル モ ンは 彼の 一 冊の 中で H ピ クロ スを 讚美しながら いって ゐる。 

「偶然の 速 綾、 いひ か へれば 次から 次へ と 無限に 跳び ゆく 事 寛の 述 綾の 所産と して 世界 を考へ 

る こと、 これ は 君達の 時代の 最も 優れた 人々 さへ が歸佼 しかねる 一 結論 だ。 よし それが 彼等 を 動 

かした としても。」 

今日の 論理 を 築く ことの 困難と 得失と は 誰れ しも 知って ゐる。 然も 私 は敢て その 無謀 をした。 

今 は 荒^した H ピ クロスの 圜に這 入って、 美 を 愛する 喜び を W 興したい。 私の 論理 は 粗 草に 剌さ 

れ、 棘に 傷つ けられた。 然し 私の 開墾 はま だ 一 日の 忍耐に も 達して ゐ ない。 

(昭和 十 年 五 Hill 十 m) 



つれづれ 人間 學 

ジィド の 左傾 

あれほど 盛んであった ジ イド 論が、 この頃 は 一 向 姿を消して しまった。 それ は 「ジ イドの 左傾」 

と稱 する ものが 現 はれて 以來の やうに 思 はれる。 してみ ると、 日本で は 彼の 左傾と いふ ものが 氣 

にく はぬ ので あらう か。 

だが 僕の 想像す ると ころで は必 すし もさう ではない ので ある。 若し さう だと すれば 無責任と い 

へば これらの 批評家 位 無责任 極まる 連中 はない とい ふこと になる。 あれほど ジ イド、 ジ イド、 と 

朝夕に 云 ひながら、 わけても ジ イドの ー轉 機に 對 して 何等の 解釋 もな し 得ない とい ふこと は、 誠 

に 卑怯と いふか、 無能と いふか、 驚く に堪 へた 仕儀で ある。 

大體 左傾と いふ ことが 氣 はぬ のかと いへば、 現在の やうに 迷って ゐる 左翼 作家に とって は、 何 

がな ジ イドの やうな 大作 家が 左傾して くれる こと はありが たいこと に 遠 ひない ので ある。 ところ 

が 左傾 を 報ぜられた ジ イドの 勡 きに は、 彼等の 參考 になる やうな ものが 一 向 現 はれて 來な いので 



7^ 



ある。 

明らかに 左^ 作家に とって は、 ジ イドが どこまで 左傾して くれたの か。 その 見き はめが つかぬ 

ので 味方 か敞 か、 いまだに 剁斷 がっかぬ とい ふ 有様で、 その 迷って ゐる樣 が ありあり と 感じられ 

る。 中には 大森 義太郞 氏の やうに、 チャンと 左翼 作家と してきめ て ゐる人 も あるが、 さう 手輕に 

は きめられな いのが 事赏 である。 

だが それより もも つ と 滑褡に 見え る の は、 自我 意識 を 中心 にして ジ イド を 論じて 來た藝 術 派 作 

^で、 彼等 は 今までの ジ イド を 見失って あっけに とられて しまって、 どう 挨拶した らいいの か 急 

に默 つてし まった。 その 間の 拔 けた 顔の を かし さは、 有 明の 月 を 眺める、 あっけら 甘 公 そのまま 

である。 

かくて 左^ 作家 は 左翼 作家で、 藝術派 作家 は藝術 派 作家で、 この 一 つの 怪物の 行動に ついて 口 

をつ ぐんで あっけに とられて ゐる ので ある。 

然し これ は 今日までの ジ イドと いふ 人間 を 多少と も 根本的に 理解して ゐる 者に は、 それほど 唐 

突で も 何でもな いので ある。 恐るべき ことで もなければ 買 ひかぶ るべき 性質の もので もない ので 

ある 彼 は^て キ ー ッの 言獎を 引いて 「思慮 深く 動かぬ ものた らんより は 田 5 盧も なく 動く ものた 

れ」 といって ゐる。 

何よりも ジ イドの 行動 を 理解す るた めに は、 ジ イドが ベ ルグゾ ン哲學 の 上に 立って 左翼 pa 想. Ap 



73 



理解して ゐる とい ふこと を 吾々 は考 へなければ ならない。 だいたい ベルグ ゾ ン哲學 とい ふ もの は、 

左お 的で あっても、 それ は 寧 ろ 無政府主義 的な 傾向 に 於て 理解 せられる ものである。 

それ は 創造と いふ こと を 尊重す ると ころの 思想であって、 根本的に マルキシズムと は、 その 晳 

學的立 W 點が正 反對 なので ある。 大まかに いへば ベルグ ソン は 偶然 論で あり、 マルキシズム は必 

然 論で あるから である。 

この 二つの 相反 對 する 立場に ゐて、 ジ イドが 左翼 思想 を 理解して ゐ ると いふ ことに は、 もっと 

文舉 的な 意味が あるので ある。 ジ イド を 人問舉 的に 研究 すれば、 決して 日本で 云 はれる やうな 左 

傾と はならない ので ある。 叉 それ は藝術 派に 訣別した ので もない ので ある。 

もっと 冷 靜にジ イド 研究者 は、 ジ イド 研究 を 根本的に つづけるべき である。 それとも ジ イドに 

飽 いたのなら、 格^ ジ イド の 左傾な どに 驚く 必要 はない ので ある。 

ベルグ ソンへの 興味 

ジ イドの 文舉の 背後に ある ものが ベ ルグソ ン であると 僕 はいった が、 それ はべ ルグ ソンに^つ 

たこと はない ので ある。 偶然と いふ もの を 信じる ことが 出来れば 彼 は 足りる ので ある。 「もっと 

遠くへ 行きたい とい ふ 採險」 の氣 持ちが あれば それでも 說明 はっくの である。 大體ジ イド を馳り 

たてる もの は、 常に 反カソ リシ ズム であって、 それ は必 すし も 現象に 伴はなくて も、 思惟の 結^ ^ 



からだけ でも、 彼 は ベルグ ソンに 到りうる ので ある。 

僕 は 大體、 現在の 日本 文畢が 必然 論に 安心し きって ゐる ことが 不服で、 この こと は 平生から い 

つて 來てゐ たので あるが、 吾々 はもう 一 度 この 事 を 自覺 しなければ ならない と 思 ふ。 

この こと を自。 せす して は、 恐らく ジ イドの 人 問と いふ もの も文學 とい ふ もの も 理解 出來 ない 

に遨 ひない。 必 すし もジ イドと いふ 必要 はない。 今日 漸く 論じられよ うとして ゐる 文學の 本質 は 

この 大悟の 態度に 於て でなければ、 理解^ 來な いので ある。 この こと は いづれ 時間が あったら も 

つと ハツ キリ^く つもりで あるが、 偶然の 持つ 不思議と いふ ものが 缺 乏して ゐて、 藝 術と いふ も 

のが 成立す る^がない ので ある。 

だが ここでい ふ不 E お; I と は、 陰 慾な 神; 1 趣味 や、 フラマリオン 流の 古い 科舉 神祕 ではない。 明 

ら かな 外 光の 巾で 見られる、 眞赏 であれば ある ほど 現 はれる ところの 不思議で なければ ならない。 

ベ ルグ ソン は不 E お: g と. S ふこと はいって ゐ ない。 併し 彼 は 「創造的 進化」 といって ゐる。 計り 

がたい 創^と いふ こと を 何よりも 莊嚴 であると して ゐ るので ある。 

1 昔 前の ベ ルグソ ン哲學 を 何も 持ち出す 必要 はない かも 知れない が、 ベルグ ソ ンに對 する 興味 

とい ふ もの は、 今世界の どこに も 起って ゐる らしく、 ナチ スを 研究して:! 朝した 男の トランクに 

も、 フランス 文^ を 研究して 歸 つた 男の トランク にも、 ちゃんと 不思議に 這 入って ゐ るので ある 

から 面白い。 



75 



なぜならば、 彼の 「記憶と 時間」 の 思想、 「純粹 持繽」 の 思想が、 現在の 行 © 的 思想と 非常に 

連關 すると ころが あるから である。 

行動主義と いふ もの は、 今 曰で はかなり 左翼 的に のみ 解釋 せられて ゐる やうで ある。 しかし そ 

れは必 すし も 左翼 的で はない ので ある。 ファッショ でも. S り 得る ので ある。 もともと 行動と いふ 

ものが、 主體 的で あると 同時に 客體 的で あるから である。 從 つて その 中には、 常に 本能、 不合理 

が 含まれて ゐ るからで ある。 

だから 今日 吾 々は 行動主義と いふ もの を 捕へ て 「右 か 左 か」 と 質問す るの は 意味がない ので あ 

る。 右 も ゐれ ば 左もゐ るので ある。 ただ ファッショ 的 暗鬱に それ を 走らし めたくない とい ふの が 

吾々 の 希望で ある。 

併し 何れにしても、 彼等が ひとしく 偶然と いふ 一つの ロマン チ ックな 思想に よって 貫かれ、 理 

智を 否定して、 本能 を 重視しょう として ゐる こと を 見逃して はならない ので ある。 

これが^ 代と いふ 人間の 持って ゐる 最も 烈しい 特徵 である。 偶然 論と S ふ もの は 天才への 要望 

であるか もしれ ない。 

ピカソの 言 葉 

二十世紀 初頭の 偶然 論者 ヱ ミ ー ル • ブト ルゥは 一 八 七 四 年、 『自然 性の 偶然に 就 いて』 の 中で が 



いって ゐ る。 

「純粹 必然 は 一 切の 具 體的內 容を脫 却した ところの 單 なる 論理的 公理に 於て 求め 得る も の で、 

A =A なる 同 一 性 は絕對 にあり 得ない。 自然 は 類似 を 表出す るに しても 同 一 を 提供す る もので は 

ない。」 

同一 とい ふ もの を 否お すると ころから 出發 する 偶然 論 は、 同時に 絶 對に唯 だ 一 つの ものの 持つ 

てゐる n マ ン チックな 性格な」 表出す るので ある。 

^は-^ 2 て 今日の リアリズムが 行きつ まって ゐる こと を 批評して 「そこに は 不思議が 無い」 とい 

つた。 「 寫 の やうに 死んだ 厲. W が ある * たけ だ」 といった ことがある。 この 理由 は 誰れ も その物 

自身が 唯 だ 一 つ 持って ゐる爲 K とい ふ もの を 追究しょう として ゐ ないから である。 

私は大 體眞贸 とい ふ もの を 追究す る ことによって 口 マ ン チックの 世界に 到達しょう として ゐる 

人間で ある。 新ら しい I! マン チシズ ムとは 眞實に 到達す る ことによって のみ 可能 だと 考 へて ゐる 

ものである。 

過去の 架 {仝 の a マン チ ックは 最早 吾 々に は 何の 魅力 もない。 

ベルグ ソ ンゃ ブト ルゥ がい ふやう に、 眞實 それ 自身の 持って ゐる 偶然と いふ 思想に 到達しょう 

とすると ころに 新ら しい ロマン チ ックが あるので ある。 

吾々 は ピカソの 繪を 見て、 ひところ は立體 派と 評し、 ひところ は アングルの 影響の 中に ある 新 



77 



古典 * 義と 批評し、 叉 或る時 は 超現寳 主義者と 批評した。 その 繪は 自然 を解體 し、 變貌 し、 實に 

不可解で ある ことが 多かった。 

而も ピカソ は自 からい つて ゐ るので ある。 

「自分 は 自然 か ら 感じ、 自然 か ら發見 した ものば かりによ つて 自分 の繪を つくって ゐ る。」 

僕 は 近頃、 この 位 正直で 興味の 深い 言葉 を 見た ことがない。 ピカソと いふ 人間の 面白さが 一杯 

溢れて ゐ るので ある。 

日本の 洞 笳哲擧 派 や、 鵜の みジ イド 論者 や、 眞似 ごと 口 マ ンチ ストに 煎じての まして やりたい 

位で ある。 あの 主觀 的に みえる 彼の 怪奇な 搶さ へが、 十分に 客觀を 通過して ゐる 事を證 明す る 首 

葉で ある。 まさしく 彼の 如き は客觀 と主觀 とが 交流して 眞の 不思議に 到達して ゐる ものと 云 ふべ 

きで あらう。 

吾々 は 「不安、 不安」 と 云って 苦い 顔 をす る 前に、 もの をよ く 見る 事から 始めなければ ならな 

ピカソ は 決して 架签 によって 出發し はしない ので ある。 自然 を 見る 事に よって、 そのき 術 を 一 

ゥの ロマン チ ックな 世界にまで 進めて ゐ るので ある。 

それ故に 彼に とって は、 それ は リア リズ ム であると 同時に II マン チシ ズム であるの である • 現 

代の リアリズム と は、 かくの 如き 世界に 到達す るより 他に 行く ところ はない ので ある。 



78 



吾々 は リアリズムと 云って^ 虞の 眞似 をしたり、 口 マ ン チックと 云って 签 疎な 架筌を もて あそ 

ぶべき ではない ので ある。 

しかも 吾. „c を 訪れて ゐる 今日の 偶然: ii とい ふ もの は、 この 方向に 一 つの 明らかな 哲學的 根據を 

提出して ゐる。 

人 問舉に 及ばう として、 遂に 結尾に 來た。 單に 三人の 人 問 を 登^させる に 終った が、 つれづれ 

の^^ 故 これ はこれ で 仕方がない • 



79 



方法論に 關聯 して 

過 浴 小說と 偶然 

この^に なって 室 生 犀 星 氏の 「神 か 女 か」 を 初めて 讀ん だ。 常時の 世評 はみ な 神品と いふ こと 

で 一 致して ゐ たやう に 思った。 

私 も讀ん で 感心した 一 人で あるが、 然し、 私 は 同時に なかなか 不服 を 感じた 一 人で ある。 

大體 昔から 日本人の 作品が 俳句 的 だと か 詠嘆に 終って ゐる とかい はれる の は、 つまり 作品に 榑 

造がない とい ふこと で、 構造と いふ こと はい ひな ほせば 作品に おける 發: K とい ふこと である。 だ 

から それが 無い とい ふこと は、 作品に 動き 飛翔して ゆく ものが 無い とい ふこと である。 作 ni が 一 

つの 世界より 训の 世界へ 飛んで ゆかぬ とい ふこと である。 

私達 が 今日 偶然 論 を 作品 の 理論に 耍 求す るの も、 いはば この 發展 とい ふ 事 を 作品 に 要求す るか 

らで、 作品と いふ もの は 常に 最初の 一行と 最後の 一行と は 正反對 になって ゐ なければ ならない。 

私 は 1 つの 世界観の 中に 常に 無數 であると ころの 方法論な どと いふ もの をむ きになって 論す るつ 8 



もり はない。 ^は 寧ろ 仔細 顔した 方法論な どと いふ もの は 無用 だと 思って ゐる。 だいたいが、 作 お 

品が 出發 すると 同時に 人生が 出發 する ので ある。 吾々 は そこで 無数の 偶然に 出逢 ふので ある。 そ 

れ だけで ある。 

かくて 作品 はつねに 豫想 以外のと ころに 到達す る。 眞{ 莨の 小說 とい ふ もの は 常に かくの 如きで 

なければ ならない。 

人 は 通俗小説に は 何よりも 偶然が 重んじられる といって ゐる。 然し これほど 大きい 間遠 ひ はな 

い。 ^ろ 通俗 小說 とい ふ ものに は 偶然 は 皆無 だ-とい ふの が本當 である。 それ ゆ ゑに 吾々 にと つて 

は 通俗 小說 はつ まらす、 俗衆に とって は 面白い ので ある。 卽ち 通俗小説に 於いて は 常に 作品 は讀 

^の豫 想 通りに 發展 し、 さう いふ 發展 をす る 事に よって 讀者 を滿 足さす ので ある。 吾 々が! 迎俗小 

說を つまらぬ とい ふの は、 そこに 一 つも 世界の 眞實 であると ころの 偶然が 無い からに ほかならぬ。 

娘が^ 出して、 祕密の 家の 誘惑に 襲 はれて ゐ ると、 そこへ 丁度 最後に 結婚すべき 小說の 主人公が 

現 はれて 來て 助ける とい ふやうな こと は —— そんな 都合の いい 御手 盛の 遝命は 虚偽であって、 世 

界の 眞 焚で もなければ、 本當の 偶然で もない。 かう いふ こと は 吾々 にと つて は 通俗の 虚構で あつ 

て、 吾 々のい ふ 偶然と は 明らかに 區刖 しなければ ならない。 吾々 のい ふところの もの はもつ と 痛 

烈に 突きつ めた 爲抨、 であって、 眞實の 持って ゐる 偶然で なければ ならない。 

もし そこに 何の 眞實 としての K 然も 起ら す、 一 つの 感想で 一 つの 作品が 終始す るなら ば、 われ 



われの 作品 は 十七 字で こと 足り、 また 一枚で 充分な ので ある。 われわれが 數枚を 費し、 時に 數百 

枚 を 要する の は、 そこに 人生の 偶然、 發展が あるから に ほかならぬ。 

日本人の 作品が 俳句 的で あると いふの は、 つまり かう いふ 偶然に よって 發展 する 世界が 小說 

中に 缺 けて ゐ ると いふ ことで は あるまい か。 

人あって 曰 本人の 作品 は 淡白で あると いふ。 然し 淡白な の は ドイツ人 や 口 シャ 人に 比べれば フ 

ランス 人 だって 同じな ので ある。 むしろ この こと は 所謂 方法論 的に 說明 すれば、 淡. in とい ふより 

も 構造 を 持って ゐな いとい ふこと である。 一 つの 詠歎に 終って 作品に 發展 がない とい ふこと であ 

る。 われわれに とって 重大な の は 淡白な ことが 惡 いので はなく、 眞實 としての 偶然に 對 する 追究 

の 無い ことが 惡 いので ある。 もクと 正確に いへば- どんなに 油つ こく 書いて あっても 偶然への 追 

究 がない とい ふこと が卽ち 淡白な ゆ ゑんになる ので ある。 曰 本人の 作品に ある 一 つの 缺點 はま さ 

にこれ では ある ま い か。 

偶然 論と いふ もの は 「眞實 の 不思議に 驚け」 といって ゐる。 また 「何物と いへ ども^ 界に 同一 

の 物 は 存在し ない」 といって ゐる。 卽ち これらの 命題 は、 それぞれに 作品の 方法 論 を^き だして 

くる ものであって、 われわれ は 眞實に 至りつ くして 不思議 を あばき 出し、 又モ ー パッ サンが 云 ふ 

やうに 世界に 二つと ないたつた 一 つの 物の 性格 を 作品の 中で 囚 へなければ ならない。 その 爲 めに 

は、 常に 對 照と 爭鬪 し、 對 照の 巾へ 熱情 を以 つて 突入し、 愛し、 反抗し、 對照 を攪亂 しなければ 



82 



ならない。 すると 封 照 は 吾々 に 向って 反擊 する ので ある。 かくの 如くに して 吾々 は 眞資の 不思議、 

偶然 を 捕えよう とする。 この 心情と 方法と は 今日の 物理的 實驗を 彷彿せ しめる ものであって、 こ 

れ觀 測^と 被 觀測體 との 問に 於け る 分ち がたい 完全の 交合で ある。 然も 作品の 背後に ある ものが 

常に 不可知で ある やうで なければ ならない。 原因結^ 的勸善 懲惡を 否定す る、 これら は旣に 常識 

である ものの 明瞭なる 認識に よる 深化で ある。 

さて 私 は r 祌か女 か」 を 忘れて しまって ゐた。 

小說の 構造 

初めに 踐 子と いふ 可憐な 女が 出て くる。 次に しのえ とい ふ 心得顔した 妾 タイプの 女が 出て くる。 

それから 最も^い 關 係の ある 數 子が 出て くる。 彼女 は 今では 男に 對 して 肉體 的よりも 精神的な も 

の を 示して ゐる。 それから 女給 あがりみたい なハ ル ェ が 出て くる。 

とろ こで これらの 女 を 一 人の 不思 諮 な 男が 見毐に 征服し、 また それらの 女達 は 物質 を與 へられ 

て 皆が 皆、 その 男に 戀^ して ゐ ると いふの が この 小說 の大體 である。 男の 逞し さは 一 つの 暗示と 

してし か 出て ゐな いが、 それよりも 女の性 格描寫 とい ふ もの を 作者 は 丹念に 試みて ゐる。 ここに 

この 作^の よさが あり、 女と いふ ものが 總 じて 無智に 可憐に 描かれて ゐる ところが 面白い ので あ 

る。 だが 何よりも 悲しい こと は これらの 女達の 感想が 皆 同一で あると いふ ことで ある。 それが 惡 



S3 



いと はい はない。 しかし 私 は その 事が 一 つの 詠歎で ある やうに 思 はれて ならな いので ある。 

と、 いふの は、 赏は數 年 前、 ボ ー ル. モ I ランの 「三面鏡」 とい ふ小說 を讀ん * た 事が あり、 それ 

と 室 生 氏の 作品と は 勿論 性質が 違 ふので あるが、 ひとところ 比較 出來 ると ころが あるから である。 

卽ち、 この 小說 もお なじ やうに 三人の 女が 一人の 男 を 愛して ゐ るので ある。 ところが ここで は 

1 二人の 女が 一 二人とも 悉く 違った 見方で 一 人の 男 を 見て ゐ るので ある。 それ は 悉く 衝突す る 見方で 

あって、 三人 三 様の 感想の 中には 何の 連絡 さへ もない。 悉くが 一人の 男 を 違った 見方で、 正反對 

と 思 はれる 方向から 見て ゐ るので ある。 それ ゆ ゑ その 男 は 一人と は 思へ ない ので ある。 しかるに 

たった 一 人の 男な ので ある。 

ところが 或 日、 この 不思^な 男の 眉 ^ に、 急激な 勢で 飛んで 來る內 裏 燕が 街 突して、 彼 は 額に 

穴 を あけられて 死ぬ ので ある。 この 男 は 一人で あつたが、 三人であった とい ふので ある。 

こ Q 小説に は 明らかに 一 つ Q 偶然が あり、 從 つて 構造と、 發展が ある。 叉 人 問の 性格と いふ も 

のに 對 する 作者の 多様なる 追究が ある。 モ ー ランの やうな 作家で も、 人間の 個性と いふ も Q に對 

する 一穂の 否定的な 思想なら、 ちゃんと 巧に 構造す るので ある。 男 や 女達の 虚偽と いふ もの も、 

1 欞の複 雜さを もって あばき 出す ので ある。 

但し これらの 作品 は、 それぞれに 主題が 異なる が 故に 比較す る 事 は 出来ない。 室 生 氏の よさと 

モ ー ランの よさと は备、 、違 ふので ある。 然し 小說的 發展、 構迭を どっちの 作品が 持って ゐ るかと 0^ 



いふ 比較に は 十分に 堪へ るので ある。 

そこで 私 は 室 生 氏の 作品に 感心す る 事 は敢て 人後に 落ちない が、 しかも こ の 作品が 益 ミ 日本人 

的^ a を 露出し た 詠歎 的 作品 に 終って ゐる こと を考 へる ので ある。 作品 の 中に 流れて ゐる 思想 に 

も、 お 件に も 殆ど 何等の 偶然と 發展と を 見る 事が 出来ない からで ある。 女の 感想 は 初めの 一 人の 

女から 枝^の 一人の 女まで 同じな ので ある。 その 問に 何等の 抵抗 も 矛盾 もな. s。 そして これが 日 

本 的な もの かと、 私 は 今 曰の 批評家と いふ 者の 明敏 さに 併せて 驚く ので ある。 いはば 室 生 氏の 作 

品 は 日本的 特-ぉ を 明.. 臼に 代表す ると ころの 佳作で あると い へ る だら う。 しかも それと 同時に 新ら 

しい 不服 は 打ち消しが たいので ある。 

ひと 13 「のつ ぴ きなら ぬ」 とか 「血み どろ」 とか、 大げさな 言葉が 流行した が、 人生の 對 照と 

いふ もの は、 さう いふ 掛聲 ばかりで は囚 へられない。 さう いふ 掛聲を 幾らか けても、 作品が 眞實 

の 偶然に ふれて ゐ なければ、 それ は 無意味に 終る に 違 ひない。 小說 する 心情の 中に、 偶然と いふ 

ものがなければ、 如何に 血み どろに なって みたところで、 囚 へられる もの は、 定規の やうに 停滯 

した 人生で しか あるまい。 

小說 とい ふ ものが 創造で ある 以上、 そこに は 常に 發展 がなければ ならない。 とい ふの はむしろ 

常: f であらう。 然し 吾. ^にと つて、 これ は 民族的に いって 最も 困難な 問題 を 含む ところの 性格 か 

もしれ ない。 



85 



思 ひっきの 缺乏 

石 原 純 氏 は 『短歌 研究』 七月 猇で 次の やうに 述べて ゐられ る。 

「人々 は從來 において 偶然 を餘 りに 輕侮 しすぎて ゐた C 科擧が 多くの 現象 を 分析し、 それらの 

. 間 に存 する 必然 の 世界 を 吾 々に 示して くれて 以來、 吾々 は これらの 必然に 賴 つての み^ 象 を 思惟 

する ことにの み惯れ てし まって、 あらゆる 偶然 を 偶然と し て 意味 づける 事よりも 寧ろ こ れに 何等 

かの 闪 银性を M, する ことの 方が より 多く 價 値が あると さ へ 思考す るに 至った。 科攀に 於て こそ、 

その 効^ は顯荖 であり 得た であらう が、 しかし 文學 において もまた さう であると する の は 甚だ 早 

計の 至りで ある。 この 事 を 反省す る點 において 偶然 論 の 價値 はけ だ し 妙く はな いで あらう。」 

X 『翰林』 八月 號に 於て 

「中 河 氏が 文擧に 於け る 偶然 論 を 提起され て 以來、 今日まで 人々 の 間に 看過され てゐた 偶然 な 

る ものの 科舉 及び 文舉に 於け る 重要な 意味が 大いに 注目 を惹 くやう になった こと は 事 寅で ある。」 

なほ 石 原 氏 はこの! i 據に 於て 現代の 文 學が現 實描寫 の 弊に のみ 陷 つて 創造的な 詩 を 喪失して ゐ 

る こと を 指摘して ゐられ た。 私への 批評 は 溢 美で あると しても、 吾々 は 石 原 氏の 科舉 者ら しい、 

同時に 詩人ら しい 批評に 聞くべき 多くの もの を 感じる。 少く とも 「偶然と いふ もの を輕 侮し すぎ 

て來 た」 一事と 起るべき 論理が、 詩の^ 失 を 取り返すべく 起った とい ふ證 言に 就いて だけ は、 何 



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乂と雖 もこれ を 認めなければ なるまい。 

私 は 今日の 文舉 者と いふ ものが 異端の 思想に 缺 乏し、 新奇の 觀念を 忘れて、 例へば 偶然 論と い 

ふやうな ものに 厨しても、 た • た 突飛な 思 ひっきと してし か、 これ を 見る 事が 出來 ない ほど 衰弱し、 

或 ひ は 小つ ぽ けな 嫉視に よって 默 殺しよう として ゐる 時、 かくの 如き 大度 ある 評言 をみ て、 この 

論理の 前途 を 思 ふので ある。 

© らくこの 論理 はやが て 快刀 亂 麻の 早 さを以 つて 入々 の 心 を 風靡す るに ちが ひない。 

だが 僕 等の 作文 は、 赏は その 時の 得心な ど は、 どう だってい いので ある。 

それにしても われわれの 問に おける 「偶然へ の輕 侮」 とい ふ もの は、 われわれの 等しく 長年 目 

接した ところの ものであるが、 それが どうして 今日の 如くで あつたか は 寧ろ 不思 |:,| なくら ゐ であ 

る。 

そして、 その もっとも 卑近な 例 は、 多く 今 曰までの 批評家が 「思 ひっき」 とい ふこと を 殆ど 輕 

蔑 以外の 觀念 でみ なかった とい ふこと でも ハ キリ わかる と 思 ふ。 

それ は 思 ひっきが 思 ひっきで 終れば つまらな いの だが、 思 ひっきの 缺乏 ほど 實は 人生に とって 

もっとつ まらない こと はない ので ある。 

菊 池 寬氏ゃ 久米正 雄 氏の 時代に は なかなか 思 ひっきと いふ 事が 重んじられて ねた。 それ は當時 

の 新 技巧 派と 稱 せられた 作品の 系列 を 見れば 一 目で わかる ことで、 それだけ では 困る かも 知れな 



87 



いが、 思 ひっきと いふ もの は 常に 革命で あり 發明 である こと を 知らなければ ならない。 大げさに 

いへば モチ, I フ であり、 ィヂ ー であり、 天の 啓示で あり、 靈感 である。 それが 深化 せられれば 囘 

IK の 事業 をな すと ころの ものである。 だが 吾々 に は 格別 さう いふ 呼び 方 をし なくと もい い。 

ただ 吾々 は 今日の 批評家が 思 ひっきと いへば、 ただ それだけで それ を 恐れ、 囘 避す るの は、 恰 

も 平安 姑息 を 願 ふ 小吏が、 汲 々 として 飛翔な き 日々 を 過ごす やうに あはれ だと 思って ゐる。 

われわれ は 思 ひっきと いふ 思想の 冒險 を益ミ 尊敬し、 益 ミ 深化し なければ ならない。 これ は 一 

つの 浪曼 心情で あり、 偶然 思想で あり、 創造 精神で あり、 陋巷に 美 神 を 見ようと する 哀切な 願望 

である。 一 つの 世界から 他の 世界に 出ようと する 努力で ある。 

それ は 思 ひっきと いふ ものが 淺 薄に 流れ、 輕 薄に 陷る こと は往々 にして 見る ところの もので あ 

る。 しかし さう いふ こと を 恐れて 新しい 作品と 思想と はあり 得ない ので ある。 寺 尾 新 氏 も 「自然 

科舉 の硏究 を、 ただ 物の 長さ を 測ったり、 細かな 構造 を顯微 鏡で 調べたり、 數學式 を こね 廻 はす 

ことと 考 へて 居らる るか も 知れません が、 さう いふ 器械 的の 仕事 は、 そもそも 末の末で、 一番 大 

切なの は、 獨創 的な 思 ひっきで ある」 と 云って ゐられ る。 科學に 於て 旣に然 り。 古來 「 ィ n 一一 ィ 

と 機智」 と を 最も 重んじた もの は 十八 世紀 浪曼 派の 文畢 であらう か。 私の 指摘 も 多少 それにつな 

がるに ちが ひない。 

私 は 今日の 文學 者が、 出來る だけの 冒險に —— それが たと へ 誤って ゐて も、 間違って ゐて も、 



88 



さう いふ 董 に錄 敬 を拂ふ 氣持& つて ゐな ければ ならぬ と考 へて ねる。 誰で あつたか、 商ら ^ 

「いか も S ひ」 である 事 を誇稱 して ゐた 作家が あつたが、 私は批 gil ふと 同時に、 い 

かもの 好きの 批評家が 今 曰の 如く 缺 乏して ゐる ことに 一抹の |を感 じる ので ある。 

私 は 今 曰の 文 看が、 苜の考 へ 方と、 そ Q 方法に よって、 現 f 更新し、 世界 を 見な ほす こ 

。 (『束 京 日日 新聞』 八月 十五 日〕 

と を 何よりも んでゐ る 



文學 を寐 生せ しめよ 



『ュ リシ I ズ』 の 下 卷を讀 み、 この 小說の 振幅と 藝術 欲の 旺盛 さに 驚いた。 この 小說 はま ぎれ 

もな く 一 つの^ 術 至上 主義 的 作品で ある。 

それ は 冗談 を 愛しす ぎる ほど 愛しながら、 然も 作者が 全幅の カを以 つて 藝 術の 世界の 深さと 怪 

奇 さとに 到達しょう とすると ころの ものである。 ここで は 世俗の 正義感が 明らかに 忘却 せられて 

ゐる。 心に くい ほど 縱橫に 構造 せられた 「第 十五」 の H ピソ ー ド。 ほしいままの 幻想と 現 赏 と を 

織り まぜ たき 話 の 手法の 如き は、 嘗て ど んな 作品 に も 見な かった ブリリアントな ものに ti ちて ゐ 

る。 

ブル ー ムが 狂人に なったり、 市長に なったり して、 勝手 極まる 會話を 吐き 散らす と 思って 讀ん 

でゐ ると、 それ は 何時の 問に か 大切な 契機に 來 ると、 逞 ましい 力で 筋の 發展を 見事に 果して ゐ る- 

小説に 於け る冒險 で、 恐らく これほど 巧妙に 然も 大膽な ものはなかった やうに 思 ふ。 この 顷は小 

晚 の祌樣 とい ふ霄 葉が よく 使 はれて ゐ るが、 彼の 如き も、 確かに この 世紀の 大きい 神様の 一 人に 



9o 



遠 ひない。 

彼の 行って ゐる もの は寫赏 でも、 報告で もない。 又 所謂 リアリズム でもない。 規範 を 越えた 今 

日までの 小説に 無い もの を以 つて、 あらゆる 知識と 签 想と を 積み あげて、 新ら しい 世界 を 創造し 

ようとす ると ころに かかって ゐる。 叉 最後の 女優 ブル I ム 夫人の 獨白 にしても、 それ は 健康の 肉 

慾の ために 赏に 猥褻 この 上 もな く、 然も 壯麗 で、 少しの 澱 慰すべき 感情 も 這 入って 來な いとい ふ 

ところまで 到逮 して ゐる。 

日本で は大體 『ユリ I シ ー ズ』 とい ふ もの は、 寧ろ 飜譯 せられる 以前に、 とやかくと 嗱話 によ 

つて、 論じられたり、 下手な 模倣 を 見せられたり したが、 どっち かと 言へば 今日で はもう 綺麗に 

忘れられて ゐる。 然し 私 はこの 小說 こそ 讀み なほす 必要の ある 小說 だと 思った。 

さて 私が お々 とこの 小説に 就いて、 こんな こと を 書き だした 所以 は、 小說 とい ふ ものの 持って 

ゐる正 義感 とい ふ もの は 恐らく 複雜な もので、 ジ イドが 轉 向した からと 云って、 それだけで ジィ 

ド論 に闲 雞を來 たす とい ふやうな もので はない とい ふこと。 叉 ヴァレ リイ ゃァ ラ ン の 流 の やう 

に 一 言 一 句の 倾倒 だけによ つて 紹介 せられる 文學 では 仕方がな いとい ふこと。 又 さう いふ 文學と 

い ふ もの は 日本の 文舉を 老人に するとい ふこと。 吾々 の文擧 はもつ と靑春 をと りか へ さなければ 

ならない とい ふこと。 その他 いろいろ 心に 來る ものが あつたからで、 以上の 數 項に 就いて S ふま 

ま を^きたい からにす ぎない。 



「政治 か文學 か」 とい ふこと が この頃 叉 論じられて ゐる やうで ある。 然し 政治から みれば 文擧 

も その 中に 吸收 され、 文舉 からみれば 政治 も その 中に 吸牧 せられる とい ふの が 各ミの 立場で ある。 

これ を對立 的に 考 へ る ことの 誤謬 は 最早 今 曰で 論す る 必要がない ほどに 陳腐で ある。 

文お に 這 入って くる 政治 は 如何なる 場合に も 素材と して 這 入って 來得 るの みであって、 それ 以 

外に 這 入って 來 ようはない。 してみ ると 問題 は 素材と しての 政治が 大切 かどう かとい ふ 事に 問題 

は縮少 されて くる。 文舉 である 以上、 政治的 興奮 や ィ* テオ 口 ギ ー によって 製作 せられる 文摹 とい 

ふ もの は 常に 存在し ない。 

r ュ リシ ー ズ』 の 第 十六の h ピゾ ー ドの 中に 社 會觀、 正義に 對 する 氣 持ちの 揷 入して ある 一節 

があった が、 あれな ども、 その 適度 さ を 私 はいいと 思った。 叉 『ュ リシ ー ズ』 の 中で 最も 論じら 

れてゐ る もの は道德 であるが、 それが 實に大 謄な吿 白に よって 世俗の モ ラル を破壞 して ゐる とこ 

ろ を 痛快に 思った。 吾々 の 政治的 關心 も、 恐らく 政治と いふ ものに 對 する 最も 辛辣な 破壊が、 創 

抬的 感想に よって 成立し なければ ならない と 思 ふ。 

吾々 文擧 者が 政治 を 論す る 時、 それが 公式 的な 政治 論に なったり、 政治家の 糟糠 を呦 むので は、 

最早 それ は 床 厘 政談の 如く 論じる には餘 りに つまらな すぎる。 吾々 は筌想 すれば いい。 吾々 は 現 

赏を みれば いい。 ジ イドの 轉向を 論じる にしても 單に それ を單 純な 正義感から してし まへば、 誠 



9 2 



につまらない。 そして 吾々 が 今 周圃に 散見す る 「政治 か文學 か」 の 理論 は、 多く 吾々 の 試みる 必 S 

要の ない 無 W の^ 物の やうに さへ 思 はれる ものが 多い。 

氺 

ひところ グァレ リイが 流行し、 ァ ランが すぐ 引き あ ひに だされた。 恐らく 感心した 人達 は その 

難解な 片言 狻 句が 氣に 人ったら しく、 全體 的に 理解した らしい 人 は 見あたらす、 多くの 連中 は、 

わかり もしないで、 ただ 誤解す る^ 許りによ つて 彼等 を 語って ゐる やうに 思 はれた。 あの 流行 ほ 

ど 日本 文 學を瘦 せ させた ものはなかった だら う。 

ゲァレ リイが 祌秘 主義者に せられたり、 ァ ランが 迷惑な 引用に 使 はれたり して ゐ るの を 見る と、 

私 は 恐ろしい 氣 がした。 少く とも 馬鹿馬鹿しい 流行と いふ ものの 魔力に 慄然と した 

恐らく これらの 隨ぉ ! 者 も、 紹介 老も、 その 本國に 於け る 定評と いふ もの だけ を 中心に, L て、 こ 

れらの 老大家 を 紹介した ところに 逸 ひがあった ので はない かと 思 ふ。 

例へば 日本で は&; t の ある 作家と 云へば 秋嫛 であり、 藤 村で あり、 白鳥で あり、 直 哉で あり、 

また^ 一 郞 であら ラ。 

然し 吾々 は 吾.^ の 新ら しい 文 g- の 問題と して 彼等 を 紹介せられ たなら ば、 顔をしかめ るより 让 

方がない。 

私 は 「一つの 好み」 を 好み、 「春 琴杪」 を 非凡の 藝 術と 思 ふ 事 は 人後に おちる もので は. ない。 



だが 起って くる 文學の 問題と して は 吾々 の 時代 はこれ 等の 作品に 必 すしも^ 待 しないの である。 

だいたい この頃の 文學が 後退し すぎて ゐる とい ふこと は、 最早 一 般の 常識に なって ゐる やうで 

ある。 若い 作家まで 老人 を眞 似、 その 趣味と 筆致に 至る まで 模倣す るに 至って は、 その たわいな 

さは^ろ 憐れで さ へ ある。 

それにつ けても 新 文學へ の寄與 は、 矢張り 新作 家の 紹介に 於て なされなければ ならない と 思 ふ- 

その 意味で 私 は 堀 ロ大學 氏が 前に モ ー ラン を譯 し、 今 テク ジュ ベリ を譯 してね る 態度な ど は、 大 

い に範 とすべ き 態度 だ と 思って ゐ る。 

云って みれば 吾々 の 文學は 進歩 も 退歩 もしない の である。 然した だ 進行 だけ はしなければ なら 

ない。 これ は 寧ろ 萬 物の 約束で ある。 

吾々 は 古典 を 愛し、 老大家 を 尊敬す る、 その 中には 不死の ものが 檨 たはって ゐる。 吾々 は その 

中 を 徘徊す る こと を 最も 樂 しく 思 ふ。 然し 吾々 は 彼等よりも 常に 進行し なければ ならない 遝 命に 

笸 かれて ゐる。 

ボウが 「新奇」 とい ん こと を 文學の 最大の 條件 にあげて ゐる こと は、 彼が 如何に 眞^と いふ も 

の を 見ようと して ゐ たかを 證據 づける 一 つ の 手がかり でさ へ ある。 

私 は 今 『ュ リシ ー ズ』 下卷を よんで、 その 生彩に 瞠目し、 靑年的 氣魂を 見失った 現在の 文舉ほ 

ど氣の 毒な もの はない と 思った。 誠赏 と、 冒險と 過失と、 創意と、 どんなに 靑 くさくっても、 新 



94 



らしい も Q は、 かく Q ごとき 野心から 生れて くるより 仕方がない。 青年 Q? らしから SI ^ 

げ- はしい もの はない。 私 は 病弱の 中に あって、 つぶさに 老人と 靑 年と を 經驗 し、 靑年 こそ 大切 

にしなければ ならない と 思った。 

老んが 老&を 理解す るの はもつ ともで ある。 ただ 若い 連中が わかり もしない ヴァレ リイ ァラ 

ンを 論じて 得 々とする 如き は、 最も 趣味の 惡ぃ 邪道で ある。 吾々 は 何よりも 吾々 の 同時代の 大ぃ 

なる 文舉を 要求す る。 

さて^ 十五 H ビ ゾ I ド Q 登場人物 ジ エイ. ジ エイ • ォ モ ロイ は ブル 丄 を 辯 護す る爲 めに 

云って ゐる。 

「ここ ま 巧こ醉 つて 過ち を 犯した 人間 を 犠牲に してまで 猥 らな惡 巫山戯に 身を委 ぬべき 場所で 

まありません。 吾々 は 熊 小屋に ゐ るので もなければ、 オック スフ ォ ー ドの 莫迦 騒ぎに 列席して ゐ 

るので もな く、 また これ は 正義の 戲芝 居で も ありま せんぞ。 私の 辯 護 依頼人 は 未成年者 であり、 

密航者と して 何の 恩典 もな く 出獄し ましたが、 今や 正直に 生活し ようと 努めて ゐる 哀れな 外國移 

巧 e あります。 假 作され ました かの 輕罪 行爲 は幻覺 によって 齎らされ たる 遣傳 性の 一時的 錯亂作 

W による ものでありまして、 ここに 有罪 視 せられた るが 如き 無遠慮 さは 私の 辯 護依賴 人の 生地、 

マ ァ ラオの 國に 於て は 全く 許容され て ゐる のであります。 一見した 所 そこに は 肉 體的交 涉に對 す 



る 何らの 企圖 もなかつ たとい ふ 事 を 申 上げたい のです。 關係 はこれ 以上に 進ます、 よって 彼女 

貞操が 危 ふくされ たとい ふやうな、 ドリスコル によって 訴 へられた 罪 は、 繰り返されません でし 

た。 私 は 特に 隔世 遣 偉に ついて 論じたい と 思 ひます。 私の 辯 護 依頼人の 家族に は 廢疾ゃ 夢遊病の 

例が 度々 ございました。 もしも 被吿 をして 話さし めますならば、 未だ かって 如何なる 書物に も 上 

せられなかった やうな 奇々 怪々 な 物語 を 開陳いた す 事で ありませ う。 

裁判長 閣下よ。 彼 自身 は、 靴直しに 附 物の 結核 を 患って、 肉體 的に は 一箇の 廢疾 者であります。 

彼の 附託 申吿 は、 彼 は 蒙古 族の 出であって、 彼の 行 爲に對 して 無責任 だとい ふこと であります。 

事實、 何等 問題と すべき もの はな いのであります。」 

ジョイ スの 語らう とする 多岐 多端の 世界 は、 實に 多くの 靑 年の 問題 を 暗示して ゐる。 これ はな 

かな か 一朝に 理解 せられる もので はない。 然し 吾々 は 一 つの 頁 を 開いて、 その 頁 だけに 含まれて 

ゐ る小說 的 構造に 驚いても 決して 惡 いと は 云へ ない。 

舟橋 聖 一 氏 は 『新潮』 九月 號の 時評で 「意志と 自由」 とい ふ 事 を 新 文擧の 題目と して かかげて 

ゐられ たが、 これに は そこで もな されて ゐる 以上に 多くの 解說 がいる。 然も これ こそ 吾々 が 老衰 

の 中に 見失って ゐた 最も 大切な ものである。 吾々 は今靑 年の 自覺を 呼び もどして 潑 刺と 立ち あが 

るべ き 時代に 遭遇して ゐる。 



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a し贫乏 小説の 感傷に よって 兹 だ この頃の 文 舉が靑 年 的で あると いふ こと は 私 も 矢って ゐス。 力 

ああい ふこと は靑 年で も 老年で も 文舉の プリンシプル として 禁 すべき もので、 何の 根據 もな く 

「不安、 不安」 と^ 呼して ゐる など は、 誠に 滑稽と いふより 挨拶の しゃう がない。 私な ど は 何も 

不安な ど は 感じて ゐ ない。 不安 を 感じても いいが、 感じなくても 鈍感と は 云へ ない。 まして 誰れ 

やらの いひ 草で はない が、 ロシア 末期の 流行の 「不安」 など は 感じたくない もの だと 思って ゐる。 

國^ 31 係に しても、 通商 問題に しても、 或 ひ は 又 人 問の ことに 至っても、 不安 を 感じる 前に、 

吾々 日本人 は、 それ を處理 しょうと する 意志 を 持 出さなければ ならない。 但し 意志 を 持っても 尙 

ほそれが 解決 出來 ない とい ふの が 現在で ある。 然し それ だからといって、 安易に 不安 を 速 呼す る 

よりも、 默っ てこの 狀 態に 毅然と した 屹 立の 態度 を 持す る 者 こそ 最も たのもし いので ある。 

一二 木 淸氏は 『改 选』 九月 號に 於て シヱ スト フを 明瞭に 理解して ゐられ たが、 それが 不安の 感傷 

になって ゐる 現在の 如きで は、 若き 女性の センチメンタル とそれ は 何等 選ばない 結枭 になって ゐ 

る。 

神經^ とい ふ 素質が 優れた 素質 だとい ふこと は 最近 醫舉 の定說 であるが、 私 は 今 「不安、 不安」 

と兢ひ 叫んで ゐる 人間な ど を 見る と、 寧ろ 最も 鈍い 連中で はない かと 思って ゐる。 



私 は 時に それらの 人々 の小說 を 請み、 たまたま テク ジュ ベリの 『夜^ 飛行』 をよ み 所謂る ョ ー 

口 ツバ 人が 荖々 として 新ら しい 世界と いふ もの を ねらって ゐる ことに 1 つの 納得 を 感じた。 明ら 

かに ここに も靑 年が ゐる。 靑年以 外 によって 描け ない ものが ある。 あの 小說は 『ュ リシ I ズ』 ほ 

どに 大きく も壯盟 でもない。 然し その代りに 剃刀の 匁の やうに 時代の 面 を 研ぎ だして ゐる。 創意 

に^み、 なかなか 手 ごた への ある 未踏の 世界 を 漂 出して ゐる。 ^味に よっても の を 見ないで 「正 

確に 昆る ことによって 不思議」 に 到達しょう とする 意志に 燃えて ゐる。 

河 上 徹太郞 氏 はこの 間、 思想と それ を 代表す る 作家に 就いて 物語り、 現代が 思想に 對 して 最も 

熱心に 用意して ゐる こと を 指摘して ゐられ たが、 吾々 の 時代 は^く 體. 系 ある 新時代の 文 摩 !ii に 向 

つて 方向し なければ ならない。 

たまたま 『ュ リシ ー ズ』 の下卷 をよ む 辜に よって 私 は 多少の 感想 を 述べた。 必 すし もこれ は 

『ユリ シ ー ズ』 に舉 ベと いふので はない。 どっち かとい ふと 私 は ああい ふ 不分明な もの は 好まな 

い。 ただ 私の 言 はんとした ところ は、 吾々 の 文舉が 常に 文學 であらねば ならぬ ことと、 再び 何よ 

り も 靑养の 時代 を とりもどさ ねばならぬ とい ふこと である。 これ こそ 腐った 文^ を n 生せ しめる 

唯 一 の 力で ある。 



98 



偶然 論へ の反擊 

森山咚 氏に 

輿 のさき であしら ふか、 さう でなければ 單 なる 奇矯 言と してし か 偶然 論 を 取り あげよう として 

ゐな いのが 今日の 冇榇 である。 . 

或 ひ は 「今更 そんな こと を 論す る 必要が 何處 にある か」 と、 けむたい 顔 をしながら、 すまして 

ゐる のが 世 問の 狀態 である。 

だが 赏際 吾. _< は 長い間 「偶然」 とい ふこと に は 殆ど 無關 心に、 或 ひ は 常に 輕 蔑すべき 槪念 とし 

てこれ を 取扱って 來 たので ある。 それ を 今、 吾々 は 何よりも 大切な ものと して 取り あげよう とし 

てゐ る。 

誇張した 形容詞 も いらない し、 力み かへ つた 表現 も いらない。 一 つの 文^ 上の 論理と して、 最 

も rr:^ せられた 概念 を 最も 大切な ものと して 裏が へしに すれば、 それ はいいの である。 

ところ: i<i マ、 私 は 偶然 論に 對 して 最も 臆病な 赘成を 示した 三 技 博 音 氏 Q 文章 を讀 み、 叉 最も 大 



膽な 反擊を 試みた 森 山 啓 氏の 論文 を 見た。 

これらの 論文 は兩 氏の 立場から 云って、 誠に 良心的な もので あり、 當然の ものと 考 へられる。 

だが それらが 如何に 誤謬に みちて ゐ るか。 兩 氏の 立場 は 勿論、 マルクス主義 的 必然 思想に 立脚し 

たもので あり、 その 立場から 吾々 の 偶然 文學論 を攻擊 して ゐ るので あるが、 その 論理の 甚だ 生^ 

に 乏しい の を 如何ん ともす る 事が 出来なかった。 

何れ 兩 氏の 立論に 對 して は 精し い 批評 を 試みる つもりで あるが、 ここで は その 最も 顥 著な 1 1 一 

の 問題に 觸れ てお きたい。 

森 山 氏 は 『新潮』 八月 號に 於て、 「必然と 偶然と いふ やうな 問題 は 人が 人生 や 宇宙に 封す る 見 

方に 就て 根本的に ぐらつく たびに、 たと へ ただ その やうな 二つの 範疇に よって は 思考して ゐ ない 

にしても、 いつも 再吟味せ すに は ゐられ ない 性質の ものである」 と 云 ひ、 「誰でも 生涯の 一 轉機 

をな す やうな 自分に とって の 事件に 際して、 總 てが 分ら なくなった やうに 感 する 時が 何度か ある 

やう だ」 と 書き だして ゐる。 

誠に 正直な 吿白 である。 だが その あとです ぐ、 

「それ は 一見、 全然 豫 期に 反し、 叉說 明され 得ない かの やうに 見える もの も、 それが 集合され 

必然性 を 構成し、 また その 背後に 必然性 を 貫かせて ゐ る。」 



IOO 



と 安、 レ する あたりに なると、 吾々 は その 斷定に 甚だ 危險 を感 する ので ある。 いろいろな 事件の 

結果 を 見て 理由ら しい もの を 作る こと は 容易で ある。 然し これ は 常に 何 か を 逸脱して ゐ るの 力 必 

定 である。 

つ. A らな いとい ふ吿 白に は 謙虚な M 實を 見る が、 易 々として 必然性が 一 貫して ゐる ときめて ゐ 

る感级 て は、 人生への 餘り にも 粗末な 虚偽 を 見、 餘り にも 宇宙人 生 を簡單 に解釋 しすぎて ゐる公 

式キぉ を 見る だけで ある。 恐らく 森 山 氏 達の 宗 とする 人々 も、 しかく 單 純で あつたと は 思へ ない 

私な 吾々 の 日常生活が 如何なる 法則 を 以てしても^ 測し がたい ほど、 無限で ある 事 を 常に 經驗 し、 

叉 吾.^ の 法則 レー い ふ ものが 常に 四捨五入 によって 成立して ゐる ものである 事 を 知って ゐる 力ら で 

ある。 吾々 は蒈て 千古 を 貰いた 法則 を 知らぬ。 それ は 常に 新 現象に よって 刻々 に變 化し、 發展し 

て ゆく もので しかない。 この ことに 就て は 更に 深い 考察 を 必要と する が、 「一 つの 必然性に よつ 

てば かれて ゐる」 とい ふやうな 思想 を 訂正す るた めに、 先づ ここで は、 それ を 書き 加へ る だけに 

してお く。 

さて 岡 田 三 郞氏は 嘗て 轉向 作家の 良心 を 痛烈に 批判して ゐられ た。 私 は 感情的に は 寧ろ これら 

の 人 々を 毫末 も 責める ことが 出來 ない ので ある。 併し 一 つの 論理と して は マルクス 主錢と 云 はす- 

,^作家と 云 はす、 その 使用し 來 たった今 日までの 論理に 對 して は、 明らかに 良心的な 釋 明を耍 

求 せられても 仕方がないだら うと 思って ゐる。 . 



IOI 



吾々 は 吾々 の 「偶然 文擧 論」 を 吾々 の 日常の 感覺と 思考と から 築いた。 

吾 々 は 飛び ゆく 現實と し て 宇宙 を 見、 偶然 の 希望 によって 生かされて ゐる こと を 常に 感す る の 

である。 

そして それ を根據 づける ために 多少の 科 學說を 引用した。 これ は 吾々 の 所 說に對 する 最も 有力 

な 寄 與を與 へて ゐ るからで ある。 實際 今日の 科學 ほど 偉大なる 改革 を 吾々 の 思^の 世界に 持ち 來 

たって ゐる もの は 無い からで ある。 然るに 森 山 啓 氏 は 私の 引用した 文章 を 批評 し て 

r ハ ィゼ ンべ ルク 達の 結論が 全くの 獨斷 でない と は 何に よって 保證 されよう。 それが 獨斷 でな 

い 事 を保證 する 爲 めに は 中 河 氏 は 公衆の 前に、 ハ ィゼ ンべ ルク 達に よる 「不確定性原理」 や 「因 

栗 律の 否お」 がその 上に 立てられた 學的根 據みづ から を 吟味され ねばならぬ」 と 批評して ゐられ 

る。 全く これ こそ 一 百 語に 絕 した r 獨斷」 でし か あるまい。 私が 先き に 大膽と 批評した の はこの こ 

である。 今日 ハイゼンベルク を 「罪 ある 獨斷」 と 云って のけられ るの は 恐らく 森 山 啓 一 人位な も 

ので あらう。 

これ は 今日の 物理 學に 於け る 一 つの 「原理」 である。 實驗と 計算に よって 到達した 結論で あつ 

て、 これ を 獨斷と 批評す るに 至って は その 無謀 さとい ふか、 偏見と いふか、 救 ひ 難い もの を すら 



102 



感 する。 - 

平生 「科 舉、 科學」 と^ 呼しながら 如何に 科學的 精神に 缺 如して ゐ るかと いふ こと はこの 一 例 

を^ても^ 分に わかる ので ある。 

然も 私に 「み づ から その 原理 を 吟味せ よ」 と 云 ひ、 岡 邦 雄 氏 を 引き あ ひに だして、 ハイゼ ンべ 

ル ク のお 斷を證 明しょう とするな ど、 その S? 氣には 恐れ入って しま ふので ある。 

今 曰の 物理的^ 界觀 は、 多くの 赏 験 的 結論で あるが 故に、 その 結論 を 誤りな く 引用 すれば それ 

でよ いので ある。 吾々 は それによ つて 多くの 便利 を感 する ので ある。 寧ろ 今日の 深遠なる 物理 擧 

の を 吟味して から 文 攀論を 書くな どと いふ やうな こと は 決して あり 得る もので はない。 又 左 

樣に简 ^な もので はない ので ある。 科舉の 結論 は 萬 人の 實驗 に訴 へる 結論であって、 吾々 素人が 

餘 計な 吟味な どして、 それが 決して 適當な 害がない ので ある。 

^ほ^ 山 氏 は 私の 引用 を 批評して、 

「 一 方で は 科舉的 所^ をた よりたがら、 他方で は そのこと によって 科學的 探求の 前途 を さ へ ぎ 

つてね る」 とい ふので ある。 

今日の 枓學の 結 論 を la 驗せ すして 引 W する ^ がいけ なければ、 森 山 氏の 引用す る 岡 氏の 如き も 

明らかに その 一 人で あるに 遠 ひない ので ある。 

然も^ 氏が 如何なる 研究 を 試みて ゐられ るか 忖度の 限りで ない が、 岡 氏と ハ ィゼ ンべ ルク では 



i。3 



比較の しょうがな からう。 そんな こと をい へば それが 同氏 へ の失禮 になる こと を 森 山 氏 は考へ ぬ 

ので あらう か。 

私は單 なる 科舉 說に對 して は 素人に すぎない。 然も 岡 氏の 所說 であると ころの 「原子 內の签 間 

構造」 などと いふ 說に 至って は、 吾々 にさへ その 混亂 ぶりが 明瞭に 見える ので ある。 ハ ィゼ ンべ 

ルク を獨 斷と斷 する 爲 めに 岡 邦 雄 氏 を 引用す るな どナ ン センス 中の ナンセンス ではなから うか。 

若しも 「原子 內の签 問 構造」 が 本當に 岡氏說 であるならば、 吾々 は 更らに その 不思議な 狼狽 振り 

に樊驚 せざるを得ないの である。 

私 は 森 山 氏の 「偶然 論」 への 否定が、 その 根本に 於て ハイゼンベルク を獨斷 とすると ころから 

始まって ゐる 以上、 最早 それ を 正當な 論理と して はとり あげ 難いので ある。 科舉 精神の 缺乏 と、 

誤謬と、 獨斷 と、 その 薄弱な 論理的 根據は 殆ど 今日の 新ら しい 論理に は堪 へない ものであると 感 

する ので ある。 

吾々 は 「不確定性原理」 だけによ つて 吾々 の文學 論理 を 解決し ようと は 毛頭 考 へて ゐ ない。 そ 

れは 1 つの 引用であって 吾,^ の 主張で はない。 吾々 は 更らに 高次の 偶然 を その 奥に 見る ので ある * 

然し 今日の この 論理 を 易々 として 獨斷 とする が 如き は、 それ こそ 必然 論者の 盲信で あり、 簡單主 

義 であると いふより 仕方がな いので ある。 



io4 



三 

森 山 氏 は 私が 今日の 文舉を 殺す ものが 必然 論で しかない とい ふこと を 云った のに 對 して 殆ど 答 

へて ゐられ ない。 私 は大體 必然 思想と いふ もの は 極めて 小さい 世界 だけに 限られた 法則であって、 

それによ つて 吾 々の 世界 も文學 も解釋 し、 批判 出来る もので はない 事 を 云った。 矮小な 必然 論に 

よって 宇宙 を 縛る こと 位 今日の 世界に とって 不遜な こと はない、 とい ふこと を 云った。 

文學 とい ふ もの は 常に 割り切れない 宇宙の 不思議に 向って 追究して ゐ るので あって、 それ は殆 

ど述 命に 近い 不可解 を 認識す る 喜びと 苦しみの 中に あるので ある。 

森 山 氏 は 「雨 も 木の 槳も 地球の 中心に 向って 落ちる とい ふこと は、 最早 疑 ひ 得ない 法則で ある」 

といって 安心して ゐられ る。 私 も それ を 一 つの 物理的 結論と して 認める ので ある。 然し 一一 ュ I トン 

以前に は 誰も それ を 法則と は考 へなかった ので ある。 寧ろ 人々 は その 說の 誤り を 感じた に 遠 ひな 

いので ある。 それ は ガリレオが 地動說 によって 迫害 を 受けた のと 同斷 であるに 違 ひない。 卽ち吾 

吾 は 決して 1 つの 法則の 中に あるので はない。 無数の 法則 を 持って ゐ るので ある。 萬 有 引力と い 

ふ もの も 地動説と いふ もの も、 決して 永遠 不動の ものと は 限らない ので ある。 何時 これが 新ら し 

.S 理論に よって 改革せられ るか、 それ はわから な. S ので ある。 この こと を自覺 しなければ 本當の 

科舉 精神への 畏敬と 努力と を 持って ゐる とはいへ ない ので ある。 吾々 は 科學を 信用す る。 森 山 氏 



i。5 



の やうに それ を獨斷 などと は 批評 しないの である。 然し 科擧は 刻々 に 固定した 觀念 を破壤 して 常 

に^ 行 するとい ふこと を 知って ゐる。 

この こと を自覺 しなければ、 それ は 一 つの 懷疑 論、 神祕 説になる だら う。 然し それが 犟 なる 懍 

疑、 ^祕と 興なる 所以 は、 常に 實 験 的弒結 によって 無限に 深い aa 貰 を 探求 するとい ふところ にあ 

るので ある。 

大 いなる 偶然の 屮の 一 つの 幻影、 或 ひは說 明と して、 吾々 は 必然 を 認めよう とする。 一 つの 夢 

としての み 必然と いふ ものが 確率から 抽象 せられる 事 を 知って ゐる。 偶然への 要請と しての みそ 

れ を^お する。 然し 決して それが 容觀 的に 永遠な 眞實 でもなければ 「現實 性 ある 可能性」 とも 斷 

走し がたいの である。 

總 ての 存在が 偶然で あるが 故に 必然が 存在し、 一 つの 正確さ を 保存し 得る ので ある。 それ は戶 

坂 氏が いふ やうに、 決して 必然の 中に 例外的 偶然が あるので はなく、 偶然の 極めて 小 部分と して 

必然が 存在す る のでし かない。 

森 山 氏 は 「偶然 性 は、 石 原 氏 や 中 河 氏の 幻想の 中に 於て は、 無 源 因 的な もので しかない が、 現 

赏 において は それ は 無 源 因 性で はない」 といって 石 原 純 氏 や 私 を攻擊 して ゐ るので ある。 然し 多 

くの 無: の 中に 生活す るが 故に 吾々 は 多くの 不可解に 衝突す るので ある。 寧ろ 今日、 吾々 が經 

驗 する もの は 全部が 全部、 從來の 法則 を はみだして ゐ るので ある。 はみだして ゐ るが 故に 吾々 は 



io6 



文舉 し、 文舉 の深遝 さ を 思 ふので ある。 寧ろ 單 一なる 原因に 歸 せられる 何物 も 存在し ない。 

森 山 氏 や 一二 枝 氏 は 必然の 中に 例外的な 偶然が あると いふ。 然し それ は 明らかに 反對 なので ある。 

吾々 は 人生 を 「丁 半」 と はおへ ない が、 吾々 の 生活が 常に 新ら しい 希望 を 持って ゐ るの は 飛び 

ゆく 现^、 偶然の^^ の 中に 吾々 が 生きて ゐ るから だと 考へ てゐ るので ある。 

それ は 九 鬼 周 造 博士が いふ やうに 「偶然と いふ こと を眞に 感得す るた めに は、 一 種の 官能 を 有 

つ ことが 必^で、 この {R 能を冇 たない 人 を 説服す る こと はかなり 困雜 であらう」 (『翰林』 八月 號參 

照) とい ふ^ 言に 思 ひ 至る ので ある。 私 は 何よりも 今日の 文學 精神 を 更新す るた めに 偶然 論が 必 

要で あると 信じて ゐる。 

今日の 文蔡を 縛り、 乾燥 させて ゐる ものが、 明らかに 盲信の 中に ある 矮小なる 必然 論で ある こ 

と は、 ^早 私に は 何等の^^ もな く 云 ひきれ る眞實 である。 

私 は 森 山 氏が. ぉ敢に 自己の 理論 を說 明しょう とせられ たこと は稱讃 する ので あるが、 その 方法 

の^^に ついては, 視 する ことが 出来なかった ので ある。 誠に 暑い 話で あるが、 私 は 今暑氣 のた 

めに 却って 多少の 元氣を 冏^ して ゐる。 

(『諠 贾 新聞』 昭和 十 年 八月 一 日) 



人間的 牽引力 



千 八 百 二十 七 年、 十月 七日のと ころで、 エッケ ルマン はゲ ー テの 談話 を 次ぎの やうに 記して ゐ 

る 

—— r 戀人 同士の 間で は」 とゲ ー テ はいった。 「この 磁力が 特に 强ぃ だけでなく、 非常に 遠く 

へ 働く。 私が 青年時代に 獨 りで 散歩して ゐ ると、 戀 しい 娘に 逢 ひたくて たまら なくなり、 娘の 

こと を考 へて ゐ ると、 終に 娘が 向 ふから やって 來 たやうな ことが 度々 あった。 「部屋に ぢっ とし 

て ゐられ ませんで した」 と 娘 はいった。 「ここへ 來 すに は ゐられ なかった のです」 ともい つた。 

また 隨分 逢へ なかった 娘と 偶然 すれちがった 時の こと をゲ ー テが つぎの やうに 話した、 こと を 

記して ゐる。 

I 擦れち がって 腕と 腕と がふれ た。 わたし は 立ち どまって 振り か へ つた。 女 も 振り か へ つた。 

「あなたでした か」 と 女が いった。 女の なつかしい 聲に氣 がつ いた。 「到頭」 と 私 はいった。 淚 



io8 



が 出る ほどうれ しかった。 互 ひに 手 をと り 合った。 「では」 と 私 はいった。 「希望に 裏切ら 

れ なかった。 切ない 思 ひで 探して ゐ たのです。 きっと 逄へ ると いふ 氣 がして ゐ た。」 すると 女 

が 「何故い らっしゃらなかった の。 今日 ふともう 三日 前から ぉ歸 りに なって ゐ ると 聞いて、 も 

うお 忘れに なって ゐ るん ぢ やない かと 思 ひ、 午後中 泣き通しました。 それから 一時 問 前から た 

まらな く贵 方に 逢 ひたくな つて じっとして ゐられ ませんで した::」 かう して 女が 厕 心 こめて 

話して ゐる問 中、 われわれ は絕 えす 手 をと りか はし、 抱擁し、 別れて ゐても 心の 變ら なかった 

こと を 知らせあった —— 

デモ- 1 ッ シ ュ 

ゲ ー テ はさう いふ 事件に 人智の 計り知れない 不思議、 精 镊的を 見ようと した。 だが 大體ゲ ー テ 

の 思想と いふ もの は、 大變 平衡が とれて ゐ るから 吾々 に 少しの 不安 も與 へない。 然し かう いふ も 

の は、 謙虚 さなく して、 その 不思議 さ だけ を强 調す ると、 一種の 神祕 主義に 轉 化する 恐れが ある。 

ヰル ヘルム. フォン. ショル ッ はかう いふ 人間の 牽引 作用 を 一 冊の H ッセィ として 「偶然 1 1 

一名、 遝 命の 豫備 形式」 とい ふ 本 を 出して ゐる さう であるが、 かう いふ 事件と いふ もの は 人智の 

計り 難い 深遠 を のぞかす 一 例と して は 適切で あるが、 かう いふ 事件 だけで 人生 を解釋 しょうと す 

る こと は 明らかに 問 遠 ひで ある。 私 は 私達の 偶然 論と いふ もの を 一 種の 祌祕 主義 だけと して 提出 

する ことに は 非常な 危險を 感じて ゐる。 

今日の 偶然 論と いふ もの は、 人智の 計り しれない 無邊 際に、 驚く ものであると 同時に、 その 無 



lop 



邊 際の 驚きに よって、 われわれの 生活 を 生き生きと 感じ、 躍動させる ところに ある。 

共産主義者 達が 唱 へたと ころの 必然 論 II それ は 彼等の 曲解であった ところの、 その 押し こめ 

られた 窮屈 さと、 狹 小さと、 乾燥から 脫出 すると ころに ある。 

人生と いふ もの は 明らかに、 必然 論者が 計算す る やうな 宿命 ゃ偏狹 さの 中に ある もので はなく、 

もっと 飛翔し、 思 ひっき、 潑剠 として 悲痛と 歡 喜と を 同居させる ものである。 それ は 今日の 熱 力 

畢 の改變 によって、 地球の 永生 を さへ 主張しょう とすると ころの 一 つの 革命的な 思想で ある。 一 

つの 必然と して 地球の 冷却 を豫 言して ゐた 科學は 寧ろ 今日 光明 を以 つて 地球の 永生 を說 明しょう 

とさ へ する ので ある。 

r 一 

共 產主篛 者 達 に吿 ぐべき 言葉 はすで に 多く を 費した。 私 は 最早 彼等に いふ 必: 娈を 認めない。 

彼等 は 常に 「必然」 とい ふ。 だが われわれ はかって 明 曰の こと を、 たった 一秒 さきのこと を さ 

へ 知った ことがある だら うか。 忽然と して 何 か を 感じる こと は ある。 然し それ は 決して 必然から 

來る ものではなくて、 ^大な 沈默を 持って 橫 たはって ゐる 偶然に 對 する 畏敬から に 他なら ぬ。 わ 

れ われ は 明日の 未知 を 思って われわれの 生活 を 築く ので ある。 この 何よりも 強烈な 事 實に思 ひ 至 

れ ば. 必然な どと いふ 小 思想に 安心して われわれ は 決して ゐられ る もので はない。 



必然 思想と s ふやうな もの は 最早 今日で はわれ われの 古典 性格が 作った 迷信 だとい ふより 仕方 

がない。 

われわれ は 確かに 過去 を 計算して、 その 中に 多くの 原因 結枭を 見つける。 然し それ はヒュ I ム 

がい ふやう に、 W 互の 印象 を 不完全な 前後 關 係に 於て 連結したり、 特殊な 歸納を 行 ふからで あつ 

て、 その^ 據 にわれ われ は 依然として、 その 法則に よって 何事 を も 知り 得ない ので ある。 

われわれ は 依然として 筮 竹の 音に 恐怖し、 姓名の 字 格の 神秘に よって 威^せられ てゐる 人々 を 

見る。 

われわれ は法刖 によって 生きよう とする 意志に 人間の 壯烈な 營みを 見る。 然し 法則 を 必然と 考 

へ、 全部で あると 考 へる こと はやめなければ ならない。 

赏際 をい へば、 未来が 不可知で あると 同じ やうに、 現在 も 過去 も、 事實の 記錄は 有り得る とし 

て も、 不可知で ある ことに は變 りがない。 

これ は 時 11 の 論理に おける 可逆性であって、 私 はか やうに 見る 事に よって 偶然 論と いふ ものが 

gfw 的に 政:: 遍 的になる の だと 思って ゐる。 これ こそ 主 觀と客 親と 通した 唯一 の眞實 であって、 眞 

莨の 持って ゐる 不思議で ある。 私 は ひとと ほり、 これらの 不可知 を 「{4.: 間と しての 偶然」 と 「時 

としてのお 然」 とに わけ、 「時 問」 とい ふ 概念に よって、 さらにす ベて をお 理 すべき ものと 考 

へ てゐ る。 



1 1 1 



われわれ は 普通、 偶然と いふ もの を豫 期と 關 連して 未来の 時間 だけに 限り やすい。 然し 過去 も 

現在 も、 卽ち 筌 間 的な 事實 も經驗 も、 すべてが 時 問の 中に 出沒 する ものであって、 それら 全 體が偶 

然 なので ある。 卽 ちわれ われ は 過去 を解釋 したと 思っても、 それ は 未来と 同じ やうに 解 釋出來 る 

もので はなく、 ただ 一つの 確實に 接近して ゐる にすぎない。 かくてす ベて は 「緊張した 時の 流 

れ」 であり、 その 「純 粹持 綾」 とい ふこと がべ ルグ ソンに おいて は重耍 になって くるので ある。 

ただ われわれ において は 時間 を 精神との み 解 しないと ころに 彼との 隔たりが ある。 

常に 時 問の 流れの 中に 於て 吾々 は 緊張した 意志が 起伏す るの を 見る。 人 問 的 牽引力 はかくの 如 

くにして、 その 緊張した 時間の 中に 出沒 する。 それ は 明らかに 一 つの 不可解で あるが、 高次の 偶 

然に 於て 吾々 はかくの 如き もの を 明らかに 感じ、 これ を 否定す る ことが 出来ない。 

われわれ 文藝の 徒が 日常茶飯 を寫 し、 また 高踏の 氣 魂に 立ち、 それぞれの 小說 を構迭 しょうと 

して 思 ふこと は、 常に 過去 も 現在 も 未來も ひとしく この 不思議な 偶然で 充滿 し、 この 偶然 を 洞察 

し、 慧感 すると ころに なければ ならない。 かくの ごとき 謙虚 さに おいての み われわれの 小 說は常 

に 不可解の 發展 と、 事實 とに よって われわれ を 魅惑し、 驚かす ので ある。 ただ その 偶然の 中で 常 

に 人 EI が 自分の 幸福 を 希望し、 意志して 生きて ゐ ると いふ ことが、 個々 の 偶然 を 聯珠の やうに 見 

事に つづり あはせ るので ある。 

2 

われわれ は 何でも 不可知 だと はい はない。 さう いふ 感 偽に 陷る こと は 何よりも 危險 である。 然 I 



しすべ て の 物が その 基底に おいて 不可知で あるが ゆ ゑに 小說 しょうと し、 科學 しょうと する ので 

ある こと を 知らなければ ならない。 恐らく 碩舉 にして 初めて 學 問の 渺々 たる を 知り、 練達 者に し 

て 初めて 物事の 遝命を ^觀 して ゐ るに 違 ひない。 何も 祌の 設定 を 待た なくと も、 吾々 の 心に、 一 

片 敬^の 心情が あれば、 お Q づ から 愛と 信 實とを 精神の 奥深く に感 する のにち が ひない。 

われわれ は 過去の 必然 論、 殆ど 全部の 人々 の 心を囚 へた 必然 思想と いふ もの を、 どうしても 一 

度 かなぐり 扮て なけば ならなら ない。 (『大 阪铥日 新閎』 六月 サ七 R0 



13 



3 き 余 ^ 

1. 一一, 一 a- TPIF 々&i <Bi 

モヅ アルトと サリ ェ f リ 

このごろ ブ I シ ュ キ ンの 詩篇 『モ ッ アルトと サリ ェ I リ』 を 讀んで 大變に 心う たれた。 こんな 

に 見事な 敍事詩 はそんな にある もので はない と 思った。 

一 一人の 昔樂 家^ ある サリ ェ I リとモ ッ アルトが どんな 經 歷を以 つて 近づきあった のか は 知らな 

い。 然し この 二人の 藝 術に 對 する 死に 身の 渴 仰と いふか、 切矮 とい ふか、 銃爭の 心理が K に 美し 

く 構^せられて ゐ るの を 見て 驚いた。 三百 行 位の この 叙亊詩 は 一 一人の 天才の 會 話で 出 來てゐ るの 

だが、 先づサ リエ I リの獨 白から 始まって ゐる。 

人 はいふ、 この 世に 眞理 はない とい ふ、 

しかも、 あの世に も眞理 はない もの を、 

私に は 何の 奇 もない 音階の やうに、 はっきりして ゐる。 

生れながら にして、 私は藝 術に 心 を 寄せて ゐた。 



114 



いわけない 子供で ありながら、 あの 古めかしい 敎會 堂に 

^ら かに オルガ ン の ひびき 渡る とき、 

私 は 耳 傾けて、 ただ うっとりと 聽 いてね た、 

ゆく りなく、 快い 淚 流して。 

初め サ リエ ー リの 今日までの 經歷が 物語られる。 その 時、 突如と して モッ アルトが 現 はれる。 

今までつ ぃぞ 人に 羨望 を 感じた ことのない サリ ェ ー リの 心の中に、 モ ッ アルトの 驚歎す ベ き 天才 

に时 する 嫉視の 心が 湧き あがって くるので ある。 然も 「たはけ 者の、 爲す こと もない 男の 中に 

ある」 音樂の 才能に 對 して。 

ところが その 嫉視 は モッ アル トに對 する 理解と 尊敬と が 深まれば 深まる ほど 烈しくなる もので、 

その では モ ッ アルトに とって はサ リエ ー リは 最も 深き 友達で あり 叉 敵であった にち が ひない * 

サ リエ ー リ はふと モ ッ アルト を 毒 しょうと 考 へる。 十八 年 問 彼が しまって ゐた毒 槩の苺 を 思 

ひだす。 私 は 彼が 十八 年 問 自らの 身近く に ィゾ, I ラの 贈り物、 毒物 をし まって ゐ たとい ふ 偶然 に- 

こ の 詩の 深さと サリ ヱ ー リの 性格 を 見る ので ある。 サリ H 1 リの 中に ある 不思議の 性格と 作品 Q 

構^の 深 逮さを 見る ので ある。 

さて サ リエ ー リは莨 ^と 哲理の 屮 で その K 行 を 迷 ふ。 ところが モッ アルト は旣に 或る日、 神秘 

の r 黑ぃ 入」 の 訪れ を 受けて、 一 篇 q 「哀悼 曲」 を 製作して ゐ るので ある。 この 邊の 呼吸の 切迫 



H5 



と、 作者の 作品の 構造 力に は 誠に 頭の 下る 思 ひがした。 私 も 嘗て 「毒 藥」 と 「黑ぃ 人」 と を 或る 

作品の 一 つの 狀 態として 結び あはした ことがあった。 然し この 詩 を 見て 自分の 乏し さ を 深く 恥ぢ 

る 思 ひがす る。 

さて モッ アルト はサリ H 1 リの爲 めに 毒の 杯 を 捧げられて 飮 むので ある。 その 時 彼 は 「哀悼 

钳ー を ピアノに 向って 彈き つづけて ゐる。 萬感 胸を壓 して、 その 曲 を 聞いて ゐるサ リエ ー リ はこ 

の 世に 於け る 最も 深刻な 鬼氣 迫る 聽き 芋で あつたに 違 ひない。 

この 淚、 

初めて 流す この 涙、 痛ましく、 また 快よ いこの 淚、 

重 苦 しい 義務 を 恰も 果 したやう に、 

^おの メ スが、 患部 を 見事に 切り とってくれ たかの やうに、 . 

ああ モッ アルトよ、 この 涙:. 

氣 はとめるな、 この 淚、 つづけて、 さっさと、 

この 胸 を、 もっとも つと、 高い 調べに 充 たして くれ:: 

すると モッ アル トは心 わななかして 聞いて ゐる 彼に 

世の 人の、 誰れ も 彼 もが、 諧調の 力 を 

これほどに 感じて くれる も のなら ば! 



16 



とい ふので ある。 それ は惡瀵 でも 善人で もない わからない^ 神の 高揚で ある。 藝 術の 精神の 中に 

ある 鏝も髙 調した 音で ある。 私 は 久しぶりに 讀み、 心 洗 はれる 思 ひがした。 譯者は 中 山 省 三郞氏 

で、 ブ ブノフ 女, おの 揷繙 がつ いて ゐた。 私 は數日 座右に 置いて 幾度 も 眺め、 又よ みかへ した。 

偶然 論と モ ラ ル 

r ゲ ー テ との 對^』 を讀 みかへ しながら、 ゲ ー テが 一種の 善惡を 越えた 世界に 對 して、 渴仰を 

持って ゐ たこと を 今. m らに 感じ、 然も その 中に 更らに 一 段と 高次の、 別の 秩序の 世界 を 彼が 感じ 

てゐ たこと が 察 しられ、 面白かった。 

常時に 於て 天 下 を 風哓 して ゐたカ ント 哲舉の 中に ありながら、 その 窮屈な 世界 だけにと どまれ 

や、 常に 飛^しよ うとして ゐた樣 は、 何 か 今日の 偶然 論に 大きい 示唆 を與 へる ものが ある。 

彼 は 云って ゐる。 

「おもしろき 盗賊 をく だく だしき 正直者に 變 へる 事 は祌の 心で はない」 

义 作品の 中で、 古今の 天才 者を醉 ひどれ ゃ氣違 ひに 比較し、 或 ひ は 自殺の 勇 氣を辯 護して、 必 

すし も それが 弱者の; 勇氣 でない こと をい つて ゐる ところな ど、 なかなか 諷刺 的と 思った。 彼 は 善 

恧を いって ゐ るので はない。 人間の 精神の 高調と 熱情と を 讃美して ゐ るので ある。 彼に 於け る 調 

和 はさう ぃふ荧 の 中に あった やうに 思 はれる。 



ひ 



私 は 今日 の 日本 ほど 人が 無 思想に 今日 の 道德に 反撥して ゐる 時代 はない と 思って ゐる。 或 ひ は 

今日の 道德に 無意味に 朿縳 せられて ゐる 時代 はない と 思って ゐる。 

今日の 文擧は 殆ど 今日の 道德に 何の 批判 もな し 得ない ので ある。 それ どころ か、 日本で は 道學 

的 風貌が 最も 尊重 せられて さ へ ゐ るので ある。 

ただ 吾々 はァ ン ドレ. ジ イドと D . H. ロレンス に 於ての み、 今世紀に 於け る モラルへ の 批判 

を 見る ので ある。 古典的な 人問觀 への 反抗と しての 新ら しい 人間性の 開放 を 見る ので ある。 ジィ 

ドに 於て はこれ は 一つの 觀念 として、 n レンスに 於て は、 それ は 一つの 肉 慾の 問題と して。 

赏際 『背德 者』 にしても、 『チヤ タレ ー 夫人の 戀人』 にしても、 何 か 人 11 性への 開放 を、 彼等 

は^; 赏な 態度に 於て、 これらの 作品の 中で 求めて ゐ るので ある。 

彼等 は 決して 世渡りな どは考 へる 暇がない ので ある、 道德 的な 假面 など はどうで もい いので あ 

る、 人間の 眞 K に觸れ ようとして 彼等の 作品 を 構造して ゐ るので ある。 結婚 制度 や、 貞橾觀 念の 

訂正で はない。 通俗 モラ リズ ム へ の 痛擊を 身を以 つてして ゐ るので ある。 

その 意味で 吾々 は、 今日の 偶然 論と いふ ものが、 + 日の モラル を、 低い 秩序、 狹い 必然 論から 

開放す る爲 めに も、 大きい 力 を 持って ゐる こと を 認識し なければ ならない。 

吾々 は 人 問 生活 を 一 度 偶然の 中に 開放し 總 ての 基準 を破壞 しなければ ならない。 00 

善を强 調す る ものと しての 惡と、 惡を 誇張す る ものと しての 善の 作用 を、 偶然の 中に 見な ほし I 



て 吾々 の逍德 を 破壊し 再生し なければ ならない。 

かくの 如き 立 揚 に 於ての み、 吾々 はゲ ー テの 片言 雙句を 理解し、 叉.、 ン イド や n レンスに 親近す 

ろ ことが 出來 るので ある。 

私 は敢て 破壊と いひ、 W 生と いふ。 

然し 誰であった か、 偶然 論 はた だ 秩序 を 無視して 放恣に 流れる もの だと 批評して ゐ るの を 見た。 

なるほど 今日の 偶然 論と いふ もの は、 小さい 必然的 道德、 低い 秩序、 これらの もの を 先 づ破壌 

する ので ある。 だが エディントンが 批評して ゐる やうに、 今日の 偶然 論と いふ ものが、 從 來の必 

然論 以上に 反って 大きい 秩序と 高次の 豫斷と を 吾々 の 生活に 與 へる ものである こと を 私 は 確信し 

てゐ る。 

禺 然と は 無 思想 や 無秩序で はなしに、 更らに 深い 思想で あり、 高い 秩序への 要求で ある。 人 は 

明敏なる, 械智 としな やかな 感情に 於て こ の こ と を 理解し なければ ならない。 

私 は 今日 ほど 噓の 叫びで 文藝が 毒され てゐる 時代 はない と 思って ゐる。 

吾々 にと つて^ら に 一段と 高い 思想で あり、 秩序で あると ころの ものが、 その 茫漠 として ゐる 

爲 めに、 反って 現在に 封す る破壤 放恣との み解釋 せられて もこれ は 仕方がない。 小さい 聰明 さと 

小さい 强 記さと、 小さい 明敏 さと を 誇って ゐる やうな 批評家 や 作家な ど は 最早、 吾-べに とって ど 

うだって よ. S ので ある。 



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『ュ i レ 力』 

西 村 孝 次氏譯 すると ころの ァラ ン • ボウの 『ュ, I レカ』 を 一 讀 した。 

货は證 みながら 讀み いそぐ ことの 矛盾 をし きりに 感じた。 一 一度 も 三度 も讀 みか へ してみ たかの 

である。 耷は數 度の 讀 筏の 後に この 文章 は 書くべき である。 然も 私 は 書きい そぐ ことの 矛 质を感 

じて しま ふので ある。 

宇宙の 構造と、 天體の 運行と を、 かく も 指呼の間に 幻想し、 計算し、 宇宙の 壯大 さに 比較して 

人間の 小 ささを 冷酷に 嘲笑して ゐる哲 擧書を しらない。 これ は 高き に 就かん とする 最大の 悲劇の 

睿 である。 

然も 彼 は 自己の 所信 を赏證 せんとして、 一一 ュ, 1 トンと ラプラ ー スを 引用し、 彼の 好む 幾多の 科 

^説 を 用意し、 冗談と 比喩と で 武装して、 己の 所說 に益ミ 熱中す るので ある。 

彼が 地上の 生活に ありながら 天上に あ こ がれ、 そ の 壯麗 無比 の 签想 に かく も 熱情 を 傾け つ くし 

てゐ ると ころに 彼の地 上 的な 悲劇が あった やうに 思 はれる。 

然も 天 體を考 へる 時、 彼に 於て 總ては 茫然と して 雲散霧消 したに ちが ひない ので ある。 

『ュ ー レカ』 を 請んで ボ ー ル • ヴァレ リイ は、 その 「 祌話 性」 に逹 したと いふ ことで あるが、 

こ に- 混沌 茫漠た る签 中の 案內 記に もま し て 立派な 宇宙 詩 を 私 は讀ん だ ことがない e 



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彼の 哲理の 構选 は、 先 づ天髓 の 問に ある 輻射 カを說 明し、 引力 を 説明し、 更らに これらの 作用 W 

を 牽引と 反 茂と いふ 二つの 觀 念に 於て 兑、 宇宙 を この 二つの 觀念 によって 整理し、 更らに 人 問 を 

整 S し、 その 中に 肉體 と^ 魂と が 手つな ぎして ゐる こと を說 いて ゐ るので ある 

e よりも この 不思議な 一 冊 を よんで、 彼が 古今の 文學に 於け る 唯一 孤高の 哲攀 者であった こと 

を 吾々 は 感じる ので ある。 {ぉ際 彼の 思 ひあがった 幻想の 樂 しさぐ らゐ、 吾々 の 胸 を 打つ もの はな 

い。 然も このお によって 彼 は 多くの 批評家と 尊 門 家の 嘲笑 をお つて ゐ るので ある。 これほど^ 快 

な现 象なん て 滅多に ある もので はない。 

赏際 吾. ^は、 引力に よって 引きあって ゐ ると いふ 宇宙 物質の 構造と いふ もの を考 へる 時、 その 

凝の: ±! 舅 さに^ くので ある。 ラプラ ー スを引 川しながら 尙ぼ 且つ ボウが 一 つの 虚無的な 忍考 

の屮 にあって その 狀態を 思って &る 時、 彼 はふと して 吾 々の 思想が 何故に 天界に 引きつ けられる 

かと 考へ ただら うか。 

ュュ, - トン は、 物質と いふ もの は、 物質の 質量と 距離の 相乘 積に よって 引きあって ゐる といつ 

てね る。 これ は 吾. ^が 年少の 日に 習った 物理 舉 であるが、 私 は 人間が 天 界に思 ひ 引力れ る 時、 一 

入の 人 問 が 吾."? 地球と si: じ 質量と なり、 太^に 向って、 月に 向って、 宇宙 的な 牽引 を 感じて ゐる 

おに^ ひ 至る ので ある。 

ァ ラン • ボウが 述べて ゐる もの は、 確に 多くの 天 體と對 立す る! 人の 巨大なる 遊星と しての 彼、 



彼 自身の 祌^ である。 この 中に ある 彼 は 明らかに 一 つの 超人で ある。 私 は 私の やうな 者 さへ が、 

IK^; への 思慕に 佇立す る 時、 何時も 自分が 最も 大きい か、 最も 微小な 存在に 忽然と して 變 化して 

ゐ る^に 氣付 くので ある。 

さて 私 は 人間が 地上 を^ 匍す る ことに も 一 つの 美し さ を 見る ので ある。 これ は 今日の リア リズ 

ム であり、 人間 生活の 現實 である。 然し この 匍匐 だけで はどうしても つまらない。 

ボウ はこの 一 冊の 屮で、 「匍匐が 樣々 な 歩き 方 中、 誠に 以 つて 素晴らしい 奴 だって こと を、 今 

更 君に 云 ふに も 及ぶまい」 と あると ころで 述べ、 地上 を 這 ひ 廻って ゐる人 問 を 諷刺して ゐ るが、 

今日の 文舉は 彼が 諷刺す る やうに 全く 匍匐の み を、 素晴らしい 奴と 考へ、 リアリズムと 考へ、 地 

上の^: に 術 突して よろこんで ゐ るので ある。 

私 はかく も 天上に 憧れる こと を しらぬ 文擧の ある こと を 知らない。 

私 はこの 書の 如き は 百の 现! i よりも 千の 創作よりも、 今日の 文^に とって 最も 大切で あると 忍 

つて ゐる。 然も 西 村 氏の 譯文 はよ く 原語の 口調 を とらへ いいと 思った。 

最後に 譯 者の 註 を 引用す るが —— 彼ァラ ン . ボウ を 文 擧现論 史上 品隧 しょうと するならば、 コ 

ウル リヂ よりも ヒ ュ I ムに 流れる、 王 底 音の 極に 彼 を 聞くべき こと、 又 カント 哲學の 涖稽な 食 ひ 心 

俸と ベルグ ゾ ン 風の 直 觀锊學 者 フッサ I ルに 赏 問す る 若い 學 生の 吃々 として 唄 ふ 無染の 雅歌との 

間に ボウ を 置いて 考 へねば ならぬ こと、 义グン ドルフの S 限度な 動 搖と遝 動への 渴望 並びに 憧 



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饧」 としての 形態 及び 創迭へ の 意思と しての 古典 主貌者 との 間に ホウ を 定位す ベ きこと I. とレ 

つてね るの は * 誠に ボウ を 知る 者の 至言と 云 ふべき である。 

吾 A は 吾々 の忍考 と ボウの 哲擧 との 間に、 一 つの 交流 を 感じて 更に 害び を 感じる ので ある。 



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小說に 於け る 偶然と 人生に 於け る 偶然 

三 校 博 音 氏 に 

偶然 論の 提出に 對 して 二三の 論者が これ を揣摩 臆測して ゐ るの を 見た。 これらの 論者 は^て つ 

ぃぞ 「偶然」 とい ふ 事 を 口にさへ した ことがなかった ので ある。 然も 平然として 今日 「偶然」 を 

認め、 「偶然」 の 大切 を 理解した とい ふ 顔 をして 論す るので ある。 そして 「偶然と 小說」 とい ふ。 

私の 怿^ にたえない こと は、 今日まで 輕蔑 しきって ゐた 偶然 を 何故に かく も 易々 として 認める こ 

とが 出來 るの か、 そのこと を 赏 は 私 は 知りたい ので ある。 

然も 今日まで 偶然の 契機と い ふ もの を 殆ど 考慮に 入れす、 とりわけ 悉くの 現象 を 必然に よって 

説明して ゐた 人々 までが 「偶然」 とい ふので ある。 その 最も 代表的な 一 例と して 『經 .M 往來』 八 

月號に 於け る 三 枝 博 昔 氏の 「小 說の 偶然の 分析」 は 注目に 惯 する ものであった。 

三 枝 氏 はこの 頃に なって 「小説の 本質 論が 端 初 を 見せる やうに なった」 と、 最近の 文舉^ を 列 

舉 しながら、 然も その 最も 顯荖な 例が 「偶然」 の 問題で あると 云 はれる ので ある。 



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そこまで はいい、 然し 次ぎの やうに 綾け るので ある。 

「小說 が 面白い の は 一 體どぅ して 而 白い のか。 自然 や 人事に 就いての 精密な 單 なる 記述 ゃ記錄 

が 小説の やうに 面白くない の は、 それが 始めから 人 を 感動せ しめる やうに 出 來てゐ ないから であ 

る。 ト說で a: 然が 問題になる の は、 感動せ しめる ことの 主因が そこに あるから である」 

と說き 起し、 そして 「偶然 は 創作の 中の 問題で ある」 と 限定す るので ある。 

卽ち 三: によると 「偶然」 とい ふ もの は 小說を 面白く する ための 單 なる 手法、 小設內 のこと 

だとい ふこと になる ので ある。 してみ ると 三 枝 氏に 於て は、 小說を 面白く するとい ふこと が 同時 

に 「小説の 本質 論」 になる ので ある。 誠に 恐れ入った 本質 論で ある。 

若しも 人 問 生活 を 貫く 眞實が 偶然に なかったら、 どうして 偶然 を 吾々 が 小說の 中で 描いた から 

といって、 吾. << の 小說が 感動 的になる であらう か。 吾々 の 生活 自身が 不可解の 偶然に みち、 無 K 

の 偶然に 滿 たされて ゐ るが 故に、 小說の 中で それ を 見て 吾々 は 驚く ので ある。 三 枝 氏の 言 ふやう 

ながなる 「偶然」、 小說を 面白く する ものと しての 「偶然」 など は 幾らあった つて 小說を 本質的 

にす る もので もなければ 深遠に する もので もない。 その 意味で 私 は 三 枝 氏の 「偶然 論」 など は 小 

說に とって 有害無益の 技巧 論に すぎない と 思って ゐる。 三 枝 氏の いふ やうな 「偶然」 なら、 今 曰 

の: 小說を みれば、、 實 はありす ぎて 困る ので ある。 そんな ものが 今更ら 小說 にと つて 新ら しい 

論理な どであって たまった もので はない。 



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1 ニ忮氏 i 「ト說 の 作品 機 こ. ついては 私 も 偶然 を 高く 賈ふ。 否 最も 髙く買 ふとす らいへ るので 

ある」 といって ゐられ るが、 そんな 技巧に 限られた 偶然な どい くら 高く 買って もらっても 仕方が 

ない ので ある。 

三 枝 氏 は 光利 一氏の いふ 「日常生活に 於け る 偶然の 感動 性」 とい ふこと を も 否定して、 偶然 

とい ふこと を ひたすら 「作品の 內部、 作品 機構」 だけに 限り、 作品 を 面白く する ものと して 取扱 

か はう とする ので ある。 もっとも 撗光 氏の. 場合 も、 それ は 小説の 技術 論に とどまって、 人生 觀: s 

に發展 する こと を 欲しない ものの やうで ある。 

然し かう いふ 技術 論と して の 偶然な どと いふ ものが 小說を 面白く する もので は 決してない。 

「小説よりも 奇 なり」 とい ふ 言葉が ある。 實際 吾々 の 生活 は小說 よりも 奇怪な 事實 によって 連 

裱 せられて ゐ るので ある。 

この 事赏に 驚く ところに 新ら しい 小說の 復活が あるので ある。 國木田 獨歩は 「先 づ吾々 は 驚か 

なければ ならない」 といって ゐる。 吾々 自身 驚かす して 人 を 驚かす ことが 出 來る箬 がない。 吾々 

自身 人生の 深遠に 到達せ すして 小說を 深遠に する ことが 出來る わけがない。 人生の 中に 偶然 を 見 

すして 偶然 を 描け る 害がない ので ある。 小説 は模寫 ではない が、 現實の 中で 感じない もの を 表現 

する こと は 不可能な ので ある。 然も 三 枝 氏 はいって ゐ るので ある。 

「今更ら 物理 學^ の說 など 引き あ ひに して、 現實は 偶然に 充 ちて ゐ るから 從 つて 偶然が 支配す 



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る 面白い 小說が 大いに これから も あり 得る とい ふやうな (この頃 流行) の 小 說論は 小說は 何で あ 

るか を现 解して ゐ ない 以上に 吾々 の 時代の 現實を 理解して ゐ ない 愚論で ある」 

では lt1、 一二 抆 氏の いふ 小 說とは 何な のか。 そして 現 實とは 何な のか。 

恐らく 三 枝 氏に 於て 小説と は 「面白さ」 とい ふこと であり、 現實 とは歷 史的 必然の 世界で ある 

とい ふこと に 逸 ひない。 现 K に 於て は 必然性で あり、 小說に 於て は 面白さの 爲 めに 偶然 性が r 最 

も 高く はれる」 とい ふので あるら しい。 その 矛盾 搲 着の 烈し さは 殆ど. 言語に 絕す るので ある。 

大體 一一; 枝 氏 は琅も 簡単な 矛盾 を 愛する 人と みえて、 物理 擧 者の 說を毛 嫌 ひしながら、 然も 「科 

畢の法 则的認 -ti によって 偶然の 存在 は、 日々 征服せ しめられつつ あるので ある」 とい ふので ある- 

物理 舉を ケナシ ながら 科^-の 勝利 を 云々 する I— 誠に 珍妙な 論法 は 一 奇觀 たる を 失 はない ので 

ある。 

私 は 文舉的 素養と、 哲學 的素螯 と、 明敏と 良識と を 三 枝 氏の 文章の 行間から 拜 見す るので ある * 

そして 如何によ く 現下の た わい もな き 文學評 論までに 通じて ゐられ るかに 驚く ので ある。 然し 悲 

しいかな, 私 は 小說の 「偶然」 に 就いて 何等 敎 へられる ところの なかった こと を吿 白す るより 仕 

方がない。 

今日まで 科 舉說を 引用した の は、 石 原 純 氏 や 私の 偶然 論であって、 恐らく 三 枝 氏が 愚: i として 

ねられる もの は 恐らく、 これらの 所説に 遠 ひない ので ある。 



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然 らば 今日の 物理 擧は三 枝 氏が 輕蔑 する ほど 單純 であり、 哲學 的に 除外され るべ きもので あら 

うか。 

それ どころ か、 私 は 今日の 量子 カ學に 於け る 物理的 世界 像 ほど 驚歎すべき もの はない と 思って 

ゐる。 今日の 量子 力 學は總 ての 存在の 本質 を 偶然と 見、 從來の 必然的 世界 像と 因 * 律と を 精密な 

る K 瞼と 計箅 とに よって 否定して ゐ るので ある (『is 濟 往來』 六月 號、 「不確定性原理」 石 原 純 氏) 

吾々 は 過去に 於て 多くの 偶然 論者 を 持って ゐる。 古今 最大の 哲 舉者ヒ ュ I ムゃ、 ベ ルグ ソン や 

ブ トル ゥの やうな 淸 新なる 哲擧者 を 持って ゐる。 然も 計算に よって 偶然 を 算出す る 今日の 物 S 搴 

的歸結 ほど 吾々 を 一 つ の 精確 さを以 つて 歸依 せしめる もの はない ので ある。 かくの 如く 大瞻な 所 

說は 今日まで あまり 澤山 みた ことがない ので ある。 

然し それ は 私 だけの 感想で はない、 石 原 純 氏 や 大島豐 氏 は、 そのこと に 就いて 旣に 今日までに 

幾度と なく その 紹介 を 試みて ゐられ るので ある。 

吾々 は 吾々 の 日常生活に 於て、 世界の 運行に 於て、 それが 偶然で ある こと を、 ことごとに 知る 

ので ある。 然も たまたま 令 日の 物理的 世界 像の 精確 さを以 つて、 それ を證 明す るので あるが、 そ 

れが 何故に 「愚論」 になる ので あるか。 その 理由 を 私 は 切に 拜聽 したいと 思 ふ。 私 をして 言 はし 

むれば、 寧ろ 三 枝 氏の 如く 何ん らの 人生 觀 なき 偶然 を 論す る所說 にこ そ 低俗 さと 撞赘, U を 喫驚す 

るので ある。 . - 



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^にも 引用した が 「科 畢の 法則 的 認識に よって 偶然 Q 存在 は、 日々 征服せ しめられつつ ある」 

と 三 枝 氏 はい はれる が、 ^货は 反って 今日の 科舉は 必然 論から 偶然 論に 向って 發展 して ゐ^ とい 

ふ の が 本 常で ある。 この ことに 就い て は 三 枝 氏が ほん の 少しの 謙虚 さと 勉强心 を 出されれば すぐ 

出來る ことで ある。 

さて、 ここに 至って 吾々 は 三 枕 氏の いふ 必然 論への 批判に 進行したい。 三 枝 氏 はいふの である。 

「いったい 今の やうな 時代に は 世界の 全 現象 は 悉く 必然的 法則の もとに ある もの だとい ふこと 

や. ハツ キリさせる べきで ある」 と。 

然し^し て 世界の 全 現象 は 必然的 である だら うか。 吾々 は嘗 て 地震 を豫測 した こと もない し、 

今日の 闕際淸 勢 を豫斷 した こと もない。 「歷史 の エレメント は 奇蹟に よって 行 はれる」 とい ふが. 

歐洲 大戦 は、 一 靑 年の^ 純な 行動から 發展 した。 それら は、 突如と して 吾々 の 前に 現出し、 吾々 

を 驚かす ので ある。 それ は 今日の 物理 寧が いふ やうに、 全然 原因 結 架 を 超えた 世界が 存在す るか 

らに 他なら ぬ。 义ブ トル ゥが言 ふやう に、 世界に 同一 の 物が 二つ 以上 存在 しないと すれば、 そこ 

に 必然的 法則と いふ ものが 成立し 得る 喾 がない ので ある。 

如何 やうに して 今日の 如く 總 ての 出來 ごとが 法則 を はみだして ゐる 時代に、 「悉く 必然的 法則 

の もとに ある もの だ」 とい ふ考 へをハ ッ キリ させよう としても、 それ は 現代人に とって 寧ろ 馬の 

?ヱ念 卵で しか あり 得まい。 近. S 例 は、 歷 史的 必然と いって ゐ た 人力の 前に 何時 如何なる 歷 史的 



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必然が 起った であらう か。 

私 は 宇宙の 現象 を 偶然と 考へ、 確率と してし か考へ な い ものである 3 この こと は^て 精し く 

「偶然 文擧 論」 に 於て 說 明した ことがあ るから ここで は 繰り返へ さない が、 ヒュ I ム がい ふやう 

に 吾々 に 於け る 認識の 確 寛 さは、 觀測體 と被靓 :1 體の 間にある 印象的 確: 貧 性であって、 それ故に 

舉實は 常に 法則 を はみだす ので ある。 かくて 宇宙 を 支配す る もの は 偶然で あり、 そして その 中 か 

ら吾々 はわ づ かに 確率 を 見つける ので ある。 然し それ は 確率であって 必然で はない。 必然と いふ 

もの は 確率に 對 する 人 問の 憧憬が 哀切に 極まる 時、 一 つの 夢の 開花と して 必然 世界 を 現出す る Q 

である。 吾々 は そこに 人間 感情の 美し さ をみ る 餘裕を 持つ ので ある。 然し それ は 決して 客 觀的性 

いではなくて、 寧ろ 哀切な 幻影の 槪 念に 接近す る もので しかない。 卽ち 必然と は 夢と しての み 許 

され、 宿^と してなら 担 否され なければ ならない。 然も 必然の 夢 は 對象を 限定し、 局 小す ると こ 

ろに その 特長が あるので ある。 私と 雖も 決して 必然の 世界と いふ もの を 否. K し 去らう と は 思 はな 

いが、 客觀 としてなら それ は 確率と いふ ことにと どめる より 仕方がな いので ある。 

一二 枝 氏 は 「現 實的 社會が 偶然に 充 ちて ゐる こと を 理論と 創作と を 通じて 人に 向って 說 くこと は 

非 科舉的 反動思想 となる 危險を 多分に 持って ゐる 」 といって ゐられ る。 

然し 吾々 は 益 AZ 現 赏 と科擧 とに 於て 偶然 を赏感 し、 然も 「偶然 論 を^えざる 努力、 人生へ 0*n 

o 

虚な參 加、 力の 拫源 として 取扱 か はう」 としてる るので ある。 可能性の 限界 を^^に ひろげ、 そ n 



の屮に 吾々 の^ 串な 探求す るので ある。 

今 SJ の 「偶 * 二 を 最もよ く 理解して ゐる人 問 は、 恐らく 彩管 を 持って ゐる騫 家 達 であらう か" 

^等 は繪诳 に 於け る 努力 と、 その 偶然と が 如何 やうに 組み合 され る か を 最も 適切 に 毎日の やうに 

經驗 しつづけて ゐ るので ある。 

可能^の 鬼大 さは、 微 I© 生活に とって は、 明らかに 一 つの 喜びで あると 同時に 大. S- なる 恐怖 

である。 然し この^びと 恐怖との 冒險 こそ、 今日の 吾々 にと つて 何よりも 大切な 精神で なければ 

ならぬ。 

誰れ であった か、 私が 嘗て 總 てが 偶然で あると 云ったら、 「物に は 限界が ある、 鈴から 金 を n 

造す る こと は出來 ないだら う」 といって 反問した。 

それに 對 して 私 は 何とも 云へ ない 繫屈を 感じた。 私 は 鈴から 金が 出來 ない とはいへ ない と 信す 

る ものである。 今日の 方法で は 出来な いが 旣に 多くの 科擧者 はか や う な實驗 を 試み てゐ るので あ 

る。 吾.^ の 穴 1- 想 は 決して 倭 小なる 限界に よって 縛られる もので も、 固-おせらるべき もので もない- 

佝^と いへ ども 吾々 の 生活 を 不可能の 限界、 宿命に よってし ばる 必要 はない ので ある。 私 はかく 

の 如き 態度が、 何故に 「非 科學 的で あり、 反動思想 になり 得る」 のか 了解に 苦しむ Q である。 

私 は 總てを 可能性に 於て 見、 不可知の 深遠 さに 於て 見たい ので ある。 そこに こそ 新ら しい 生^ 

の 窓 欲が 起り、 新ら しい 文學の 上の 签 想が 起り 得る のであって、 無限の 希望と 努力と を i 然の中 



に 見る ことによって のみ、 吾々 の 生活と 藝 術と は 蘇生す るので ある。 吾々 は 確率 を 求めながら、 

これ を 破壊し 宿命 を 蹴って 新ら しい^ 界に 出ようと する。 かかる が 故に 吾々 は 鉛から 金 を 得、 生 

活の 中から バ ラの 蘇生 を 可能に する ので ある。 n マ ン チシズ ム とい ふこと を 三 枝 氏 は 5- つて ゐら 

れ るが、 然し 技巧と しての 偶然な どから 口 マン チ シズ ムが 起って たまった もので はない。 

さて ここにもう 一 つ 別の 批判が あった。 曰く 「横 光の 小說に は橫光 的な ものが あり、 中 河の 小 

説に は 中 河 的な ものが ある。 これ は 明らかに 偶然と はいへ ない」 とい ふので ある。 これ は 春 山 行 

夫 氏の 說 であって、 ここに は 一 つの 機智 を 持った 詩的 抗議が ある。 私 は それが 詩的で あるが 故に、 

なかなか 面白く 感じた ので あるが、 然し この 意味 は 椅子に は 椅子の 性格が あり、 扇に は 扇の 性格 

が あると いふ ことと 同じ 意味で、 それ は 性格と いふ ものの 軌範 を說 明す る だけであって、 決して 

偶然と いふ もの を 否定す る 例に はならない ので ある。 叉ボ, 'ドレ ー ルの 引用句の 如き も、 それ は 

馊械の 運動 を 必然と 考 へた 時代の 考へ 方であって、 今日で は 機械の 如き だって 決して 必然と はい 

ひきれ ない ので ある。 但し 春 山氏說 は、 これ を 論理と してで なく、 作者の 氣 K として 取扱 はう と 

する ものであるが 故に、 それ は反對 でも 赞成 でもな く、 それ は それと して 見れば いいので ある。 

次ぎに 私が 專門 以外の 科學 理論 を 引用した といって、 そのこと を あげつらった 人が あつたが、 

吾々 が 宇宙 や 世界に 就いて 锊 ぇす考 へて ゐる 以上、 これ を傍證 する 位の こと は、 當然 のこと であ 

る。 午 日の 科^-的 世 ais:^ に 封して^ 闢心で ゐられ るが 如き は 寧ろ、 彼等の 怠惰 か 狡猾 以外の 何者 



32 



でも あるまい, - 

さて 吾々 は 常に 偶然の 中に 生きて 確率に 到着す る こと を 欲する ので ある。 

^率に よって 生活 を 整理し ようとす るので ある。 そして 吾々 は 確率 的 結論 を 大切に する ので あ 

る。 然し 同時に 常に それ を 破壊す る箏實 にも 恐れない ので ある。 寧ろ それだけ によって 何時まで 

も 吾々 の 生活 を 基準す る ことに は堪 へられな いので ある。 

かくて 吾々 人 問 生活 を 生かし、 希望 づける ところ Q もの は 偶然と 確率との 交互の 隆起であって、 

その 屮に 吾々 の 目的と 手段と 行動と が 熱烈に 築き あげられ るので ある。 若し 吾々 の 生活が たった 

1 つの 必然の 中に あるので あったら、 吾々 は 宿命の 中に あって 何事 も 希望せ す、 叉 何事 も 努力し 

ない に遨 ひない ので ある。 

さて 三 枝 氏 は 「藪から 棒の 偶然が、 小 說を藝 術 だら しめる もので はない。 必然的な 法則 的な 玲 

璁 たる 認識へ もりあがって ゆく ための 偶然で なければ ならない」 叉、 「偶然 は 一 暦 高度の 必然 を 

把握せ しめる ための ものである。 若し さう でなかったら 偶然 は 感傷に 奉仕す る ものと なる ので あ 

る」 とい つて ゐられ る。 

これ は 三 枝 氏の 立場と して は 尤も 至極の 言 ひ 分で あるに ちが ひない。 

だが 偶然と いふ もの は 必然に 從 屬 した ものと して 考へ るべき ではない ので ある。 この こと は 幾 

度 もい つたこと であるが、 吾々 は^ろ 「偶然」 と. S ふ ものに 於て 尺 生を昆 、 必然に 於て 人間の 夢 



133 



をみ る だけで ある。 然も 嘗て の 夢 は旣に 破れて しまったの である。 

それ は 宇宙が 偶然で あるが 故に 必然の 夢 を その 中に! a 得る のであって、 偶然が あるが 故に その 

中に 必然が あり 得る と考 へる ので ある。 かくの 如き 意味に 於ての み 吾々 は 新ら しく 必然 を 認め ! 

つ の耍 請と しての みそれ を 大切に しょうと する ので ある。 だが それ 以上に これ を考へ る こと は 出 

來な いので ある。 

かくの 如くに して 吾々 は 吾々 の 現實を もっと 廣く、 自由に、 闊達に 思想し、 希望し、 努力す る 

ことが 出來 るので ある。 そこに こそ 「偶然 文擧: i」 の 文學に 於け る 新ら しい 意味と 目的と が 現 は 

れ るので ある。 

田 邊元博 ± は 嘗て その 深遠の 體 系の 中で いって ゐられ る。 「論理の 無限なる 構成の 外に 尙 論理 

の 必然性 を脫 する 自. S 生産の 餘 地が 無ければ ならぬ。 勿論 かかる 自由 生 產も旣 に 生產の 事後に 對 

す る 反^ に 於て は當然 に 辯證法 の 規定に よって 必然 化 せられる ものである。 ^しそれ に も拘 はら 

す、 更らに 新なる 自由 生產の 活動に 對 し辯證 法の 論理的 槪念 によって^ 定 せられざる 自由の 方向 

が あり、 却て この 自山 の 自己 規定に 由 つて 始めて 辯證 法の 論理 そのものが 必然 化 せられる と考へ 

られ なければ ならぬ。 歴史 は 不動の 過去に 於て 成立す る もので なく、 常に 動く 所の 現在に 於て 成 

立 し、 备 現在に 於て 豫見 せられる 主觀の 自由 可能と しての 未来との 關聯に 於て、 これと 共に 常に 

その 意味 を變 する ものな ので ある。」 



U4 



飛び ゆく 現 茛の說 明と して、 又 その 夢との 關 係に 於て、 私 はこれ ほど 適切な 言槳を 見た ことが お 

ない。 . 

さて 吾. ^は單 なる 技巧と しての 偶然 論の 如き は 最早 抹殺す るに 若かない ので ある。 三 枝 氏が 說 

明す る 偶然の 如き は- m なる 從來の 偶然 說 であって、 それ は輕蔑 的な 意味 を 持った 偶然であって、 

寧ろ 4/ 日の 小說を 末節に 追 ひ 込まう とする 技巧^で しかない。 

「今、 文 境で は 多くの 人. „< の關 心が これからの 小說は どんな ものであるべ きかと いふ こと に 向 

けられて ゐる。 小說の 本質の 問題 は、 映畫ゃ 美術、 更らに 又 昔樂の 問題に 關 係して 來 よう」 と 三 

枝 氏 はいって ゐられ る。 

私 は 一二 枝 氏の 偶然 論が 右樣の 如き 總 ての 藝 術の 根幹に わたる 本質 論に 於て、 再び 現 はれん こと 

を 願 ふ ものである。 (『fe^ 往來』 九月 钹〕 



泶 鞘 老人に 物申す 



「腰の 朱鞘 は 伊達に は 差さぬ」 とい ふから 大方 恐ろしき 御 老人と 御 見受けし ました。 

但し 大變觀 念 的な 御 質問で 先づ 恐れ入った のです。 とい ふの は 「永遠の 法則 はない から 偶然 論 

が 正しい」 II と 小生の 論文 を 解して ゐられ るが、 それ は 曲解で ある。 先づ笫 一に 「總 ての 存在 

が 偶然と して 現 はれる が 故に 偶然 論が 正しい」 とする のであって 眾 なる 41 理 ではない。 次ぎに ハ 

ィゼ ンべ ルクの 原现は 「永遠の 法則で あるか、 一 時 的法刖 であるか」 とい ふ 御 質問です が、 永遠 

の 法則な どと い ふ もの は 當分考 へ ぬ 方が よから うとお 答 へ します。 

不確& 性 原理 は 「現在の 可能な 觀 測お 段に 於て は總 てが 偶然に しか 現 はれない」 とい ふので あ 

つて、 これ こそ 現代的な 認識 方法と 小生 は考 へて 居ます。 ただ 如何なる 必然 論が 起り 得る として 

も、 それが この 偶然の 中に ゐ なければ ならぬ とい ふ 意味で は 一 つの 永遠な ものに 違 ひない と 思 ふ. 

のです。 

次ぎに 小生の 考へを 悽疑說 の 「分らぬ とい ふこと はわ かる」 とい ふ 矛盾 說に 例へ て ゐられ ます 



ゆ 



が、 今 B の 偶然 論 は 決して 單 なる 自 己 矛 店 や 懊疑說 ではない。 それ はェ * ティン トンが いふ やうに 

r 不 確お 性の 法 W が赏際 上の 豫吿 に對 する 基礎と して、 嘗て 決定 性の 法則が さう であった と同樣 

に 有用な こと を 見る であらう」 

とい ふ 霄葉 で 充分に わかる 害です。 それ は 偶然と いふ もの を 最も 重大な 耍素 として 考 へながら、 

その 中に 常に 蓋然性 を 追求す る ものであって、 必然と いふ やうな もので 總てを 解決しょう とする 

獨斷說 と、 そこが 邋ふ 所以です。 

鷇 後に 不確定^ 性 原理 は 四捨五入 かどう かとい ふ 御 質問です が、 それ は 電子の 狀 態が 不確定で 

ある こと を 「可能な! S 測 手段」 に 於て 說 明して ゐ るので あって、 御 質問の やうな 觀 念 的な 論理 遊 

戯 ではない やうに 開いて 居ります。 どうもお 腰の 朱鞘が 服に ついて なりません。 それに 嫒 面と 來 

てゐ る。 遊戯と 見せかけて 斬られる と 大變故 こ の 程度で 失敬し ます。 



確率 槪 念の 訂正 を 中心に 

籐 田の 繕 

# -術院 の 改革と いふ やうな ことが、 專鬥 的に みていい ことで あるか、 惡 いこと であるか は 知ら 

ない。 又 さう いふ ことが 一 つの 稅制 として 可能で あるか どうか も 知らない。 

だが f 々入れ 換る とい ふこと は 何れにしてもお 構な ことにち が ひない。 異變の 可能と いふ こと 

は、 恐怖で あると 同時に 人間に とっての 喜びで ある。 偷安を ことと する 者に とって は靑 天のお 籐 

は 突如と して 起った 方が よい やうで ある。 

それにしても 私 は 今度の 改革 は、 人選の 適否と いふ ことよりも、 藤 W 嗣治氏 を 民問 に殘 したと 

いふ 一 事に 於て 成功した と 思って ゐる。 とい ふの は、 會期 中二 科會を 徘徊し、 今更ら の やうに こ 

の 霰 家の 驚くべき 力量に 感心した からで ある。 かくの 如き 騫 家 を 民間に 殘 したと いふ こと は、 藝 

M の 流行と 偏向と を見箏 に 破壞し て、 勢力の 均等と 流派の 多様性と を 今 日の 篑堉に 保存す るから 

である。 かくの 如き 霰 家が 一 つの 統制の. & に跼蹬 せられなかった とい ふこと は 荜ろ幸 ひと 言 はな 



I3S 



ければ ならない。 

私 は 数年 前、 藤 W 氏の 歸朝 第一 の 作品 を 朝日 新聞社の ギャラ リイで 見た 時、 恐るべき 群像の 豐 

窗 さに 驚歎した のを覺 えて ゐる。 以來、 氏の 繒を 見つ づけて きて、 或 ひ は マンネリズム を 感じ、 

趣味の み を 感じて、 人と 共に もの 悲しくな つたこと も 一再ではなかった。 然し 今度の 「北 平の 力 

士」 を兑 るに 及んで、 矢張り 藤 田 氏が 世界の 赘家 である こと を 痛切に 感じた。 かくの 如き 構造 力 

と 生 格の 描寫 や、 色彩の 配合 は、 今日の 叢 家の 誰れ 一人と してな し 得る も 3 でない こと は餘 りに 

も 明瞭で ある。 私 は 如何なる 反對 にも 斷 然として、 この 感想 を 貫く ものである。 

あの 大地の 上に 突った つた 大陸の 男の 面 だまし ひと、 肩と 腰と はどうで あるか。 力 を 誇示して 

ゐる 尊大の ES 字 はどうで あるか。 爪先き で 立 つて ゐる 左足の ボ ー ズ にある 性格 描寫 はどうで ある 

か。 アン リ. ル ッゾ ー の やうな 少し 問の 抜けた 顔 をして 坐って ゐ るもう 一 人の 男。 知 慧を湛 へて 

口 をと ぢた 更ら にもう 一 人の 男。 その 阴阗に 集って ゐる 支那 婦人と 男の 表情と 肢體の 組み合せ は、 

一 つの 樂 しい 昔 樂の階 調 t 以 つて 動いて ゐる。 あの 大手 を ひろげて 立った 中心の 男 は 無言の 中で 

叫んで ゐる。 

「さあ、 何人で もやって 來 い。」 

私 は 多くの 美術 批評^ が 驚く こと を 知らす、 寮 壇 の 常識 を 出 ようとし ない ことに 大きい 不滿を 

感する 者で ある。 かくの 如き 槍が 潜 歎せられ やして" 今 曰 如何なる 输が あり 得る だら うか。 



U9 



私 は 本當に 驚き 發 見した。 たしかに この タブ 11 1 は傳統 に冠絕 する 一つの 傑作で ある。 この 繪 

€ 中 にある 錯雜と 熱意と は、 織 細と 勁烈と は、 たやすく 見の がせられ る やうな もので はない。 誰 

れの繪 がいい、 彼の 繪 がいいと 言って みても. この 繪の特 っ廣大 さに は 到底 及ぶべく もない。 

大體藤 W 氏の 繪は絝 -2 傳統と いふ もの を 不思議な 技術で 常に 色彩と 構圖に 保存し てゐ るので あ 

るが、 それでも 今年の 「五 人 女」 や 去年の 「三人 群像」 や 「メキシコの マ, テレ ー ヌ」 や 「眠れる 

女」 などに は、 何 か 甘美 さは あ-つても- その美し さに 安心が ありすぎ た。 だが 今度の 「北 平の 力 

士」 に は 大きい 冒險と 性格と があって 實に 見事であった。 それ は 去年の 「町藝 人」 の やうな 厚さ 

はない が、 その代りに 實に 混沌と した 北 平の 地方色と 力強い 階 調が 出て ゐ るので ある。 ^色 を 主 

潮と して、 時に 人物の 顔が 背景と 混濁す るが、 先づ 人々 はこの 繪の 前に 佇立して 率直な 心の B を 

開かなければ ならない。 

私 は 眠って ゐる 今日の 美術 批評に 對 して 一 種の 義憤 を 感じて この 一 文 を 書いた。 何と 小生 意氣 

な, 中 可 通の 美術 批評が 今日の {仝 氣を 占領して ゐる ことか、 私 は 一 つの 嘲笑 を以 つて 魂 を 失った 

今日 Q 批評 尜 達に 挑戰 する ものである。 

確率 槪 念の 訂正 

今年の 初め、 「偶然の 毛 巷」 なる 一文 を發 表して 以來、 諳說紛 々として 漸く この 問題 は學 者の 2. 



や 加に 於て 新ら しい 追究 にまで 這 入らう として ゐる。 私はヶ 日の 混沌 をみ て 非常 に 偸 快 を感 する 

ところの 1 人で ある。 

未だに この 問题を 「末梢の 問題」 でしかない として、 「私 小說; i」 などと 一緒にして ゐる 文章 

など を 見かける が、 それほど 氣魄の 乏しい 閑文學 ではない。 何よりも 人 問 生活の 根本に 横た はる 

ところの 重大な 問題であって、 跟 なる 文增 ^ の 噂 話で はない。 どんなに 阻止しょう としても、 ど 

んなに 馬^東風 を裝 つても、 益 A/^ 大 すると ころの 問題で しかない。 この 論^が 今日、 科舉 論の 

究^にまで In きっかう として ゐる こと は、 誠に 興味の ある ことで ある。 この 問題 はこ こまで 發展 

する ことによって、 最も 確 實な證 明に 於て、 再び 人々 の 胸に 這 入って ゆく にち が ひない。 

さて 十月 號の雜 誌で は、 私も謦 いて ゐ るが、 『日本 評論』 に 「偶然 論と 自然 科學」 を 石 原 純 氏 

が、 『セ ルバ ン』 に 「ハ ィゼ ンべ ルクの 哲皋說 と 偶然 論」 を 三 枝 博 昔 氏が、 それぞれ 書いて ゐら 

れる。 又 『思^』 は 「自然 科舉と 哲舉」 の 特輯 號 として、 この 問題に 關述 する ものが 多く 論じら 

れてゐ た。 

大 ts この 問 题は海 をへ だてて 遠く ドイツと アメリカに 於て、 ボア 敎授と アイ ンシ ュ タイン 敎授 

とが をけ すると ころの 問題であって、 石 原 純 氏の 文章 はこの 二人の 論爭 から 說き 起して、 更ら 

に ハイゼンベルク を^ 明に せられ、 最後に 「偶然と 必然との 關係」 とい ふ 題目に 至って 終って ゐ 

る。 私 は 今日まで 見た 石 原 氏の 論 文中、 最も 讀 み ごた への ある 名論 文と 思って 再讀 し、 その 巧妙 



? 41 



の 所^に 感心した。 

石 原 氏 は 言 はれる 「吾々 に 重要で ある こと は 認識 的に 自然の 本質 を 必然と 見做さな いとい ふこ 

とで ある。 必然 は 却って あらゆる 偶然の 交錯の 中に 生れる とする ものである。 これ こそ^ろ 自然 

の 機構と して 最も 巧妙なる 所以で あると 解せられ ないだら うか」 と。 

これ は 私が 嘗て 述べた 「必然と いふ もの はわ づ かに 偶然の 中に しか 存在し 得ない」 とい ふ 感想 

と符を 一 にし、 吾々 の 直觀的 表現と いふ もの も 決して 徒爾で ない こと を 思 はせ た。 

尙ほァ イン シュ タイン の新說 なる ものが 到底 今日の 量子 カ學を 破壊す るに は 遇々 として 前途^ 

暗馋た る こと は 石 原 氏の 文章に も 見え、 恐 らく 量子論 に 於て 今後の 物理 擧が益 5 多くの ^見と^ 

見と を 綾け る ものである こと は 想像に 難くない 3 

さて 三 枝 氏の 論文で あるが、 これ は その 自ら 奉す ると ころの 必然 論の 高揚に は 一 言 牛 句 も 及ば 

す、 偶然 論と ハ ィゼ ンべ ルクを 結びつけられる もの かどう か を 疑 ふこと によって 終始して ゐ るの 

である。 然し 私 は哲學 を 專門 すると ころの 三 枝 氏から 物理 擧者ハ ィゼ ン ベルク の 解說を 聞きたい 

と は 思 はない ので ある。 私 は 三 枝 氏が 何故に 哲學 的に ハ ィゼ ンべ ルクを 解 評せられない かに^ろ 

S 大の疑 問 を 持つ ものである。 三 枝 氏の 志向す ると ころ は、 察する に、 ハイゼンベルク は 蓋然^ 

者であって 偶然 論者で はな. S とい ふこと らし い。 

然し 今日の 確率 概念と S ふ もの は、 不確定 を 根本に 持つ ものと しての 確率であって、 必然への 



142 



お 4-^^^ いか; j いや^き 率で ない こと を 注意し なければ ならない。 この こと は 小さい 私 の着想 

であるが、 これ 今日の 問题を 明快に 處理 すると ころの 最も 重大なる 鍵で ある。 卽ち 今日に 於て は 

旣に J 率の 概念 さへ が 根本的な 變化を 遂げた ので ある。 卽ち三 枝 氏の 指摘す る蔻然 論と は 偶然 論 

でし か あり 得ない とい ふこと を 理解し なければ ならない。 

仏 は 、 ィゼ ンべ ル クが 囟 ら 「物 狂 ほしい ほどに 熱心に 海の 彼方に 新しい 阈を 見出す 勇氣を 持つ 

コ a ン ブス」 と. HI ら 比喩す る 氣魄に 今日の 苹命 的な 出發 をみ るので ある。 

^然! i に 於け る 今 日の 世人の 混迷 は、 寧ろ この 問題が 餘 り從來 の 習慣 を 破壞 しすぎて ゐ るから 

であって、 然し それが わかる と 同時に、 偶然 論と いふ ものが、 やがて 人々 の 心に 新しい 光 を點す 

ろ 日の 近い こと を 信じる ものである。 私 は 今日の 偶然 論が 科學 的な 證 明にまで 行きつ いて、 再び 

哲^- 說に もどり、 更らに 文 學說に 旺盛に もりあがって くる こと を 何よりも 望んで ゐる。 

旣に 『中央 公論』 十 一 月號 をみ ると、 本 多 謙 三 氏が 吾々 の 所 說と三 枝 氏な どの 所 說とを 丹念に 

批評 せられた 後、 

「今や 偶然 こそ 勝れた 意味で 現 •!《; 的で なければ ならない。 それ は 「觀 念」 などと いふ 消極的 規 

定 ではなく、 身! g 的行爲 によって 客 觀界の 諸 e の 系列 を 結びつけ、 それらの 機能に 意味 あらしめ、 

t れらを 生かし、 现實 的たら しめる 契機で あるから である。 それ は 丁度 アリス ト テレスの 形 衬囚 

こも 比し? & よう。 晃. K は 偶然で ある。 偶然 こそ 現實的 だと はこの 意味に 解さねば ならぬ。 身體的 



行爲は 創造的で ある。 しかし この 創造 は 客觀の 精確なる 測定に * く 技術的な もので なければ なら 

ぬ。 必然 論を說 くだけで は 我々 の 實踐に 入り込む 餘 地がない。 本質 偶然が 許されて こそ 我 々は自 

發 的に 行 ふこと が出來 るの だ。 私が 今 こそ 必然と 共に 偶然の 說 かるべき 時期 だとい ふの は それで 

ある。 單 なる 運動の 論理と しての 辨證 法に 對し、 偶然の 論理 は 行爲の 論理で ある。」 

とい はれて ゐ るの は、 蓋し 最も 公 平にして 最も 達識 ある 批評と 云 ふべき であらう。 

更らに 私 は 中 村 星 湖 氏 や 林 房 雄 氏が その 文 舉的關 心に 於て、 冽へば バルザックの 「偶然 は 世の 

最も 偉大なる 小說 家で ある。 豐饒 ならん とせば、 その 探究に 耽れば 足る」 など を 引用しながら、 

偶然 論に 文擧的 一 支柱 を與 へようと して ゐられ るの を 見る。 これら は 明らかに 今後の 實踐 的^ 展 

を豫感 すると ころ、 その 一 つの 强 力なる 現 はれで ある。 

政治 形態と 文擊 

かって マル クス 主義者 達 は 文學を 政治に 從屨 する ものと して 取扱 か はう とした。 だが これ は 明 

ら かに 間違 ひで ある。 それ は 政治に 從疆 する もので はなく、 政治に 平行し、 政治に 働き かけ、 働 

き かけられる ところの ものである。 

ジ イド ゃソ - ル ナ ンデ スが 口 シァに 興味 を 持った の はフラ ン スとロ シァ との 交友 關係 以前から 

であるが、 それとも 後で あるか、 そんな こと はどラ でもい い。 然し 今 曰の フランス 文 學は孜 治 形 



144 



態に 於ても 文攀に 於ても 口 シァと 接近 的な 狀 態に あるので ある。 

入 はよ く、 フランスの 文 學者は 進歩的で、 常に 社會の 反動に 抗 して ゐ ると いふ。 だが、 いづく 

んぞ 知らん、 彼等 は 最も 大きい 今日の フラ ン ス の 政治 形態と 平行して In 動して るるので あって、 

格^に 堪 へられない^ 迫の 屮 にあって 堪へ てゐ るので はない。 それ はいろ いろな 獰 稅に抗 して ゐ 

ると ころ は ある。 然し この 政治 形態との 關係を 理解せ すして 單 純に フランス を. 讃美し、 それ を そ 

の キ-, ま 日本に あてはめよう とする が 如き は、 政治 形態と 文擊 との 關係 を 知 ら ぬ 輕 率な 錯^ で し か 

ない" 

H 本に 於け る左冀 作-ま 達の 困難 は 彼等 どころではない Q である。 然も ジ イド もフ - ン ,. r ン デス 

も、 ^^に 興味 は^っても、 マルキストに はならない のでなる。 これ は 彼等 を 俗物と も 高等と も 

® ^する もので はない が、 ただ 彼等と バ ルビ ュ ッス との 問に 非常な 相 造の あった こと だけ は 知ら 

な 寸,. f ばなら ない。 その 點ジ イド を 見る よりも、 フ T 一 ルナン デス を 見る よりも、 ^は 曰 本の 左奨 

作家の 悲壯に 胸 を 打 たれる ので ある。 

それ は 彼等の 文 寧 は、 餘り にも 今日の 日本 Q 政治 形態に 平行して ゐ ないやう に 見える。 然も 平 

7 する のがい いか、 惡ぃ かはいへ る もので はない が、 よくても 悪くても 吾々 はさう する より 仕方 

がな. S とい ふところに あって 生活し、 文學 して & ると いふの が K 狀 である、 

^ .H ,? g ^r^'x§ -., 多く の 不滿 を 持 つ が . 彼等 の 感情に は 肉 身 よ り も 痛切 の 思 ひやり を以っ 



145 



て、 その 镍持を 讃美す るので ある。 そして 今日 なまぬるい 左箕 めいた 言 說を易 々として 弄する 另 

など は 反って 輕 蔑す るので ある。 

さて ドイツで は 多くの 文 と科舉 者と が、 ュ ダ ャ 人 排斥 の 名の もとに 海外に 追放せ ら れ た。 

そして その 思想、 文舉は その 政治 形態で あると ころの ナチ ス 的で しか 有り得 なくなって ゐる。 だ 

が然 らば 彼等 は それ を 重遯 としての み 感じて ゐ るかと 言へば さう ではない に遨 ひない。 

ハ イデ ッガ, 'の ナチ ス 入黨 に、 聰明な 贊 同と 喜びが あった こと は 想像に 難くない ので ある。 

彼等の 態度 は 勿論 反 ロシア 的で ある。 だが 彼等 はさう であるより 生き方がない のであって、 人 

類の 方向と いふ もの は、 簡單に 評し 去れる もので はない。 

但し 吾々 は、 茶して 如何なる 政治 形應に 於て 文學が 繁榮し 得る か I とい ふこと は考へ 得る。 

又 超國^ 的な 文 學、 或 ひ は 超 時代 的な 文學 とい ふ ものが あり 得る こ とも 考 へ 得る。 

然し 何者よりも 早く、 最も 慧敏に、 現實を 常に 直觀 し、 且つ 憧慑 すると ころに 文舉が あると す 

れば、 政治と 共に 何れが 後と も 先と も 見極めが たい 影響力 を以 つて、 その 形態 を 決お して ゐるこ 

とは爭 ひがたい 事赏 である。 

私 は 今日の 日本の 政治 形態が ど こに あるか は 知らな い。 だが 刻々 に變 化する 國際關 係 の 動き を 

見て ゐ ると、 日本の 接近すべき もの は、 今日で. ほ フランスで はなく ドイツで はない かと ar、: はれる 

ものが ある。 そして それらの 報道よりも 早く、 旣に 今日の 文舉は ドイツへ 接近 を 示して ゐ たので W 



ある, - 

私 は ノヴァ ー リスの 硏究が 突如と して 人々 の 心に 用意せられ、 ゲ ー テへ Q 關 心が 澎鉀 として 起 

り、 知らぬ 間に 吾々 を 包んで ゐる ことに 驚く ものである。 

それ は 誠に 間髮を 入れぬ 敏感 さを以 つて 政治 形態と 平行し、 豫感 しあ ひ、 常に 不思議の 狀態を 

以 つて 吾.^ の 祌經を 刺戟す るので ある。 

吾々 は 何も、 政治 形態に 配盧 する 必要な ど はない ので ある。 然し それらとの 交通に 於て 吾々 Q 

生活と i£ 術 とがめる こと を 充分に 覺悟 しなければ ならない" 



147 



ロマン 心 蓆と 偶然 論 



今日の 偶然 論 は 格別、 一般人の 認識な ど は 要求して ゐ ない。 

初め この 主題 を 提出した 時、 人々 は 多く 迷論と 駕り、 虚妄の 說 となした。 だが, 私 は それら Q 

§止 を II みと つ た 時 ほど 實は嬸 しか つたこ と はな か つ た。 文舉上 の 新說が 初め 人 々 に爐妄 とみ え、 

迷 語と 見られな がら 現 はれる ほど 光榮な ことがある だら うか。 

それほどに 途說 を踩 i! し、 狂氣 して その 主張 を 貫通 して ゐた としたら、 私 は 自ら 顧 み て 多少 ぬ 

安堵 を感 する ので ある。 

ただ 悲しむべき ことに は、 早く も 今 曰で は 多少の 理解 を 一 般の 人々 が 示さう として ゐる ことで 

ある。 然も 彼等 は 仔.! 顔に いふので ある。 「人生 觀 として は 困る が、 技巧 41 としてなら 認めても 

いい。」 

だが 私 はさう いふ 常戟 的な 理解なら、 迷 語と 評し 去る 一群に 寧ろ 好意 を感 やる ので ある。 人々 

よ。 多少の 理解よ, レは、 厲り默 殺す る 聰明 を なぜ とらな いので あるか。 2. 



その 想 味で 私 は 本誌 r 文藝 j に 於て、 敫度、 森 山 啓 氏 ゃ六號 子が 偶然 論 を 迷 語と して 取扱って 

ゐる ことに 無^の 愛情と 好意と を 感じた ので ある。 

私 は 請 批評 に對 していち い ち 解答な ど はしないでも よいと 思って ゐる。 だが 本誌の 讀者 にも 私 

の 迷?; i を頒 ちたい 多少の 欲望が あるので ある。 

さて 私 は 何よりも 偶然 論 を 今日 へ の 叛逆と して 人々 に 披露したい。 今日の 流行 思想で あると こ 

ろの 必然 思想への 否お として 提出して みたい。 

川端 庞成氏 は 先月 號の 本誌に 於て 「世の常 習 道德 への 叛逆 を 外にして は、 純文擧 など あらう 道 

现は ない ので ある」 とい ひ、 「今 曰の 叛逆 精 祌の衰 亡」 を 嘆いて ゐ るの だが、 それならば 何より 

も先づ 吾々 は 偶然 論 の勉强 から 始めなければ なるまい。 (「偶然 論と モラル」 本甞ー 一 七頁參 照〕 

だが もっと 適切に い へば、 偶然 論は單 なる 時代へ の. 级逆 精神で あるから 面白い ので は 決してな 

い 。もつ と髙度 の ;; 1 理 に 於て、 今日 の 最も 深遠な る眞赏 を 披瀝し てゐ るからで ある。 

「や M 货 であれば ある ほど 叛逆で ある」 が 故に 今日の 偶然 論 は 寧ろ 不可避の 問題と して 登場す る 

ので ある。 そこで は 如何なる 默殺 も、 默殺 として 役立たぬ ので ある。 旣に S: 責と いふ もの は 如何 

なる 恐 鈍 さに 於ても、 隠密の 問に、 人々 の 心 を 貫通す るからで ある。 

さて 諧 れ かの いひ 草で はない が、 赏際、 現代人 は、 カントの ごとく —— 必然と いふ 言葉 をき く 

や 否や 脫帽 したので ある。 滑稽に も、 これほど 確かな こと はない と 信じ込んで ゐ たので ある。 然 



もー體 かく も 現代人 を、 又 現代 文擧 を、 恰も コ ー カサスの 岩壁に つながれた プロ メシュ ウスの や 

ラに、 金輪際 身う ごき もなら ぬ やうに 人々 を 縛り あげて ゐる ところの 必然と は 何もの か。 

私 は 嘗て この 必然と いふ もの を 今日の 生活から と、 科擧 からと、 そして 最後に 文舉 から 批評 

し、 否定した。 吾.^ は 昨日の こと も、 明日の こと も 現象と して 以外に は 知らぬ こと をい つた。 中 

田忠夫 氏が いふ やうに 「歴史の 重大な H レメ ントは 悉く 奇蹟に よっての み 行 はれた」 こと を說明 

した。 又 「必然 思想と いふ ものの 中に 決して 自由 や 創造の 有り得ない」 こと を 言った。 (E 逡元 氏、 

『^林』 八月 號參 照) 

然るに 森 山 氏 は 私の 所說を 誤謬で あると し、 更らに ハイゼべ ンルク の 「不確定性原理」 とい ふ 

もの を獨斷 であると し、 本誌 先月 號に 於ても、 又 それ を科學 上の 疎漏の 一例と して 繰り返し 論じ 

てゐる Q である。 だが それ は 梁して 森 山 氏の 說の 如くで あらう か。 

この ことに 就いては 私 自身、 旣に 答へ たが、 幸 ひ 『新潮』 九月 號を 見る と、 更らに 石 原 純 氏が 

明瞭に 森 山 氏 達 Q 科 舉に對 する 誤謬 を 詳細に 指 適し、 裁斷 し、 更らに 進んで 今日の 偶然 ii に 熱意 

ある 與味を 示されて ゐ るので ある。 

自ら 阖放 もない 獨斷を 行 ひながら、 人が 間遝 つて ゐる やうに 强 ひるな ど、 愛嬌と いふか 大膽と 

S ふか * 森 山 氏の 無責任 さに は 寧ろ 喫驚す るので ある。 

それにつ け、 ^島. M 氏が 最近 OJI^ 资新 W 统に 於て、 その 批 21 的 哲學の 態度に^ て、 森 山 氏の 



5o 



扠^ を! S 格に 批判 せられた 文 奪 は、 充分に 意を盡 した ものと して 注目すべき ものであった。 I 

然るに 森 山 氏 は 「ハイゼンベルクの 問題に 就いては 是非 他の 處で 答へ る 事 を 約束す る」 と尙ほ I 

壯 大の霄 を 精け てゐ るので ある。 私 は 今日の 科學 上の 精確なる 實 驗に對 して、 叉 吾々 の 批^に 對 

して、 森 山 氏が^ して 如何なる 解答 をな し 得る か、 切に 森 山 氏の 約束 を 鶴首した いので ある。 

ところで 森 山 氏 は^らに いふ。 「自分 は 偶然 論者で も 必然 論者で もない」 と。 だが、 必然 論者 

でない マルキストが ある だら うか。 マルクスから ブハ, "リンに 至る もの は 全部が 全部、 必然 論以 

外の もので はない。 わけても 日本 を 風靡した 必然! si に 至って は 誠に 驚くべき ものが あつたの であ 

る。 ただ ゎづ かに ミ ー チンに 至って 偶然の 影 を 認める が、 これ 明らかに 必然 論の 最初の 崩壞 でし 

かない。 それにつ けても、 私 は 森 山 氏が、 マルキストと 自稱 しながら、 どうして 自ら 必然 論者で 

ある こ と を揚々 として 一一 一一 口 あげ しないので, あるか、 私 は 寧ろ そのこと を 歯痒く 思 ふ 位で ある。 私 は 

森 山 氏の 若. _< し. s 勇氣に は 何時も 愛情 を 持ち ながら、 ただ その 齒痒ゅ さ を不滿 に 思 ふので ある 

だが、 それよりも 私 は 今日の 浪曼 心情と いふ もの を 吾々 の 立場に 於て 考 へたい。 卽ち 吾々 はこ 

の 心情に 於て 長い間の 必然的 世界 觀を 破って、 飛び ゆく 現實 として 現實を 見る。 宇宙 を變 化し 創 

迭 する ものの 述綾 として 見る。 薔薇の 花が 薔薇の 花 を 開く の は 必然の 法則で あるよりも、 一 つの 

驚きと して 吾 々の 心の 眼に 訴 へる と考 へる。 

それ は滠 早技 巧^で はなしに、 吾. ^の 生活 を 更新し、 金縛りから 解放す ると ころの 新ら しい 人 



生の 見方で ある。 

淀 野^ 一二 氏 は 『文^ 通信』 九月 號で 日本 浪曼 派を說 明して 次ぎの やうに いって ゐられ る。 

r 文^す る こと 自體に 政治 を强 ひられて ねる ことの 意識から 發 足した 僕ら は 憚る ところなく^- 

術の ための 術 を いひ、 社會に 氣穀 ねした,:: 唯物主義 作家 の 社會的 文擧か ら 自ら を區^ す る 。 

また、 揆らは 生活の 中に 文學を 解消して ゐる 自然主義 作家の 薄汚 さ を とらぬ。 一滴の 淸濟 なる 作 

品 を 生む ために 生活 の 巨 量 を 用 ふるので あ る。 生活 の E 量 か ら ^ 術 作品 を 蒸溜す る の だ C 僕ら は 

生活の 屮に 文舉を 解消して ゐる雜 誌 的 商品 文學を 排斥す る。 何の ためにせ よ、 社會 とヂャ I チリ 

ズ ムに氣 兼ねした 文學を 僕ら は 敵と 見なす。 そして 僕らの 文學が 世に 容 れられ るか 否か、 などと 

は 決して 問 はぬ。 後代に まつと も 云 はぬ。 ただ キヨの 切ない 押し つめられた 心情の 糁積 のために 

欹 ふので ある。」 

私 はこの 頃、 これほど すっきりした 言葉 を 見た ことがなかった。 敢て 社會を 見よ とはい はない. - 

お 生活 を 破壊せ よと はい はない。 然も 「押しつけられた 心情の^ 積の ために 歌 ふ」 と は、 淀 野 氏 

にして 初めてい ひ 得る 言葉に ちが ひない。 これが 囘避 であるか、 叛逆で あるか。 それ は 決して 單 

純な 進歩的 とい ふ やうな 言葉 だけで は 解決し が たいと ころの ものである。 淀 野 氏 は 尙ほ錢 け \ 」 ; :5 

衛と いふ もの を 「社 食と も 生活と も對立 させて は考 へない」 といって なられる。 淀 野 氏の いって 

ゐ る ^術と は 深奥の 世 rat に 於 て 社會と 生活と をく ぐって 來た淸 冽 さ を 指して ゐ るので あって、 言 



152 



ふやう に 一 滴の 作品の ために 生活の m.- 量 を 用 ひょうと して ゐ るので ある。 

私 は ti3 て、 幾度と なく 偶然 論と いふ ものが、 浪壘 主義の 「おき」 や 「憧憬」 とい ふ ものと 基 を 

一 つに する ものである こと をい つて 來 たが、 今 こそ 人々 は 偶然 論と いふ ものに よって 浪曼 主義者 

の 心 :.;5 と、 その 中に ある 論理と を 理解し なければ ならない。 いくら 「浪曼 、 浪憂」 と 繰り返して 

いって みたところで、 それだけ では 浪曼、 王篛は 生れて 來な いので ある。 彼等 は 「押しつけられた 

S^IBU を 叫ばう として ゐる。 彼等の 奠實と は 匿され たもの の發 見で あり、 それ は 常識的な 時代へ 

の M 赏の 叛逆で あり、 開放で ある。 この こと を 最も 適 當に說 明し、 それに 論理 を與 へる ものが 偶 

^論で ある こと はいふまで もない。 

さて 十九 世紀の 文人の 片言 狻句を あげて 鬼の 首で も 取った やうに 偶然 論 を 攻撃して ゐる 一二む 

文章 を 見た が、 大體 十八 世紀 屮椠 から 十九 世紀へ かけての 時代 は 科學の 勃興 時代であって、 人々 

は その 時代の 長 怖すべき 科舉 思想、 卽ち 必然的 機械 觀 によって 支配 せられて ゐ たので ある。 又 力 

ントの 偶然 思想の 中に 生きて ゐ たので ある。 

それ 故ボ ー ドレ ー ルの 如き も 「美と は 驚かす ことで ある」 とい ひながら、 片方で は 「機械の 如 

や. ま、 に を^ 美して ゐる。 然し これ は 時代の 潮流の 中に 彼等と 雖も 生きて ゐ たこと を說 明す る だ 

けであって、 それらの 片言 を もって 彼等の 思想 を 理解した とおへ たら、 大變 な問逮 ひで ある。 

エッケ ルマンの 『ゲ ー テ との 對話』 を 請んでも、 又ゲ ー テ の 多少の 評? i を 見ても 「必然」 とい 



IS3 



ふ 言^ は澤山 使用して ゐ るので ある。 然し ゲ,' テに 於け る 根本 思想が 必然に あつたか、 偶然に あ 

つた か、 それ は 成 瀨無極 氏の 言葉 を恃 つまで もな く 「畏敬の 心情」 にあった こと は 確かで、 それ 

は 『. エルテル の 悲しみ』 を 見ても、 又、 『ファ ウス ト』 を 見ても それ を 理解す るので ある。 彼に 於 

ける 最も 重大な 思想 は精靈 であり、 不可知の 深遠 さで あり、 熱情への 讚美であった。 彼 は 永遠 

を 見て、 倭 小の 法則 や 必然に は 安 伐 出来なかった ので ある。 寧ろ 必然 思想の 流行の 中に あって、 

彼 Q 行動と 作品と が、 常に それに 反逆して ゐる ところに、 今日の 心情が あるので ある。 彼の 思想 

の 中に ある 浪壘を 吾々 は 身に 近く 感じる ので ある。 

さ て , 偶然 論 の 優位と そ の 文學的 表現に ついて は 最早 い ふ必耍 はない。 

^率の 驚きと, 眞 率の 謙虚と、 心み ちた 人^的 自覺 と、 これら をのみ 願 ふ。 私 は敢て 一般人の 

贊成を 得ようと は 思って ゐ ない。 ただ 眞 If の 理解 者の 一 人に 私 は文學 者と しての 最も 痛切の 交^ 

を 感じれば 足りる ので ある。 今日の 文壇の 如きから 默 殺される こと なら-寧 ろ この 上ない 誇り で は 

ないか。 



爐 邊書談 

近頃、 EE 腸 を 害して るるのと、 氣 候が 寒い ので 外,: H できす、 たと へ 外出で きても 餘り而 .{w いと 

思 ふこと はなく、 食べ物に ついては 絶對の 制限が あるし、 さう かと 云って 趣味 を滿 たして くれる 

ほどの 見る もの もない し、 爐邊に うづく まって 亂讀 する のが、 今の 私に とって は 唯一 の樂 しみに 

なって ゐる。 さて A. G. Jardiner とい ふー兀 U ンド ン の The Daily News 釵の 主筆だった 男の 

00. 「我々 は 本を購 ふや」 とい ふ 一章に よると、 人口 十 萬 以上の 大工 業 市に 於ても 本屋 は 僅か 

1 %1J 力なく しかも その 大部分 は 敎科書 の 贩^ によって 辛くも 玆營 を績け てゐ ると いふ やうな 

例 は 1 切に 止まらない、 と 歎いて ゐる。 して みれば 印刷 文化の 普及して ゐる やうに いはれ てゐる 

英吉利な ども、 その 讀書 趣味に 於て、 我^と どっちが 進んで ゐ るか、 遲 れてゐ るか、 丁概に はき 

めら れな いとい ふこと になる。 

. o 一 

それにつ けても 限定版、 豪華版な どの 出版で あるが、 ああい ふ もの は、 愛書家、 藏 書家の 聲で 



あらう か、 それとも 潔癖な 出版業者の 內 からの 聲 であらう か。 我國 最近の この種の 出版 は 多く 跺 

擇 ものに 限られて ゐる らしく、 ジ ー ドの 『パリ ウド』 ゃモ I ランの 『三人 女』 などが 記憶に 殘っ 

てゐ る。 その他で は 僅かに 『成籑 堂 閑 記 j- r 百 鬼園隨 维』 『茱萸 の 酒』 などの 隨筆類 を 見る のみで、 

その他 二三の 詩槳に 見た が、 吾々 の小說 集に は餘り 見かけない。 恐らく 小說は 他の 範疇の 文舉ょ 

り 比較的 複雑で あり、 傑作に 至る ほど さう いふ 傾向に あるから、 凝って は 思案に 能 はすで、 結局 

簡素な 装^が 無難 だとい ふこと になり、 さう いふ 凝り 甲斐の ない 仕事 を、 凝り性の 出版業者 は 避 

けたいの かも 知れない。 從 つて 同じ 小說 でも 小 味な 特異性の ある もの ほど、 装^に も 容易に 傑作 

が 生れる らしく、 最近 寫眞で 見た の だが、 一 九 二八 年ァァ フ 口 リコ 出版 所發 行の T.L.Weddces 

作品 ffi など その 一 例で はない かと^った。 

〇 

べド オズと い へば、 彼の 學生 時代、 最も 愛讀 した もの は Marlow の "TJie Tragical Hists-y 

of Doctor Faustus" だった さう であるが、 私 もこれ を 爐邊册 子の 一 として ゐる。 さて 『ァ ラビ 

ヤン . ナイト』 の 第 SL 百 三 十六夜に 初 まる 「アブ ー ル . フー ス ンと 奴隸娘 タヮヅ ー ドの 詰」 は當 

時の^ 藝の 1 斑が 想像 せられて 面白い が、 『 フォ ウス タス 博士 悲史』 にも 同じ やうな 興味が; m く 

のみなら す、 文藝 復興 期の 「世界」 とい ふ もの を 小じんまりと 手際よ く 表現して ゐる のが 遠近の 6 

5 

强 い 古^ 螯を 見る やうな 喜び を與 へて くれる。 义 n 1 マ 法皇に 思 ひ 切りから かふと ころな ど は、 



^にお:: J、" つ 嫌疑 を 受けた 作者 を ^約の 裡に 語つ てゐ はしない かと 思 はれる ほど 大瞎 であるし、 マ 

その 大^な フォ ウス タス 博士が 「肉 體ょ、 空氣に 化せ! おお 靈 魂よ、 水滴と なって 大洋に 落ち 

よ!」 とか 何とか 絕叫 しな がら 惡魔 たち に 連れ去られ る 最期 もなか な か 効枭的 と 思った。 

〇 - 

しかし、 かう いふ 戯曲な ど を 好んで 讚む の も、 畢兗 まだ 私に も 若々 しい 情熱が 潜んで: Q るから 

で 「ラム は 老境に 入って 読むべく、 ハズリット は靑 年に のみ 味 ひ 得る」 といった 誰 やらの 言葉 を 

思 ひだす。 讚 書と 年齢と に は 確かに 一 つの 關 係が あり、 例へば ギリシャ、 ラテンの 古書 を 貪り 請 

んだ Pater も、 晚 年に は 聖書と; t 曲と プ ラトンぐ らゐ しか 繙か なかった とい ふから、 西洋人の 

お 後 の 3 さ とい ふ もの も わ、 る氣 がする。 さて 東洋人 —— 日本人の 場合に は、 どうも 萬^、 

0. ^林 子と いふ わけに も ゆかす、 方丈 記、 徒然 草、 雲 萍雜 志で も あるまい。 結局、 あれこれ 

と 若い 時からの 楨 きに 從 つて 讀 むので あらう が、 それ は 日本人の 多 欲な ためで はなく、 反って 執 

^心の 弱. S ためで あらう。 

. 〇 、 、 

「^の 人 を をし へ 給 ふお もむ き はこと に ふれて 執心な かれと-なり。 いま 草の ^を 愛す る も 科と 

す。 閑寂 に^ する も 障な る べし。」 

かう. S ふ 日本人に、 偉大なる 藏袅^ の玆 出しな いのは 不思議で はない。 書^、 書^ T 書 豚な ど 



と 5- ふ ^装 は、 シ ルゲェ ス トル . ボナ アル やへ ンリ • ライク ラフト の 創造 せられる 西洋人に こそ 

適 はしい ので ある。 尤も フランス や ギッシング は刖 として、 一般に 小說 家より エッセイストに 战 

「リ: ん、 愛袅^ が 多い らし いのは、 小説家 は 概して 淸 閑に 乏しく、 叉 自我が 强 くて 趣味 好尙の 偏し 

てゐ るた めで あらう が、 一 つ は 目前の 世態 人情の 實 相を捉 へる ことに 對し てあそびの 精 祌が少 い 

からで も あらう。 それにしても 偶然 『阿片 吸飮 者の 吿白』 を讀 返して みると、 .テ • クイ ンシィ も 

亦 これ を窨 いた 頃、 五千卷 ほど 蔵して ゐ たこと が 分り、 彼な どは^に 愛書家と して 有名で もない 

のにと、 向 ふの 作家の 精進ぶ りが 想 はれる。 だが、 Augdstine の ".Birrell wook wuying" を 

讀ん だり すると、 一 一千 卷の藏 書な ど は 一 ー荖の 外套 を もって ゐ るのと 同じ ことで 誇る に 足りない、 

まあ 一 萬卷を 所有す るまで は 蔵書の ことな ど は 口にしない ほどよい、 と 寄いて あるから 輕 率に 感 

"はでき ない。 

〇 

私 は畫寢 する 癖が あって、 それ を スペイン 風に 「シエスタ」 と 名 づけて ろる。 だが、 冒頭に 記 

したやう に、 胃腸 を 害して ゐて 食後の 二三 時 問 は 常に 不快で あるが、 この 眠りから 醒めた 時 だけ 

はさす がに 爽やかで、 爲 めに 私 は 益 ミ 「シエスタ」 を勵 行す る やうに なって ゐる。 

さ て 目覺め る と 白 宵の 迫つ てゐる こと が 多く、 さう い ふ 時には 好んで 夢幻 的な 短篇 小^ を讀 む。 

等しく 夢幻 的と いっても、 サン • ビエ ー ル の r 印度人の 小舍』 など はシ, -ニ ヱが 「あらゆる b マ I 



ンスっ 中の 一 ^ 短い 一 赉道德 的な もの」 と讃 めた だけあって、 含まれた モラル は^ 純で あるが、 お 

それ? けに^ 情.^ で、 想像で 書いたら しい 印度、 ヂャ ッガァ ナスの 神殿 や パリア (賤民) の 生活 

が 巧みに 浮彫され てゐて 誠に^ しい。 また 時に マルセル. シ ユウ ォッブ の 『モ タフ レエ ヌの魔 宴』 

を ひろげる。 これ は 一人の 騎士が、 ある 夜醉 歩蹣跚 として 墓地 を 通りかかり、 辻君に 化けた 妖婆 

に^^されて サバトに 列して しまった ことが 分って 投獄され る 話に 過ぎない が、 サバトの 光景 を 

描く こと 微細 を 極め、 銅^に 入れた 黑血ゃ 死人の 指と 呼ばれる 實答^ 子の 花や、 白鎩 でつくった 

壺ゃ靑 い 猿 や 丹朱の 頸 を 開いて 月に 吠える 黑犬. などの 問に 救 ひ 難い 世紀末の 匂 を 滲み わたらせて 

なる。 ボウと フランスの 混血 兒 である。 私 はや ゃ薄氣 i ふわる くなる と 決って 次の 小冊子 を 取 上る。 

それに は ゴォテ ィ H の 『ヘル モンテ イス 女王』 が 載って ゐる。 骨董 店から 文鎭の 代りに 木乃伊 

の ヘルモンティス 女王の 片足 を 買って 來て、 机の 上に 置いて おくと、 夜中に 跛の 女王が やって 來 

て 足 を 返して くれと いふ。 望み を 聞いて やる と 代りに 彼女の 首から 小さな 綠 色の 煉 物の 人形 を 外 

して 机に S き、 主人公 を 彼女の 父の 埃 及 王の 塋窟へ 連れて行く。 但し その 老 王の 握手が 餘 りに 力 

强 かった ので 服が 焭め てし まふ。 机の 上に は煉 物の 人形が 載って ゐ ると いふ 他愛の ない 話で ある。 

^ば 夢幻 を さ迷って 渐く 窓外 を 見る。 外 は旣 にす つかり^ くな つて、 風が 出た ので あらう、 激し 

い 松賴が 聞え て來 る。 私 は 小冊子 を^いて、 爐^ を 離れ、 叉た まって ゐる 原稿の こと を 思 ふので 

ある。 



秋の アルル 力 ン 



ある 赏驗 によると、 吾々 の 祌經の 所在に ついて 一 つの 喑 示が 與 へられる。 

合歡 草に 刺戟 を與 へる と、 その 菝が しなへ る。 これ は 普通で ある。 ところが 合徵草 ©1 部分 を 

切. 斷 して、 切斷 した 部分と 部分と を ゴム 管 か 何 かで つないで、 その ゴム 管の 中へ 水を滿 たして お 

く。 それから 一 端に 刺戟 を與 へ る。 

すると、 この ゴム 管 を 通じて 同じ やうに 他の 一端へ その 刺戟が 傳 達する。 

さうな ると 祌經 とい ふ ものが、 必す しも 生理的な 不思議な 精神 作用で はなく、 一 つの 物理的な 

存在に 變 化して 來 ると 思 はれる。 

これ はつい 二三 日 前、 僕の 知己で ある 浦 本 政三郞 博士から その 實驗 として 聞いた 話で ある。 

吾々 は 愛する 者と 向きあって ゐて、 時々 話さないで 話して ゐる。 また 遠く離れて ねて、 1ん 話 

をして ゐる 時が ある。 かう いふ ことに もな ほ 物理的な 計算が 可能 かも 知れない。 

かくの 如き 時代に おいて、 吾々 は 最早 唯物論と か 唯心論と かいふ 必要 はちつ ともない。 恐らく 



現代で はさう. S ふ單 純な 分類 は 通用 しないに 違 ひない。 

そこで 吾々 の 問題と して 登場す る もの は、 科學的 考察が 如何に 吾 A の 從來の 思考力 を改變 させ 

るかと いふ ことで ある。 吾々 が 嘗て 形式主義の 頃、 最後に 到着した 問題 は 「光と 時間」 とい ふこ 

とであった。 これ は 最も 抽象的に 見えて 最も 民族的な 問題に 連關 して 來た。 

私 は 生活と 文學が 常に 氣 候と 風土と に 制限せられ、 その 中の 肉體 によって 決定 せられる こと を 

いよいよ 痛切に 感じて ゐる。 日本の 文學は 何よりも 日本の 「光と 時 問」 である 氣 候と 風土との 性 

格に よって 決定 せられる。 かくて 科學 とい ふ もの を單 なる 抽象 概念と 考へ る 時代 は 最早 過ぎ去つ 

たので は あるまい か。 

0. . o 

先頃、 「世界 大 思想 全 桀」 の 一 册、 ヴ オル テ ー ル Q 『哲學 辭典』 を讀 み、 相當に 面白かった。 

これ は、 ヴ オル テ I ルが七 百 人の 知人に 送った 約 二 萬 通の 書翰 を 主と し、 全 著述から 拔萃 されて 

組織され た 二種の 同名の 書 を 底本と し、 再び 他の 著述 を參 !i 一して、 增減、 訂正 を 行 ひっつ、 安谷 

^ i 氏の 譯出、 編輯した ものである。 百 一 一十 六篇の 短い ェ ッ セィ とヴォ ルテ ー ル語鈔 とから 成つ 

てゐ る。 世上 萬般の 問題 を 論じて ゐ るが、 誠に 理解力が 豐 富で 分析 力が 鋭敏で、 實に 公平な 懐疑 

精 祌に貧 かれて ゐる。 

しかし、 こんな こと は 普く 知れ渡って ゐる こと だから 多言す る Q を須 ひない が、 私 は 以前に ァ 



ナ トオル . フランスの 『ェ ピキュ ラス の 園』 を 讀んだ 時に、 丁度 こ の 『哲學 辭典』 讀 後の やうな 

^を 受けた の を覺 えて ゐる。 尤も フランス は 趣味 も文鞏 もす つと エステ ティッシュ であるが、 あ 

の惚疑 精神の 種本 はこの 『哲學 ^典』 かも 知れない。 しかし この 二人の 懐疑 精神に は、 非常に 落 

着いた、 時には 遊び半分な ところが ある。 悠々 たる 微笑 を 浮べて ゐる。 ところが 現代人の 持つ、 

或 ひ は 持たざる を 得ない 懐疑 精神と いふ もの は、 もっと 業 SI とで も 謂 ふべき 痛烈な 苦悶の 所産で 

あるから、 华徵 神の やうな 微笑なん か 浮べた くっても 浮べら れ なくなって ゐる やうに 思 はれる。 

〇 

話 は あらぬ 方へ 飛ぶ が、 コク トォに 「『山師 トォ マ』 に 就いて」 とい ふ 文章が あり、 ヴァ レリ 

に 「『海 邊の 墓地』 に 就いて」 とい ふ 文章が ある。 これら は 何れも 自作の 註解であって、 ショウ 

などに も 多い やうに、 西洋人 はよ く かう いふ こと を やる ものら し い。 尤も 日本に も 全然ない こと 

; i i くし 'ふ;. J hs. フ ら し *< 

はない。 例へば、 森鸱 外の 『玉箧 兩 浦嶼』 の 「自註」 や 『高瀬舟』 の 「緣 起」 など を 擧げる こ 

とが 出來 る。 しかし、 とにかく われわれ は餘 りかう いふ こと はやらない。 自作 を註釋 する の は、 

大概の 場合 請 者に 親切な ためであって、 何も 讀者を 見くびつ たためで はない の だから、 われわれ 

もやって 惡 いこと はない の だが。 —— 實際、 何度もい はれて 來 たこと ながら、 批評家 乃至 は^ 者 

の 評^と、 作者 自身の 自作に 對 する 評 價とは 一致す る 場合の 方が 少ない ので ある。 又、 評價、 僭 2 

髖^ 斷 とい ふこと とは训 に、 作者に は 自作に 對 する 好惡と いふ ものが ある。 これが 又 不思^な も I 



ので、 批評お 乃至 は讀 者の 批判と は 食ひ逡 ふの は 勿論と しても * 作者 自身、 傑作 だと 信じながら 3 

赚 ひな 自作 も あるし、 恧 作と は 思 ひながら 愛着の 深い 自作 も ある。 だから 批評家 乃至 は 讃 者に 正 I 

當に^ 斷 して IB: ひたいと いふよりも、 作者の さう いふ 複雜 な氣 持ち を 聞いて 貰 ひたいと いふた め 

に、 時として 自註め いた もの を 書きたい などと 思っても、 自分の 作品が 未だ 到底 そんなと ころ ま 

で 行って ゐな. S こと を、 誰よりも よく 承知して ゐ るので 出来な いので ある。 

何故、 突然 こんな こと を 記した かとい ふと、 たまたま 身邊 にあった 昭和 三年の 十二月 號の 『新 

潮』 を パラパラ めくって 見て 「私が 本年 發 表した 創作に 就いて」 とい ふ 5: に 答へ た 諸家のう ち、 

足嵇の 一文に 「ついでに 世間で 僕の 代表作の やうに いはれ てゐる 「黄 漠 異談」 「星 を賣る 店」 

も 今後^に はす てられる。 あの 二つ は 僕の 恥辱になる やうな 愚劣な もの だから だ」 と あるの を讀 

ん だからで ある。 あれら の 作 は 決して 惡ぃ 作で はない が 作者 はさう 宜 言して ゐる。 かかる こと は 

お 互 ひに 經^ する ことで 作者の 心理と いふ もの は なかなか 一 筋で はあり 得ない。 恐らく 幸福な 作 

家と は、 お ほよ そ 自作に 對 する 評價ゃ 好惡 が、 批評家 乃至 は諝 者と 常に 一 致す る 作家の ことで あ 

るに ちが ひない。 

〇 

何とか 髙 名な 國體 論者が、 日本の 國體を 必然 論の 立繮 から 高揚して ゐ るの を 見た。 だが 自分な 

ど はもつ と 本能 的に 「光と 時間」 の 問題と して、 民族的に これ は^じるべき ものと 思って ゐる。 



若し 民族と しての 風土 的な 本能から 出發 する のでなければ、 そこに 何等の 國家 形態と しての 尊嚴 

と歸 依と いふ ものが 現 はれる 箬 がない。 國 土と 人間と を 結びつける もの は 風土 的な 本能であって 

理智ゃ 法則で はない。 理知と 法則に は 常に 限界が あるが 本能 こそ は 常に 無限で あるから である • 

然も 本能 は その 批判と して 知性 を 持つ ので ある。 その 場合に 必然 論が 役立つ だけで ある。 

〇 - 

スチ ヴンス ンの 『驢馬と 旅して』 (Travels with a Donkey in the C6vennes) とい ふ 旅行 

記 は 知って ゐる人 も 少なく あるまい。 私 はこれ を 藤 田 千代 吉と いふ 人の 譯 書で 最近 讀み、 大變 興 

味を覺 えた。 終りに 三十 數 頁の 註まで 附 いて ゐて、 少し 生硬で は ある けれども 念の 入った 飜譯で 

あった。 これ は スチヴ ンスン がー 頭の 驢馬に 荷 を 負 はせ て、 一八 七 八 年の 九月 二十 二日から 十月 

三日に 至る 十一 日の 問に、 フランスの セグ ェンヌ 地方 を 踏破した 記錄 である。 旅行 文舉 とい ふ も 

のが 論じられて ゐる析 柄 面白い ものと 思った。 機智に 富んだ 筆で、 古 戰場ゃ 修道院の ある 寒村の 

點 在して ゐる 寂しい 山越え を 細密に 描いて ゐる 所な ど、 とりわけ 優れて ゐた。 觀 方が 少し 荒い や 

うに 思 はれる が、 その か はり 雄 健な 風景 はよ く 描かれて ゐた。 細かい 味は餘 りない が、 これ は 西 

洋 人の 特徵 かもしれ ない。 もっとも さう いふ 考へ方 そのものが 組雜 であると も 思 はれる が。 とも 

あれ、 次に 擧げる 一節 は 特に 優れて ゐる とも 思 はれない が、 一英 人の 眼に 映った 南佛の 山奥の 秋 

の 一 風景と して 睿き寫 して 見る。 



164 



ボン. ドウ. モヴ H 1 ル から フ B ラま では タル ン 河の 流域 を經て 新しい 道路が ついて ゐる。 

斷 -3 の 絡 頂と 谷間の 底 を 流れる タル ン 河との 中間 どころ に、 棚の やうに 突き出て 懸 つて ゐる 一 

條 の^かな 砂地の- M 路 である。 そして、 私 はこの 道路 づた ひに 行く 道す がら、 入江 狀の山 蔭 か 

ら 午後の 太陽の 照って ゐる海 角へ と 出たり 入ったり した。 丁度 キリ クラ ンキの 山路の やうで あ 

つた。 もとは、 雨水が 山腹に 穿った 九十 九折の 深い 溝であって、 遙か 下の 方で は、 タルン 河が 

驚くべき 稃騷 がしき 噪昔を 立てて 流れ、 上の 方で は、 峨々 たる 山道が 日光 を 浴びて 突っ立って 

ゐる。 山々 の 頂上の あたり を、 丁度 麼墟の 上 を 這 ふ 蔦 かづら の やうに、 トネ リコの 木が 薄い 緣 

を 取って 定 つて ゐた。 然し 麓に 近い 山腹 や、 それぞれの 峽谷 のす つと 上方で は、 栗樹 が、 天幕 

を 張った やうな^ 獎を 戴いて、 天に 向って どれ もこれ も 自若と して 立って ゐた。 ほんの 寢床位 

の大 いさの、 夫 々の テレスの 上に 植 つて ゐる もの もあった。 己が 根に 信頼して、 谷 問の^ 阪な 

傾斜の 上に 生靑 し、 裟 茂し、 露 直ぐな 大木と なる 力 を 得た もの もあった。 また 中に:^、 河邊に 

餘 地の あると ころで は、 一列に 並んで、 恰も レバノンの 香 柏の 如く 威容 堂々 と 立って ゐる もの 

もあった。 然し、 いかほど 濃く 密生して ゐた ところで も、 之 を 一個の 森と 考 へる こと は 不可能 

で、 ただ 頑丈な 一本 一 本の 钹合體 と 見るべき であった。 そして 各 一 本 一本の 天蓋 は、 周 園の 天 

^から はっきり 分離して ゐて、 大きく、 恰も 小山の 如く 獨 立して ゐた。 これらの 樹は、 何れも 

微かな 芳香 を發 し、 それが 午後の 空 氣 にしみ 渡って ゐた。 秋 は 旣に靑 葉の 所々 を 金色と 朽槳色 



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とに 染めな して ゐた。 そして 太陽が、 一 面に 擴 つて &る簇 葉の 問 を さし 込んで、 葉 を 總體に 燃 

え 立た せた ので、 栗の 赏の 一 つ 一 つが、 樹蔭 ではなく 日光 を 浴びて、 くっきりと 際立って 見え 

た。 

〇 

何やら 雜 然と 感想 を 並べ たが、 これ もヴ オル テ ー ルが 「法律 宗敎は モス コ ー では 毛皮 を^、 デ 

ル ウイで は紗の 毛織物 を 着なければ ならない」 といった やうに、 秋と いふ 季候に 調味され て出來 

た アルル カンの 一 種 かも 知れない 支那に もァ ルル カンに よく 似た 骨董 囊と いふ 言葉が あって、 

この^ 粲 なんか 至極 隙套な ことば かり 並べた から、 骨 簠獒の 方が ふさ はしい かと も 思 ふが、 まあ 

せめて 題 だけで も片 假名に して 置かない と、 我ながら 老い こんだ やうな 氣 がして 秋風 落荬 の感も 

切赏 過ぎる と 思った やうな 次第で ある。 最後に もう 一 っヴ オル テ ー ルの言 薬 を 擧げて 置かう。 平 

凡 だが &肉 ではない。 

r 傑作 を殘 さう と 思 ふなら ば、 文人 は 次の 三つの こと を愼 むべき だ。 I - 極めてつ つまし やか 

な 方法でなくて は、 自分の 名 を擧げ ようとし ない こと。 贈呈の 手銶を 書かない こと。 序文 をつ け 

ない こと U II この 三つ だ。」 



「春 琴 妙』 私見 

この 問 ある 座談 會に 出た 時、 誰れ かが 『春 琴抄 J のこと を 話し だし、 それで 私 もつ ひどうした 

はすみ か、 すっと 前讀ん だものの ことまで 話したり したが、 私 は大體 『春 琴抄』 とい ふ ものの テ 

1 マ を 大^ 精祌的 に解釋 して ゐる。 

恐らく 多くの 『泰 琴抄』 の 批評に は、 いろいろな 面が 論じられて ゐて、 私な どが 今更ら 何も 附 

け 加へ ると ころ はない かと 思 ふが、 私 は それらの 批評 は 何 一 つよんで ゐ ないし、 昔 よんだ 物語の 

こと を 記しながら、 自分の 感想 を 少しば かり 書いて みたい。 

十 年 ほど 前で、 小說を やりだした ばかりの 時で あるが、 私 は その 頃 菊 池 氏の 譯で、 セル マ. ラ 

ゲル レ ー フの 『ル ー ベン 伯父』 とい ふ もの を 請んだ。 この 小說は 日本風の 勘, おの 仕方で なら、 恐 

らく 三十 枚 程度の 作品で あつたが、 素晴らしく 立派な もので、 何 か 質的な よさ を 感じさせて、 以 

來私、 ズ 413 れす にゐ た。 忘れす にゐ たとい ふよりも、 私 は 常に かう いふ テ ー マで 一度.^ 說を 力いて 



見た. S と 思 ひ、 その 願 ひ は 私の 念頭から 離れなかった。 ところが 谷 崎 氏が それ を 書いて しまった。 

これ は 偶然の ことに 遣 ひない が、 やはり 私 は 谷 崎と いふ 人 は 巨人で あると 思った。 

ところで 『ル ー ベン 伯父』 の 桢概を 略述す る 必要が あるが、 話 は 作者の 國 である ノ I ル ウェイ 

で、 その 小さい 町に 一 人の子 供が あって ル ー ベ ンと いふ 名前であった。 彼 は 賢い 子供で、 よく 町 

の 通りで 獨樂を 廻 はして 遊んで ゐ たが、 或る日 疲れて 石段に 腰 を かけた とい ふので ある。 然し 彼 

は 他家の 石段に かける よりも 自分の 家の 石段の 方が 道德的 だと 思って、 そこで 休んで ゐた。 然し 

彼の 家 は 貧乏で 日蔭に あつたので、 それが もとで 彼 は 風邪 を 引き 間もなく 死んだ。 小說は 死んだ 

子供に 對 する 忘れられない 母親の 愛情から 始まる ので あるが、 彼女 は 水 を 汲みに 行かう として は 

誰れ かが 自分の 裾 を 引つ ばる の を 感じ、 それが ル ー ベン かと 思ったり" 叉 外から うちに 歸 ると、 

そこに ル, "ベ ンがゐ さう に 思ったり して、 何時までも 忘れなかった。 

K 際 母親 には子 供が 澤 山あって、 彼女の 心 は、 それらの 子供の ことで 何時も 一杯に なって ゐる 

ので あるが、 どんな 時で も 彼女の 心の 隅に はル I ベ ンのゐ る 場所 だけ はちゃん とあって、 彼女 は、 

宰! II な 時に つけ 不幸な 時に つけ 「ル I ベ ンがゐ たら どんなにい いか」 と考 へた。 すると 澤 山の 子 

供 達 は 次第に あんなに 母親の 心を囚 へ て ゐたル 、-べ ンは必 す 偉い 子供で あつたに 違 ひない と 思 ひ、 

どうにかして ル ー ベ ンの やうに 自分 達 も 賢い 小 供に なり、 母 鋭 を 慰めようと 思った。 子供達 は そ 

れ であら ゆる 勇氣と 善行に みちた 行 ひ をし 始める。 然し どんな 場合に も 母親 は 



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「お前の した こと はいい。 だが ル ー ベンと は 遠 ふ」 と 答へ て その 喜びの 中には 何時も 一つの 悲 お 

しみが 珑 つて ゐた。 

こんな 風に 母親の 益 t 强く なって ゆく 愛情が、 次第に 小さい 死んだ ル ー ベ ンを 神化し、 子供達 

はル ー ベ ンを E 檩 にして 生長す る。 そして 皆 立派な 人 間 になる。 

そこで この 兄弟 逑が w 〈らに 小さい 子供 を 又 生む やうになる ので あるが、 そこで、 この 兄弟 達が 

自分 等の 小さい 子 W 達に いふのに は 「お前 達に はル ー ベ ンと いふ 賢い 伯父さんが あつたん だよ」 

といって 子供 連 を 又 戒め だした。 

この 時代に はル ー ベ ンは 完全に 神に なって かやう にして 子々 孫々 まで 偉へ られる 形に なって ゐ 

ると いふ 筋で あるが、 母親の 愛情の 强 さがよ く 表現 せられて ゐて、 これ は 女流作家 であるが、 か 

ゥ いふ^: 界は 女で なければ どうに も かけない と 私 は 思って ゐた。 それで 私の 考へ るの は、 この 母 

鞔 2 ゅ愤 を、 おが 女 を 愛する 愛情に して こんな 小說を かけぬ もの かと 考へ る ことが 多かった が、 

それが 私に は^ 斷 がっかなかった。 ところが 谷 崎 氏が これ を K に 見事に 書いて しまった。 

愛情の 强 さとい ふ ものが 相手の 女 を 神化して ゆく さまが 實 によく 描かれて ゐる。 とりわけ 失明 

後の 心现の 髙揚は 心に くい 許りで ある。 世 問に は あの 作品が リ了 ル でない と 批評す る 人が あるが、 

それ は 作 助の^ 琴に 對す る氣持 を さしてい つて ゐる のかと 思 ふが、 あれ は 劇中劇であって、 そん 

な こと はどう だってい いので ある。 作者の 周到 さは、 そんな ことで はなく、 作者 は 全 體を佐 助の 



心理 を 通して 描く とい ふこと を 幾度と なく 作 中で も斷 つて ゐ るが、 そこに リアル の 焦 點を 置いて 

ゐ るので ある。 佐 助 を 通して 描く 時、 それ は 如何なる こと も あり 得る ので ある。 リアリズム など 

といって 小 天 地 だけし かわからぬ 述屮 が、 佐 助の 心理が どうしたの、 外國 のこと を 書く のが どう 

したの、 とよく いって ゐ るの を 見かける が、 谷 崎 氏が それ 位の 用意 をして ゐな いと 考 へる ことか 

らして 彼等の 安易 さ を 暴露して ゐ るので ある。 私 だって ロシアの こと を 書けば、 普 通 の 左翼 作-: M 

なんかより はすつ と ロシャ はしらべ てゐ るので ある。 私 は 私の 書いた 口 シァ もので 不服が あれ 

ば、 いつでも 明白に 答へ、 その 連中の 蒙 位ゐは 開いて やる ので ある。 

さて 話が よそに それた が > 『春 琴抄』 とい ふ もの はた だ感覺 的に みたり.、 異常な 性狀 としてみ 

たり、 從來 のつ づきと して 簞 なる 谷 崎 好みと してみ るべき 作品で はない。 私の 見方 は 私の 昔から 

の 思想が. M うちにな りすぎ て 偏した ところが あるか も 知れない が、 私 は 谷 崎 氏の 新ら しく 强烈な 

愛情の 高揚が 現 はれ、 それが 精神的 効 架に なって ゐ ると 思 ふので ある。 この こと を 見落して はこ 

の 作品 は 三分の 一 になって しま ふ。 書きたい こと はいくら でも あるが、 長くな つたので これ は 又 

何 かの 機會に 書きたい。 

さて これ は附け 足しで あるが 『ル ー ベ ン 伯父』 とい ふ 題 は 『ル ー ベ ン 伯父さん』 と譯 した 方が 

可愛 ゆくてい いので はない かと も考へ てゐ る。 私 は その後 ラゲ ルレ ー フ の 全集 を 取りよ せて 少し 

ばかり 讀ん でみ た。 然し 『ル ー ベ ン 伯父』 ほど すぐれたの はなく、 他 は 大抵、 女流作家 特有の 抽 



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^性に 陷 いり それほど 面白くなかった。 

ところで r ル ー ベ ン伯父 j と 『^琴 抄』 の關 係に 就き 一 胃 斷 つてお きたいの は 、私の 文章 は 宛 

も 「春 琴杪, e が r ル I ベ ン 伯父』 から 來てゐ ると いふ 觀念を 起させない とも 限らない。 然し それ 

は構迭 からい つても 如何なる ー點を とっても、 類似の 點は影 だに なく、 私の 文意 は、 私の 長い間 

の r ル ー ベ ン 伯父』 ^後 感が、 谷 崎 氏に よって 不思議に 果 された とい ふに とどまる。 その 點 では 

私 はこの 作^の この 一 作に、 ^りない 尊敬と 羨望と を 正直に 感す るので ある。 敢て 日本 文 學に於 

ける 最卨 st とい ふに ぉ^ しないので ある。 

年 齡 

僕 は 自分の 年齢と い ふ もの を、 つ. S ぞ この間まで 知らないで ゐた。 

だから 齢 を 問 はれる といつ も 女房に 尊ね た。 女房が ゐな いと 出 li 目 をい ふより 仕方がなかった- 

僕 は 郊外に 住居して ゐ るので、 柬 京へ 出る 電卓の パス を 時々 買 ふので あるが、 その 度に 年齢が 

つか 二つ 老竿 になったり、 若くな つたり、 その 時の 氣 持ちで いろいろに 變 つた。 それにつ けて 

も 皆が よく 党え てゐ て、 正確に いって ゐ るの を 見る と、 いつも 不思議な 氣 がした。 年齢な どと い 

ふ もの は 僕に とって 哏中 になかった。 

それが この頃に なって、 漸く 自分の 年 5 ^とい ふ もの を 初めて 知る やうに なった。 三十 而立と い 



ヮ1 



ふが、 この頃に なって やっと 親しら すの 生えた 僕 は、 今頃に なって、 漸く 世間 並の 仲間に なれた 

のか も 知れない。 

僕 は 大體、 時間と いふ もの を 好かなかった。 アインスタイン は、 時 間 が總 ての 物理的 存在 を 決 

定 するとい つて ゐ るが、 僕 は 時計 を 持つ のが 嫌で、 っひぞ 持たなかった が、 それが この頃に なつ 

て、 まるで 反對 になって しまった。 時計 を 一寸で も 忘れて 外出す ると 大變 不便 を感 する やうに な 

つた。 

1 つに はこの 春、 少しば かり ひどい 病氣 をして、 死と いふ もの を 目の あたりに 見た からか も 知 

れ ない。 それ 以來、 僕 は 自分の 生命 を 計算す る やうに なった。 それとも これ は、 昔々、 落ち あ ふ 

約柬 をして ゐた 愛人な ど を、 餘ゎ 待たせた りした 過去の 反省から 來てゐ るの かも 知れない。 それ 

にして も. K 際 中年と いふ ものに はやつ と、 年齢 を 知り だ し た 少年 の やうに 叉 不思^な 若 々しさが 

ある。 

何れにしても、 人 問と いふ もの は、 ふとして いろいろな こと を 初める もの だと 思 ふ。 

さう 思って、 時計 を 腕に つけて ゐる人 を 見て ゐ ると、 不思議に 男よりも 女の 方が 澤山 つけて ゐ 

る。 それ も 若い 人達に 於て は。 

これ はどうい ふ理 .5 から 來てゐ るの か。 それ は 女性に は、 とりわけ 結婚適齢期と いふ ものが あ 

つて、 早くから 年齢に 敏感になる せいかと 思 はれたり、 それとも 彼女 達が、 出來 ろと ころに は 何 



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からでも^ 飾したい と 思 ふせ ゐ からか、 それとも 何事に も フ 口 イド 的に 束縛 せられる ことが 好き 

で、 つける のかと 思 はれる。 その 何れで あるか、 一向に^ 斷 はっかな いが 何れにしても 彼女 逹が 

好んで 時計 を 持って ゐる とい ふこと は 事實 である。 

自分の 趣味から いへば、 娘に は 時計 を 持たせ、 靑 年に は 何もつ けて やりたくない。 

ところで 老人 を 見る と、 男 は 皆、 時計 を 持って ゐ るのに、 老婆 達は槪 して 時計と いふ もの を輕 

蔑して ゐる。 老婆 逹は 自分の 子^ を 所有して、 時間 を 抹殺して ゐ るの か。 それとも 人生の 用事 を 

^して 死の 用意 を 始め だして ゐる のか。 

それが もっと 齢 をと つてし まふと、 今度 は 人 は 誰れ も、 男 も 女 も 時計 を 恐れて しま ふ。 そして 

^おとか 米^と かいって、 誠にの ろい 年齢の 時計 をた よりにし だす。 

さて 僕 は 年齢と いふ ものに は 昔から 不思議な 感覺を 持って ゐて、 年長者に 封して は、 それが ど 

んな 種類の 人間で も、 手 向 ひが 出来ない .1 が ある。 齢が 上 だとい ふこと に 一種の 恐怖 を 感じる。 

その 人間が 何 か 人生の 甲羅 を 積んで なるとい ふこと に擧問 や 技術 を 越えた 尊敬 をす る。 何とい ふ 

理由 もない のに 年長者に は 頭が あがらない。 

これ は 子供の 時、 染み込んだ 智惯に 遠 ひない が、 顔の 皴の數 によって、 それだけで もう、 こち 

らが へりくだ つてし まふ。 

多少 は 誰れ でも 持って &る 習慣に 違 ひない が、 僕の 場合 は それが ひどく、 時に 悲 L く 思 ふこと 



173 



が ある。 してみ ると 僕 は經驗 主義者 か、 それとも 時間^ 對 主義者の やうに 思 はれて くる • 

人 はいつ でも 年齢 を 忘れて 生活した いに 違 ひない。 その 癖、 年長と いふ ことに 對 して、 尊敬 を 

拂 ふの はどうい ふ 心理で あらう か。 恐らく こ の 矛盾した 作用 を 起さし める 年齢と いふ ものの 中に 

こそ、 人の 成長の 希望と 悲哀の 感情と が 同時に 匿され てゐ るのに 遠 ひない。 

僕 は 一 二十 六に なって 漸く 自分の 年齢と いふ もの を 知る やうに なった。 これ は 悲しい 専か 喜ばし 

いこと か 自分に も わからない。 

時 計 

時計 はいつ も 鼓勳の やうに 時 問 を 刻んで ゐる。 あの 音 をき いて ゐ ると 私 は 身ぶ る ひし、 人生 Q 

忽然 をい つも 感じる。 

過ぎ ゆく 年齢 を 思 ひ、 新ら しい-: £發 を m 心 ひ 世界の 始めと 終り を 想像し、 鉛箪の シン を 削りた く 

なる。 

だが、 昔、 私 は 時計と いふ もの を輕 蔑して ゐた。 だから そのころ は 時計に 恐怖 も 感じなければ、 

興味 も 感じなかった。 あんな もの を 腕に 卷 いたりして ゐ る人閗 をみ ると、 彼等の 几帳面 さが 通俗 

に 思 はれて、 あんな コセコ セした 人間に 何が 出來 るかと 考 へて ゐた。 人 問 はもつ と 春風 拗篛 とし 

て 小 時 問な ど^ 中から 驟逐 しなければ 偉大な もの は出來 ない と考 へ て ゐた。 



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ところが 私 は 一 咋年" 病中 生死の境 を 通過して 以来と いふ もの、 自分の 生命と いふ ものに 須臾 

を 感じ だし、 時々 時計の 面 を 見て は 自分の 流れ ゆく 生命 を 見つめる 癖が ついた。 恐らく ぞんざい 

に考 へて ゐた 生命と いふ もの を 刻々 に 意識した くな つたから に 遠 ひない。 

すると 今まで 最もつ まらなかった ものが 急に 大切に なり 私 は 嘗て 持った ことのない 時計 を^に 

卷 くやう になった。 いつ 死んでも 生きても いいと m 心って ゐ たもの が、 今でも さう いふ 覺 悟に 變り 

はない が、 生きて ゐる 間をハ キリと 意識した. S と 思 ひだした らしい。 

卷 いてみ ると、 それが 珍ら しく 新鮮で、 生きて 動く ので、 私 はふと して 時計 を 忘れて 外出した 

りする と大 3^ 淋しがる やうに なった。 それに 時計と いふ も Q は 絶えす 音 をた てて、 耳に あてる と、 

一 つの 生き物が 自分に 同伴して ゐ ると いふ 氣持を 起さし める。 

だから 今では 私 は^の 中で も 五つの 時計 を 動かして、 何時も 彼等 を 監督して ゐる。 ちょっとで 

も 一 つが 止って ゐ ると、 それが 氣 になり、 私 は 常に 注意して ゐる。 時計が 止る と、 家の 中の 統制 

が 破^せられ、 停止し さうな 危險を 感じる。 

ところが 家の 中の 時計と いふ もの は、 私が ちょっと 注意 を ゆるめる と、 どれ かが 止ったり して、 

時^が^^し てし まふ。 ボウの 小說に 時計 を 大切に する 村の 話が あるが、 丁度 あの 小說の 最後 

やうに 混^して しま ふ。 

それで 私 は 心配な ので、 毎朝の やうに 時計の 损子 だけ は 自分で 卷 くやう にした。 そして 人 をみ 



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な 自分の 時計に 信頼 さす やうに しむけた。 だが そのうちに、 私に は それが 心理的に なかなか a 荷 

になって 來た。 ふと 自分で も、 ぼんやり 忘れる ことがあ るからで ある。 

しかし 去年の 春、 電氣 時計 をつ けてから とい ふ もの、 私 は その 心理の 苦痛から 救 はれ、 何時も 

自分の 生命の 流れの やうに 廻轉 して ゐる 金の 針 を 眺めて 安心す る やうに なった。 

このごろで はどう やら こ の 時計が 生活の 中心に なり、 私 は そこ に 第 四 次元の 世界 を發 見して、 

新ら しい 生涯 を 始め だした。 

私 は 昔と は變 つて 時計の 鼓舞 を 刻々 として 感じ、 自分の 餘 命と 事業と を そこから 思 ふやう にな 

つた。 時間の 間から いろいろな 生活の 組み合せが 不思議に 現れ、 私 は 時間が 來 ると、 どんな こと 

も 中止し、 それで 非常に 爽 かになる。 

かとい つて、 田舍 などへ 行って どこの 時計 も 皆が 皆、 ちがって, Q るの を昆 ると、 腹が立つ 前に、 

閑 かになる こと も ある。 全部が 全部、 勝手な 時 問 を 示して ゐ るからで ある。 そこで 我々 は 一^間 

くら ゐ、 若くな つたり、 老人に なったり する。 そして 自分の 餘命 とい ふこと に 一種の のんき さ を 

感じる。 

私 は 時計の 面 を 見て は、 時に そこから 人生 觀 まで を 割り ださう とする。 

時計 ほどた のしく、 また 時に 生命 それ 自身の やうな 錯覺で われわれ を^ かす もの はない。 



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この" !a 萩原 湖太郎 氏の 『氷 島』 とい ふ 詩 桀を讃 み、 吾々 が 愛誦した 時代の 詩が ここまで 到達し 

てゐ るの を 知って 驚いた U 

新ら しい 詩と いふ もの は、 i おい 人 逹 によって 理知" 的な スタイル により、 多く イマ ジズム の 傾向 

に 於て 行 はれて ゐる らしい。 これ は 吾々 を 新鮮に したり、 時に 吾 をして 輕 蔑の 感情 を 起さし め 

たりす る。 卽ち これらの 詩 派 は 多く 進歩主義と いふ 奴に 立って ゐる やうで ある。 然し この 『氷 島」 

一 おに みられる もの は 詩の 深化と いふ こと を 何よりも 者へ しめて、 又^の 世界 を 吾々 に 提出する。 

例へば 「乃 木 坂仉樂 部」 の 中に ある 思想 は、 人生の 荒涼 を 壁に 寄せた ベ ッドの 中で 何時までも 

眠って ゐる人 間 にこと よせ、 昏々 とした 眠りの 中に 吾々 の 失意の 深さ を 象徴して ゐる • 

かう いふ 身 を呦む 寂寞 を 唄った 詩 は、 恐らく 今日までの 詩塯 では 無かった の ではない かと 思 

ふ」 あっても それ は 比喩で あったり、 詠歎で ありすぎ た。 

然るに この 詩に 於て は 作者の 天禀 の 上に 刻まれた 深刻 さが ひしひしと 感じられ、 作者^ 生活 Q 

耽溺が、 吾々 の 生半可な 生活と いふ もの を 引き はがす。 

力くて 請み ゆく に從 つて、 その 荒涼と した 世界が いよいよ 吾々 Q 心 を 淋しく し、 絕笔の 哲舉を 

以 つて 装飾す る、 人生と はかくの 如き もの かと 思 はしめ る。 



ただ 「遊園地に て」 とい ふやうな 詩に 至る と、 多少 その 感情が 甘す つぼく、 時に 感^に 流れて 

悲しみが 冷却し きれない ために、 吾 々 は 反 つ て そこから 新 生活の 記錄 だけ を 受取り、 それが 透明 

な ものと なって 響 いて 來な いの を 感じる。 

作者 は 序文の 中で 「詩的 情熱の 最も 純一 の興脔 だけ を 素朴 直截に 表出した」 と睿 いて ゐる。 又 

づ づけて 「この 詩桀の 正しい 批判 はお そらく 藝術 品で あるよりも 作者の 新 生活の 記錄 であ リ- 切 

赏に害 かれた 心の 曰 記で ある だら う」 と 云って ゐる。 

それ は それでい い。 然し かう いふ 詩 を 請む と、 作者 はつひす ると 熱情と 感傷と を 一^にする 時 

が あるので はな いかと 思 はしめ、 情熱と 稱 する ものに も 明らかに 一 つのお 界が あるので はない か 

とい ふこと を考 へ さす。 

少年の 日 は 物に 感ぜし や 

われ は 波 {且 亭の 二階に ょリて 

かなしき 情感の 思 ひに しづめ り。 

その 亭の 庭に も苹木 茂み 

風 ふき 渡リ てばう ばう たれ ども 

かの ふるき 待 たれび と あ n- やなし や。 



いにしへ の in に は鉛笨 もて 

搠干 にさ へ Sg せし 名な リ。 

誇りに みちた 少年 時代の 心に くき 表現で ある。 かう 云 ふ 詩 を 見る と、 この 詩人の 中に ある^ 智 

と ナイ, 'グが 羨ましく、 今更ら に その 素^ 的な ものが 感じられる。 

改 

古き 家 Q 中に 座リて 

互に 酜 しつつ 語り合へ リ 

仇 © に 非ず 

« 鬼に 非ず 

「a よ! われ は 汝の妻 

死ぬ ると も^:^ れ ざるべ し。」 

^は^ 地惡 しく 復符 に^え 

^々しげに 刺し 莨ぬ く 

古き 家の 屮に座 りて 

ほる ベ き 術 も あら じかし。 

極地 の 人-化 を 匁徵し て 励かざる ものが ある。 多く 詩と い ふ も の は 年少 の 時 R を蕺 やか に 装飾し 



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て、 かくの 如き 寂寥 を訴 へない。 ー讃胸 をつ かれる ものが ある。 

その他 r 歸鄉」 「珈琲 店醉 月」 「品 川 沖觀艦 式」 「火」 「告^」 「動物 圜 にて」 「§ 川」 「無^^ 

齊物」 「昨日に まさる 戀 しさの」。 

| ^れも 人生 C 忍苦に 耐へ、 自ら 滅びよう とする もの を 燃やして 生きる 人間の 悲痛 力 ある 

どっち かと 云 ふと、 私 はかう いふ 悲痛 は 身に そぐ はない。 然し 讀んで ゆく と 自然に その 世界ぬ 

中に 引き入れられ、 思 ひに 椹へ ぬ ものが ある。 尙ほ卷 末に 詩篇 小 解と いふ ものが あって、 これ は 

近來の 名文 章で あると 思った。 

さて 若い 人々 は 知らぬ が、 今 曰 尙ほ吾 々をして 愛讀 せしめる 詩集と いふ もの は 甚だ 少ない。 

然るに 今 一 冊の 好 詩集 を 得た ために、 私 はこ Q 1 文 を 草した ので ある。 

- CI. 時事 新 H』 昭ゎ九 年 八月 三十日) 



3 ぶ^. 1 と い ふこと 

この間、 或る 座談 會に 出たら、 文學の 指導 性と いふ ことが 話題に 出た。 

文學と いふ ものが * して 社會を 指導す る もの か、 どうか、 とい ふこと が 第 一 問題で ある。 そして 

指^す ると すれば、 どうい ふ 風に 指導す るか、 それ は 他の 部門の ものと どう. s ふ 風に 異 るかと い 

^ことが 論じられなければ ならない。 * たが さう いふ こと は 一 朝に して 論じつ くせる もので はない „ 

だいたい、 文學 それ 自身の 問題に は 社會を 指導 するとい ふやうな こと は 含まれて ゐな いと 私に 

常に 考 へて ゐる。 • 

社會 を社會 的に 指導す る ものが 社會學 であり、 宗敎 的に 指導す るの が宗敎 であり、 經濟 に關し 

て 指導す るの が 經濟舉 であると いふ こと はいふまで もない。 だからい つて みれば、 文擧は 文學的 

i^?n を 指^す ると 説明す るの が 最も 妥當 であって それ 以外に 色氣を だすに は 及ばない ので ある。 

浸 然と 文挚の 指導 性と いふ やうな こと を 論じても 意味の ない こと は 勿論で ある。 だから その 座 

欤<& ま 宛 も 愚問 愚 答錄の やうな ものに 終った やうに 思 はれた。 さうな るの が あたり ま へ である。 



だが 又 別の 考へ方 を すれば それ は 過去に 於て、 叉 現在に 於ても、 文 凝と いふ も- Q が、 いろい る 

な 役目 を 社 會に對 して^して 來 たと いふ こ と は專實 で あ る。 

例へば 一 時代 前、 武者 小路 氏な どの 頌は トル ス トイの 入道 主義と いふ やう-な ものが 社^の 全面 

に ひろがって、 人 を 信仰 させた し、 又 自然主義 にしても 一 つの 文舉 上の 思想と して 社會の 見方に 

1 つの 學と 刺戟と を與 へた。 然し これ は 文學が 何も 社龠を 指導しょう としたの でも、 また 他所 

からの 思想 を拜 借した からで もな く、 文學 それ 自身 の 中に 持って ゐ る獨自 の 立 場に 於て 社 會を刺 

戟 したのに すぎない。 だいたい 文學と いふ もの は、 社會 なり 個人な り を 全 13 として 寫 しだす とい 

ふところに 特長が ある。 それ は 最も 鋭敏に、 何よりも 早く 社 舍の事 K な豫言 し、 或は 映し だす 鏡 

であって、 その 文學的 方法の 中から 一 つの 思想が 抽象せられ るので ある。 ジ ヤン . マリ I. ギヨ 

1 はいって ゐる 「それ は 現 實に對 して 先 1.1 け をな し、 叉 それ を 超越す る ものである」 と。 

だ か ら文擧 に觸 れてゐ る 者が、 誰れ よりも 早く 社會 の 最も 新し い 事赏 —— 思^と 流行 に ふれて 

ゐる とい ふこと はい へ るので あるが、 ただ それらが 常に 全體 性の 上に 於て寫 しだされる とい ふこ 

と を、 人々 は 注意し なければ ならない。 

作家が マルキストで あっても、 自由主義者で あっても 一向 さしつ かへ はない が、 ただ 作家に 於 

て は、 それらの 思想が 常に 全體 性に 於て 描かれ、 彼 獨特の 方法に 於て、 人間的 矛盾に 於て 表出せ 

られ ると. S ふの が、 その 本能 的な 態度 だと 恩 ふ。 



182 



若し さう でなければ 文學 とい ふ ものが つまらなくなる。 文 寧に は 文^-の^ 界が ある。 吾々 は そ ^ 

こに 件む ことに 信念 を 持って ゐ なければ ならない。 

そもそも 文舉 活動と いふ もの は —— 生活と 直接の 感情、 もつ とも なまなましい 全體 として の 生 

活に ふれ 描く もので なければ ならない。 さう いふ 風な 人生に 對 する 觸れ 方、 描き 方 を 持って ゐる 

が 故に 文學 とい ふ ものが 大切に なって くるので ある。 

文^と いふ もの は あらゆる 概念 を 取り去って、 或 ひ は 最も 特殊な^ 念の 發 見に 於て、 生活に 直 

接 ふれる が 故に 人々 を 動かす ので ある。 若し 人 を 動かさなければ それ は 死んだ 文舉 である。 だか 

ら 文^者と しての マル キ ストと いふ もの は、 時に 却って 反 マ ル キシズ ム 的な もの を 書く かもしれ 

ない。 それまでで なくと も 彼に 於て 多くの 矛盾が そのままで 表現せられ るに 遠 ひない とい ふこと 

は腐赏 である。 人 問と しての 彼 はもつ と禝雜 であり、 それだけに 多くの 惱みを 持って ゐ るに 違 ひ 

な V 

それが 一 つの 思想の 性質と 相反して ゐて も、 ゐ なくても、 彼が 作家と して 正直で あれば ある ほ 

ど 彼が 正直に そのこと を 害く とい ふこと は 當然な ことで ある。 寧ろ そこに 文舉の 誇りが あり、 文 

者と しての 信念が よこた はって ゐ なければ ならな い 。 

ひところの やうに 指 によって 文學が 制作せられ ると いふ やうな こと は、 最も 笑 はれる ベ き 文 

^の 自殺で しかない。 叉 彼が マルキシズム に 翳したり、 フ アツ グ ョ に ® したり 或は アナ I キ ズ ム 



に屬 t たり、 何 か に 扇さなければ ならぬ と考 へ る こと も 誤りで ある。 

文舉 とい ふ ものに 於ての み、 吾々 が 最も 赤裸々 になれ ると いふ ことが、 宗敎 の^ 悔の やうに 文 

學 とい ふ もの を 最も 光輝 ある 存在に する ので ある。 

そこに こそ 最も 虞實の 人間の 叫びが あり、 最も 本能 的な 欲望が あら はに せられる。 多くの 虛僞 

が 取り去られ、 最も 眞實な 怒りが 現 はれる。 人 £1 が 何よりも 太初に 歸 つて 考 へられる。 かう いふ 

© 性 こそ、 文擧に 於て、 ふとして 人の 忘却す る 最も 輝け る 特質で ある。 

吾々 が 文學の 中から 學ぶ ところの もの は、 恐ろしい 身 を もってした 體驗が 常に 文學の 中に ふく 

まれて ゐ るからで ある。 文舉 以外で 聞け ない 秘密が そこに あるから である。 それ は 面白いだ けの 

ことで もな く、 を かしいだ けの 報吿 でもない。 たと へ 面白くても、 を かしくても 常に それ 以上に 

もっと 壯烈 であり、 悲痛な ものが ある。 

^念で 動かう とする もの を 最も 人 間 感情に 接近して、 人 問 を 動かさう とする もの —— これが 文 

學 である。 だから 文 學の揚 合 は眞實 とい ふこと と 同時に 可能性と いふ ことが 最も 尊ばれなければ 

ならない。 

あらゆる 本能に 根ざした ものに よって、 吾々 の 生活 を 最も 近く 可能 的に 解釋し 批^す る。 

だから ァ ランが いふ やうに 「文 學を 支配す る 感情 は あらゆる もの —— 情熱 も 犯罪 も、 不幸 さへ L- 

. 8 

JV ! 進んで 欲求し、 さう. S ふ 人生 を 描かう とする。 それ故に 莨の 文學 とい ふ もの は^ 恕と^ 望 1 



と 友情と を 常 に 呼び 起し、 苦惱に 打ち かっこと になる ので ある。」 

近代に 至って 宗敎は 完全に 小 說に代 へられた とい ふ。 それほどの 信仰が 小説に 集まった とい ふ 

こと は、 いふまで もな く、 ァ ランが 指摘した やうに その 性質の 積極性に 由来して ゐ るので ある。 

さて 指^性と いふ ことに 再び^る が、 かくの 如くに して 文學 とい ふ もの は 人間 生活に 常に 親切 

と警吿 とを發 して ゐ るので ある。 そして 彼が マル キス トに屬 する こと も 自由主義に 屬 する こと も 

自由で あるが、 彼が さう いふ^: かに 屬 する ことによって 社會を 指導し なければ ならぬ と考、 る や 

うな 俗論 は排 さなければ ならない。 さう いふ 借り ものに よって 文學が 指導 性 を 持つ とい ふこと は 

悲剌 であり、 e: 殺で さへ ある。 吾々 はこの ことの 適例 を餘 りに も 痛々 しい 程に 經驗 した。 

トル ス トイの 人道主義 は 彼の 生活 感情から 直接に 來 たもので あって、 文學 者と しての 彼の 特殊 

な 見方が 人々 を锊 かした 例の j つで ある。 人道主義 によって トルストイが 小說を 書いた ので はな 

く、 彼が 書いた 小説から 人々 が 人道主義 とい ふ もの を 割り出した のにす ぎない。 

ギ ョ ー はい つて ゐる。 

「天才 は 常に 多少 自然 を 改造し これ を豐 富に し、 これ を發展 せしめる。 而し てこの 發展 たる や 

又 厘 i 論理的 意味に 於て 起る ので ある。 董し 人間の 精神 は 自然 そのものよりも 更に 意識的 反省.? 

である 丈に 又 一 麼 理論的 組織的 だからで ある。 吾人 は 自己 自身 をば 充分に 悉知 する ことが 出來な 

い 者で ありながら 藝術 品の 中に^ 現せられ た 行爲ゃ 思想 はこれ を統 一 的に 理解 せんと 欲する も Q 



である。」 

かくの 如くに して トル ス トイの 入道 主義 は 彼の 作品の 中に 生れ、 叉 人々 によって 抽出 せられた。 

だから 云って 見れば 作家 は 常に 一 つの 叙智と 本能に たよって, 物の M 實に 突入しょう として ゐる 

と 云っても いい。 本能の 強さと いふ もの を 常に 知って ゐ ながら、 虚偽の 力に 組み ふされす、 こ ri 

を 通して あらゆる 事 赏 に ふれる 窜を 知って ゐる ところの ものが 文學 者で ある。 

文學 者が 社會の 木鐸に ならねば ならぬ とい ふ 事 は、 彼が 最も 虚僞を 取り去った 社 會の蔡 賈と人 

問の 根本に 接近して、 これ を 知って ゐ るからで あって、 同時に 彼が 最後に 表現の 力 を 持って ゐる 

とい ふ 事から 來 てるる。 文擧 者が 木鐸で ある 爲 めに は、 彼 は 益よ その 事 を自覺 しなければ ならな 

S © である。 

外國の 心理 學ゃ^ 舉 書の 中には 文學 書の 中からの 引 州が ことの 他 多い とい ふ 事で あるが、 あれ 

は文擧 害と いふ ものが それらの ものに 常に 新奇な 材料 を 提出して ゐ るからで あって、 义 同時に 文 

舉と いふ ものが 如何に 人 問 生活に ひろく 深く 觸れ てゐ るかと いふ 事の 證據 でも ある。 

r ュ リシ ー ズ j 下卷に 就いては、 私 は 度々 書いた が、 あの 中に ある 心理 描寫の 如き は 現代に 於 

ける 殽も 大きい 發 見の 一 つに ちが ひない。 吾々 は あの 中から 多く 敎 へられる もの を 受取る。 

何も 文皋 者が あらゆる ものの 指導者と なる 必耍 はない。 叉 さう いふ 無用の 考 へを考 へて、 自己 

そ 甘やかす 必要 もない。 义何 かの 社會 改造 說に 頼らねば 生きられぬ とい ふやうな もので もない。 



136 



そ 學が栺 ^する もの は 全部と しての 人間 感情の 問潁 であって、 それが 眞實 の聲 であれば ある ほど 7 

社 會に跅 へ、 又 社會を 動かして ゐる事 は その 性質から して 當然 すぎる ぼ ど當然 の^で ある" 然も 

これが 本能 的, であれば ある ほど 力強 いとい ふ^も。 

映^に よっても 詩に よっても、 接近 出來 ない もの。 人^の 心の中に ぁる眞 赏を、 全體 性の 巾 か 

ら 描出す る^が 吾々 の^ E でなければ ならない。 文舉 とい ふ もの を 全能に しょうと したり-、 總て 

を 指^す る もの だと 考 へようと したり、 又 文^が 何 かの 社會 的な 指導原理の 中に 羁 しなければ な 

ら ぬと 考 へ る こと は^ひ も よらぬ 問:^ ひで ある。 



雄 略 天皇と 後光明 天皇 



小學 生の ころ 讀ん だもので 何が 一 等 心に 淺 つて ゐ るかと 尋ねられた 時、 私 は 何よりも 後光明 天 

皇の御 事に まさって 心に 殘 つて ゐる ものの な. s 事 を 言下に 吿 白した。 

それほどに 私に は あの 一 頁の 物語りが ハ ッ キリと 頭に 錢 つて ゐる。 

たしか 修身の 本であった かと 思 ふが、 そこに は 雨に おう たれに なりながら、 後光明 天皇が 御 殴 

の椽に お 坐りに な つ て ゐる縫 が 書いて あった。 

私 はいつ でも あの 斜線に ひかれた 雨の 筋と、 光って ゐる 雷の 放射 光線が 腿に 見える やうな 氣が 

する。 

何でも 後光明 天皇 は 御 幼少の 頃から 雷 を お^ひに なって をら れ たので あるが、 ある 大 雷雨の 日、 

すすんで 橡に御 出になる と、 龍^に 雷雨 をお 受けに なった とい ふので ある。 

それ 以來、 天皇 は 雷に 對 する 恐怖心 を 全く 無くせられ たとい ふ 話で ある。 

如何にも 厳格で、 剛毅で、 沛然と 來る 雨の 有 樣と靑 い 電光の またたきが、 その 壯烈な 御 氣性を 



I8S 



私に 尜^ させた。 お 

何時も 何 かに 恐怖したり、 逡 巡したり する 時 は、 畏れ 多い 事ながら: 私 は あの 話 を 思 ひだして 

自分 を 励ます^ が 多かった。 励ます とい ふよりも、 私 は 大體が あの 話が 大變 好きで、 小さい 少年 

の 時代から 今まで 思 ひださぬ 日と てはなかった。 恐らく 私 は 人一倍 臆病で、 恐怖心の 多い 人間 だ 

からか もしれ ない。 

あれ はたし か 「克己心」 と. S ふ 題であった かと 思 ふが、 それだけで なく、 なかなか 多くの 敎訓 

を 含んだ 立派な 話と 思 ふ。 

天皇に はな ほ 多くの 逸話が あり、 幕府に 對 する 優位が、 あの 時代から 次第に ハツ キリした 事 も、 

もっとも 至極と 思 はれた。 私 は あの 話から して 何時も 天皇に 對 する 尊崇の 念 を 抱く のが 常で あつ 

た。 

雷の 話で は 柳 m 國男 氏に 「若宮 部と 雷神」 とい ふ 研究が あって、 そこに は 雄 略 天皇の 御 時の 雷 

の傳說 がー つの 民族的な 深さから 說 明して あるが、 私 は あそこに 出て くる^ 烈な 天皇 Q 話 も隨分 

好きで ある。 

後光明 天 皇 のこと を 思 ひ、 雷の こと を 思 ふと、 つづいて 雄 略 天皇の 御 治世 を 思 ふの が 常で ある。 

雄峪; 大皇の 時代 は、 日本の 最も 隆盛した 時代ら しく、 應神 IK 皇の 三韓 征伐 以來、 發展 した 圜 .M 

が あの 時代 最も 跳^した と 歴史.: M は 報じて ゐる。 



日本 睿紀の 第 十四 卷、 廿 一 二 年、 TO: 月、 夏のと ころに は、 雄 略 天皇が 日本へ 來だ百 濟の幼 帝の 頭 

を 撫でさせられ たこと や、 その 百濟を 助ける ために、 高麗 征伐の 兵 を擧げ させられた ことが 出て 

ゐ るが、 秘 は御氣 性の 壯烈 さに おいて、 後光明 天皇の 話と 一緒に 思 ひだす ことが 多い。 

私 は、 とりたてて 天皇の こと を 記したい からで はなく、 われわれ 曰 本人と いふ ものの 象徵 を、 

そこに 見る やうに 思って これ を 書きたかった ので ある。 

私 はこの B:、 日本人と いふ こと をよ く考 へる。 それ は 私の 國際 的な いろいろな 考へ 方と 少しも 

矛盾す る もので はなく、 私の 少年 時代から 最もし み 込み、 且つ 尊崇して 來た 物語り を、 そのまま 

害いて みたのに すぎない。 



弱 い 家 族 

茅ケ崎 

四月、 退院 以來 とい ふ もの、 隨 分と 方.^ へ轉 地した。 

建^で^ び 廻って ゐ るんだ つたら、 樂し くも 思 はれさうな ところ を、 僕 は 苦蟲 をつ ぶした やう 

な弒 をして 步き 廻った。 

僕 は ひところ 死んだ 方が まし だと 考 へて、 もう 何時 死んでも かま はな. いと 覺悟 をき めて ゐた。 

ヶ でも その 覺 悟に 變り はない が 人生 を樂 しい ものと 考 へて ゐて -I ふと 人生の 苦痛に 行き あたつ 

て、 不平で 不平で たまらなかった 感情が、 今ではもう、 どうやら 平靜 になって、 人生と はこん な 

もの だと^へ だした。 

結局 「^多し」 とい ふ 古来からの 說に 征服 せられて、 僕 は 弱い 身體の 不平 も、 今 は 云 はなくな 

つてし まった。 僕 は 年少 客氣の 時代、 自分 は 健康な 血族 だと 考 へて ゐた。 實際 僕の 祖先 は 皆が 皆 

^ A 長命と 多產と の 歷史を 持 つて ゐる。 



自分 は 幾夜も 幾夜も、 徹夜の 座に 坐り、 腹が 弒 ると 痛飲 暴食し、 ダンス を 好む とー晚 中身 體の 

窜 など 無考へ に 踊る やうな こと をした。 叉 どんなに 忙しくても 好きな 所へ は缺 かさす に 寄って 歸 

つた t 

然し 今 は 全部が 夢に なって、 自分 は 弱い 家族に 違 ひない と考 へだして ゐる。 さぅ考 へる と、 今 

度 は 家族の 全部が 全部、 病身に 變 化して しま ふので ある。 

僕の 九 歳の 長女 は、 この間まで 毎日 毎日、 氣違 ひの やうに ピアノ を彈き 通して ゐた。 

僕 は 何時もき まって ゐる 食後の 苦痛で 寢臺の 上に 橫に なりながら 彼女の ピアノ を 聞いて ゐる。 

彼女の 瘦 せた 身體が 元氣に 溢れながら ピアノと 爭鬪 して ゐる。 

彼女の 敎師 である 井口 愛子さん は 彼女 も 病弱な ので あるが、 僕の 長女に 就いて、 その 紫 質を锊 

歎して くれる。 

僕 は 聞いて ゐて 才能 を 誇って ゐる 人種 を 一 一人、 ピアノ の 前に 何時も 感じて ゐた。 

然し 彼女 も 此頃は 熱 を 出す ことが 多く、 僕 は 彼女 を茅ケ 崎の 林間 舉 校と いふ ものへ 連れて ゆか 

ラ かと 考へ たりす るので ある。 すると 彼女 はもう そこ へ 行きたがって、 

r 一 人 行く の、 いい かい」 

と 念 を 押して みても 

r 九つに もな つて、 一人でよう 行かん やうな 意氣地 無し ぢ やねえ よ」 ゆ 



と 全く 氣の强 いこと を 云 ふので ある。 

すると 僕 は その 雷 ひ 口が 丁度 自分と 同じな のに 驚いて、 この 子供 を 今 は 反って 氣の 毒に 思 ふの 

である。 

この 子 も * 昔 僕が、 さう であった やうに、 自分 を 健康 だと 思 ひ 込んで、 まるで 元氣 に滿 ち^ち 

てゐ る。 だが この 位 危險な こと は 無い。 健康 だと 思って ゐ たの は、 ただ 意氣の 旺盛 さ だけで、 自 

分 達 は 結局 「弱. S 家族」 の やうに 思 はれて ならない。 

それから 数日して、 僕 は茅ケ 崎の 林^ 學 校へ 子供 を 速れ て I 仃 つた。 

毛布 を 入れた 寢 椅子に 寢そ べつて、 感じ やすい 子供達が 敎師 から 何 か 話を閱 いて ゐた • 皆氣^ 

にして、 不幸 さう に は 見えなかった。 

僕 は 海の 風に 吹かれながら、 子供 を 1 人 置いて 歸る ことが 何となく 不安で、 #3 く 立って >Q た。 

僕 は氣を 張って ねる 子供の 顔 を 見ながら、 ここ を 立ち去る きっかけが どうしても 見つからな か 

つた。 すると、 子供の 方です ぐ 新ら しい 友達と あっちへ 行って くれた。 

鵠 沼 

それから くして 下の 二人の 子供が 百日咳に かかった。 それ はお 隣から もらった ので あるが、 

全く 迷 怒で、 こんな 非 文明な ことはなかった。 百日咳 は 一寸 隔離 さへ すれば いいんだ から、 饯ら 



193 



でも 注意の しゃう は あるのに、 到頭 かかって しまった。 

僕 は 自分自身の 病氣ゃ 長女の 病氣の 上に、 叉しても 「弱い 家族」 を 感じながら、 相 蠻 らす 食後 

の寢袅 にね てゐ た。 

すぐ 豫防 注射 をして みたが、 もう 問に あはないで、 二人とも 咳き だした。 それ も 上の子 供 だけ 

は 割合に 輕く すんだ が、 下の 三つの 子供 は 何とも 咳が 烈しくて 注射の ききめが 一 向なかった。 © 

き だすと 唇が 紫色に 變っ て 息が 幾度 も 止り さう になる。 

それで 僕 はどうに も 心配で この 子供達 を鵠 沼に 轉 地させる ことにした。 すると 轉地 先き で 今度 

は 母親が 叉 熱 を 出す とい ふ 始末で、 これで は 家族 全部が 病氣 になった やうな 有様で、 僕 は 自分 Q 

病身 だけに かか はっても ゐられ す、 ス! ソケ I スを 提げて 叉鵠 沼の 東屋へ 出かけて 行った。 

病氣 もこの 位次ぎ 次ぎに やって こられる と、 これ は 何 かの 試煉と. S ふやうな 氣 がして くる。 そ 

こ へ 僕 は 長い 小說に 着手した りして ゐて、 悲痛 どころ の騷 ぎで はない。 

何しろ 僕 は、 日に 四 度 少量の 食事 を 取って ゐ るので あるが、 食事の たびに 胃が 苦しく、 二 時 問 

づ っは橫 になって ゐ なければ ならない。 卽ち 都合、 一 日に 八 時間 は、 どんな 事が あっても 模 にな 

つて ゐ なければ ならない。 だから あとの 一 1 一時 問で 小說を 書き、 刖 の 一 一 - 時間で 病人 を 見舞 はな 

ければ ならない と い ふ 計算になる。 

それでも 僕 は、 妻の 病氣が 幾らかよ くなる と、 海に 出て 見た。 



194 



もう ビ ー チ- バラ ソルが 澤. H でて、 海 は キラ キラと お祭りの やうに 脤 やかであった" no ァ人 

の 女達が 四 五 人、 海から あがって くると、 砂の 上で 上手に 水着 をぬ いで、 ビジャ マに 着かへ て& 

る。 公衆の 前で 身體 を 見せない で 着 換 へ をす るの だから 全く 不 见 籙 である。 

^は 久しぶりに 海の 風に あたりながら、 だが 何時も 行く 習慣から、 東京 近傍で は 何と 云っても 

逗 子の 悔岸が 一 等 だと考 へたり する。 

鹄沼は 何しろ 波が 大きい からに 違 ひない が、 海に 行く までの 砂濱が 長くて、 江の 嶋は 近いが、 

あれで 土用波で も 立ち だしたら 危險に 違 ひな. S と 思った。 

鎌^も いいに は 遠 ひない が、 あそこで はスカ I ルは 漕げない。 そこへ ゆく と、 たと へ 海の 家が 

あったり して ゴ タゴ タ して ゐて も、 總て の點 から 考へ て 先づ逗 子が 最もい いので はない かと 思つ 

たりす る。 総て 健康な 時代の 思 ひ 出で ある。 

景色 はいいが^ 山の 方 は 少し 水が 冷たす ぎる。 房 州になる と * 素朴 さは あっても、 夕 m が^く、 

それに 時間が かかりす ぎる:: 

僕 は 妻の 熱が 下る まで 鹄 沼に ゐ たが、 病氣の 心配 をしながら 常に 僕の 心 を往來 する も Q は、 自 

由 勝手 に 分散 させて ゐ る茅ケ 崎 ゃ鹄^ に 滯 在す る 象 族逹 Q 費用 のこと であつ た。 

伊 東 



196 



それでも 病 氣の爲 めに は 僕 は どんなに 苦勞 しても、 最上の 手配 をした S と 云 ふ のが、 趣味で、 

どんなに 犧 牲を拂 つても、 第一 流の 臂 者と 最上の 狀 態と を どうかして 用意した いとい ふの が 性^ 

である。 これが この 病 氣に銳 い 家族の 慣 はしで ある。 

子供 を茅ケ 崎に やる 前、 僕 は、 病院に 一 ヶ月 ゐ たが、 それから 病氣 がどうに もなら す^: おに 二 

三年 は 養生し なければ ならない と 云 はれて、 湯治 を 試みようと 考へ て 伊東へ 行った ことがあった。 

初めは 暖香 園に 滯 在して ゐた が、 長く と 思って、 そのうちに 湯の わく 一軒の^ を 借りて、 そこ 

へ 移った。 そこに ゐる閗 は、 正確に 仰臥と 散步と 食事と を、 時^で 規則正しく 行って、 僕 は賑ゃ 

かな 土曜 日曜に も 決して 規則 を 破らなかった。 

あそこ は 湯の 湧出量 は、 關東 第一で、 勿論 胃 陽に いいと いふので 行った の だが、 土地 は 無風 流 

で、 源平 時代の 遣 跡 や 何 かが あっても 土地に 少しも 匂 ひの やうな ものが 無かった。 ただ 盛んな Q 

は、 愛情 を赍る 女達で、 あの 狹ぃ 町に その 連中が 三百 人もゐ ると いふの だから 想像に 餘 りが ある。 

僕 は 遊びに 行く ところが 無くなる と、 自然 そんなと ころへ も時悶 正しく 散歩に 出て、 少しづつ 

廻って は、 しま ひに は 町の どんな 隅々 も 知る やうに なった。 

料理屋と 書いて あったり、 待合と して あったり、 藝者屋 らしく して あると ころも 全部が 全部、 

同じで、 休日な どに は、 そんな 所 は 全く 淫蕩の 氣に 溢れて ねた。 それでも 僕 は、 一向 景色 を 眺め 

るつ もりで、 そこ ここ を 時間 正しく 通って 歸 つた 來た。 



:9 6 



伊柬で いいの は 何で あらう か。 川奈の 素晴らしい ゴ ル フ • リンクが 近いと いふ こと 以外に 海に 

面して ゐ るから 夏 は なかなか 脤 やか だとい ふが、 案內 記に よると、 降雨量が 少なくて、 隨 分と 暑 

さの ひど. S 土地ら しい。 熱^より は 風景 は 開けて ゐ るが、 何とい ふまと まりもない。 だが、 どん 

な 年 も@ が 降らぬ とい ふから 兹ぃ 時に 行く に はいい 處 であらう。 それ 以外に は 長く は ゐられ ない。 

ただ 熱 海 から 伊東へ 行く までの 海に 沿った 道 は、 曲折して、 風景が 新ら しく、 それが 刻々 に變化 

して 一 t-ii の 自動^, かちっと も 返 屈しない。 恐らく、 あそこ は 幾度 通っても いいのに 遠 ひない。 

1 ヶ月 餘り滯 在して から 柏 峠を^え て修善 寺に 廻った が、 さすがに ここ は靜 かで 落ちついて、 

溫. お 町ら し. S 俗惡 さが 割合に 少なく、 夏目漱 石が 好んで 行った とい ふの も、 もっともと 思 はれた。 

僕 は 伊 柬にゐ た 間中、 どうしても 眠りが 惡 かった が、 あそこの 菊屋刖 館で は 意外に よく 眠れて、 

川に 臨んだ 高. S 部扁が 非常に 爽やかであった。 靑^ が 病的な ほど 眞っ靑 に 見えた が、 胃 陽に も 伊 

束より もっとい. s やうな 氣 がして、 又 幾度 も あそこなら 行って みたい とい ふ氣 がした。 

日 光 

その後、 僕の 痼疾 は、 どう 手 をつ くして みても 相變ら やで、 醫者は 癌の 徵候は 無い と 云って く 

れ るが、 ふとす ると、 そんな ものが あるので はな. S かと 思 はれたり して 養生の 棒が 折れさう にな 

つてし まふ。 



197 



番 さに 堪 へられないで、 この間、 家 を 借りる 下撿 分に 日光へ 行った が、 さすがに 涼しく、 丁^ 

輕 井澤な どと 同じで、 東京より は 大體十 度位溫 度の 低い のが 何時もら しかった。 

その 問 僕 は 金 谷 ホテルに とまって ゐ たが、 蚊帳 も いらない し、 扇風機 はあって も、 つい ぞ廻さ 

なかった。 日に 幾度と なく 霧の 襲って くる あの 輕 井澤の 風情はなかった が、 ホテルに ゐ ると、 觀 

光 客 相手 だけに 外國 人の 喜び さうな 設備が 多く、 先づ 面白かった。 ベランダに はフ ー シャの 花が 

-1 開で、 丁 皮 冬 スケ ー ト. リンクになる 池に 水 蓮が 三 四 尺お きに 植ゑ てあつて、 花と 云へば 薔礙 

や、 牡丹 や、 あやめ を 季節 季節の 花と して 最も 美しい と 思って ゐ たが、 水 に^く 夏の 花と して 

は、 恐らく 水 蓮の 右に 出る もの は あるまい としみ じみ 感じた。 

赤 や、 白 や、 桃色の 可憐な 花が 無数に 水に 浮んで、 文字通り 恍惚と して、 僕 は 白木の 欄干の あ 

る 廊下に 立ち どまって、 何時までも 眺めて ゐた。 

逸 かに^! r 女^の 間に は 雲が かかって、 人工と 自然との 調和が 粗剛 優美に 感じられた。 

日光 は 湯元の 方まで 登れば、 自然の 美し さが あるに 違 ひない が、 あの 廟堂なん かも、 悪趣味 だ 

とい ふ 人 も あるが、 何と 云 つても 結構な のに 遠 ひない。 

僕 は 兎に角、 茅ケ 崎ゃ鹄 沼に ゐる 家族 を 再び 桀 めて、 今年 は 日光で 一 夏 過 さう と考 へて ゐる。 

近 松 秋, 江 氏 も 好んで 行かれる. s ふから、 逢へ るか も 知れない と 空想して ゐる。 

8 

铙は當 分む やみな 仕事 は 到底 出 來 ない, 子供 も ピアノから は 常 分離れ てるなければ ならない。 り 



そして^ 歩も氣 をつ けつけ の 旅 In は、 何時まで すれば いいの か。 

.レ は 「弱い^ &」 とい ふこと を しみじみ 感じながら、 この 家族が こんなに 大切に されなければ 

ならない 珂. E がふと して わ からな くな つてし ま ふ。 

筷は昔 * 旅行と. S ふ もの を 不潔に 感じ、 何時も^ 惡 して ゐた。 だから 今でも 陰鬱な ところへ は 

どうしても 行く 氣 がしない。 それにしても 痫氣 故に、 どんなに 贫 乏しても 何處 かへ 居を變 へな け 

れ ばなら なくなって 僕の 生活 はいよ いよ 膨れて しまった e ふとして 結局 贅澤 かと 思 ふと、 これ は 

何と 矛 tS に滿 ちた^ 活かと 考 へられて、 自分の 血族と いふ もの を 幾 K も 幾度 も ふり かへ つてみ る 

のでお る • (昭和 八 年 七月 二十 一ー一 日) 



199 



ラウル ニン ユッフ ィの 鈴 



ギヨ ー ム. ァ ボリ ネ ー ルは、 その 詩の 中で、 ジ ュクフ ィの繪 を^って ゐる • 

ほめよ、 たたへ よ 

線の 氣 高さと、 その 力 K さ を、 

これ こそ は エル ヌエス .ト リメ ジ ストが 

ビ マンドル の 中に 歌った 

光の 聲 でなくて また 何で あらう か。 (堀 ロ大 學譯) 

私 とても 彼の 繪を 見る たびに 心に 讃歌 を 唄 はぬ ことと てはなかった。 

私が 彼の 轤を 知った の は 十 年 前で、 以来 私の 彼の 繪に對 する 倾倒は 血液 的な ものに よって、 い 

よ S よ 深く 强く、 私 は その 光の 聲を 今日まで 聞き 續 けて 來た。 

しかし、 私 は 夢にも 彼の 簿を 手に入れよう などと は 思 ひもし なかった • それが どうした はすみ 

か、 まことに 幾年 かの 長い 年月の 間に 私の 手に はいって 來た。 



200 



今年の 二 科 ほの 水 彩赘^ に 出品して あるの がそれ で、 自分な がらに 考 へて みると、 不思議な 氣 I 

がして ならない。 2 

私 は 今日まで それ を 病床に 掛けて 眺めく らして 來た。 そしてお は、 更に 彼の 靈集 を桀 め、 傳記 

を^み、 いよいよ 彼に 锐 しむ 第が 一 屉 ふかくな つた。 XXe SIECLE 版の 靈桀 や、 又 最近の Floury 

から S た 大冊な ど は 私 を 幾度と なく ひき 込んだ。 

彼 は 一八 八 〇 年、 英佛 海峡に 面する ァ I ヴルの 町に 生れて ゐる。 丁度 今年 五十 三 歳で、 彼は始 

め、 バリ に^て 美術 舉 校に 入 擧し、 また ギュ スタ ー ヴ. モ b ォの敎 室に 通 ひ、 そこで はじめて マ 

チス、 ルォ I、 マルケ 等と 遭遇して ゐる。 

その後 モンマルトルの 陋^に 起居して は、 ピカソ、 ドラン、 ブラック、 ユトリロ、 モヂ リア 一一、 

カル-一、 マックス. ジ ヤコ ブ などと いふ 素^らしい 友達に かこまれ、 彼の 色彩 感覺は 次第に 地 を 

拔 S て 人々 を 驚かし 始めた。 

レイナ ー ル は 彼 を 批評し ていって ゐる。 

「ラウル ニン ュ ッ フィ の繪は 明で 決して 誇張し ないやう に 注意 せられた 旋律で 描かれて ゐる。 

彼の 筆觸の 正確な 强さ、 素描と 構 圔の嚴 格 さと 大膽さ II これ はまれに 見るべき ものである。」 

しかし 一 見す る 時 は、 彼の 繪は宛 も 奇矯に さへ 思 はれる ほど 奇想; 大外 である。 しかし それが 奇 

^に 忍 はれれば 思 はれる 程、 彼の 背後に ある 正確さと いふ ものが 吾々 を とらへ ると いふと ころに 



彼の 繪の特 一お が ある。 

レイナ ー ルは 更にい つ てゐ る。 

「彼の 油 繪ゃ水 li を 爽快な ものに よそ ほって ゐる 雲と か 水と か、 葉 むらな ど は、 あらゆる ナチ 

ュ ラリス ト 達の 官能的な 過度 發 達に 陷る事 なしに、 レア リテを 强く畫 面に 表出 さして ゐ る。」 

どこで 見た のか 忘れた が、 十 年 前、 私が 最初に 見た 彼の 繪は 海の 繪で、 畫 面の 十分の 七 は 海の 

底の 靑で 塗られて ゐ たやう に 思った。 たしか その 海の 中には 眞っ 赤な ヴ アミ リオ ン の 人 問が 泳. S 

でゐ た。 七 分の 三に 小さい 船が 一隻 浮かんで ゐ たと 思った が、 それ は氣が 遠くなる ほど 小さ かつ 

たと 思った。 

私が 引きつ けられた の は それ 以來 で、 恐らく、 その 頃 極端に 海 を 愛して ゐた 私の 心に 通 ふ もの 

があった からに 遨 ひない。 

私 はもと もと 船 乘りを 夢み て、 はばまれ、 繪か きを 志して 失敗した 人 問で ある。 今 彼の 海の 緒 

を 眺めて 慰められて ゐ るの は眞に 偶然と いはなければ ならない。 

彼 は 彼の 生れた ァ I ヴルの 海 を 描き、 また 二 ー スの海 を 描き、 また ドウ ビィル の 海 を 描き、 海 

の氣 候と 航海の 消.:^ と、 海底の 不 思議 を 描きつ づけて 鉋 きないと ころが ある。 

さて、 私が 彼の 鏺を ほしいと 思った の は —— 格^ 思った わけで はない が、 ついそん なにな つて 

しまったの は、 私が 昭和 七 年、 最初の 病 を 得て 寢てゐ た 時で、 その 時、 私 は 一秒 ごとに、 生の 世 



202 



界と 死の 世界との^ を 出入し、 私 は 幾度と なく、 悲しみと 甚 びとの 間 を 往復した。 

恐らく 私が 彼の 給の 専を 思った の は、 袞 弱の 底から 心が 反撥して 極端に 髙揚 せられた 時で あつ 

たに 相 遠ない。 

私 は 恢復 期の 氣 分の さわやかな 時、 彼に あてて 熱心に 手紙 を 害いた。 それ は 確かに 病人の 思想 

で、 健 廄の狀 態で は 決して 思 ひもつ かぬ 事で あつたに 遠 ひない。 恐らく 私の 心 は 何よりも 强くァ 

ボリ ネ I ル のい ふ 何 かの 光りの 聲を 求めて ゐ たのに 遨 ひない。 

私 は 間もなく その 手紙 を 秋 W 玄務 氏に 飜譯 して もら ひ、 それから 石 井 柏 亭氏を ゎづら はし 丁^- 

な 紹介 狀を 書い て もらった。 

しかし それから 幾 ヶ月た つても 何の 返事 もなかった。 私 はもう 斷 念して ゐた。 むしろ 私の 氣持 

ち は 手紙 を轡 くこと によって * されて ゐる やうに 思 ひ、 そして かへ つて 私の いって やった 愤 格が 

あまりに 鹿げ てゐ たかしら と、 そんな こと を 反省した りして ゐた。 

だが 一 ケ年 目に ふと 松 尾 邦 之 助 氏に 頼んで みる 氣 になり、 そのこと を 書いた。 そこで 松 尾 氏が 

ジ ユッフ ィに 造って くれたの であるが、 すると ジ ユッフ ィ はちゃん と覺 えて ゐて、 いろいろ ブラ 

ンを たてて ゐ ると いふ 返事 をして くれたと いふので ある。 それから 私 はまた 一年 近く 待った。 そ 

して 今年の 五月 頃、 野 村 篛太郞 氏が 歸 朝の 途次、 私の 爲 めに 拱へ 歸 つて くれたの である。 私 は 狂 

存 して 心の 交通と いふ もの を 感じ、 長い間の 彼への 傾倒 を 思 ひ、 天に 昇る 思 ひがした。 



その 會が 彼の 槍と して どんな もの か、 それ は 知らない。 しかし そんな こと はどう だって レ. SQ 

私 は 彼の 好意に 感謝し、 彼の 昔からの 文學 への 親切 を 思へば、 それで 充分 だと 思って ゐる。 

彼 は 今日までに ァ ボリ ネ I ルの 『動物 詩集』 『悩める 詩人』、 フ H ルナン. フル ー レの 『古 翁」 

ヂ ユア メ I ルの 『挽歌』 等の 揷繪を 書いて ねる。 

私 も あの 三枚の 繪を何 かの 私の 本に 使 はう と 思って ゐ るので あるが、 彼の 名に おいて、 これら 

の 数冊の かがやけ る 本の 中に、 私の 本が 這 入り 得る こと を 喜ぶ と 同時に 私 はむしろ 恥し く 思って 

ゐる。 

私 は 長い 問 怠けて 來た。 それ は身體 のために どうに もなら なかった からで ある。 私 は 自分の 身 

^について 手の つけられぬ 幻覺を 抱き、 絕ぇゃ 胃が 鳴り、 胸が 苦しく、 今では、 いいの か惡. S© 

か、 わから なくなり、 私の 一日 は氣 味の わるい 憂鬱な 時 問に なって しまって ゐる。 しかし 私 はこ 

の! ^ 何としても よくなら うと 思って ゐる。 ひと 頃の やうに 考 へないで、 蘇生の 希望 を强く 抱き 出 

した。 そして 私が もともと 彼の 繪に 求めた もの は、 健康ではなかった かと 考へ 直して ゐる。 

彼の 中に ある 體カ 的な 豐富 さ、 明るさ、 確實 さ。 

彼の 描いて ゐる 装飾 せられた 野蠻 人の 繪。 ボ ー ト 選手の 繪。 銃 馬 31 の 総。 太った 女の 素描。 苺 

を 盛った 箱。 何よりも 健康で 一 杯して ゐる 海の 風景。 

私 はもつ し 一 熱心に 波 逾を 見つ づけねば ならぬ と 思って ゐる。 



204 



その後、 彼の 繪ゃ 工^品が、 その 新鮮さ や、 粹な點 や、 華 魔 さの ために パリの 婦人 達にまで 流 

行 を 及ぼして ゐる とい ふこと を 聞いた。 これ は 喜ぶべき ことか、 歎くべき ことか。 然し 何れに し 

て も、 それが 彼の 最もなん でもない 面、 レア リテの 表面に 浮かんだ 何物 かが、 それらの 人々 を 捕 

ら へたのに 逮 ひな いと、 私は考 へて ゐた。 レイナ ー ルが いふ やうに、 彼の 本質的な もの は 寧ろ そ 

れと 正反對 なと ころに 進んで ゐる こと を 信じて ゐた。 然し こんな 感想 こそ 馬鹿げた ものである。 

一面 工^;^ としての 彼 は 何處へ 行っても 流行し なければ ならない ので ある。 ^せる 哉、 彼 は 彼の 

^近の 铍業 において もまた 新ら しい 位置 を捣 得した とい ふこと を 聞いた。 

染色 版赘 を硏究 して は、 ブル ヴァ ール • ドウ リシ ィの霰 室に おいて、 化學 者と 一緒になる 準储 

的な K 驗を 企てたり、 それ 等の 光輝 ある マチ H 1 ルゃ、 疽 ちに 注目 を 引く 色彩 組織の 技巧 を完佥 

に. HE 分の ものにした りする 彼 は 思った だけで も 愉快で ある。 

彼の 繪 にある フランス 人らしい 嗜好 は、 全く 聰明で 粹で、 然し それ は その 邊の シャレ 者の 鎗な 

どと は 比較に ならぬ、 あらゆる 思想の 悟 達に よって 到着した 强 さと 野 蠻 さと を 通った 甘美な 世界 

である。 評者 は 日本人に はわから ぬ ほど 洗煉 せられた 繪 だと 云って ゐ るが、 僕 はこん なに 美しい 

繒を かく 鼓,:^ は甞て 見た 事がない と 思 ひ、 その 磨きの かった ところが よく わかる 氣 がする。 

それに 彼の 線に は 日本的な ものが 多く、 又晝 面の 切り方に も 新ら しい 東洋風が あり、 眺めて & 

ると、 少く とも 私に は 益、、 發見 する ものが 多い。 



205 - 



私 は 私が 私の 恢復 期に ふとして 考 へつ. s たこと を 今 思 a: し、 彼の 繪の 中に ある 象镊 を^さな け 

れ ばなら ない と 思って ゐる。 

その後、 私 は 彼の 繪を 額ぶ ち屋 にょご された。 ちょっとした あやまちから 畫面 一 杯に 紫の 色 0- 

を 散布 せられた。 私 は そのために 十日 ほど 不安な 日を途 つた。 

然し 今 は それらの 汚 點も渐 く 洗 ひ 去られ、 私 は 彼へ の 感謝の 一 文 を 書く 時機に 到達した • 



一 九 三 一 一年の 帝 S . 

^は^ 展 の常述 ではない。 だから 誰れ の鎗 がいい か、 惡 いかに 就いては、 何等の 概念 を 持って 

ゐ ない。 だからと 云って 批評の 適任者 だとい ふので はない。 

多少の 美術^ は あるつ もりで あるが、 勿論 素人に 過ぎない。 かと 云って、 苔の 生えた 美術 批評 

家が 優れた 窜を云 ふかと いふと、 僕 は 決して 彼等から 正しい 事 を 聞いた ためしがない。 もともと 

攒を 鑑贫 し、 よろこぶ もの は、 萬 人であって、 レンズ を 通して 眺めたり、 牽强 附會の 昔の 繪を想 

起して、 とんでもない 事 を吱き だすべき 筋合の もので は あるまい。 

さて 僕が 敢て 見た ままの 記 を ひきうける 氣 になった の は、 撟本關 S 氏の 「玄 猿」 を 見た からで、 

これ は 恐らく 古今に 絡す る 名作 とい ふ氣 がした。 人- ^は 帝展の 中心 的 作家 が 多く 休息して ゐるこ 

と を 齿げて 淋しがって ゐ るが、 僕 はこの 一 作が あれば 他に 何物が 無くても いいと 思った。 それ ほ 

どに この^: 品 は^を 甚 ばした。 僕 はこの 畳 面の 前に 立って、 何よりも その 氣韻 生動の 生.^ しさと、 



構 圖 の 豪快 さに 驚いた。 

老木と 葛の 問に ゐるニ 匹の 猿 —— ^ づ 枝と 枝と が 呼び、 枝と 枝と が 反撥し、 その 交錯の 美妙 さ 

だけで も 見 飽かぬ のに、 その上に ゐるニ 匹の 猿の 姿態の 不思議な 動き は、 —— これ は, 鋭 子で はな 

しに、 大きい 雄と 稚ぃ雌 猿と 思 ふが、 全く 僕 を 釘 づけに さしてし まった。 

人々 はこの 繪 を先づ 微細に 立ち どまって 眺めなければ ならない。 暫 く 眺めて ゐ ると、 何處 から 

何處 までが 相呼應 して、 しま ひに は 大きい 猿の 擧 げた 二つの 手と、 彼等の 股と に桀 中して 來る Q 

を感 する だら う。 

1 體 この 二 匹の 猿の 面 構への 辛辣 さは 何で あるか。 眼と 口との 表情 はジ ョ コ ングの 顔よりも^ 

物の 不可解 さを以 つて、 怪詭 である。 

恐らく 二 匹の 猿 は 彼等の 封 岸に 敵を發 見した のに 遠 ひない。 一 匹 は 威嚇し 一 匹 は うづく まって 

眺めて ゐる。 二 匹の 猿の ボ ー ズの對 照 さへ が、 それ は 最早 ゃ對^ ではない 自然の 動き を以 つて、 

寸分の 誤算な く 描き だされて ゐる。 

僕 は對岸 と 云った。 これ は 見る 人々 の 勝手で あるが、 この 繪の 下に は ^々漠 々として 谷が ある 

やうに 思 はれる。 躉 面の 半分 以上の 白 さが、 これ を 暗示し、 彼等の 下に は 霧が 13 つて ゐる やうに 

思 はれる。 

と、 思って 見て ゐ ると、 松の 葉 は 粗 雨に 打 たれて、 深山 Q 凄愴な 風に 洗 はれて ゐる こと を 思 は 



2o8 



せる。 

僕 はこ の^の 如き は、 決して 動物園の 寫生 などから は 得られる もので はない と、 そんな こと を 

おへて、 この 神品と も 云 ふべき 繪を、 もう 一 度 あらためて 全體 的に 眺めた。 すると 何よりも 全部 

が 生きて 動いて ゐ るので ある。 僕 は 二三 年來、 こんな 感動 を以 つて 繪を 眺めた 覺 えがない。 それ 

は 技巧の 末^ や、 色彩の 成お 几 や、 心理の 如何で はない。 烈々 とした 氣魂 である。 然も 裕々 として 

その 维觸 はせ まらない。 

僕 は 帝展を 眺め 歩いて、 正直な ところ、 死屍 累. ^として 釗 t 一の 人? i や 動物の 中 を 通った 思 ひ を 

したが、 これ は 恐らく 僕 だけの 吿 白に は 止まらな いに 遠 ひない。 一言で 批評しょう とすれば 全 13 

が、 さうな つてし まふ。 ただ ニー 一; 作に よって、 それから 救 はれ、 僕 は 何よりも、 この 作者に 感謝 

し、 この 作者の 存在 を 思って、 人 M の 至りつ くす ところの なかなか 深遠で ある こと を 思った。 

牧溪を 云々 しなく とも、 恐らく これ は 帝展を 通して 現 はれた 古今の 傑作の 一 つに 逡 ひない。 S 

分 は敢て 自分の 歡喜を そのまま ここに 羅列した。 

土 田麥倦 氏の 「平 牀」。 これ も 「玄^」 に竝ん で、 心 打 たれた 作品で ある。 これ は 橋 本 氏の 豪 

壯 さに 比較して、 誠に 靜 かで 淸楚 で、 端歷 で、 全く 反對の 境地に あると ころ Q ものである。 

その 構 圖と氣 分に はお: だュ -II クな ものが ある。 落ちついた 新鮮さが 感じられる。 何 かしら 锰 



200 



溥 では あるが、 それ は 全 體が餘 りに 藝術 的に 取扱 はれ、 模様 化せられて、 高雅で ある 爲め であら 

う。 これ は 感^の 最も 洗煉 せられた 人で なければ 決して 出來る 當 ではない" 

平牀の 上に、 一人の 少女 は^り、 一人の 少女 は そ Q 近くに 立って 首 傾けて ゐる。 彼女 達の 顔 は 

さておき、 着物の 皺、 平 牀の黑 い 足、 1 足の 靴、 手の ふくよか さ、 とりわけ 鍾の位 :2 と、 その上 

向いた 硝子 面の 角度の 適確 さは、 この 作者が 如何に 澄み、 磨かれ、 センスの こまやか さと^ 確 さ 

と を もって ゐ るか を立證 すると ころの ものである。 恐らく その 點 では、 この 作者な ど 現代 II 歩に 

違 ひない。 

白い 胡 粉の 地と、 青い 淡彩の 見事 さ。 飽くまで も 静かで、 飽くまで も發 しい 一 おの 面。 .E 分- 

は 立って ねる 少女よりも 坐 つて ゐる 少女 をと りたい。 

次に は 松 岡 映 ft 氏の 「花の あした」。 島 田 墨 仙 氏の 「出 山釋 迦」。 小 室 翠 a 氏の 「紫^」。 

「花の あした」 は 女の しどけ ない 伊達 卷 姿と、 花の 美し さと を 配して 如何にもな まめかし く、 

その美し さの 中には 脈々 として {仝 氣が 感じられる。 この S 氣の 流れ は 凡手の 及ぶ ところで はなく、 

場 中 これ を 感ぜし める もの は 他に 見あたらなかった。 これ は 後 朝の 別れで、 恐らく 女の 視跺の 向 

ふに は、 歸 つて ゆく 男の 後 姿が 見える のに 違 ひない。 

「出 山 釋迦」 は 層 .<_: 累々 とした 顔の 錤り であるが、 その 墨と 金との 彩色が^に 見き で、 その 線 



2IO 



の盥富 さか 何よりも 立派で ある。 小品で は あるが 出色の 作で ある こと は、 その 平^な 感情と, 尊 

崇の 表情と、 見 苺 さの 中に^ち 流れて ゐる。 

「紫 罨」 は當り 前の 作品で は あるが、 幸福な 世界、 目出度き^ 界、 曼荼羅の 消息 を 現 货 の^ 界 

に 示現す ると ころの ものである。 こまかい 丸い 葉の 連り、 枝の 先き 先き の 花。 鳥 語の 閑 さ e 下に 

^ちて ゆく 二 匹の 鳥 は、 現赏 地獄の 世界へ の^ 信 を もたらす 使者で でも あらう か。 

次ぎに は、 巾 村 大三郎 氏の r 髮」。 秋 野不矩 氏の 「朝露」。 狩 野 光雅 氏の 「飛瀑」。 三 谷 十 糸 子 

氏の 「朝」。 酒 井延 子 氏の 「ぬひと り」。 野 口 謙 次郞 氏の 「山の 湯」 など を 若々 しい 一 速の 佳作と 

して 眼に とめた。 

「髮」 。 これ は 華やかで 落ちつき、 誠に 色彩が 眼 さむる 許りで ある。 明朗で、 廢揚 で、 冴え 冴え 

とした 技巧に は 好まし s 獨特 さが ある。 但し その ボ ー ズに は、 餘り にも あたり まへ とい ふ 恨みが 

m るが。 

「朝露」 に はみ づみづ しく、 無欲で、 靈趣 汲むべき ものが つて ゐる。 靑い^ の 一面と、 女の 

後 姿に 癖の ない よさが^ れてゐ る。 

「飛 爆」 は、 その 蓊 想の 丹念 さと 耩圖 の豪壯 さと を 取った。 ただ その 着想の 奇拔 さに も拘 はら 

t その 落下す る 水 は、 惜しい 事に は 白^に なり かねない 危險を 示して ゐる。 伹 しそ さ 

がいいと 云へば、 これ は 何 か 素質 的な 問題に なって くるで あらう。 



「朝, T 可憐 掬すべき 缚 感じ やすい 繪。 抒情詩の やうな もの。 取扱 ひ 方 も描寫 も 共に 巧みで あ 

る。 伹し 下駄が 少しば かり 筌 中に 浮き あがって はゐ ないだら うか。 

「ぬひと り」。 まめ やかな 畫面。 案外 線の 太い 構圖、 動作と 小 近 具と が實 によく ァレ ンヂ されて 

なかなか いい 味 を 持って ゐる。 

「山の 湯」。 氣 分の 素直 さと、 作者の 丹念 さと をと る。 ここに は 何とか 打開され て ゆく ものが 感 

じられ る。 

まだ 害きたい 作品が 二三 ある。 然し それら は^くと 惡 口にし かならない 種類の ものである。 1^ 

口 を 書いて ゆく と、 それ は 又無^の 長さになる。 それで は雜 誌の 方が 閉口す る だら う。 

まだ 佳作で 見落して ゐる ものが あるか も 知れない が、 早々 の 印象で、 玆 念ながら 僕の 記憶に は 

铙 つて ゐ ない。 兎に角 僕の 服に とまった 作品 は 以上の 數種 である。 とりわけ r 玄猿」 と 「平 牀」 

を 得た こと は、 何と 云っても 今年 帝 展の牧 極であって、 それ は 例年と 比較して 決して 淋しい もの 

ではない。 ^ろ この 二 作に よって、 今年の 帝展 は、 或 ひ は 今日までの 歷史を 貫く 好 展覽. ^であつ 

たと 云 ふ ベ きか も 知れない。 

僕 はや や 義務的に 無駄の 筆 を 弄した やうで ある。 僕 は 唯 この 二 作に 就いて もっとも つと 言 ふべ 

きであった かも 知れない。 



212 



山內 から 下りて 來 ると、 よく 早稻 田の 建築 科の 學生 達が、 神橋の 形を寫 生して ゐた。 私 は 外出 

する 度に、 あの 平行して ゐる —— 神橋 を 眺める 爲 めの 橋 —— 日光 橋 を 渡らなければ ならぬ ので あ 

るが、 不思議に 渡る 度に、 あの 祌 橋と いふ ものが 新鮮に 思 はれ、 何時までも あかす に 眺める やう 

になって ゐた。 - 

あの 朱塗りの 橋 は I 下 を 流れて ゐる 川との 距離が 丁度 S いの か。 弓の 角度が 適當 なのか。 素 

朴 さと 華^ さとの 不思議な 調和の せゐ か。 それとも 橋の 向 ふに たたな はる 山々 峰々 のた たす まひ 

が 吾々 の 心 を 引きつけ るの か。 下 を 流れて ゐる溪 谷の 白. S 飛 fii と靑 S 淵の 湛 へが 見事な のか。 あ 

る ひ は 毎日 見る ものの 親し さが 橋の 良さ を 次第に わからせて くるの か。 

何に しても、 この 橋 ほど 平凡な やうで、 こんなに も 吾々 の 心 を 捕へ たもの はなかった。 

私 は 一 一ヶ月に 近く 日光に 滞在しながら 東照宮の 豪華 さよりも、 この 橋の 美し さに 最も 感、. i した. - 



ふとす ると、 それ は 卑近な 生活の 近くに 所在しながら、 常に 端然と して 赤く、 人 を 渡らせす に掛 

かって & るせ ゐ かも 知れない。 わざわざ 眺めに 行かないでも、 生活の 近くに 何時も さらされ てね 

るいい ものの よさと いふ ことにつ ぃて考 へる こと がよく あ つ た。 

そこで はよ く外國 人が、 自分の 細君の、 力 ー キ— 色の 短い すねまでの ズボン を はいた 姿 を、 寫 

^にと つて ゐ たり、 大使館の 自動車が 坂 をお りか かって 來て、 そこで 止ったり した。 

私 もよ くそ こで は 立ち どまった。 

「 いったい どこが いいんだ らう。」 

山婪 もよ くそれ に應 じて いった。 

「ほんと に 美し い もの は キット こんな 風に 云 ひ あ て られな いんです わ。」 

私達 は 美し さとい ふこと について 話す る。 若しかしたら、 これ は 私達が、 つまらない 神^と い 

ふ ものに 惚れす ぎて ゐ るせ ゐ かも 知れない と考 へたり する。 

私 はこ こへ 來る 時、 退屈し はしない かと、 それ を 何よりも 恐れて ゐた。 退屈す ると 自分の 病氣 

にも 子^の 一お 氣 にもい い 箦 はない。 さう かとい つて、 何時も 動いて ゐ なければ ならぬ 海へ は、 と 

て も 行ける やうな 身體 ではない。 

し 力し 朱て みて 力ら 私は撟 だけで も樂 しい ほど、 そこの 風景に 鋭 しんだ。 それば かりで なしに、 

歌よ み 町長, 淸水比 舟 氏と 近づきに なったり、 町の 骨董 店の 人々 と g 怒に なったり して, 私 は 先 



214 



づ^ S のこと を 忘れて さ へ ねれば 幸福 この 上 もなかった。 

近 松 秋^ 氏 は 何時も、 

r 屮禪寺 へ 行く ん だったら 锊 S 白雲 の 時で なければ いけませんよ。 上 はもつ と 暴り や す いから 

ね。」 

さう いって、 何時も 私の^ 意 を 刺戟せられ るので あるが、 私 は 一 ヶ月と s ふ もの 祌撟を 見る ば 

かりで 何お へ も 出かけなかった。 白 井 喬ニ氏 もなかな か 外出 せられぬ 人らしいが、 ほぼ の 地に 來 

てゐ て、 こんなに もも のぐさの 客 は、 恐らく どこに もなかつ たに 逮 ひない。 

だが、 私の 身 13 に は、 その 稃 度より 仕方がな いんだから、 どうに もなら なかった。 

若しかすると、 その 爲 めに 私 は 一 所 懸命に 神橋 を 愛して ゐ るの かも 知れない。 

しかし 私 は 時々 山々 を 見る。 すると 山から 歌が 湧いて 來た。 

大き 山 に 向 ひて 居れば いにしへ ゆ 人 親しみし 心 わか り來 

明 智^ 

1 ヶ月と いふ もの 何 虚へも 出なかった 私 も、 八月の 末にな つて 一日、 方々 見て 廻る と、 今度 は 

また そこ ここに 絜 暗ら しい ものが 現れ 出して、 身體 にも 格^ こたへ なかった し、 私 はまた 二度 も 

- 一度 ももこ へ 行きたい と 思った。 



21 C 



ある n、 淸水比 舟 氏が 見えて、 ー鍺 にもう 一度 中緙寺 湖の 方へ 行かない かと 誘 はれた。 すると、 

千 供 達 は 勿論、 この 顷 親しくな つた 柳 £ 骨 蕾^の 娘 や、 それから 妻の 妹 や、 その 友達な ども 參加 

したいと いふ。 

私達 は 例の やうに 急な ケ ー ブル • 力 〜に乘 る。 もうさす がに 兹 さが 加 はって、 一 兀氣な 妻な ども 

身慄 ひして 肩 を ちぢめた りした。 

明^ 平で 下車す る。 一千 二百 七十 三メ ー トル。 ここへ 來 ると 妙に 何か刖 の^ 界へ來 たとい ふ氣 

がする。 私 は 何時も 寫虞 などで よく 見る スイス の 風景 を 感じる。 

この 山頂 を 切り そいだ やうな 小さ S 平地の 上から は、 ぐるりの 深. S 谷々 が 遠く 見え、 もう 處々 

紅^し さう になって ゐた。 ^の 下に は 去年 出來 たばかりの スケ ー ト . リ ンクが 思った よりも 大き 

く 陽に 光りながら 見え、 もっと 逞 くに は 日光の 町 はづれ や、 更に 毛 野の 平野が 滄々 茫々 として ひ 

ろが り、 更らに 遠くに は 信 州の 山脈が 累. _< と 重って、 その 景覲 の壯大 さは 何とも 云へ ない。 

どこから ともなく 霧が 時々 舞 ひながら 押しよ せて 來て は、 足の 下 を 流れ 去って ゆく。 

「こいつが 面白 いんです よ。 なかなか。」 

さう いって 淸水 町長が、 般若の 瀧 や、 方 等の 瀧 を 見お ろす 鐵 柵の 所へ 行く と、 五六 枚の 力 ハラ 

ケを 私達に 示した。 — 

6 

手に 調子 をつ け-て 投げる と、 この 力 ハラ ケは、 水平に 舞 ひながら 谷の 方へ おりて ゆく が、 念に 2 



さ 氣の懕 力で 今度 は スゥ ー ッと 上へ あがって くる。 あがりながら それ は S 字形 を 描いて 飛行機 Q 

やうに 浮かびながら しばらく 走って、 それから 急に 落下す る。 

それ は 見て ゐ ると. S い 瀧の 方へ 屆 きさう に 思 はれたり して 風情が あった。 

その-時、 一人の 男が 淸水 氏のと ころへ やって 來た。 彼 は 今、 この 明智 平から 更に 一 つ 上の 峰に- 

&中ケ ー ブ ル の エ^ をして ゐる 技師で あつたが、 上の 峰まで 案內 して くれる とい ふ。 

皆 はやつ との 思 ひで 峰の 上まで 出た が、 四邊は 霧につつ まれて、 どうに も 仕方がなかった。 

私達 はぢ つと 互の 顔 を 見ながら 霧が 晴れる の を 待って ゐ るより 仕方がなかった。 

すると I おの 奥に、 小さく 白い ものが、 突然 見え だした。 瀧の 口 かなと 思って ゐ ると、 意外に も 

更に その上に S く、 白糸の やうな 筋が 一 筋 浮かび 出して 來た" 

「華厳です よ。 あれが。」 

淸水 氏が 說 明して くれた。 糸屑の やうに 見えた のは髓 口で はなしに 瀧壺 だった ので ある。 

さう 思って ゐる 間 にも、 刻々 に 動く 霧が アブリ グシの やうに 白い 水 を 次第に ハ ッ キリと 浮き だ 

さした" やがて 霧が 晴れる に從 つて 糸の やうな 瀧が 次第に 太く、 しま ひに は 水の 落ちる 樣 までが 

速く ハ ッ キリと 見え だした。 

「いい わね 死にた くなる わ。」 

奏 がその 邊に 坐り込んだ まま そんな こと を. S つた。 



217 



瀧 水 は、 かたまりに なりながら、 途中で 碎け ると、 時々 霞の やうに なって 飛びお りて ゐる。 そ 

れ は^美で 淸楚で 大きい 自然の 中に かかって ゐる 女性の やうに 思 はれた。 華嚴 のす ぐ 近くに 白雲 

Q 瀧が 見えて ゐる。 

^達 ま,; & もっかす に 見つめ て ゐる。 と 暫くして 更に 霧が 動く と、 思 ひがけぬ 筌 に華嚴 の^ 力 上 

の {仝 に、 キラ キ ラ しながら 中禪 寺^が 見え だした。 

「絶景です ね、 ここ は。」 

到頭 私が 叫んだ。 _ 

嚴 の 瀧 

「もっと 5, いです よ。 紅^す ると。」 

淸水 氏が 霧の 中 を 白い 日光 下駄で 歩きながら 云った。 

「ここの 紅槳は 黄色が 基調に なって ゐ ましてね、 それが い いんです。」 

吾々 は 岩 猿が 侏んで ゐ ると いふ 斷崖を 横に 見ながら、 問 もな く筌 中ケ ー ブ ル の 走る 空の 下 を 歩 

いて ゐた。 

それから パスに 梨った。 十五 分 ほど 走って から、 吾々 は華錢 におり る 長い エレべ ー タ ー に乘っ 

てな た。 



218 



「^がま だ玆 つて ゐ ると いいんで すがね" 瀧の 周圃 に。」 

淸水 氏が しきりに それ を 心配して くれて ゐた。 

「晴れた かと 思 ふと、 かかり、 かかった かと 思 ふと 一寸先き も 見え なくなつ たりす るんで す。 

その^が ^の^^から 起ったり 消えたり す るんで すから 何ともい へ ません よ。」 

然し 霧 はもう 晴れて しまって ゐた。 時々 かかり さう になっても すぐ 何處 かへ 消えて しま ふ。 瀧 

は^つし ぐらに 天から 掛 つて 垂直に 白い 水煙に なって 落ちて ゐる。 ^時 かの 長 谷川 巳之吉 氏の 手 

紙に は あの 濛々 とした 瀧の しぶき を 見て ゐ ると、 不可解な 死の 誘惑 を感 するとあった が、 それ は 

^斷 する ことの m 來ぬ壯 魔 さ を 持って ゐた。 

薪 破 はこ この 茶屋から 見ても 矢張り 美しい 女性で ある。 何ともい へす 姿が いい。 だが 接近す る 

と、 それ は 次第に もの 凄い 突し さ を 加 へ て 吾々 を 恐怖せ しめる。 

やがて 淸水氏 や 出 妻 は 歌 を 作る といって そこの 椅子に 坐って 一 所 懸命に 瀧の 方 を 見つめ だし、 

子供達 は繪悠 辔屋 の 前に 立って 白樺 細 ェを 眺めて ゐた。 

私 は 若い者 達 を 速れ て 冷たい 山水の 溢れ出て ゐる道 を 通って、 瀧 壷の 方へ 歩いて ゐた。 道と い 

つても 決して それ は 道で はない。 山水の 中 を 苦心しながら 徒歩で 渡って ゆく ので ある。 周阖 から 

^れ 落ちる 水が 時々 靴の 屮 にしぶ き 込んで 來る。 

1 町 ほど 行って 漸く 瀧壺に 接近す ると、 上から 落ちて 來た 瀧が、 それ は 四 五 間の 幅 を 持って 落 



219 



7 する ので あるが、 下の 水面に 突き あたる と、 はげしい 煙に なって、 龍卷の やうに 靑ぃ 水の 上 を 

廻って ゐる のが わかった。 殊に この 一週 11 ほど 水量の 多い 瀧 は、 全く 壯 絶の 極み をつ くして、 立 

うて ゐる者 を 畏怖せ しめながら 落ちて 來た。 

どこと もない 風が 絕 えす 吹いて くると、 その 邊 一杯に こめて ゐる 瀧し ぶきが、 立って ゐる 吾々 

の S をと めて しま ひさう にす る。 - 

呼吸が 苦しい。 もう 誇 物 も 何も ピショ ピショに ぬれてし まって、 眼が あけられない ほどで ある- 

瀧の 方 を 見て ゐ ると^ がくら みさうな 氣 がする。 

こ はすぐ 服の 前の 瀧 壺の岩 蔭で、 浮かんで ゐる 死人 を 見た が、 その 時、 初めに それ を發見 

した 人間 はものが いへ ないで、 長い 涎 を だして、 私の 方へ 向いて 手 を あげた。 

私 は その 時の こと を 思 ひだしながら。 呼吸 を こらへ ながら、 ボ ッボッ とその 話 を 皆に して 聞か 

せて ゐた。 昝は 蝙蝠傘 を ひろげて しぶき を 防いで ねた。 

だが 心 も體も 冷えて しまって ゐる 吾々 は、 とても 長い 問 そこに 立って ゐる こと は出來 なかった- 

. 本當に 美しい もの は 常に 物す ごいと ころが ある もの だと、 かねがね 思って ゐ たが、 華厳 ほど 優 

美で 壯烈な もの はな. S と 思った。 

日 かげりて 霧 さむさむ し 瀧 をう しろに 寫 萵 とりた る 人 も 歸れり 

吾々 は 再び エレべ ー タ ー で 上へ あがる と、 肩が 輕く、 長い間 瀧し ぶきの 底で 壓 へつ けられて ゐ 



22Q 



たやうな 氣 がした。 

中 禪寺湖 

^壺 から 出て くると、 吾々 は 急に 明るく、 とりわけ 湖水が 光って 何ともい へなかった。 この 山 

上の 湖水の 明るさ は 特別で あるが、 それが 蘇から あがって 來た 眼に は 餘計心 ひらけて 樂 しかった _ 

やがて 一 行 六 人はモ ー タ ー • ボ ー トに乘 つた。 

靜 かな 湖面 を 白い 水 をた てて 疾走す る 船 II 遠くの 山の端に 起重機の やうに 見えて 大きい 枯れ 

木が 並んで 立って ゐ たり、 二 荒神 社の 朱塗の 鳥居が 夕陽に 光って 昆 えたり、 ヨット 倶燊 部の 棧撟 

の 前へ 出たり、 大き. S 男體 山が 深い 山 ナギを 持って 絕 えす 見えつ づけて ゐ たりした • 

「この 邊の 周國も 全體、 紅槳す るんで すよ。」 

淸水 氏が またしても 說 明して くれた。 

赏 際もう 岛の 木蔭に はなな かまどの 實が眞 つ 赤に さがって 秋の 豫吿 をして ゐた • 

やがて 船 は ドイツ、 イタリア、 フランス、 イギリスと 並んで ゐる 大使館^ 莊 Q 前 を定 りすぎ る 

と、 赤い 立木觀 音の 鳥居の 前に 碇泊した。 

この 問 室 生 犀 星 氏に 逢ったら 

f 日光に は 綺驟な 西洋人が ゐま すかね」 と 一番に それ を 尋ねられた。 室 生 氏の 好み は輕 井澤で 



221 



外 I! 人 を 見る 事に なかなか、 かかって ねる らしかった。 

「さあ、 どっちです かね。」 

^ま その 事 は 格^ 氣 にと めないで ゐた ので さう 答へ たが、 考 へて みると、 輕 井澤の 牧師 風に 比 

較 して、 この 湖畔の 外國 人は總 じて 肉食 的 かも 知れな いと 思った。 何時かの 夕 ぐれ 止って ゐた自 

動享に は、 贵 婦人 かと 思ったら 眞っ 白の ボル ゾィ が乘 つて ゐて、 しきりに 湖水の 方へ 向いて 吠え 

たてて ゐた。 恐らく そこに 彼女の 主人が ゐ たの かも 知れない。 夕暮れの 町 を散步 する 人 も、 それ 

は輕 井澤の やうに 多人數 ではない が、 三 々伍々 として、 湖水の ほとり を步 いて、 如何にも 靜 かな 

山上と いふ 氣 持ち を 起させた。 

だが、 淸水 氏の 話に よると、 湯 瀧の 近所に 新ら しい 温泉 を發 見して、 今 は それ を ここへ 引く 事 

になって ゐ ると いふ 話であった。 それ は 何時頃 完成す る 事 か は 知らぬ が、 やがて ここが 俗惡 にな 

る 事 はハ ッ キリと わかって ゐた。 

「だが、 さうな ると、 おしま ひです ね」 

私が いった。 

「さあ、 しかし^ 莊地帶 なら 湖水の 深い 周 園に 幾らでもあります よ、 結局 そんなと ころへ 移つ 

て 行って、 益 》/ よくなる んぢ やな. S かと 思 ふんです」 

淸水氏 はお * たや かな 超俗 的な 町長で あるが、 なかなか 町の 經綸 についても 新ら しい 時代と いふ 



222 



^を 心掛けて ゐる 人ら しか つ た。 

娘 逢 は 手 をつな いで 赤い 攔 干の ある 水際の 方へ おりて 行った。 

私 はこ この 靜 かで 明る S 景色 を氣 質的に 最も 好む。 

も 早、 ま 夕^- ュ やうと して、 どんなに 透く Q もの 音 も 聞え る ほど 靜 かさが 極まって ゐた * 

ぢっ として ゐ ると 氣が返 くな りさう である。 

「出來 ましたよ。 一 首。」 

さう 膝 を かけられて i ひいい すると、 淸水 氏の 手帳に は 次の 歌が 記されて ゐ た。 

靑々 と 光りて^ るるみ づ うみの 向 ふの 岸に 灯が つきに けり 

「靑. ^と、 はうまい です ね。」 

^ま 感、 レ しながら 獰の 大きくな るの を はばかる やうな 氣持 でさう い つた。 赏際 湖水の 表面 は 

もう^ 色^ 然として、 H ナ メル を 張った やうに 光りながら^.^ と 暮れ かかって ゐた • 



223 



"r § s 一 了 

六月 は 風と 雨との 月で ある。 眼に 新ら いもの は、 若^で はなく 着物で ある a 女達が、 急に 眼が 

醒める やうに、 誰も かれ も 自動車の 窓から 美しく 見え だす。 それば かりで はない。 めいめい 肌 ざ 

はりの いい 街着に 着かへ て、 外に 出る と、 朝と なく、 晝 となく、 夜と なく、 ゆるやかに 吹いて く 

る 風が 何ともい へ ない。 

ある 文人 は プレイン ゾ I グの味 を 最も 愛する といった が、 恐らく 彼の ごとき は、 季節で いへ に、 

何よりも こ の 月の 風 を 好む に 違 ひない。 

そこ はかと なき 淸新 さ。 味の ない 味。 六月 はわれ われの 皮脣を 最も 愛撫して 吹きす ぎる。 

だが、 梅雨が 初 まると われわれ は 陰鬱になる。 幸福 さの 後に、 思 ひの 深刻な ものが 吾々 を閉す 

のと 同じで ある。 

僕 はこの il、 親しい 者 達を携 へて、 川奈 のゴル フ . リ ンクに 出かけた が、 氣持 のい い 行程で あ 

つた。 



224 



伊豆の^ i から 自動車 を 雇って 四十 分。 阪を のぼり、 山 を 廻り、 林の 中 をく ぐり、 村 を 通過す 

ると、 吾々 は 道の 預上 にあがって、 そこで 近代 風の 門 を 見つける。 

すると、 逍は そこから 少し 下り坂になる。 それと 同時に 何やら 淸 潔な 海の 匂 ひの する 風が 車窓 

に來 て、 初 K のす がし さ を 一杯に 溢れさす。 道 は ゆるやかな 勾配 を 下りながら、 幾度と なく 山腹 

を 曲折し、 この 鹿 S 私道が すでに 人 寰を絕 つ 思 ひ を 起させる。 

R 之 草が 生えて ゐま すわ。」 

道の端し に 生えて ゐる芝 を 見つける と、 妻が 大きい 發 見の やうに 叫んだ。 

「どれ、 どれ」 

といって 僕が 外 を 見ようと すると、 もう 自動車 はまた しても 迂 廻し 始めて ゐた。 

だが この 妻の 叫び 聲は實 際 大發見 かも 知れなかった。 確かに、 それが これから 始まらう とする 

ゴルフ. リンクス の豫吿 だからで ある。 種が こぼれて 生えた のか。 わざわざ 植ゑ たもの か。 兎に 

^» 吾々 は そこで やがて 開ける 靑々 とした 芝生 を 眼の 前に 想像して、 遊 意 を 刺戟せられ るので あ 

るゥ 

間もなく 自動車 は、 人里離れた この 山奥で、 奥に 行きつ めて、 海に 近い 平地に 一軒の ホテル を 

見つける。 吾-^ は 自動車から おりる。 

は S 氣 になる 前, 少しば かり ゴルフ を 練習した こと も あるが、 今 は その 芝生 をた だ 踏む こと 



225 



と、 珠を ドラ イヴしながら ゆく 人の 快適さ を 思って みる ことと、 ゴルフの ル ー ル について、 少し 

ばかり 同行者に 說明 する ために 歩き だす。 

吾々 は 第 一の チ ー . ショ ット から 步き だして、 その ホ ー ルを 終り、 次ぎの チ ー . ショット へと 

次ぎ 次ぎに 歩いて ゆく。 

暫くす ると 松林の 問 をす けて 靑い 海が 見え、 僕達 は r 大島コ ー ス」 と稱 する コ I スに 完全に 這 

人って しま ふ。 

かすかに 竽ん でゐる 島に、 吹き 折られた やうに 三 原 山の 煙が 長く 橫た はって、 それが いかにも 

靜 かに、 氣 宇の 大きさ を 感ぜし める。 

「いいな 全く。」 

「來 てよ かった わ。」 

吾々 は 軍 純に さう 叫んで しま ふ。 ここで は 人生の 半面に ついては はれ も考 へなくなる のに 遠 ひ 

ない。 

大抵 十 萬 坪 か 一 一十 萬 坪と いふ リ ンクス の 中に、 ここ は 五十 萬 坪と いふから その 規模の 大きさ か 

ら でも、 まさに 驚歎に 堪 へぬ。 

僕 等の 前 や 後で、 時々 珠を 打って は步 いて ゆく ゴ ル ファ ー の クラブが キラ キラと 光って ゐる • 

やがて 第 七 桥目か 第 八 番目 Q コ ー ス あたりで、 僕 等は絕 壁の 上に 出た • 額の 汗 を ふく。 



226 



下 を 見お ろす と、 奇岩 が^く 海の 中に 橫た はって、 海水が 白く、 その 周圍 にあたって は碎 けて 

ぬる。 

立って ゐ ると 氣が 遠くな りさうな 位で、 ここで 一週 問 も 暮らせば、 その 淸澄 すぎる { 仝 氣と太 14- 

洋に向 ふ 自然の 雄渾 さの ために、 無心の やうな 境涯から 發 狂し はしない かと 考 へたり する。 凉し 

い 風力し つきり なしに 吹きつける。 

更らに 僕 等 は r 柬 海道」 と稱 する 松 並木 Q コ I スに 出たり、 「s 6 .s」 と稱 する 二 町に^ 

い 吊り橋の 上に 出たり する。 

そのうちに 日暮れが 近くなる と ゴルフ ァ ー 達の 影 も 見えす、 どこから 來た のか、 四 五 人の 少年 

逹カ 現れて、 カップ 切りで グリ ー ンの穴 を 新ら しく 切り かへ て は、 いたんだ 穴を埤 めて 廻って ゐ 

るの が^に つ いた。 

「何 か あるんで すか。」 

n ン ぺ チ, ノ 3 y 

i ええ、 あす、 試 合 が ある もんです から。」 

彼等 は體儀 正しく 答へ る。 

「君達 はし あはせ です ね、 こんなと ころ を 毎日 歩いて。」 

しかし それに は 微笑して、 彼等 は 何も 答へ なかった。 彼等の 中には 女の キャディが 二三 人 も 交 

つて ゐて、 波 女達 も 同じ やうに、 おしきせ らしい、 それでも 天 鵞絨の ユッカ ー を 着て ゐた • 



227 



「この 木 は 何んだら う。 小さい 松かさの やうな ものが なって ゐ るの は。」 

しかし 彼等 も その 野生の 木に ついては 何の 知識 もない。 僕達 は默 つて 歩調 を 合せながら 歩いて 

ゐ る, 

それにしても 僕 はこの すばらしい リンク を 見て、 ただ 人間が 作り 得る 最も 高度で、 素朴で、 美 

し. s ものと して、 これ を考 へた。 

吾々 は 少年 達と 1 緖に 歩いて ホテルの はう へ歸 つて ゐた。 富士山が 時に 見える とい ふ 「富 士 コ 

1 ス」 を步 くのに は、 もう 時間 もなかつ たし、 病後の 僕に は少々 過勞 にも 思 はれた。 

ホテルの 廻廊の 中で は、 まだ 電燈 をつ けて はゐ なかった が、 外國 人らしい 夫婦が、 芝 を 見渡す 

テ ー ブ ル で 夕食 を 始めて ゐる らしかった。 

僕 等 は それから 数日して、 夏 目漱 石の よく 行った 修 善寺溫 泉に ゐた。 そこ は溪 流の 兩 側の 小さ 

い 町で、 梅雨の 雨が 降り、 淋しい といへば 淋しかった が、 親しい といへば 親しく、 明るい リンク 

と 思 ひ あはせ て、 陰に 入る やうに しんみり として、 時には 退屈した。 

曰ぐ らし 机に 向 ひて、 と 兼 好 法師 は 書き だして ゐ るが、 よしなしごと を 書き つらねた くなる の 

はこん な 日 々 に 違 ひない。 

明るい 風 を 取らう か、 暗い 雨 を 憎まう か。 六月 は、 風と 雨と が あるから 餘計 面白い と考 へたい- 



238 



9 

2 

2 

卜お In 中 己 f 

流産の 流行 

からだが 惡 いのに、 少し 調べたい 用事 もあって、 東北の 方へ 行った。 

福 島の 競馬に 寄り、 それから 盛 岡に 出、 盛 岡から 輕便鐵 道. に乘 つて 何とかい ふところへ 出た。 

何しろ^な がらの 旅で、 驛の名 を 記憶に とめる 氣カ さへ なかった。 

しかし そこで 下りて、 小 岩 井 牧場から さしむけて くれた 鐵道 馬車に 乘 ると、 さすがに もの 珍ら 

しく 尤^が 出て、 自分 も 起き あがって ぐるり を 見廻した。 

道の端に ク 口 ー バ I が、 蓟の やうに 大きい 紫色の 花 をつ けて ゐ る。 桔梗が 哚 いて ゐる。 茅が 白 

く槌を 出して ゐる。 遠く 岩 手 富 士が雪 を かついで 霧の 中に 見え 落葉松の 並木が つづき、 私 は 遠く 

やって 來た かひ を しみじみ 感じ だして ゐた。 

2? は 一 一十 幾人の 人間 をト 口 ッ コ に乘 せる と 細い 鐵 道の 上 をゴ トゴト と 引っ張り だした。 實に驚 

くべき 力で 恐らく ハク 二 ー 種 か 何 かで その 頑丈 さうな 筋肉が 逞 ましく 動きつ づけて ゐた。 どこか 



らか 郭公の 嗚き聲 が 聞え てゐ る。 

しきりに 高原と いふ 氣 がし、 私 は あの 淸 澄な 輕 井澤の 林の 中 を 思 ひだして ゐた。 

やがて 赤土の くづれ たと ころに 來て 馬が とまると、 私 は 東京 競馬 俱樂 部の 理事、 W 中啓 一 氏と 

1 緖に そこでお り、 すぐ 前の 事務所まで 步 いた。 

どこの^ 務 所で もさう であるが、 壁の ぐるりに 名馬の 繪 ゃ寫眞 がー 杯に かけて ある。 何れも 蘐 

敏さ うに 耳 をた てた 姿で、 それに 騎手が 乘 つて ゐ たりす ると、 一層 それが 飒爽 とみえた。 

やがて 所長が 出て 來た。 

健康 さうな 五十 恰好の 人で、 炯々 とした 服 光 をして ゐた。 

「赏は 少し 馬 を 見せて いただき たいと 思 ひまして。」 

m4 カレ ヱと、 

「さう です か、 そり やよ く來て 下さいました。 然し 丁度 傳染 性流產 がありまして ね。 一 

所長が いった。 

「さう です か、 そり ぁ大變 です ね。」 

それから それにつ いて 田 中 氏が 暫く 話して ゐた。 

「だ 力ら 折^です が 牝馬のと ころへ はなるべく 接近し ないやう にして いただきた いんです が。 」 

「とい はれる の は。」 



230 



「いや、 この 病氣 に傳染 すると 折角の 懷姙 がみな 無駄に なって しま ふんです。 一 昨年 は靑 i 

から 一 體 にこれ が 流行して 來 ましてね、 馬 產地は 非常な 恐慌 を來 たしたん です。」 

やがて 吾々 は 一 應 外界からの 帶 le^: として、 ここの 事務所に ある ゴ ム の 長靴に はき か へ さされ 

た。 つまり 外界との 接觸を m 來る だけ 禁じよう として ゐ るので ある。 何しろ 一匹が 三、 四 萬圓に 

にもなら うとい ふ 子!^ を、 母^が 落して しま ふんで は、 これ は大變 な喾 である。 

「この 病氣は 病源茵 がま だ わからな いんでして ね。」 

田 中 氏が 說 明して くれる。 

「然し 而 白いです ね。 おし さう いふ 病氣が 人間に も 移 琉出來 る ものなら、 さぞ 喜ぶ ^中が 多い 

でせ うね。」 

私が 笑 ひながら いった。 

「さう です ね、 人工流産 などと いふ 面倒が いりません からね。」 

「そ りやこの 病氣 にか かると、 た わい もな く 流^す るんで すから ね。」 

われわれ は 重い 長靴 を はいて 草の 中 を 歩いて ゐた。 

「何の 苦痛 もな いんです か。」 

「ええ、 そり やもう 何でもな いんで、 その 邊へ 落して 知らぬ顔 をして ゐ るんで すから ね。」 

田 中 氏が 說 明して くれて ゐた。 



231 



「それで、 かかる と 一生 駄目に な るんで すか、 その 方が。」 

「いやか かっても、 なほれば それでい いんで、 あと は 引かな いんです。」 

所長が いった。 

「そんなら 全く あつら へ 向きです ね、 人間に 傳染 せる もんなら。」 

「ところが 馬に とって は大 禁物でして。」 

所長 は 馬 以外の こと は 何も 考 へて ゐな いらし かった。 

名馬 シャ ン モ ァ 

われわれ は 高い ボ ブラの 並木の 下 を 通って ゐた。 左側に 池が 見えて、 鶯ゃ 郭公が 遠くで 嗚 いて 

— よし さ り 

ゐる のが 聞え た。 かと 思 ふと 近くで 「ヒ キロ、 ヒキ 口」 と 行々 子が 鳴いたり、 杜鵑が 頭の 上 を.^ 

きながら 過ぎたり した。 

「羨し いです ね、 かう いふと ころで::」 

「のんきで はあります がね、 何しろ 文明と い ふ ものと 切り離されて ゐ るんで すから ね。」 

全く それ は廣々 として、 素朴で 健康で、 こんなと ころが われわれの 界 にある かと 不思^な 氣 

がする くら ゐの どかであった。 . 

「どのく らゐ あります かね、 ここ は *」 



232 



「三千 八 百 町歩。 そこへ 思、 羊、 牛、 豚な どが 全部で 五 百 幾頭ゐ ます。」 

そんな こと をい つて ゐる ところへ 、 後から 蹄の 音をド ッド ッ とたて ながら 放牧して あった 馬が、 

たてお を 動かしながら 一 本道 を 走って くるの が 股に ついた。 

われわれが 道の 横によ けて ゐ ると、 この 大きい 潑剌 とした サラ ブレット 種の 母 馬 達 は、 小馬 を 

つれながら 自分 達の 廐 舍の方 へ , 森 を 鳴らしながら 歸 つて 行った。 

「あれで 自分の 部屋 は 決して 問 違へ ません からね、 賢い もんです よ。」 

それから われわれ は靑ぃ 原の 中 を、 長い間 歩いて 一 つ Q 廐舍に 近づいた。 原の 眞ん 中に 林檎の 

木 か 何 かがあって、 われわれ は その 下へ 行って 腰 を かけて ゐた。 

すると 小さい 馬丁が、 有名な シャン モア を 引き だしてき た。 黑鹿 毛の、 眼の 大きい、 見る から 

に 名馬ら しい 精悍な ところがあった。 系圖 をみ ると 「產 地、 英國。 父バ ツカン、 母 オル ランス」 

と 書いて ある。 バ ツカンと いへば 一 度の 交尾 料 四千 圓と いふ 大變な 馬で ある。 

兎に^ この シャン モアが、 ダ,, 'ビ ー の三荖 馬で、 廿萬圓 とい ふ 日本の 種馬 中での 最上の もの だ 

とい ふこと は 前から 知って ゐた。 

「立派です ね、 さすがに。」 

「いや、 この頃 はとり わけ 男 油が のって、 もう 張りき つて ゐ るんで すよ、 このと ものよ さと 來 

たら 比類が ありません。」 



233 



主任の 男が 說 明した。 

やがて 所長が、 

「よし」 

とい ふと 次の 馬が 引き だされた。 

まわれ われの 前で 止り、 それから さらに 向 ふの 方へ ゆき、 それから また ひき^ して、 われ わ 

れの 前で 止り、 それから 廐舍の 方へ 歸 つて ゆく。 これが 馬 を 見せる 時の 方式で あるら しい。 

日本 馬 

「冬が 來る とどうな ります かね 」 

「雪が 可 時 も 二三 尺 積んで ゐ ますから ね" だから あれが、 その 時の^ 料 を 澄く^ ころです。」 

圍ひ をした 牧 柵の 眞ん 中のと ころに 一 ^ 四方く らゐで 小高い ところが 板で こしら へて あった。 

「雪の 中で も 放牧す るんで すかね。 やつば し。」 

「え、 え、 どんな 日で も缺 かしません。」 

それから われわれ は 夕暮れて、 もう 薄暗くな つた 廐舍の 中へ はいって 行った。 すると 脊の 低い- 

たて 髮の 部厚い、 顔の しゃくれ た 一 匹の 馬が 吸 を 光らして じっとして ゐ るの を 見付けた。 

「日本 馬です よ。 これ は 今は少 いんです が、 忍耐 づ よくて、 なかなか 役に たつんで す。 ただし 



234 



^地が^ いんで。」 

主任が また 說 明して くれた。 

さう い へば 古い 曰本赘 などに よく ある 恰好の 惡ぃ、 あれが この 馬の 祖先に 違 ひなかった。 

r,M 原 多 助 の 馬 もこれ だつ たんで すね。」 

冗^ 好きの 田 中 氏が いった。 

の調敎 

夜 は仉樂 部に とめて もらった。 

白木 迭り のなかな かいい 家で、 撞球 場が あったり、 談話室が あったり した。 恐らく 馬 を 買 ひに 

く る 馬主 や、 岩 崎 家 に 關係 の ある 人 々が 時々 やってく るのに 違 ひない。 

われわれ は 疲れて しまって 横になる とすぐ 眠って しまった。 それに 朝 四時 頃から、 牝馬の 發情 

試驗 をして ゐ るから 見るなら 見て くれと いふ ことで あるし、 七 時には 三 歳 馬の 調敎が あると いふ。 

確か 夜な かに 梟が 鳴いて ゐ るの を 一 度 聞いた が、 それだけで もう 前後 不覺に 眠って しまった。 

不思議な もので、 平生は 身體 のことば かり かこって ゐる 自分が、 四時 半が 來 ると、 ちゃんと 眼 

を さまして 田 屮氏を 起した。 - 

「もう 四 時半です よ。」 



235 



太い 靳をか いて ゐた田 中 氏が すぐ 眼 を あけた。 

「ぢゃ 行きます か、 今から。」 

それから われわれ はまた ゴムの 長靴 を はき、 牝馬の 廐舍の 方へ 行った。 明け きらぬ 朝の 筌氣が 

何ともい へ ない。 

主任 の^が 一 匹の あて 馬と 稱 する ものの 手綱 を 持って、 四 尺く らゐの 高さの ある 板 境の 向 ふに 

立って ゐる。 

そこへ 一匹 づっ 牝馬 を 近づけて ゆく、 すると あて 馬 はいちい ち 牝馬に 愛情 を 示して、 首の あた 

り や 腰の 方 を 舌で なめ だす。 

然し 發 情して ゐ ない 牝馬 はすぐ 怒って 後足 を あげる と 牡 馬 を 蹴らう とする。 幸 ひに 板 境が それ 

を 防いで ゐる。 

中に 一匹 か 二 匹か發 情して ゐる 馬が あつたが、 かう いふ 馬 は、 すぐ 親し さう に 牡 馬の 首に 自分 

の 首 を 交 して 親し さう な 態度 を 示 す。 

「確ら しいね。 これ は。」 

二三 人 立って ゐる 牧夫 達が 口々 に そんな こと をい ふ。 牧場の 中 は實に 早起きで、 もう みんな 朝 

の 仕事に 從 事して ゐ るので ある。 

やがて われわれ は 三 四十 分か かって 二 ュ ー マ ー ケット 競馬場の コ I ス に 似せて 作った とい ふ 直 



236 



紛コ, 'ス の調敎 馬場に 出た。 

そこ に は ..:1 ぃ扮が 立って ゐて、 その上で 調敎が 見られる やうな 装置に なって ゐた。 

岩 手 赏士の 裾野に ある この 牧場の 風景 は 實に茫 々として 見渡す 限り 靑々 として、 われわれ を 蘇 

生 さすに 充分であった。 

田 中 氏と 私 は、 そこの ベ ンチ にあ ふむ けにな りながら、 馬の 現れる の を 待って ゐた。 

「日本なん か は 家系の^ しい 方です がね。 人間 も 馬の ゃラに 改良したら、 どうかと 思 ふんです 

力す」 

W 中 氏の 說 である。 

「だが 人 問に は 智能 的に 遺傳 があります からね、 いい 智能 も惡用 すれば ひどい ことになるし。」 

「しかし 馬の やうに 幾 代に も わたって 系統 を とれば 面白い と 思 ふんです がね。」 

吾々 は そこの 椅子の 上に 横にな りながら、 アメリカの カリ ケック . ファ ミ リイの 話 をしたり、 

日本の 妾 制度に ついて 話したり して ゐた。 

と、 遙か向 ふから 靑 草の 問 を 騎乘の 一隊が 走って 來る 音が した。 例の 三歲 馬で ある。 

馬丁から 離れぬ 馬 

自分 達 はすぐ 起き あがる と 馬 名 表 を だして 馬の 脊 中に つ いて ゐる番 猇と見 くらべ だした。 



2y? 



馬 はわれ われの 前 をす ぎて 向 ふの 方へ 行く と、 そこで 暫く 囘轉 運動 をして ゐ たが、 やがて 一直 

線に なって、 現 はれる と、 われわれの 前 を 恐ろしい 速度で 走りす ぎた。 

かう いふ 靜 かな 所では、 轟 息の 音が、 蹄の 音よりも、 もっと 烈しく、 馬の 逞しい 生活力が 生々 

として 身に せまる 思 ひがした。 

握り 鈑の 朝釵が 運んで 来られた。 所長が 現 はれた。 われわれが 食事 をして ゐ ると、 その 前の 谊 

綠コ ー ス を 馬 は 幾度と なく 行ったり 來 たりす る。 

田 中 氏が 時々 櫓の 上から 下りて 行って 馬の 寫眞 をと つてく る。 

やがて 所長が 双眼鏡 を 私に 貸して くれる と、 

「あそこ を御鹭 なさい。 馬丁と 馬が ゐ るで せう。」 

さう いって 敎へ て くれた。 

見る と、 牧 柵に 腰 を かけて ゐる 馬丁の 肩に 馬が 首 を さし 入れて 如何にも 锐 しさう にして ゐた。 

「ここ 出身の 馬です がね、 少し 疲れ を だして 保養に 來てゐ るんで す。 實に 馬丁と 仲の いい 馬で、 

馬丁が 歩く と步 き、 走る と 走る とい ふ有樣 で、 見て ゐて氣 持が いいです よ。」 

なるほど 双眼鏡の 中に 見える 馬 は、 やがて 馬丁が 動きだす と、 それに 從 つて 動きだした。 のど 

かで、 平和で、 愛情に 溢れ、 私 は 久しぶりに 心が 爽快になる のを覺 えた。 

「人間 も 時々 かう いふと ころへ 放牧す る 必要が あります ね。 I 



233 



またしても 田 中 氏の 說 である。 W 中 氏に おいて は、 常に 人 問 生活と いふ ものが、 むしろ 馬から 

割出される^^ があった。 それほどに 馬 を 愛して ゐる とい ふこと がわ かり、 聞いて ゐ ると、 そん 

な こと も 大變氣 持が よかった。 

赏 際 かう いふと ころに 二 * 三 ヶ月 もゐれ ば、 自分の やうな もの も、 もっと 健康に なれさうな 氣 

がし、 何 か出来る 仕專が あれば、 來 たいと 思って、 そんな こと を 尋ねたり した。 實際 ここへ 來て 

以來、 自分な がらに 不思議な ほど 生き生きして ゐ るので ある。 

「先年、 菊 池さん が 見え ましてね、 馬 を 3 只って もら ひました が、 餘 りい ぃ成繽 でな いんで、 す 

まなく 思って ゐ ます」 

所長が そんな 話 を はじめた。 

われわれ は 朝の 調 敎を見 終る と、 靑ぃ丘 を 越えながら、 再び 事務所の 方へ 歩き だしてな た。 

漸く 陽が あがって 岩 手 富士が 藍色に 現 はれ、 またしても 郭公の 聲が 聞え、 杜鵾 の聲が 開え、 S 

^の 牧^ はます ます 私に 去りが たい 銃し さを覺 えさす のであった。 



239 



直が くると 大抵の 人 は 海 か 山 かへ 住居 を 移す。 暑さ をし のぐ 許りでなく、 一 ヶ月 か 二 ヶ月、 & 

然變 つた 環境に 自分 をお くことの たのし さが それに は隨分 ある。 

かう いふ こと も 十 年 位 前からの 流行で、 今 は どんな 人 も 試みない 人 はなくな つた。 

關 西の方で は どんなと ころがい いの か 知らない。 恐らく 六 甲な どが 最上で、 それから 芦屋 あた 

リを 中心とする 海岸 ー帶 がい いんだら うと 想像して ゐる。 

束 京 附近で は 何とい つても 山で は輕 井澤、 日光、 山中 湖畔。 海で は 葉 山 あたりで はない かと 思 

ヒ 1 

^し輕 井澤と 云っても いいの は舊輕 井澤 だけで、 あそこ は 落ちついて、 さすが 歷史の ある 避暑 

地 だけに 大變 好ましい。 贅澤 だとい ふが、 先づ 至れり つくせり で、 ああい ふところで 贅澤 のない 

ところ はつ まらない。 從 つて あの 近くの 千ケ 瀧と か 法 政大學 村と いふ あたり は、 ちっとも いいと 

は 忍 はれない。 ただ 凉 しいだ けなら もっと 素朴な ところへ 行く 方が すっと ましで ある C さう いふ 



わけで、 あの^ M 帶を 今は輕 井澤と t. んでゐ るが、 輕 井澤に も いろいろ 通りが ある わけで、 模造 

の輕 井澤へ だけ は 行く 氣 がしない。 

日光 は山內 か、 中 ft 寺 湖畔 か。 中禪寺 湖畔 はいいに ちが ひない が、 あそこに はどうい ふわけ か、 

大使館 や 何 か は 大抵 ある 癖に、 個人の^ 莊 とか 貸刖莊 とい ふ ものが 割合に 少ぃ。 貸 刖莊に 至って 

は 皆無と いっていい。 然し 夕暮れ、 少し 寒い 位の 湖畔の 道 を 三々 伍々 として 步 いて ゐる外 國人を 

見かけた りする の は 何となく 違 ふ 世界へ 來 たやう で樂 しい。 

私の 八/行つ てみたい と 思って ゐ るの は 野 尻 湖畔で、 まだ そんなに 一 般 化して ゐ ないだ けによ さ 

さう に 思 はれる。 

然し 避暑と. S ふ もの は、 すれば していい が、 しないで ゐ るの も 叉 面白い。 

行きつ くなら 早く 行く のが 自馒 らしく、 歸る のなら 九月に ならぬ 間に 歸 つたり、 叉 別のと ころ 

へ變 るの が 通らし い。 

この間 ある 友達に 逢ったら、 

「今年 はやめた」 とい ふ。 

「どうして だ」 と 尋ねたら 

「好きな 人が 東京に 淺 つてる るから だ」 とい ふ。 

そして そのこと を 彼の 父親に いったら 「行く 家が あって、 出かけな いのは 賛澤の 限り だ」 とい 



241 



つて 叱られた、 といって 自馒 さうな 顔 をして ゐた。 

かう いふ 人種の 考へ る こと は 全く 奇矯で、 赘澤の 喜び を どこに 見つける のか わからない。 

夏の 銀- M など を 歩く の は、 ひところ 輕 蔑せられ てゐ たが、 このごろ はさう いふ 連中が^々 とし 

て步 いて ゐる。 

^莊 があって 出かけな いとい ふの を 一 つの 趣味に す るんだ から、 その 頹牋に は なかなかの 刻苦 

が ある。 

さて 海へ 行く に は、 肉體の 美し さが 無ければ 肩身が せまから う。 從 つて そこに は 若い 人 逮が多 

い。 然し 鎌 倉ゃ逗 子な どの やうに 混雜 してし まふと ころ は、 華やかで も 決して 樂 しく はない。 あ 

の神經 的な 與 ffi した 空氣は 思った だけで も 嫌 ひで ある。 

私 は 槳山邊 の それ も 一色 か、 山 口 か、 あの あたりが 一等い いと 思って ゐる。 それから もっと 奥 

の秋ハ 介な どへ ゆく 人 も 時には あるが、 秋 谷になる と 少し 淋しす ぎる。 總 じて わざわざ 居 を 移す ぐ 

らゐ なら、 退屈し ないだ けの 賑やか さと、 瑗 境の 珍ら しいと ころ を 選ぶ のが 最もい いに ちが ひな 



「左 手 神 聖』 の 序 



「生き物 をと りくら へよ」 とい ふ 黑住敎 の 敎理の 中で、 自分 は 年少の 時代 を 過した。 稍々 長す 

るに 及んで、 バウ 口の 『ガ ラ テ ャ 人に 與 へ る 書』 を愛讀 し、 又ル I テル の 熱烈な その 『註 釋醫』 

を 自分 は身邊 から 離さなかった。 その 頃の 自分 は、 キリストに 對 する 熱情に よって 装飾せられ、 

完全な 精祌 主義者に なって ゐた。 だが 何時の 頃から か 自分 は 叉 異端の 徒に 變り、 放恣な 空想に 支 

配せられ、 肉體の 力に 總て ひきす り 廻され、 征服 せられて ゐる ことに 氣 付いた。 然も これ こそ 眞 

赏 であると 思 ひ、 自分の 心 は 悲しみから 一躍して ^ だ 誇りに 滿 ちて ゐた。 だが そのうちに 自分 を 

自分に する もの は、 福 昔で も 肉體の 氾濫で もな く、 社會の 機構 だと 更ら に考 へだして ゐた。 丁度 

マルクス 說が 擡頭して 來た 時代で、 自分 は 自分の カを焭 悟しながら、 尙 ほその 思想と 根氣 よく 對 

立し、 これ を 刺戟し、 調伏しょう とした。 その 藝 術と 關聯 して 述べられた ものが、 自分の 『形式 

^^^術 論』 である。 だが 何れにしても 漠然とした 自由の 思想に 支配 せられて ゐ たこと は 事實で 

あって、 年少の 時代から 決して そのこと に變 りはなかった。 そして この 形式主義の 進行 は、 或る 



一^に 到達す ると、 規矩 ある 法則、 嚴肅 なる 形式と いふ ものに 變 化して 現 はれ だした。 自分の 前 

にある もの は總 て科舉 的な 世界に よって、 自分 並びに 周圍が 全部 決定 せられて ゐる ことに 氣 付き 

だした。 自分 を 支配す る もの も 叉 自分自身 さへ も、 等しく 時間と 签 間の 組織で しかない こと を 思 

ふ 時、 自分と いふの を 漂 々として 世界の 一 片 にして しまった。 自分 は 今 何の 誇り もない し、 又 何 

の 卑下 もない。 最後に 文舉 者と して 到達すべき 道が どこに あるの か、 それ は 盲目の やうな 手探り 

では 到底 IS れられ る もので はない が、 ただ、 今の 自分 は、 冷靜な 心境に 先づ 徹する ことに 自分の 

課題 を 持って ゐる。 自分の 文 學に對 する 考へ方 は、 そんなに 變 化した わけで はな. s が、 今日まで 

に文舉 論ら しい 書 を 前記の 一冊 と共にもう 一冊 出して ゐる。 だが 實 際の 自分の 姿 は、 そこに 無つ 

たか も 知れない。 反って この 『左手 神聖』 の 雜漠な 自分の 通過した 世界 を 小説の ひまひまに、 思 

ひの ままの 冗談 半分に 書いた 文章 や、 放言に 近い 言葉の 中に 赤裸の 自分 を 出して ゐる やうな 氣が 

する。 自分の 心 は 自分で 打ちた てた 文學 論に さへ 絕 えす 煩惱 し、 爭鬪 しつづけて ゐる。 これ は自 

分の 今日までの 信仰 を轉 覆せし めて、 仲間に 告げる やうな 種類の もので は 決してな いが、 多少 考 

へられて ゐる 自分 を、 最も 自由な 表現に 於て 訂正して ゐ ない とも 限らない。 その 意味で これ は自 

^にと つ て 最も 锐 しい 書で ある。 



ドスト イエ フス キイ 



すっと 前、 『罪と 罰』 を讀 まう と 思って、 どうしても 讀 めない ことがあった。 幾度 も 新しい^ 

持で 讀み 始める の だが、 三十 頁 位まで 讀 むと、 いつも そこで 止った。 どんなと ころで 止った のか、 

今 繰り ひろげて みると 面白い と 思 ふが、 手 もとに 本がない。 兎に角、 その 時には 十 度 位 試みて、 

そして 卜 度と も その 邊で とまって しまった。 それなら 讀 書に 對 して 自分が その 頃 怠惰で あつたか 

と 云へば、 必 すし もさう ではない。 國譯 大蔵 經を 第一 卷 から 無暗み に讀 みだして、 あれ を 四卷頃 

まで はとに かく 請んだ。 同じ やうな 文章 や、 同じ やうな 事件が 幾度で も 出る。 その上 何よりも 意 

眛 がわから ぬ 所が 大部分な のに 讀み 通した。 それな のに 『罪と 罰』 は 三 四 十 頁より 向 ふ は 行けな 

かった。 そんなら 小說に 興味 を 求めて ゐて、 それが 『罪と 罰』 の 最初に なかった からか、 とい ふ 

と、 さう でもない らしい。 二十歳 前後の 私 は 小說を 一度 も 興味で は讀 まなかった。 だいたい あの 

® の 小說は 興味 的 に は みな 面白くな かった。 とり わ け 自然主義 時代 で 面白い などと 思って 小說を 

よんだり. すると 叱られた。 だから 通俗 小說 などと いふ もの は輕 蔑して ただの 一 つも 讀 ます、 小説 



に. 「お を 求めた ことな ど は 一 度 もなかった。 してみ ると 『罪と 罰』 が あんなに 苦痛であった 理由 

がわから ない ので ある。 大蔵 經が よめた の は、 そこに 音樂 めいた ものが あつたから かと 思 ふが、 

さう いへば 音 樂 どころ か、 それが ひどい 惡譯 だった ので はない か、 とも 考 へて みるの だが、 それ 

だけで もな ささう に 思 ふ。 とい ふの は 惡譯か 何 か、 兎に角 トルストイの 方は讀 めた のに、 ドスト 

イエ フス キイ は 依然として 讀 めなかった からで ある。 それ以来 私はド スト イエ フ ス キイと いふ も 

のを讀 まない ので あ-る。 ところが この頃 『理想の 良人』 とい ふ もの をよ み、 彼が 常に惡 糜 によつ 

て 支配せられ、 然も その 裏が はに 痛烈に 神 を 見ようと して ゐる こと を 感じ、 この こと は、 ^界の 

藝術 家が 唯一 人 彼 ほどに は 試みなかった 事 たと 思 ひ、 こんなに 與 奮し、 痙攣し、 氣逮 ひじみ て、 

それ を 追究す る 作^はなかった と 思った。 彼の 考 へて ゐる こと は、 常に 二つの 兩 極端 を 一 つに す 

る ことであった らしい。 それ は 神と 惡糜 だけで はなく、 喜びと 悲しみ を、 死と 生と を、 結婚と 汚 

辱と を、 まるっきり 正 反對な もの を 一 つに しょうと する 努力が 吾々 の 近代の 藩 術と 非常に 近い こ 

とを考 へさせる。 然も 彼 は それら 二つの 間で 絶えす 矛盾し、 揸 着す るので ある。 吾々 の 時代に 彼 

が 呼びかけ るの は > 彼が 肉體 よりも 靈魂 的で あるた めで はない。 义 彼が 神と 惡 魔との 抽象 を 新し 

く 提供す るからで もない。 まして ジ イドが ド ス トイ H フス キイ を 論じた からな どであって はた ま 

ら ない。 彼が 如何に 正 反對な もの を、 複雜 多端な 心理の 蔭で 一 つに しょう としたかと いふと ころ 

に、 彼の 不思 護な 天才の 發昆 があった ので ある。 近代 人 はこれ を 技術に よって 試みようと する, 



246 



然し 彼 はこれ を 生活から 發 足させ て ゐる。 彼の 生活 自身が 常に 正 反對な 存在の 矛盾の 中に の みあ 

つたと S はれる ところに、 彼の 魂の 深さと 精祌 の强靱 さとが 感じられる。 彼の 藝術は 何よりも 常 

に 皮の 生活の 深淵 を のぞかせる。 彼の 生活が 恐らく 彼の 作品よりも もっと 深刻であった こと を 常 

に 想像させる ところに 彼の 强 味が ある。 彼 こそ は 近代 藝 術の 特長 を 彼 自身の 生活から 發 足させた 

依一 の 男で ある。 その 意味で 彼の 作品 は 常に 藝 術から はみだし、 藝術 になら なくと もい いらし い。 

大 W 私は氣 w:^: に^ 術以 k の もの を藝 術から 感じる こと を妤 まない。 だから 彼 をつ まらない と 思 

ふこと が 時々 ある。 だいたい 彼に は 健全な 寫實 主篛 とい ふ ものが 無い。 その 爲 めに 吾々 は 彼から 

まぶに 見える ものより は 聞く もの を 多く 受取る" 然も それが 非常に 非音樂 的で ある。 吾々 は 何で 

もい い、 ただ 心 を 打 たれる。 叩きのめされる。 彼の 悲痛な あがきと 憎惡の 中に 卷き 込まれて 同じ 

やうに 苦しむ。 彼の やうに、 ふてくされた 恐るべき 男 は 無い と、 そのたび に 思 ふ。 恐らく 私が 幾 

^か讀 まう として 昔、 讀 みすす めなかった の は、 恐らく^ 術 以上 か、 以外の もの を そこで 感じす 

ぎた からにち が ひない。 さて 『理想の 良人』 であるが、 これ は 彼の 作 中、 最も 結構の 整然とした- 

透明な^ 品で あるら しい。 讀 みやすい ことで も黎 件が 最初から 初 まるから 非常によ く 這 入れる。 

ところで 私 はこの 作で は 「ザ フレ ー ビ ユンの 刖莊 にて」 のと ころが 最も 面白かった の だが、 ただ 

あらい ふところ はま だま だ 彼の 場合で はなまぬ るいので は あるまい かと 思った。 恐らく 他の 作品 

をよ め 5H、 ああい ふこと はもつ ともつ と 恐ろしく 書かれて ゐ るに 違 ひない。 それが 破 壌 的で あら 



247 



うと 悪魔 的で あらう と、 そこに こそ ドス トイ H フス キイが あるので、 どんなに 返 屈しても そこ を 

, つきぬけて 彼の 最も 慘 酷な ところへ 行かなければ ならない ので はない かと 思った。 

その 意味で 『现 想の 良人』 を 彼の 傑作と する こと は、 彼 を 小さく 眺める ことにし かすぎ ない の 

ではない かと 思った。 ああ い ふ 種類の 作品なら 彼よりも もっと 別の 作家から も 求められな いこと 

はない。 彼 はや はり 藝術 以上と いふ 點で いつも 讀 まれ、 或 ひ は 捨てられ るので はなから うか。 た 

だ 彼 は どこまでも 暗い。 彼の 作品に おける 救 ひ はた だ 神の みで あるが、 然も 中世 紀以 來の祌 とい 

ふ もの は 何 寺 もき まって 甚だ 陰鬱 だからで ある。 ァ ラン ,ボウに 於て は その 陰鬱 さが、 彼の 求め 

る折奇 な 世界に よってい つも 救 はれる。 だが 彼に は それが 無い。 私 は 何時か 新ら しく 『罪と 罰』 

を讀 みな ほして、 自分が 十六 年 前に 讀 みすす めなかった 理由 を もっと 審 かに 考へ、 その 感想 を、 

もう 一度 書いて みたい と 思って ゐる。 私 は 何も 讀ん でゐ ない。 本當は 彼に 就いて 語る 資格 はない 

ので ある。 



K 木 三十 五の 死 

附 . 文 塽整學 の危險 につ いて 

新感。 派と いはれ た 頃、 吾々 は 直 木 三十 五から は隨 分と ひやかされた。 なかなか ひどい こと も 

云 はれた のに 不思 と、 ちっとも 腹が たたなかった。 それが 匿名で あつたせ いも あるか も 知れな 

いが、 あんな こと も 直 木 氏の 德の然 らしめ ると ころで、 どんな 惡ロ にも 棘が なく 相手 を 微笑 さす 

ところがあった。 

それ は 署名して ある 後年の 論爭 でも さう で、 ああい ふ 人格と いふ もの は 決して ざら にある も Q 

ではない。 だが 私 は 直 木 氏の こと を 書く のに こんな ことから 始めて い いかしら。 

直 木 氏の 歷史 小說に 就いては 『文藝春秋』 に數 ヶ月に 渡って、 谷 崎 潤 一郎 氏が いろいろな 面 か 

ら 微細な 解剖 を 試み、 とりわけ その 合戰 の描寫 の卓拔 さに 就いては 白 石の 『藩 翰譜』 を 引用した 

りして いろいろ 讚 敬して あった。 あんなに 直 木 氏 を 認め、 あんなに 直 木 氏 を 理解した 長大の 文章 

は甞て 見た ことがない。 谷 崎 氏に してな ほ 新ら しく 發見 する ものが 多かった からに 違 ひない。 あ 



れが直 木 氏の 仕事に 就いて 充分に 説明して ゐる こと はいふまで もない。 

^から それ 以上に 吾々 のつ け 加へ る こと は 何もない。 とりわけ 私の やうに 新聞 小說 とい ふ も 

は、 もの 心つ いて 以来 一 度 も 請んだ ことのな いとい ふやうな 人間に は齒 のた て やうがない ので あ 

る。 もっとも 先年 病氣の 恢復 期に 六七篇 いろいろな 作家の 大衆 小 說をー わたり 拜 見した が、 ああ 

いふ 寺の^ ケ 方で 感想 を 述べる とい ふこと は 明らかに 問 違 ひで ある。 直 木 氏 を 論す る 積り ならば 

直 木 氏を讀 みな ほさなければ ならない。 それが 禮義 であり、 評者の 良心で も ある。 

それにしても 芥川 氏が 自殺した 頃 は、 T 度 芥川氏 は 谷 崎 氏と 應酬 したりして ゐ たが、 今度 は 直 

木 氏 は 谷 崎 氏に 讃 めら れて 死んで 行った。 どうも 谷 崎 氏 は 變な人 だと 思って ゐる。 

さて 直 木 三十 五の 死に 就いて 何よりも 殘 念で ならない こと は、 直 木 氏が ひたすらに 素人 療法に 

たよって ねたと いふ ー蓽 である。 あんなに 科學 とい ふこと をむ きになって 主張し、 二三 年 前、 僕 

等が、 橫光 や、 川端 や、 池 谷な どと 季刊の 豪華版の 雜誌 を計畫 して ゐた 頃、 あの 無口な 直 木 氏が 

念に 科 學に對 する 熱情 を 示し、 農業に 於け る 新ら しい 科學が 農民 問題 を 解決す るな どと いって、 

赏に 不思議に 雄 辯に なった のを覺 えて ゐ るが、 それで ゐて 素人 療法 を强 硬に 綾け てゐ たの は 何と 

しても 自分に は解釋 がっかない。 だいたい 解釋 のっきに くひ 人で あつたが。 

あの人の こと だから 何 か 直 木 流の 精神療法と いふ やうな もので も發 明す るつ もりだった のか、 

それとも 死と い. ふ もの を 谷 崎 氏の いふ 大人 振りから 何となく 達觀 して ゐた のか、 だが さう すると 



250 



K 木 氏の 身 體に對 するな ほざり は、 病死と いふより は、 寧ろ 自殺的 行爲 であった とい はなけ わば 

なるまい。 

そもそも 私 は 現代の 文 舉 者 達が、 滔 々として 迷信に 近い 無智 を 行 ひ、 胬舉的 知識に 缺 如して ゐ 

るの を 不思議に 思 ひ、 日本の 腦髄 ともい ふべき 彼等に して かくの 如き は荜ろ 赤面に すら 價 すると 

考へ たこと があった。 

だから こそ、 まして 一般^衆に とって 得體 のしれ ぬ 資藥が 大切に なったり する ので あるが、 あ 

あい ふの を 見、 とりわけ 直 木 氏の 死 を 思ったり すると、 私 は 限りない 淺 念と 一 緖に 一種の 憤り を 

さ へ 感 する。 

ひと 顷、 、^かしの 注射と いふ ものが 文壇で 流行し、 私 も 病身で すすめられ たが、 その 親切 は 《 

钗の 愛情の やうに 身にしみる ところ はあった が、 あんな 馬鹿馬鹿し いもの は、 どんなに すすめら 

れ C も 身^の 中へ 一^でも 入れる の は 恐ろしい •。 どこに この 注射の 實驗 報告が あり、 學界に 於け 

る 誰れ 誰れ の說 明が あったら うか。 五 人 や 六 人が 快癒した とい ふやうな こと は 吾々 に は 何事で も 

ない ので ある。 かかいな どの 異秘の 蛋白が 吾々 の 身體を 刺戟 するとい ふこと はわ かって ゐるカ 

それ 以外に: てんな 注射 を 頭から 信用す る こと は 到底 正氣 では 出来ない。 少く とも 科 學的敎 養と い 

ふ もの を 生^的に 受けて 來た 吾々 に は、 さう いふ こと は 一種の 不可解で しかない。 そ. ^を 自ら i 

すんで するとい ふやうな 心理 ま、 溺 わるものが 筵 をつ かむ やうな 狀態 でなら 仕方がなく、 又道樂 



— '5 1 



半分に あの 梁 こ の藥 とやって みるた だ藥を 愛する ことの 好きな、 廣津 氏の やうな 人に はいいが、 

僕 等に はた だ 何となく 不安で 馬鹿馬鹿し いだけ である。 文增 第一 の 聰明 者と いはれ る廣津 氏が あ 

あ い ふこと をす るの は 健康す ぎる ため か、 それとも 廣津 氏ら しい 常識の 越え 方 かと も 思 ふの だが 

少く とも 吾々 はこの 機に 於て 自ら 戒め、 林 春 雄 博士の 藥物學 や、 南 江 堂 版の 醫典位 は 座右に 備へ 

て、 その 生活の 一端から して 科舉 的に 整理し なほす 必要が ある やうに 思 ふ。 

私 は 素人 痰 法と いふ こと を 思 ふと、 日本人の 科 學的敎 養と いふ ことが 實に附 け 匁で、 一般的に 

低く、 身に ついて ゐ ない こと を しみじみと 感す る。 

藥と いふ ものの!: 斷も 新聞 廣吿ゃ 噂に よる 程度で、 醫 者に 相談す る こと を 知らない。 こんな 野 

蟹な こと はない と 思 ふ。 守 田 勘彌の やうに 金 光教で 鼻の 病氣を 癒さう とこ そしない が、 滔々 たる 

この 風潮 を、 私 は 文壇 醫學と 呼んで、 半ば 輕 蔑し、 半ば 悲しんで ゐる 一人で ある。 直 木 氏の 場合 

にも、 さう いふ 風潮の 多少と も 感じられる こと は 口惜しくて ならない。 これ は 病 氣に對 して 祌經 

質に なれと いふので はなく 科學を 生活 全體に 持てよ とい ふので ある。 

吾々 の 周 圍には 正木 不如丘 氏と か 宫田重 雄 氏と か 相談すべき 名醫は 多い ので ある。 敢て 素人 療 

法の みを樂 しむ 必要 は あるまい。 自分の 空想で 療養す る ことが 望ましければ、 同時に ま づ精. おな 

ろ ^學 にたより、 平行して 獨創 を實驗 すれば よいので ある。 

つ ひ 餘談に 走りす ぎた が、 文藝春秋 倶樂 部で 池 谷 信三郞 のお 通夜 をして ゐた 時、 直 木 氏 は搮を 



2C2 



おさへ ながら 壁に つかまって やっと 二階に あがって くると、 池 谷の 靈 前で、 その 時 は 朝が 近く、 

究さ のこた へる 時刻で あつたが、 , 

「池 谷 も 冥途で 淋しから う。 來年は 俺が 行って やる。」 

と.^ くやう にいった。 

僕 等 は 冗談と も 劍 とも つかない その 言葉に 胸う たれた が、 あれ か ら來年 ど ころ か 三 ヶ月と た 

つて ゐな いうちに 直 木 氏 はなくな つてし まった。 

その 時 直 木 氏 は 僕が 素人 療法に ついて 注意す ると、 餘 計な こと はいはん でもい いとい ふやうな 

口 調であった。 

だいたい カリエ スで 骨に 故障が あると いふの だから、 ビ タミ ン D の 補給の ために 太陽の 光線 Q 

必要な こと は、 吾々 にも わかって ゐ るのに 矢張り 朝寢坊 をつ づけ、 それから 柔道の 先生に 來ても 

ら つて、 脊柱の 歪んで ゐ るの を 直しても らふの だとい つて、 痛い の を 我慢して 押へ て もらって ゐ 

た 

大きい 身 ffi をした 柔道家が、 直 木 氏の 細くな つた 肌ぬ ぎの 身體を スト ー ブ もっけぬ 部屋に、 う 

つぶせに して、 まるで 靑竹 か、 しんこで も 抂げる やうに 歪めな ほしたり、 自由自在に 扱って ゐる 

の を 見る と、 私 は身慄 ひがした。 

「それでも 僕 等より 肌の 艷 がい いぢゃありません か。」 



253 



i. 横 光が いった。 

すると 直 木 氏 は 痛い の を こらへ ながら 毛布の 下から > 

「いや この頃 は 少しい いんだよ。」 といった。 

それから この 療治が すむ と、 腰 を 押 へ ながらで も^りな ほして 菊 池 氏 や 川端と 恭 をしたり して、 

その 成繽を 壁に 張ったり して ゐた。 人 問と いふ もの は あんなに も 死 を豫感 したり、 觀 察したり す 

る ことが 出来ない もの かと、 僕 は 直 木 氏 を 思 ひ、 叉 自分 達 自身 を 思 ふので ある。 あれ もほんの こ 

の 間で、 入院す る數日 前まで さう であった。 入院す るの も 人に すすめられて したので 自分から は 

默 つて ゐた。 

恐ろしく 頑張りの 强 い、 氣 力に 滿 ちた 人であった こと は、 それでも わかる が、 あの^: 學と いふ 

ものに 無關 心な 態度 はどう 考へ て も わからす、 淺 念で ならない。 

「弘法 大師 を 書い て 御利益が ありまし たか。」 

丁度、 朝 曰 新聞の 夕刊に 「弘法 大師」 を 書いて ゐた 頃で あつたが、 さう いふと、 默 つてうな づ 

いた。 • 

それにつ けても 文壇 を橫 行す る 迷信 的 流行と いふ もの は 恐怖に 價 する。 

この 問 福田淸 人が フラ ン ス 文壇と 日本の 文壇と を 比較して、 tn 本の 文學 者の 短命 を 論じて ゐた 

が、 そして ゎづ かに 德田秋 聲氏ゃ 島 崎 藤 村 氏が、 益 よその 旺盛な こと だけが 一 つの 異例と して 睿 



254 



かれて ゐ たが、 あの 短命と いふ ことに 就いても いろいろ 考 へられる ところが あるに 遠 ひない。 

それ は、 あの 迷信 的 流行と いふ ものに も、 文學 者の 不可解な ものに 對 する 不斷の 興味の 精神が 

あり、 何 かの 新ら し. S 刺戟 を 求めよう とする 奇怪な 性格の 作用の ある こと はわ かるが、 吾 々がー 

度 科 a- に 洗 はれる と、 さう いふ 興味の 方向 も 自然と もっと 刖な ものに 變 化する。 

私が 帝 大の^ 內 科へ 見舞に 行った 時には、 腦膜 炎が 決定して もう 五日 目で、 あの 割れる やうな 

頭の 痛み も 去り、 直 木 氏 は 幻^ を 起し、 平常通りの 會話 も出來 るの だが、 ふとす ると 蜘蛛に 對す 

る 恐怖 を 口走ったり、 その 蜘蛛 を コップで 押へ る眞似 をしたり、 叉 仕事 をす る 動作 をして みたり 

その 痛まし さは 靜 かで 恐し かった。 

梅干が 欲しい といった といって、 看護婦が 梅干 を 買 ひに 走って 行ったり、 大草 君が 時に 呼ばれ 

て 行ったり して ゐた。 

それでも 皆 マ スクを かけ、 刖室 に歸 ると 手 を 消毒して ゐた。 

r 廣津 氏が さっき 来て 英雄の 末路と いふ 氣 がする といった が、 私 は 直 木 氏の 「大阪 落城」 の 初 

めの 方 を 思 ひ 出しました」 

改造 社の 髙 平氏が そんな こと をい つて ゐた。 

死 を覺 悟して ゐる ところ は、 「死まで を る」 や 多少の H 一一:: 說の 中に あつたと しても、 もう 暫く 

仕事 をしたかった に逮 ひなく、 矢張り 生きたい と 思 ひ、 恐ろしい 力で 死と 戰 つて ゐ たこと が、 病 



2S5 



院 でも 食べられぬ もの をなる ベく 澤山 食べよう としたり、 あの 剛情な 人が、 瞽者の いふ こと はす 

なほに 聞いたり すると ころに 痛ましい ほど 出て ゐた。 

たしかに あの ゆ 闘の 光景 は 英雄 の 最後と い ふ 言葉 に ふさ はしかつ たに 違 ひない。 

それ は 日 病床に 來て 面倒 を 見られた 菊 池 氏の 眞 率な 文章 を よんでも わかり、 自分 は 直 木 氏の 

死が 餘 りに 早かった 事に 面 くら ひ、 呆然と してし まって ゐる。 

直 木 氏の 實に 張りき つた 仕事の 連績に 就いては 又精讀 する 機會が あったら その 時に 書きたい。 

直 木 氏の 執着に 對 する 一風 變 つた 恬淡た る 性格 は、 直 木 一家の 剛毅な 遺傳 らしく、 そのお 父さん 

の 息子の 死に 對 する 感想に も 出て ゐて、 私 は よんで 微笑した。 

あんな 强ぃ 性格 は 誠に 珍ら しく、 直 木 氏の 死 は 惜しんでも なほ 餘り あり、 吾々 をして、 何時 ま 

でも、 その 人の あった 時の 逸事 を 思 はせ る。 

ただ 私と 直 木 氏との 間 は 直 木 氏の 好みの やうに 恬淡と して、 文藝春秋 でか、 俱樂 部で か、 たま 

たまの 座談 會 でか、 その他で は 殆んど 逢 はす、 あの人の 別の 面に 就いては 何も 知る ところがない。 

知る 必要 もない。 直 木 氏 は 私に 對 して 人より は刖な 見方 をし I 好意 を 持って くれて ゐ たとい ふこ 

と を この頃き き、 又 作家 印象 記 か 何 かで、 それ を 云って くれて ゐ るの を 見た が、 私 は 私 の^に 記 

憶した ままの こと を 率直に 書いた。 



250 



7 

5 

2 

偶然 論と 意志 說 

神 祕 主義に 就いて 

吾々 を祌祕 主義者に する やうな 事赏は 幾らでも ある。 又 吾々 を 所謂 精神 家に する 事件 は 幾らで 

も 起る。 

だが 吾々 はなるまい として 抵抗す る。 神祕 主義者に なるとい ふこと は、 生活からの 多彩なる 抽 

象 を 放棄す るに 等しい からで ある。 だが、 人 はと も すれば 神秘主義 者になる。 神祕 主義 ほど 吾々 

をた やすく 捕 へ る もの はない からで ある。 

だが 作品の 場合 だけ は、 自分 は神祕 的な 事 實を担 否す る わけに は ゆかない。 吾 々は 現實の 生活 

で いろいろな 不思議、 奇怪に 遛 遇する。 これ は强 固なる 現實 の眞實 である。 だから そのまま を 書 

くより 方法がない。 これ は眞實 とい ふ ものが 持つ 力の 流れで ある。 どうに も 仕方がない。 作品と 

いふ もの は 決して 抽象で はない からで ある。 

だが 評論の 湯^に は、 自分 は 極力 神祕 主義に なること を 警戒す る。 神祕 主義な どに は 何時 だつ 



て なれる からで ある。 吾々 は 吾々 の 抵抗 を 出來る だけ 長く 持繽 させなければ ならない e そこに 吾 

々 の 文擧の 振幅が 發生 する。 

ヴァレ リイの 飜譯 

この ほ、 堀 ロ大舉 氏譯の ヴァレ リイの 『文 舉』 とい ふ 本 を 請んだ。 彼が 高等 數擧 的な 高度の 正 

確 さと 緻密 さ を 持って 「詩」 に 就いて、 「新し さ」 に 就いて 論じて ゐ るの を 讀んで 甚だ 敎 へられ 

た。 自分 は數年 前、 形式主義に 就いて 考 へて ゐた 時、 グァレ リイの 中から 長い 引用文 をした こと 

があった。 今 この 書を讀 みながら、 更に 「形式と 內容 とは對 立し ない」 とい ふ 言 槳を發 見して、 

これ はどうして たこと かと、 不思議な 約束の やうに この 本 を 潜在す る 意識の 中で 幾度 も 開きな ほ 

して ゐる。 

新ら しい 意 志 說 

今日で は旣に 唯物論で も 唯心論で もない。 さう いふ 分類 は 通用し ない。 なぜならば さう いふ 考 

へ 方で 分類 せられる ほど 何事 も 最早 單純 ではない からで ある。 

エディントン は、 總 てが 機械的に 動かないで、 偶然に しか 励かない の は、 總 ての 物體に 意志が 

あるから である。 意志が 遝 動を變 化せし める。 意志が 無ければ 總ては 機械的 必然に よって 進行す 



258 



る だら う。 だが 総て は 偶然に しか 動かない。 そして 彼 は 意志 說を科 學的歸 結から 引き出さ うとす 

る。 又ブ ラッグ 敎授は 量子 カ舉に 於け る 偶然 性 を 比喩して、 「被 實驗 物が 常に 實驗 される 時に 用 

意したり、 これ を 感じたり する」 こと をい つて、 嚴密な 赏驗 とい ふ ものが 物理的な 實驗に 於ても 

不可知 世界にまで 這 入る こと をい つて ゐる。 

科, から 特殊な 宗敎ゃ 哲學を 引き ださう と 試みる こと は危險 であるが、 そこまで 行かな くと も、 

吾々 は 意志の 世界と いふ もの を 常に 實 生活に 於て 感す るので ある。 たしかに 意志が ある 故に 偶然 

を 起して ゐる。 そして 意志と 偶然と を 同時 的に 考 へる ことによって、 吾々 は 吾々 の 藝術を 貫通 1- 

なければ ならぬ もの を感 する ので ある。 

偶然 論と いふ もの は 決して 意志 を 否定し、 目的 を 否定す る もので はない。 寧ろ それぞれの 意志 

と理. ra によって 總 てが 動いて ゐ るが 故に 偶然が 起る と考 へる までで ある。 意志 或 ひ は 目的が、 そ 

の 通りに 實 現しな いのは 意志 或 ひ は 目的が 無 數の各 存在の 系列に 於て 街 突す るからで、 これ 卽ち 

四大暴 流であって、 卽ち そこに 計算 以上の 偶然が 働いて ゐ るからで ある。 卽ち 吾々 は 小說の 主人 

公 を 動かす 時、 そこに は 動く 理由が 常に 必耍 なので ある。 彼 は 作 中で 動いて ゐる。 それ は 人間と 

しての 意志と 理由と を以 つて 動いて ゐる。 然も そのこと によって 彼 は 偶然の 中に ゐ ると いふの が 

腐赏の 描^で ある。 偶然と は 意志 や 目的の 否定で はなく、 寧ろ 意志 以上の 意志、 目的 以上の 目的 

を 知る ところの 一 段と 高度の 世界で ある。 



259 



戀愛 小說 

愛慾の 問題 は 誰に でも わかる とい ふ點 で、 小說の 素材と して 最も 有利な 位置 を 持って なる。 如 

何に 多くの 作家が 古 來戀愛 問題に 心を碎 いて ゐる ことか。 然し 一 般の 誰に でも わかりやす いとい 

ふ 特點を 持って ゐる だけに、 それ は 最も 困難な 題目で ある。 吾々 は戀 愛に 關 する 何と 多くの 卑俗 

な モデル 小 說ゃ又 それ を眞 似た た わい もない 戀愛 小說を 同人 雜誌 などで 見せられる ことか。 

歌人 は 相 聞の 歌 は 最もむ づ かしい と 云って 最も 警戒して ゐ るが、 我々 も 愛慾に 關 する 小 說に就 

いて は 何よりも 警戒 を 必要と する。 

次に 衣食の 感情 も 甚だ 普遍的で あるが 故に 重大な 位置 を 持つ ものである。 そこで ブ tl レタ リア 

作家の 如き は、 もっと 意識的に 衣食に 對 する 本質的な 慾 望 感を 鮮明に すれば、 てれ は なかなか 烈 

しい 感染 力 を 獲得す るに 違 ひない。 

然し 誰に でも 通じ やすいと いふ 特點が ある だけに、 それだけ それ 等の 問題に 安易に 乘る こと は、 

世の 歌人 達が いふ やうに、 何より 注意し なければ ならない。 

眞 似 

讀 まないで 批評 するとい ふこと は 昔から ある 批評の 一 つで あるら しい。 然し そんな 事の 出來る 2 



批^: 豕の、 レ^ ほど 氣の 毒な もの はない。 少く とも 或る 作家に 對 して 概念 を 捋 っ爲 めに は 十 や 二十 お 

位つ 作:: ん でからに すべきで ある。 もっとも 幾ら 請んでも、 おの づ から 獨^ のない 批評家 も 

ある。 日本の 批評家な ど 全部が 全部、 眞 似の 仕 合 ひ をして ゐる やうに 思 はれる こと も ある。 これ 

を稱 して 衆評の 一致と いふ。 この 衆愚の 一 致 ほど 天才 を 殺し、 且つ 殺す ことによって 時に 輝かす 

もの はない。 

小說の 定義 

小説に 就いては 吾.^ は旣に 定義 を 必要と しない。 何 を 書いても いい。 何時か 千 薬 龜雄氏 も 旅行 

文^に 關 速して さう いふ こと をい つて ゐられ たが、 あれ は本當 である。 

「あれ は小說 であると か、 無い」 とか、 そんな 煩瑣な 批評 は 現代で は 無用で ある。 「あれ はう ま 

い 小^か、 下手な 小說 か。」 それで 充分で ある。 それから 向 ふ は 更に どんなに 晦^で も それ はよ 

からう。 吾. << は 今、 どんな 出 鱒 目 を 書いても いい。 ただ それ は 確固と した 方向と 信念と を 持って 

ゐ よければ ならない。 現在の 小說 書き ほど、 自由で ありながら、 なほ 不自由な 小說を 書いて ゐる 

もの はない やうに も 思 はれる。 1 つの 不自. S な狀 態が 吾 々に 自由な 理論 を 持た しめて ゐ るの かも 

知れない。 - 



偶然の 皆 無 

嘗て ェ ンゲ ルス は 「何よりも 偶然 を 認めて ゐた」 さう である。 然るに 今 曰までの 日本の マルク 

ス主篛 者 達 は 全く 偶然 を 顧す、 小説まで を 必然に よって 縳 らうと したので ある。 この こと は 明ら 

かな 事實 であって、 彼等の 陣營の 一 論者で ある 森 山 啓 氏 さ へ が 明白に 認めて ゐ るので ある。 

「プ 口 レ タリ ァ文擧 の 方面で も (プ n レ タリ ァ文學 に 限った ことで もない が) 過去に おいて は 

必然性 や 法則と いふ もの を糉械 的に しか 理解して ゐ なかった 時 もあった」 (『若 革』 十 一 月珑〕 

かくの 如き^ 態が どうして 存在した か。 何故に 起った か。 この こと を ハツ キリと その 思想 體系 

に關連 させて 反省し なければ ならない。 且つ 現在で も その やうで あり はしない か。 

吾々 の 所 說がォ ミクヂ であった か、 • なかつ たかは、 彼等の 陣營の 者 さ へ が 次第に 發見 しだす に 

ちが ひない ので ある。 現に 彼等 は、 嘗て 論じなかった 偶然 をし きりに 口にし、 大切に して 今日し 

きりに 論じて ゐる ではない か。 

科學 の休戰 

文舉の 本質が 變 るか、 變ら ぬかに 就いて 論す る。 

だが をん な もの は變 つたって、 變ら なくたって 心配 を 要しない ことで ある。 信す ると ころ を や 



262 



づて ゆく より 仕方がない。 だが 文畢 とい ふ ものが、 短歌の 時代に は 短歌で あり、 源氏物語の 時代 3 

に は 源氏 物お であり、 連歌の 時代に は 連歌で あり、 笆蕉の 時代に は 芭蕉で あり、 西 鶴の 時代に は 2 

两 ^であり、 近 松の 時代に は 近 松で あると いふ こと は眞實 である。 卽ち 文舉の 本質 は ともあれ 

「明 m の 文舉」 が 無い などと いふ こと は、 ただ 大人ぶ つた 口吻に すぎない ので ある。 

かとい つて、 CI 分に だって、 明日の 文舉に 就いて 豫想 する ことな ど は 到底 出來 ない ので ある。 

ところで 先 曰、 口 ー タリ I 仉樂 部の ー會 員に 逢ったら 

—— 欧洲 大戰を 境に して、 科 舉が餘 りに も 烈しく 發 達しす ぎた ために、 然も 吾 々の 習慣 や 思想 

はな ほ 多くの 過去の 尾を引いて ゐる ために、 常に 生活に 混 亂が來 る。 吾々 の 生活に 於け る 種々 な 

るギ ャ ップは 科 舉の餘 りに も 眼 ざまし ぃ發 達から 來てゐ る —— 

と、 いって ゐた。 これ は 決して 新ら しい 批刺 ではない。 だから 明らかに、 何人 を も 首肯 さする 

に 足る 所說 である。 現代に 於け る 科 舉の發 達 は 寧ろ 吾々 が 想像す る 以上に 發 達して ゐ るので ある。 

そこで 國際 聯盟の 一 人の 委^ は 「科舉 の 休戰」 を 議題と して 提出しょう とした。 科學を 恐怖し 

だした ので ある。 だが、 それ は 勿論 マルキストが いふ 十九 世紀の 科學 では 毛: m ない! 一人の 國 

際 聯盟 委^が、 科 寧の 支配に 對 して 恐怖 を 示し だした とい ふこと に は刖の 理由 も ある。 

卽ち 生活の 上の 古い 統制 を 取り返し たいから である。 生活の 上の 混 亂を救 ひたいから である。 

个. ^く 科舉 を休戰 する ことによって、 遇れ てゐる 思想と^ 慣とを 科舉に 接近 させなければ なら 



ないから である。 また それに はも 一 つの 理由が ある。 卽ち 現在の 資本主義 を崩壞 せしめる ものが 

マルキシズム ではなくて、 反って 科學の 怖るべき 發 達に あると 考へ られ るからで ある。 

だが 科學 を休戰 せしめる こと は 到底 不可能で ある。 吾 々は 吾々 の 習慣と 思想と を、 烈しく 科擧 

にまで 進行 させなければ ならない。 これ は 至極 あたり まへの ことで ある。 勿論 吾々 の 文學を も。 

然し こと 文學 にまで 關 してく ると、 人 は 常に こ, たはり だす。 「文 學 と科舉 と は 遠 ふ」 とい ふ。 至 

極 あたり まへ のこと である。 

文舉 と科學 との 區 刖を說 明し なければ ならぬ とい ふこと は 寧ろ 悲劇で ある。 藝 術的價 値と 科攀 

的惯 値と は 別で ある。 藝 術に 科 學的價 値 を 要求す るの は 男に 女 を 要求す る やうに! ffi 稽 である。 だ 

が 吾々 は 「明日の 文學」 を 信じて ゐる。 西 鶴の 時代に 西 鶴が ゐる こと を 知って ゐる。 吾 A の 生活 

が鷇も 烈しい 科學 との 交流 を 持ち だした 時、 吾々 の 文學が 生活の 反映と し ズ科學 的な 耍素を 次第 

に 持ち だすの は餘 りに も 明白な 流れで ある。 



希望の 絶えざる 奥 ゆきの 爲 めに、 叉 自然の 計り 難い 力の 爲 めに、 宗敎 的になる の はもつ とも 至極 

である。 

1 一 萬 一 一千 廿八呎 あると いふ あの カイラ- 1 ス の聖 山が、 勿論 年中 雪 をいた だいて ゐる こと は 云 は 

すと も わかって ゐる ことで あるが、 それが 高々 と 聳えて、 然 かも X X の 形に よって 印度 宗敎に 一 

つ の 根本的な 感情 を 集めて ゐ ると いふの だから、 考へ ただけ でも 壯觀 以上で ある。 

それにつ けても、 人間の 感情と いふ ものが、 かう いふ 最も 偉大な 自然の 風景に よって 支配 せら 

れ、 ひ きづら れて ゆく とい ふところに、 私 は 昔から 格別の 興味 を覺 えて ゐる。 それ は 丁度 日本人 

が 富士山 を 尊敬し、 これによ つて 自己の 氣 持ち を 表白して ゐ るのと 同じで、 吾々 は柬 海道 を 汽車 

で 走りながら、 あの 端麗な 山の 姿 を 前に 見、 後に 見、 しま ひに は少々 うるさく ならぬ こと も.^ い 

が、 何とい ふこと なしに 心に 歡喜を 感じ 尊敬して ゐ るの を 知って ゐる。 

藤 出 柬湖は 『正 氣歌』 で、 秀爲 不二 嶽と云 ひ、 叉 高山 樗牛は 何よりも あそこに 自分の 墳墓 を 持 

ちたいと 願った とい ふ。 

印度人が 「カイラ I ス の國」 と 云 はぬ まで も、 あの 雄大 壯麗の 山 を 尊 祟して ゐる氣 持ち は 想像 

に 難くない。 印度に 於け る その 宗敎 組織の 深遠 さ、 文化の 遠 さは 云 はぬ としても、 その 最も 卑近 

な證據 は、 印度 建築に ある おびただしい あの 尖塔の 形で も 判る やうな 氣 がする。 あれ は 明らかに 

カイラ ー スの 形で ある。 その 方面の 擧者は 何とい つて ゐ るか 知らぬ が、 確かに カイラ ー スに對 す 



266 



る 無言 の 鹉 拜 である。 吾々 が 印度 Q の 中で 見る もの は、 無數 の あの カイラ ー スの 象徵 である。 

これ は 私の 獨斷 かも 知れぬ が、 同樣 のこと は 何 處の國 にも ある やうに 思 はれ、 私 は 一人で さう 

きめて ゐる。 ピラミッド は 山の ない 民族が 平地に 山 を 創造しょう とした 現れ か、 それとも ああい 

ふ 山が 赏 際 あの 邊 にあった もの か。 

私 は n 本の^ 根の 形に しても、 あれが 富士山の 形から 來てゐ る やうに 思 はれて、 それが 男性 

であらう と、 女性で あらう と、 私に は 面白くて ならない。 そして この 事實 は、 吾々 が 原始 生活に 

於て 自然に 支配せられ、 如何に 自然の 中に 調和して ゐ たかと いふ ことが わかる やうな 氣 がする。 

吾 々 は 今^ 先 を 忘れて 西洋 建築 の屮に 住む やうに なって ゐ るが、 あの 西洋 建築と いふ ものに も 

何 かの 大きい,: ! 然の 形の ま 配が あるのに 違 ひない。 

个、 吾々 は 白い 石の 中に 住んで 屢 富士山 を 忘れて ゐる。 印度人 もまた あの 壯大な カイラ ー ス 

を 忘れる 時が あるか どうか。 

然し 吾々 の 母の 山、 吾々 の 生れた 昔からの 家の 形態と いふ もの は 時として 思 ひだされ なければ 

ならない。 

腰に 就いて 

私 は 春の 終りから かけて ひと 夏 を 海で 暮 した • 



267 



そこに はかなり 西洋人が 澤山ゐ て、 暑くなる と、 彼等 も 書から 夕方に かけて よく 海水浴に 出か 

けて 來た。 

私 は 自分の 健康の ために 海に 這 入れない ので、 ただ 太陽の 光線に あたる 爲 めに、 そこの 祭の や 

うな 光景の 中に 坐って ゐ るので あるが、 つ ひ 曰 本人の 肉體と 西洋人の 肉 體とを 比較す る ことが 多 

かった。 

私の 見る ところでは、 小さく は あるが 均齊 のとれ たとい ふ點 では、 又 水の そばで みると、 とり 

わけ 何時も 日本人の 方が 立派 だと 思った。 

マチス や ドラ ン の繪に 出て くる 裸體 などに は實に 見事な 身體 があって、 恐らく ああい ふ 度はづ 

れて 立派な 肉 體も向 ふに は あるのに 違 ひない と 思った が、 どっち かと 云 ふと、 西 歐人は 不細工に 

胸が 厚かったり、 腰が 大きかったり、 無喑に 足が 長くて 蜘蛛 類の やうに 思 はれる 人間の 方が 多い 

やうに はれた。 

だが ただ 一 つ、 腰に 就いて だけ は、 とりわけ その 特長の 最も ハツ キリす る 女に 於て、 彼等 西馱 

人の 方が 進化して ゐ るので はない かとい ふこと を考 へた。 進化して ゐ るの がいいの か、 惡ぃ のか 

は 知らない。 叉 それ を 進化と 呼ぶべき か、 返 化と 呼ぶべき か、 それとも 全然 刖の 種類と 呼ぶべき 

か、 これ はわから ない。 

併し 彼女 達に 於て、 常に 腰が 後に 突出す るよりも、 それが 次第に 橫に 張って、 後に 出る 部分が 



268 



次第に 少なくな つて ゐ ると いふ 點 だけ は 悉くが 同じであった。 

潢 て^って ゐる ことの おびただし さは、 正に 喫驚す べきで、 あれ は 一 體 何から 來 たもの か。 棹 

子から か、 靴から か。 鬼に^、 私 はこの こと は 日本人 以上 だとい ふこと を 結論した。 

ところで あの フ オビ ズムの 連中が 狂喜した ホッテントットの 彫刻な ど を 見て ゐ ると、 悉くの 臀 

部が 灸て 突出して ゐ るので ある。 それよりも 彼等の 寫眞 をみ ると、 或る 土人の 如き は、 わざわざ 

後に おして ゐる やうに 思 はれる ほど 自慢げ に 突き出して ゐ るので ある。 聞く ところに よると、 ジ 

ヨセフ イン. ベ ー 力 ー の 姿態の 中で 最も 愛嬌の ある もの は あれで あると 何 かにあった。 

そこで 私 は、 そこに 一 つの 進化 的な 系列 を 感じ、 土人 — 日本人 II 西歐人 II と 一 つの 順序 

におべ てみ た。 すると 或る日、 阪本 越郞が やって 來て云 ふので ある。 

「さう 云へば、 土人 どころ か、 動物 を みれば、 悉く そのお 尻が 最も 後部に 殘 つて ゐ やしません 

> o 1 

力 」 

これほど 明快な 暗示 はない。 私は阪 本式の 滑稽な 口調に 感心しながら、 且つ、 思 〈らく あの 

ホッテ ン トツ トの 土人 達の 骨格の 形態に は、 未だに 四 本の 足で 歩いて ゐた 時代の 骨格が まだ 少し 

ばかり 玆 つて ゐ るのに 違 ひない。 

ところが 阪本 越郞は 更らに 奇怪な 質問 をす るので ある。 

「 ぢ. paR の 方が 女よりも もっと 進化して ゐる とい ふこと になり はしません 力 一 



269 



「それ は 比較 出来ん。 それ こそ 種類の 相違 ぢ やないだら うか。 それよりも 中 世紀の 西洋 婦人が 

腰 を ひろげた スカ ー トを つけて 氣 取って ゐ たの は、 何と, L て も 祖先の 動物 を 誇示して ゐ たものと 

考 へられな いだら うか。」 

兎に角、 それ 以後と いふ もの、 失禮な 話で は あるが、 私 は 腰の 形態に 從 つて、 その 人間の 文明 

を 計算す る やうな 癖が ついた。 

昔から 楚 腰と いふ 美人の 形容詞が あるが、 あれ は 一 體 どうい ふ 腰で あらう か。 

私はジ ヤンツ ンの 水着 を 着て、 その 邊を 走り 廻って ゐる 若. S 男 や 女達 を 見る たびに、 何時も そ 

こに 一 つの 形態 學を 感じた。 

これ は 恐らく 海の ほとりの、 愚かな 狂 想に すぎまい。 併し 時として、 人 問 はこん な 馬鹿な こと 

を 得々 として 考 へ る ことがあ るので ある。 

小說に 就いて 

長篇 小説と 短篇 小說に 就いて、 何時で あつたか 生 田 長江 氏が 親切な 解說 をして ゐられ た。 

私 は 千 枚 以上の 長 篇小說 とい ふ もの を まだ 書いた ことが ないし、 これから も 何時 書く やら わか 

ら ないから、 手 ごころ の 程 はわから ぬが、 恐らく 最もの どかな 時代に あの 小說の 形態と いふ もの 

は 現 はれた ので はない かと 思 ふ。 ゆっくりと、 何時までも 時間の ある、 何ものに もせき たてられ 



2JO 



ない 時代。 • 

私 はさう いふ 世界 を 反省す る爲 めに、 當分 何も 書かないで ゐる。 何時まで 書かないで ゐられ る 

かと^って、 自分の 健瘀と 怠惰と を試驗 して ゐる。 怠ける の は 今の うちだと 思って 怠けて ゐる。 

そして 偶然 論な どと い ふ もの を 提出した りして ゐる。 

閑話休題。 ところで 漸く 吾々 の 時代が 速度 を 感じる やうに なつてから —— 今日の 短篇 小 說が現 

はれた、 と解釋 する の は、 最も あたり ま へ の考へ 方で あらう。 ボウ、 メリメ、 モウ パッ サン、 チ 

ェ ホ フ 

彼等の 短篇に ある 技巧、 人生の 捉へ 方、 構造の 鮮やか さ、 解釋の 心に くさ II それ は 殆ど 完璧 

に 近い 見事 さを以 つて 吾々 を 幾度で も 驚かす。 

それにつ けても 思 ふの は、 吾々 の 時代の 短篇 小説と いふ ものが、 實に 焦慮に みちて ゐる ことで 

ある。 

それ は 深まらう として、 その 形式に しばられ、 まとまら うとして 思想に はみだされ、 その あが 

き は 誠に 氣の毒 千 萬で さへ ある。 恐らく 吾々 の 時代 は、 旣に モウ パッ サン、 チヱ ホフの 時代より 

も、 もっと 深遠な 文化に 到達して ゐ るから に 違 ひ あるまい。 

と、 いふと、 如何にもい ひわけ めくが、 何れにしても、 吾々 は 時代の 速度に 重壓 せられて、 實 

話に 逃げたり、 反って スロ ー モ ー ショ ン によって 小說を 組み立てよう とする。 實話 はい はない が、 



271 



ジョイ スの小 說を讃 み、 プル ー ストの 小說 を讀 めば、 さう ではない かと 思 はれる 節が ある。 然も 

それら は 悉く 短篇 を 書かう として、 恐らく 長篇 になって しまったと いふ やうな、 前代未聞の 奇觀 

を呈 して ゐる。 筋 もなければ 山 もない。 明らかに 從來の 長 篇小說 でも 短篇 小說 でもない ので ある _ 

私 は 前に、 『ュ リシ ー ズ』 の下卷 を讀ん で、 近來 にない 小 說の發 見 をした やうに 思った ことが 

あつたが、 但し ああい ふ 小説と いふ ものが、 時代の 自然な 流れに 必す しも 沿って ゐ るか どうかと 

いふ こと は、 尙ほ 依然として 疑問で ある。 

恐らく 現代の 時世 を 最も 適 當に寫 し 得る もの は 映 書で は あるまい かと 考へ させる 點が ある。 た 

だ 現在の 映 書から 多く を 期待 出来ない とい ふの は、 映薔 とい ふ ものが 時代の 波の 上に あって、 ま 

だ 落ちつく ところまで ゆかす、 製作が 如何にも 輕 薄に 流れて ゐる とい ふこと である。 然も それ は 

歷 史的に さうな るより 仕方がない。 吾々 が 時代の 形態と 作品の 形態と を 組み合せて、 そこに 不可 

解な 原因と 結 枭とを 受取る の は その 點 にある。 

それにしても、 吾々 の 時代の 連載 小說 とい ふ ものの 存在で あるが、 あれ を 長 篇小說 と 呼んで い 

いかどう か、 とい ふこと に、 私 は 甚だ 疑問 を 抱いて ゐる。 あれ は 昔の 長 篇小說 とならす 非常に 畸 

形 的な 變化を 遂げて しまった。 なぜならば、 毎日 をた のしく 讀 ませなければ ならぬ とい ふこと Q 

爲 めに、 恐らく それ は 長 篇小說 とい ふ ものの 持って ゐた 在来の 習惯を 破壊す ると ころまで 行って 

ゐ るからで ある。 それ は 同時に 短篇の やうで も あり 叉、 長篇の やうで も ある。 



272 



あれ は 常然、 長 篇小說 とい ふより は 別に 新聞 小說と 呼ぶべき が至當 であらう。 そこで あれ を 一 

冊に して 請む 時の 馬鹿馬鹿し さ、 空疎 さ、 あんな もの は 本に する 必要 はない ので ある。 

かくて 現代で は 確かに 長 篇小說 も 短篇 小說も 時代の 形態に よって 見事に 攒亂 せられて ゐ るので 

ある。 これ は 何とい つても 動かし難い 事實 である。 然し 吾々 は 恐れる こと はない。 これが 現代で 

あり、 現代の 小說 である。 そして 現代の 小説と いふ もの も、 かやう にして どうやら 何 かの 方向 を 

死 もの 狂 ひで、 或 ひ は 一 服つ けながら 探し あてよう として ゐ るので ある。 

ニイ チェ は 「峰から 峰 を 渡る 者」 と 云って ゐ る。 叉しても カイラ ー スゃ 富士山の 話に 歸 りさう 

であるが、 何も 高さ 許り を 求めな くと もい い。 吾々 は 峰 を 渡る 者の 態度 を もって、 この 時代の 深 

淵から 最も 新ら しい 小說の 形態 を 探り. たせば いい。 

ヒマラヤ ならば、 エベレスト を、 アル ブスなら ば ユング. フラウ を。 海なら ば さ しづめ 印度洋 

の^ん 中 を。 

但し 三 萬 幾呎を 願って、 常に 麓で あへ ぎ、 小さい 波の 表面で 漂って ゐ る のが、 これ 4 マ 日の 吾. *c 

の 姿で ある。 



273 



美 哉好少 男、 美 哉 好 少女 



偶然 論に ついて 二三の 射撃が ありました。 それ 故應 射いた します。 

令 日の 物理的 世界 像と 文 學觀と を 結婚 さす こと は、 祿で なしの 結婚 だと 誰れ かが 書いて ゐ ました。 

然し、 これほど、 世に も 美しく、 願っても なき 良 緣は無 ささう に考 へます。 大體藝 術と いふ 操作 

が —— それ は 詩に しても、 繪 にしても、 モンテ H 二 ュが いふ やうに 偶然の 參加 なくして は 決して 

なし 遂げられる ものではありません。 然も 藝術を 理解す るた めに、 今日まで 偶然 論 を 忘れて ゐた 

ことほ ど、 あはれ な ことはなかった のです。 ところが、 それに 今日の 物理 舉が 科舉 的な 暗示 を與 

へようと して ゐ るので す。 石 原 純 氏が 「偶然 文學 論」 に 輿 味 を 持 たれ、 また 田邊元 氏が 「劃期的 

文 舉觀」 と 義理に でも 洩らされた ことに は 意味が ある 害です。 今日の 科 學と文 學とは 偶然 論 を 廻 

アナ 二 ヤシ ェ ラト n アナ 二 ヤシ ェ ヲ トメ 

つて 「美 哉、 好少 男、 美 哉、 好 少女」 といって ゐ るので す。 これが 良緣 でなくて 何で あらう か。 

ところが 次ぎの 射 擊手は 性急に いふので す。 「理論 は それで わかった が、 ぢゃ、 その 作品 を 示 

せ」。 だが かう いふ 幼稚な 連中が ゐ るから、 日本で は 理論 も 作品 もの びないの です。 こんな 阿呆 



274 



な こと をす ぐ 悧巧 さう に ロ定る 連中ぐ らゐ 弱者 はない。 作品 は 作品と して、 理論 は 理論と して、 

^瓜 S れ たって いいので ある。 そんな ものの 調和 は 何時か 「時」 が 行って くれる。 吾々 は 吾々 の 

所信 を 追究して ゐれ ばいい のです。 

次ぎに 二、 三日 前、 「文 舉は 可視 圈内 にと どまる もの だから 偶然 論の 必要な どない」 と 誰れ か 

が 誠しやかに 軎 いて ゐ ました。 だが、 これ だから 映 ffi などに 馬鹿にせられ るので はないで せう か。 

文舉 ほど 不可視の 世界に 這 入れる 藝術 形式が 他に ある だら うか。 手近の 例が ブ ル ー ス トの 心理 小 

說 など を 兑ても わかる 喾 です。 そんな 軍 純な 必然 論に ひっかかって ゐる 故、 今日の 小說は 面白く 

ない 等と 人に いはれ たりす るので す。 如何に、 如何に。 



2 75 



韻律 論 その他 



歌に 對 して は 今 は 門外漢の 一 人に なって しまった。 それでも 人の 歌 をよ むこと はこの 上な く、 

私 は どんな 雜誌 でも、 大抵の 歌 誌なら、 毎日 眼 を 通さない こと はない。 

『立像』 も 親しみ 讀む 一冊で、 頁 を ひろげる 時 は、 どんな 歌が あるかと、 何か樂 しみの やうな 

もの を 持つ のが 常で ある。 失望に 終ったり、 もう 讀 まない ぞと、 思 ふこと も あるが、 新ら しい 月 

がくる と、 叉 ひろげて 讀 んでゐ る。 六月 號 では 最初に 石 原 純 氏の 韻律 論が あり、 先づ それに 惹か 

れた。 石 原 氏が 韻律と いふ ことに 對 して、 一 應手 きびしい 批判 を與 へた 後、 尙ほ 口語 歌に 於ても、 

それの 必要な こと を 主張して ゐられ るの は 誠に もっとも 至極と 同感した。 

七五調の 長 詩が 流行した の は 何時頃の 事で あらう か。 あれ は リズ ムと いふ ことから 云へば 最も 

單 純で、 西洋 詩に も 恐らく あんな もの は あるまい。 日本の 長歌の 呼吸の 如き も、 又 短歌に しても、 

それ は 決して 簡單な 七五調で はない。 

今日の 自由詩の 發達 は、 恐らく 七五調に 對 する 反撥と、 內容 律と いふ 事に 對 する 憧憬から 來て 



276 



ゐ るの だと 思 ふが、 然し それが 一度 そこ を 通過して、 自由な 詩形の 上に 更らに 韻律 を 求めようと フ, 

して ゐる のが 石 原 氏の 言 はれる 今日の 態度で あるに ちが ひない。 その 意味で 氏の 理論 は 口語 歌に 

於け る 今日の 最も 重大な 問題に 觸れ てゐる ものと 思 はれる。 

私 も 日本語が 韻律に 乏しい とい ふ 考へ方 を 長い間 持って ゐた。 然し、 考 へて みると、 それ は 西 

洋 詩的 解釋 であって、 日本語の 中に ある 不可 見の 韻律と いふ もの を 常に 感じる ので ある。 吾々 が 

文 寧の 操作 をす る 時、 常に これ を 感じて ゐ ない 事 はない。 吾 は 吾-^ の文擧 にある 韻律と いふ も 

のに 對 して は、 また 別の 日本的 研究が 是非とも 必要で ある。 何時か 五十嵐 力 氏の 『國 歌の 胎生』 

や 九 鬼 周 造 氏の 『日本 詩の 押韻』 をよ み、 得る ところが 多かった が、 日本 詩の 韻 は、 必す しも 字 

句の:^ 灸に來 す、 中途に 来たり、 初めに 來 たり、 實に 微妙な 隱 約の 中に ある やうな 氣 がする。 泫 

も その^ 約に よって 世に も 美しく 立派な 音樂を 見事に 漂 出さして ゐ るので ある。 

大體額 律と いふ もの は、 現代で は 非常に 複雜 化して 考 へられ、 表現せられ るから、 古風な 考へ 

方で は 決して 到達 出来ない ものと 思 ふが、 古代語 脈と 現代語 脈と、 どちらに 韻律 的な ものが 多い 

か。 これ もに はかに 斷 じがたい。 現代語で も 私 は 「ええ」 と 答へ るより は 「うん」 と 答へ る 方に 

卑近な 韻^ を 感じ、 又 例へば 谷 崎 潤 一 郞 氏の 或る 小說の 中の 會 話に 「それよりか うちの こと、 い 

つ そ 子供の やうに 思うて る ねん わ。 そやよ つてう ち氣に 入らん ねんけ ど」 とい ふの が あるが あ 

れ なんかに も赏 に綺踨 な^ 律が 這 入って ゐ ると 思って ゐる。 



吾々 の文舉 が: M 律 を必耍 とする こと は 言 ふまで もな く、 その 韻律の 强さ、 弱さ、 長さ を どうい 

ふ 風に 表 a する かとい ふこと に は、 なか なか 困難な 問題 が橫 たは つて ゐる。 

さて 歌の 方へ うつる。 最初に 月 原 橙 一郎 氏の 一連 を讀 む。 最初の 第一 首 はうまい と 思った。 但 

しこれら の 歌で は 表題が 非常に 重大な 役目 をして ゐる。 表題 を 取って しま ふと、 叉^の ものが 來 

る。 かう いふ こと も 新ら しい 試み かも 知れない。 

六條^ 氏の 「主役の 牝鷄」 は モダニズム である。 第三 首 をと る。 

巾野嘉 一氏の 「つつじの 花」 1« 來 ると、 おちついた ものが あり 一種の^ 味が 感じられる。 三 首 

目 「村落 位の 大きさの 雲」 などと いふ 表現に は 一 寸 した 深味 さ へ 感じられる。 

村 上 氏で は 四 首 目。 華氏の は 七 首 目。 稻村 氏の 「分列式」 には單 純で は あるが 通った ものが あ 

り 服 を ひいた。 但し r 皇國の 護」 とか 「意志の 巨大 さ」 とい ふやうな 言葉 はもう 一段と 沈潜 させ 

て 表現す る 必要が あらう。 次に 石 原 純 氏で は 次の 二 首 をと る。 

線條は 面 を 幾何 學 的に 劃し、 風 は 常に 新鋅 である。 さすがに 

« 布の 上で 女 は 永遠に 微笑す る。 

ギリ シャ 風の 鼻が 妙に 尖って ゐ ました けれどで も 思想の 輪廓に は 矢 張 

り 日本風な まろみ が 見られた のでした。 



278 



第一 首::;:、 殊に 上句 は 幾何^ 的な 線の 上 を 渡る 風が 何とも 偶然の 發見 によって 美しい。 第二 首 

目 は 上句の 设後か 下句の 设 後の 言葉 を、 もっと 荒々 しい 言葉に した 方が 一 首の 力が しまって 來は 

しなかったら うか。 尙ほ 次ぎの 三 首 を 九月 號 から 引用す る。 

祌は 偶然 を 愛する。 ふと 蛾 塚の 裸 火が ゆれて、 聖晚餐 は 美しく 終った。 

でも、 永^に 述命は 謎で ある。 

<c :然 はかく も 偶然 を 包蔵す る。 一 つ の 惑星のう へ の沮宋 誘惑、 有铵 

物質の ふしぎな^ 成、 かくて 怠 外に も 生物の 歷史が はじまった。 

社會は 偶然に 動かされる。 敬虔な 老 憲法^者の いたましい 國 法抵觸 

虚 首が に轉 化する 公判廷の 一 奇蹟、 流行 性腦 炎の 蔓延す る 夏。 

誠に 走りが き 的な 感想に なって しまったが、 私 は 『立像』 とい ふ雜 誌が 今後 益 5 盛大に なるこ 

と を 祈って ゐる。 總 じて 皆の 出 詠 者が、 常識 を 破 壌して 新ら しい 偶然に 驚かう として ゐる こと は 

充分に わかる。 これに つけても モダ 二 ズムと 一 緖に 古典的 自由詩と も 云 ふべき もの を 同居 させた 

ら どうで あらう か。 さう すると 一般に もっと 幅が 出て 來は しないだら うか。 この 意味で 津輕 てる 

氏の 「お^^さま」 とい ふ 隨筆も 充分に 一 つの 役目 を rak し、 私な どに はとり わけ 面白く、 優れて 

S じられ た。 かう いふ 隨筆は 決して 他で は 見られす、 是非つ づけて もら ひたいと 思った。 



279 



本に 就いて 

長い 問、 僕 は 愛する もの を 大切に すると. S ふこと を 知らなかった。 だいたい は、 愛し も 何もし 

てゐ ない の だと 思 ひ 込んで ゐた。 僕 は 書籍と いふ もの を輕 蔑す るた ちで、 そんな もの は、 ただ 讀 

んで拾 てれば いい もの だと 思って ゐた。 

僕 は 本 を 持って ゐ ると、 何時もい ためた。 無暗に 傍線 を 引いたり、 折ったり、 皺に したり、 硖 

つたり、 表紙に シミを こしら へたり、 叉ち ぎったり、 してし まった。 時に よると、 それ を 消^ 燊 

におけ たり、 陽に 乾したり した。 本の 箱の 如き は 無用の長物 として 買って 來る とすぐ 扮 てた。 

出來る だけ 本 をいた める のが 僕の 性質で、 僕 は 綺麗な 本な ど は 嘗て 持って ゐ なかった。 何時も 

それ は 折り まげて あった。 然も 讀ん でし まふと、 それ を 手許に 置く こと をし ないで、 抢 てたり、 

人に やったり、 古本屋に おろした りした。 

その 頃、 僕 は ひたすらに 僕の 頭と いふ もの を 信用して ゐ たからで ある。 信用す ると 云っても、 

讀ん * たもの を 記憶して ゐ ると いふので は 毛頭なかった。 常に それ を 忘れて しまって、 それが もの 



?8o 



を^く 時な ど、 ふっと 出て くると 甚だ 得意であった。 

もともと 物 を 大切に しないの は、 僕の 習惯 らしく、 僕 は 帽子 は 何時も 森 田屋で ノックス かステ 

ット ゾンを M ふの を^: 惯 にして ゐた。 だから 割合にい いもの を 冠って ゐ るので あるが、 それさへ 

も 引つ ばり 廻したり、 鹫づ かみに したりして すぐいた めて しま ふ。 だから あそこの 人が 何時も、 

「贵方 はもの を 大切に しない。 贲 方に かかつ ちゃ、 どんな もので もた まらない」 と 言って ゐた。 

だからと言って 僕 は 粗末な もので は氣 がすまない。 恐らく 意識的に いためる の だと は 思った こ 

ともないが、 大抵 もの を勞る だけの 落ちつきが 無かった のか、 少し 位 はいため る ことに in 好が あ 

つたの かも 知れない。 

それが 近來、 いい 本 をみ ると、 戶 棚に 入れて おきたい と 思ったり、 いい 装幀の 本が 出る と、 自 

分の 本で も 人の 本で もうれ しくな つたり した。 內容に 就いては 云 はない。 考 へて みると 本位い い 

もの はない。 どこへ でも 持って ゆけ ると いふ こと も、 好む ところまで 讀んで やめ、 又讀 める とい 

ふこと も、 如何にも 自由主義 的な 文化 をよ く象徵 して ゐる。 大體、 僕 とても 本 を 好かないで 傷め 

たので はなく、 好みに かなった もの を 求める こと は、 帽子と 同じで、 僕 は 本に 對 しても 常に 深い 

選 擇の心 は 持って ゐ たので ある。 ただ それ を 執着な しに、 どしどし 變 へて 行った。 愛して ゐ なか 

つたので はない。 愛して ゐ たので ある。 ただ それ は少々 マゾ ヒズム 風であった のに 違 ひない。 近 

年に なって 僕 は 漸く 愛する もの は 大切に しなければ ならない と 思 ひだした。 



231 



JS ふに 近來 になって、 思想の 中に ある 不動の 滋味と いふ もの を 散見し、 何 かもの の 底に ある ァ 

プリ オリと いふ やうな もの を 感じ だすに 至って、 本 も 亦 帽子 も少 しづ つ 大切に する やうに なった 

のかと 思 ふ。 今日まで は、 とかく 流行と いふ ものが 餘り にも 烈しく 僕の 心を驅 りたて てゐ たのに、 

斤 一頃 は 不易の 世界が 見え だして 來て、 靜か にもの を 大切が る こと を 知り だした のかと 思 ふ。 昔い 

ためた 本 を 見る と、 虐げた 女の やうに いとしく、 僕 は 再び こんな こと はすまい と 思って、 漸く 蔵 

書と いふ ものの 趣味 を 解し さう になって 來た。 

險 など は、 ほんの 昨 曰まで 本 をいた める こと を もって 誇りと して ゐた 人間 だけに、 そして ふと 

すると、 つ ひ 今でも 傷めつ けて ゐ たりす る 自分 を發 見す るので あるから、 書 痴の氣 持ちな ど は、 

わかるべく もない が、 それでも 第一 書房の 豪華版 『パリ ウド』 や、 展望 社から 出た 酒 袋 をつ かつ 

た稃 鹿の 隨筆 集な ど を 見る と、 何 か 馬鹿げた 趣味と いふ もの を 感じて、 何やら 馬鹿馬鹿しい 恐ろ 

しさが 後年 待って ゐる やうに 思 はれて、 マ ゾ ヒズム ならぬ 色情め. s たもの が 又しても 感じられて 

くる ので ある。 

危 いのは 自分 か。 年齢 か。 本 か。 それにしても、 人間と いふ ものの 不思議 さに 思 ひ 至る ことが 

ある。 



この^ は^の^ を^く ことが 流行して ゐる。 鳥 語の 樂 しさ 愛し さは、 例へば 花の 美し さ、 あは 

れさ にも 比較で きょうか。 

^が來 て、 心 こめて 唱ふ 鳥の 聲位、 考 へて みれば 美しい もの は あるまい。 春 さき 鳥が ひたすら 

な 抑^ をつ けて 唱 つて ゐる 聲。 ひと 聲 鳴いて 夜空 を 渡る 不如 歸、 一 筆 啓上と 早口に いふ 頗 白" 又 朝 

の 眼 ざめ に 問く 雀の 聲 だって、 考 へて みれば、 來る 朝に 對 する 彼等の 喜びと 希望と に 溢れて ゐるゃ 

うに 思 はれる。 總 じて 鳴いて ゐる鳥 は、 その 聲の樂 しさ 悲し さに 拘 はらす、 みな 心み ち、 心 張って 

ゐる のが 感じられる。 鴉の 聲 とその 不思議な 風 態 を 最もよ く寫 したの はァラ ン • ボウで あらう か 

ただ 野の 鳥 は 花の やうに 一 つの 場所に ぢっ として ゐ ない。 枝から 枝へ 飛び移り、 签を 鳴いて わ 

たる。 だから なかなか 聞かう としても 聞け ない ことがある。 去年 は 信 州 あたりから 佛法 僧の 嫛を 

放送しょう として 放送局が 骨折った さう だが、 一 聲も 聞く ことが 出来なかった とい ふ。 六月 初旬 

今年 は 夜 十時顷 から 三 河の 蓬來寺 山から 全國 に中繼 したが、 これ は なかなか よく 聞え た。 



佛法佾 はま だ 嘗て その 姿 を 見た 人が 無い ので、 その 正體 がわから す、 鳥類 舉 者と 云 はす、 野鳥 

に 親しむ 人と 云 はす、 このごろの 人氣の 中心に なって ゐる らしい。 一千一 百年 前、 弘法 大師が 名 

づけた とい ふので あるが、 その 聲は 「ブッ 、ト -I ト ー」 とも 聞え、 r ブッ、 ボッ ボッ」 とも 聞え 

る。 勿論 「ブ ッ、 ボ ー ソ ー」 とも 聞えない こと はない。 あの 聲を佛 法 僧と きき、 佛法 僧と 名 づけ 

たのが 弘法 大師の 偉 さで、 もっと 凡 下の 人間なら 別の 名前 をつ けた かもしれ ない。 然も その 聲 の 

張りの ある 微妙 さは 三十 分の 放送が 惜 まれる 位であった。 

淸少納 言 は 鳥の こと を 述べて 最後に 「夜 鳴く もの、 總て いづれ も いづれ もめで たし」 と 云って 

ゐ るが、 たしかに ああい ふ聲を 聞け るの は、 急な 用事で 仕方なく 山路 を步 いて ゐる人 か、 逢 ひた 

い 人に 逢 はう として 萬 難の 中 を 歩いて ゐる 愛人 か、 心の 解脫を 願って 淋し さに 身 をお いて ゐる苦 

行者の 他に は 多く あるまい。 だから その 聲 がー 餍 心に しみ、 あはれ なのに 遠 ひない。 

夜葸と 云へば 外國 では 愛 人 達 だけが 聞く 鳥の 聲 らしく、 その あはれ さを唱 つた 詩人 は 無 

數 にある。 シェイク スピア 以來、 幾度 この 鳥 は、 夜 を さまよ ひ步く 人々 の 心 を 慰 さめ、 樂 しませ- 

又 かなしく した ことで あらう か。 

私 はこの 問、 日光 町から 案內 をう けて、 慈悲心 鳥 を 聞きに 中禪寺 湖畔に 出かけて 行った。 夜お 

そく モ ー タ I ボ ー トに乘 つて 出て、 その 聲を 聞かう として 山の 深い 岸で 機 關の音 を 止め、 夜 を こ 

めて 待った が、 . たうとう 聞く ことが 出来なかった。 



284 



それが 翌日、 ふと 森の 中で 「ジヒ シン、 ジヒ シン」 と 低い 聲で唱 つて ゐ るの をき いた。 これ は 

「チビ ッ チヨ、 チビ ツチ ョ」 とも 聞え、 矢張り かう いふ 名前 も、 宗敎の 盛んな ころ、 深山に ねた 

佾が名 づけた のに 違 ひ あるまい と 思った。 

關卞 e は 富士山 麓、 闢西 では 高野山な どが 最も 鳥の 多い ところで、 三百 種 近くの 鳥の 聲が 聞け 

ると いふ。 鳥の 聲を 聞く たのしみ は 自然の 中に 浸り、 自然の 本 態と 一緒になる ことで ある。 

ii^i をお した 〇 は、 古今、 公冶 長 一 人で あらう か、 S らく、 その 聲が わかれば 同じ やうに" そ 

こ y^I 實の 苦しみが ある こと を 悟る であらう か。 それとも 佼 然として その美し さの み を 見る でお 

らう 力 

それ は 人 詰の 美し さ を 今更ら に氣 付かし める か、 人語の 穢れを 今更ら に 反省 さす か、 どっち か 

である。 何れにしても それが 人 ISS を 洗 ふこと は毐實 であらう。 



2S; 



文 藝 時 評 (一) 

新人の 二 佳作 

装飾が すぎる と、 時に 小うる さいと 思って 腹の たつ ことがある。 それにしても 技巧 を 主と した 

性質の 作品なら、 極端に 技巧的な 冴え を 示さなければ ならない。 叉眞實 をね らふ 種類の 作品なら 

眞實に 突入し、 作者 は 常に 泥 を 吐く だけの 氣魄を 持って ゐ なければ ならない。 藝術 において^ 病 

ほど 輕 蔑すべき もの はない。 僕 は 四月 號の諸 雜誌を 散見して、 技巧に 對 する 怯懦、 眞貰 に^する 

怯 懦 を感 すると、 それらの 作品が 如何に 丁寧で も、 もう 讀 むに 値しない と 思った。 

さう いふ 種類の 作品に ついても 遠慮なく 次第に 觸れ たいが、 先づ 『文 藝』 所載の 優れた 二 新人 

の 作から 解說 したい。 

「砂の 上」 (荒木 巍)。 この 作者の 作品 は 初めてで あるが、 なかなか よく 眞贲を 追つ かけて ゐる 

と 思った。 大體 作者と いふ もの は 抒情に たよらす に、 出来るだけ 眞實を 追究して、 真$ とい ふ も 

のの: S つて ゐる 最後の 不思議に 到達し なければ ならない。 これが 本 常の リアリズムの 道で、 i 右し 



リア リズ ムと いふ ものが あると すれば、 これ 以外に 無い と 僕 は 信じて ゐる。 

ところで この 作品で あるが、 知識の ない 一 人の 女性の 動物 的な、 或は 本能 的な 强 さがよ く 出て 

ゐる — 义 華やかで、 知" 力に みち、 寬大な 愛情に 溢れながら、 然も 敗北して ゆく 男性が 少しも 誤 

魔 化さす に 描かれて ゐる。 作^の 物に 對 する 見方 は 相當に 緻密で、 耍點 をよ く 押へ てゐ る。 例へ 

ば 心で 尊敬 出来ぬ 母親の 厚化粧 を、 子供が 「お母さん 頰っぺ たが 赤い ね。」 と 批評したり、 齢と 

つた 父, 鋭と 一 ^に 息子が 百日 杠の木 を 撫でて、 

「こ の 木 はさ すられる と櫟 つたいんだ つて。」 

といった りして、 父親の 心 を 慰めて ゐる ところな ど、 なかなか センスの 卓 拔さを 感じさせる。 

男 力す るいの か、 女が する いの か、 わからぬ ところな ども 自然で、 その 觀察 にも 無理がない。 

ただこの 作品で はお 出 勘 造と 息子と が 最も 書け てゐ ない。 むしろ 息子の 幼い 思想 的 北;:: 景ゃ、 有 

ms:^l など は、 全然 抹殺して しまった 方が、 この 作品と しての、 王 題 を 明瞭に させ はしなかった か。 

つ いでながら 荒木 氏の 題の つけ 方 は 殆ど 無意味 だと 思 ふが 如何。 

「俗 境」 (兵 本善矩 )0 これ はまた 作者の 心情の 美し さが 文章の リズムに 出、 ハツ キリと 心の ®- 

つた 端^ さが 目についた。 

それ は姊を 語る 作 中 人物の 感情から くるので あるが、 「揚 卷の髮 に白髖 甲の ピン 一 つ」 とい ふ 

やうな 描お など は、 如何にも キ リツと した 姉の 美貌 を讀 者の 服 前に 勞髴 させ、 また 乍 品 を 古風な 



意秦に 溢れた 私塾から はじめる ところな ども、 なかなか 隅に おけぬ 用意の 周 s さ を a ま 4,- た。 

ただ 前半に 比較して 後半 は 主人公の 氣 持の 高揚が 次第に 冷靜 になって くるに 從 つて、 作品 も 力 

を 落し、 强さを 失って ゐる。 あそこ を この 作者 は 突きぬ けなければ ならない。 それにして もこし 

なに 美しい 作品 は 少ない。 

「ボン 助 先生の 片 ヒゲ」 (中 村 正常)。 この 作者の 作品 を讀 むの は實に 久しぶり である。 だが 久 

しぶりに 讀んで この 作者 は 矢張り タ ダモノで はない と 思った。 不滿 をい へば、 これ 等の 諷刺お 人 

生に 對 する 恐ろしい 冷淡から も、 あるひ は强ぃ 愛情から も 出て ゐな いとい ふこと であるが、 ^し 

さう いふ 裏 づけが あつたと したら、 かう いふ 作品 は 決して 笑って すませる もので. ェ ない。 

「踊 子」 (川端 康 成)。 短い スケッチ であるが、 十七、 八の 子供の 舞臺 裏の 會話、 接吻 ごっこが 

實に 官能的で 巧に 描かれて ゐる。 だが、 それ はた ださう いった だけで は 足りない ほど 丐 な會 話に 

みちて ゐる。 

秋聲 氏の 傑作 「一 つの 好み」 

先づ 「蜜柑の 皮」 (尾 崎 士郞) から 始める。 尾 崎 氏が 常に 矜持 を髙く 保た うとし、 熱烈な 氣魄 

を 愛して ゐる こと を 知って ゐる。 だが こ の^: 品 は 正直に いって 僕 を 悲し く 1- た。 

レ 8, 

吾々 バ說 書きが、 それ は 死刑囚で あらう と、 病人で あらう と < 間の 死と ぃム もの を、 こん お 



な ^度に しか 見る ことが 出來 ない ものと したら、 吾々 は 舌 を 嚙んで 死んでも なほ 自己に 對 する 憤 9 

嫌 を 消す ことが 出来ない だら う。 

然も 作者 は 書き だしで —— 今まで まもり 通した 祕密を —— 云 々とい ふので ある。 然し そこ に は 

何の 祕密 らしい もの も 何も 出て 來は しないで はない か。 通り 一 遍の觀 念 的な 死刑囚が 書かれて ゐ 

る だけで、 何 一 つ 眞實に 觸れた 死刑囚な ど は 出て 來な いで は ないか。 叉 何故に 主人公 は 自分の 

「業苦の ほろび ゆく」 ことな ど を 祈らねば ならぬ のか。 抽象的な 業苦な どと いふ もの を 人間 は 何 

故に 背負 ふ 必要が ある だら うか。 

吾々 は 死と いふ もの を 揶揄しても いい。 嘲笑しても いい。 叉 深刻に 考 へても いい。 又 時には 嘘 

で 塗っても^ 支へ ない。 何れにしても もっと 深く 追究し、 そこから すべてが 出て 來な ければ なら 

ない。 この 「蜜柑の 皮」 の 場合で は 最も 大切な ものが 失 はれて、 思想 力の 缺乏と 文章の 琢磨 だけ 

が 服に ついた。 

「私の 黎明期」 (德永 直)。 發電 所の 描寫 などに は なかなか 正確な ものが あって、 かう いふ 世界 

だけ を 書けば 一 つの 問題が 初 まり さう だと 思った。 

だが この 作品の 某 調 をな す もの は、 少しば かり 虚無的で、 然も サ 一一 ン 風の 概念 化せられた 愛欲 

でしかなかった。 

文中 「お 玉 後^ 靱子 —— 不幸と 罪惡と 淫蕩と。 これら Q 源 や 結末 は 一 體 どこに あるの か。 すべ 



て は 宿命で、 誰でもが ^負って ゐる もの だら うか。」 とい ふ 感想が あるが 眾 なる 不幸 ゃ淫 など 

が 宿命であって たまる もの か。 そんな もの を 宿命 だな どと い つて ゐる やうで は仆 方がない。 

不幸 も 淫蕩 も それでい いので ある。 宿命で あっても 宿命で なく、 裹 づけの ない 宿命な ど は 踏み 

ちらして 人 問の 醜惡 さの 中から 美し さ を 見つける ところまで 行かなければ、 吾^ c は 吾." < の 追究 を 

止めるべき ではない。 か 

「容貌」 (林芙 美 子)。 『文 藝』 に 出て ゐる 「塵 溜」 も 併せ 讀ん だが、 作者 は 抒情の^ 界を 愛しす ぎ 

てゐ る。 「自動 窣 はまる で野鸭 の やうに 腰 を 振って、 小石 をばん ばん 自分の 胴中に 礫の やうに^ 

びながら」 とい ふやうな 名描寫 は あるが、 然し 作者 は 物に 這 入る こと をい つも 途中で やめて しま 

ふ。 一通り 成功して ゐる にも 拘 はらす、 またたと へ、 いい B じの ものであって も、 藝 術と いふ も 

の は 決して かう いふ もので はない とい ふ 感想 を 起させる。 

「一 つの 好み」 (德田 秋 聲)。 (『中央 公論』) この 作品に 至って 評者 は 初めて 救 はれた。 救 はれた だ 

けで はなく これ は 今月の 傑作に 違 ひない と 思った。 

こんなに もみ づみづ しく 物 を 自由 に 囚 はれす に 見る こ とが 出艰 る もの か と 私 は 驚欵し た。 に 

明瞭と した 自然主義 以來 の摑み 方で ありながら、 その 錄觸が 少しも 硬化せ す、 一-分の マンネリ, ス 

ム にさへ 陷 つて ゐ ない。, これ は 恐らく 作者の 眼が 常に 現竄 の廣實 とい ふ もの をお ー究 して ゐ るから 

で、 M 賨と いふ もの ころ * 常に 最も 新鮮な 證據 である。 また M 實と いふ ものが 本當に 見る 者に は 



290 



次ぎ.^ ぎと 不 E お f を 提供す る證據 である。 この ことこ そ、 われわれが 文學の 世界に おいて 何より 

もす がり 得る 一 ^で、 の 不思議 ほど われわれに とって 有難い もの はない。 

さて この 四方八方から 眺められた 女。 叉 長い 問の 人生の 歷史を 背負った 甯 三と いふ 主 入 公 —— 

そのよく 描かれて ゐる こと は 勿論で あるが、 金が 何よりも 口 をき く 世界に、 餘り金 を 出さない 男 

がゐ て、 然し その 氣安さ を 好む 女が 存在 するとい ふこと が、 そして 二人の 次第に 接近して ゆく こ 

とが、 この 作品で は 人生に 一 つの ほの 明り を與 へて、 われわれ を 幸福に する。 別して いろいろな 

もの を くぐりぬ けた 幸福が われわれ を 安心 さすので ある。 今月の 最大 作品で ある こと はいふまで 

もない。 

リアリズム を被壞 せよ 

リアリズム とい ふ ものが、 フロ I ベ ー ル や ゾラ の やうな 浪曼的 性格の 作者に 取り あげられる 寺、 

初めて 有効に 活動し だす もの だとい ふこと は眞實 である。 また 如何なる 藝術 でも それが 常に^ 活 

か ら出發 しながら、 常に 人間の 夢想 に對 して 追跡 を 行 つて ゐる とい ふこ とも 3異 實 であ る。 

ところが 現在の リアリズムと いふ ものに は、 浪曼的 性格 もな く、 また 夢想 もな く、 それ は 明ら 

かに 一 つの 瑣末、 王 裟 に陷 つて ゐる。 人 は 自然主義 以來、 瑣宋な こと を 連ねれば、 それが リア リズ 

ム だとい ふ 觀念を 持って ゐる。 從 つて 現代で は 小說位 書き やすい もの はない、 とい』. ことにな つ 



2CI 



てゐ るので はない かと 思 はれる。 

新進 作ず、 號の觀 ある 『新潮』 の 數作を 一 讚して、 私 はこの こと を 痛切に 感じ、 退屈し、 しま ひ 

に は 苦痛 を 感じた。 

シ H スト フは 「正確の 怪奇」 とい ふこと をい つて ゐ るが、 私 は 「正確の 不可思議」 に 到達し な 

ければ、 藝術 上の 眞實 とい ふ もの は 止むべき ではな. S と考 へて ゐる。 ここに こそ 本當の リア リズ 

ムが 横た はって ゐる。 

さて 二三 作 をよ むと、 從來の リアリズムと はこん なにも 退屈な もの かと、 今更の やうに 驚欵し 

私 は 恐怖した。 だが それらの 人達 は 多く 若い 人々 である。 私 は 痛罵の 代りに 今後 を 待つ ことと し 

て、 ここで は 新ら しい 芽、 新人の 氣慨 とい ふ ものの 感じられる 一 二 作に ついて 觸れ てお きたい。 

「選手」 (田 村 泰次郞 )。 劍道 部の 選手 達の 試合 前の 興奮した 签 氣 —— そこへ 罪になる 害の 一 人 

の舉 生が 罪から 許された ために —— 選手 達 は その 興奮の 度が すぎて 緊張が ゆるみ、 頭が 冴える 代 

りに かへ つて 眠くなる とい ふ小說 である。 少年 達が 次き 次ぎに 麻醉 劑を飮 まされた やうに コ ン コ 

ンと 眠って ゆく 姿に かへ つて 若さと 元氣が 溢れ、 私 は 非常に 樂 しかった。 题の つけ 方 も ねら ひも 

先づ 新人ら しい 作品と 云へ る。 

「老父 二人」 (芹澤 光治良)。 芹 澤氏は 新人と いふよりも、 もっと 老熟した 世界に 這 入って ゐる。 

老父 一 一人の 性格と 動作が 實に 愉快で よく 見て あると 思った。 缺點は 私と いふ 人 問が 書き足り ない 



292 



ために、 作品の しまりが 不足し はしなかった か。 

「さんだい めと いふ 話」 (柳 原 利 次)。 老人の 世界 を 通して 一 つの 家系の 性格 を 描いた もので、 

躜 みな バら 微笑し、 同時に 運命的な もの を 感じ、 かう いふ 作風 は 今の 流行と は 違 ふが、 それだけ 

に 面白い とも 思った。 

「龍の ひげ」 (福 田^ 人)。 これ は實に 微細な 描寫で 終始 せられて ゐる。 だが そのこと が 些末主 

恭こ g るたり に、 一 貰した 粘^力に なって 現 はれて ゐた。 老夫婦と、 娘と、 それから 亭主 を 失つ 

た 嫁の 生活が、 短い 文章の 中で それぞれ 性格が 書き分けられ、 所- ^に 生彩 ある 描寫 があった。 

固, お 觀念を 破壊 せられる 時に、 常に 狼狽す る 老人 1 「お 乳、 ちっちゃい、 お 乳」 といって、 

子供に 汍を摑 まれ さう になる 娘 II 「急いで 来たから 胸が ドキ ドキ する わ」 といって 胸に 手 を ふ 

れ さす 嫁 —— 

さう いふと ころが 赏に 生き生きと 描寫 せられ、 消極的な 一家の 空氣 がよく 出て ゐた。 十四 篇屮 

の iare: と 思った。 ただ 「龍の ひげ」 とい ふ 題で 家族 全體 を象徵 しょうとして、 それがし きれない 

ところに 缺點 があった。 * 

「衣 路」 (那须 辰 造)。 放浪癖の ある 子供の 本能の 姿が よく 書かれて ゐた。 とりわけ 衣 のシ ー 

ンは 1 つの 世^ を 見せて ゐた。 



§ • 丹 羽の 作品 

『改造』 は 十五 年 週 紀念號 である。 先づ ロマン . 口 I ランと アイ ンシ ユタ イン の 特別 寄稿が あ 

る。 二人ともが 「夢」 とい ふこと を 主張して ゐ るの は 不思議な 一致で ある。 

さて ロマン. ! II ランの r 藝 術と 行動」 であるが、 そこに は 文章に 響く もの はあった が、 云つ 

てゐる こと は赏 につまらす、 こんな こと を 何時まで 云って ゐても 仕方がない とい ふ氣 がした。 

そこへ ゆく と アイ ンシ ユタ インの 短文 は、 かれ 自身 も 付け 加へ てゐる やうに、 なかなか 複雜で 

おおの ある ものであった。 率直に いへば、 實に硗 然とした 世界が あり、 私 は 感心した。 「平和」 

と いふ ものに 彼 は 性急な 考へを 抱かす、 軍事的 準備の 撤^に よって 平和的 目的が 達せられる と^ 

へる ことの 危險を 述べ、 武器の 發 達が 平和 を もたらす だら うと 說 明して ゐる。 これ は 私 も! M じ や 

うな 意見で、 唯 だ科擧 のみが 遠い 將來に 平和 を 持ち 來 すと いふ 觀察 は、 赏に 聰明で 齒 ぎれ がよ 

く、 一 つの 悟逹を 持って ゐた。 

さて 小説で あるが、 最初に 「お 山」 (石 坂洋 次郞) を 讚んだ。 壯麗な 山の 偉容に 對 して、 又 民 

問傳 承の 追究に おいて、 山に 對 する 人間の 小さ さに ついて II 實に 丹念に、 心臓^く、 飽くまで 

も 呼吸 お く、 描寫 をつ づけて ゐる。 

私 は こ の 作者 のかう い ふ 態度に は小說 的と 同時に 民俗 舉的匂 ひ を 感じ、 こ の 作者 は どんな 危險 



294 



に ゆっても、 又 失敗 を L て も、 われわれに 與 へる 一 つの もの だけ は 常に 持って ゐ ると いふ 氣 がし 

た。 この 乍 品 も、 私 は 一 つの^ 俗 的な 土,!? 文维 として、 これほど 鄉土を 愛し 鄕土を 生かした 作品 

は 少ない とい ふ ^味 で 面.::: く 感じ た。 

この 作者に は 野生の 力が あると いふ。 然し これ は 作者の 持って ゐる 野生より は鄕土 風俗と いふ 

もつ が^に 持って ゐる强 さで ある。 かう いふ 作お とい ふ もの は、 今まで 無かった とい ふ點 でも、 

なほ 大いに 稱讃 せられなければ ならない。 

r 微鬼」 (B£ (成 吉)。 朝鮮に おける 朝 s の 小さい 勞ほ 者の 次第に 首が 廻ら なくなって、 人の ぬ 

か ら火极 を盜ん で 食 ベ る やうに なるとい ふ 話 で あ る 。 

なかなか 丁寧な 作品で ある。 朝鮮の 風景 も萬遍 なく 取り入れられて ゐる。 それで ゐて、 その 悲 

^がちつ とも 悲險 として 感じられない。 恐らく 少年の 性格に ある 反省が 丸彫りに せられて ゐ ない 

からで、 作者 は 一 方から 眺め、 しかも その 眺め 方が 公式 的 だからに 遠 ひない。 

これ はいい 少年で あるが 悲慘 になった とい ふだけ である。 どんなに いい 少年に も惡ぃ 面が あり * 

それが 描かれなければ、 結^い い 少年と いふ もの も 描かれない ことになる。 つまり はこの 少年に 

對 する 愛情が 足りない ので ある。 これ は 立ち入り すぎる かも 知れない が、 作者 はもつ と 微細な 

赞 とい ふ ものに^ 虚 でなければ、 大きい 眞 K II 例 へば x x x X X な^ 赏 にも 到達^ 來な いので 

は あるまい か。 ^烈 な^ 資を 突きぬ けて 一 つの XX に到逹 する 逍 でなければ、 それ は どんなに 不 



295 



正 をのの しって みても 不合理 を 痛罵して みても 人の 心に は訴 へない。 また この 作品に は 常然、 民 

俗 的な 鉍爭と いふ ものが. もつ と 哀感 を以 つて 裏づ けられなければ ならな かつ た。 缺點 ばかり を 拾 

つた。 決して 惡作 ではなく、 美 點を擧 げれば 充分に その 餘 地が ある。 然し これ だけの こと はいつ 

てお かなければ ならない。 

「春」 (平 林たい 子)。 露 實に觸 れてゐ ると いふ 點で はこの 作品の 方が 數等 ふれて ゐた。 よく 對 

象 を 見て ゐる。 殘酷 にさへ 解剖して ゐる。 半襟 を 縫 ひつけす にかけ る カフ H 1 の 女 や、 十錢 以下 

の 註文に 頭を惱 ます 貧しい 醉 ひどれ や、 食 ひ あましの コ 口 ッケを あげな ほして 出す 店の 主人公 や、 

翌日 訪ねて くる 醉 ひどれ の 細君の 氣の 毒な 姿 や、 なかなか 逞しい。 しかし 露惡 に冷靜 さがな く、 

少し 桃色 じみた 嫌な 興奩の 感じられる ところがない でもない。 

「象形文字」 (丹 羽 文 雄)。 カフ HI 小 說が實 に 多い。 これ も その 一つで あるが その 中で は 最も 

すぐれて ゐた。 カフ H I の マダムと その 娘との 生活。 わけても 母親の ヒステリックな 戀 愛生, 活が 

よく 書け てゐ る。 長い 小說 だが 丹念で 全篇 弛緩す ると ころがなかった。 娘に もっと H ス プリが W 

ると 作品に 氣 品が 出、 もっと 作品の 背後に 思想 的な ものが あれば、 作品に 深みが 出た か と^ふ。 

しかし 逸 作た る を 失 はぬ。 

志賀 氏の 名作 「B 記 帖」 



296 



志^ 直 哉 氏の 「ョ 記帖」 (『改造』) を 請み 終って 私 は 微笑した。 何とい ふこと なしに 明るい 氣持 

になった。 然し それ は 普通の 明るい とい ふ氣 持ちで はなく、 又 朗らかと いっても、 普通い ふ 意味 

とは逭 ふが. 何とい ふこと なしに 腹から あがって くる 喜びで 微笑した。 

r 离^ 赤搶」 が 出た 時に も讀ん でい いと 思った が、 材料の せいか 心理に 食 ひ 入る ところが 無 か 

つたが、 今度の 作品 は贫に 緻密で、 無駄 を 極端に 削って、 大切な ところ だけが 深い 意味 を 持たせ 

て 生かして あった。 

私 は 昔の 志 賀氏を 思 ひ 出し、 それが 一 脣 年齢 を 加へ たとい ふ 感じで、 あの 私の 浮べた 微笑 は、 何 

か 人生に 對 する 救 ひやう のない ものが、 その 作品の 背後から 感じられ たからで あるのに 氣 付いた- 

私 は 最後の 一節、 「加 納 和弘」 とい ふ 名前 を讀 むと、 を かしく つてた まらなかった。 不愉快な 

事件で 銜生 的に 弱らされ、 猪 や 犬 を 見ても 惡ぃ 人間より はまし だと 思ったり、 葉 卷の炭 を 見て 火 

葬した 死骸 を 思ったり しながら、 旅行から 歸り、 急に 助かる のが 實に うらやましかった。 私は敢 

てこの 作品 を 近来の 名作と いひたい。 

ここで 私 は 『中央 公論』 の 「朝 .畫* 夜」 とい ふの を 更に よんだ。 この 方 はもつ と を かしく、 

至る ところで 私 は 笑 はされ、 志賀 流の 正當 さが 確然と 感じられ、 人間が 雄齄 になったり、 雌鷄に 

なったり、 子供が 頭 を縱に 振る と、 「鹿の やうな 奴 だな」 といったり、 帽子 を 投げつ けて、 それが 

鼠に なったり すると ころな ど、 動物 的な フモ ー ルが 長閑で、 素晴らしくて、 藝 術の, 圓光 とい ふや 



297 



うな もの を 感じさせられた。 但し 作品と して は 「日記 帖」 の 方が II 味が ある。 何れにしても 私 は 

nss: 赤繪」 を讀ん だ 時よりも、 この 二 作お ;;u ん で志贺 氏に ー厣 呼び返され、 しっかりした 心の 

世界の 存在 を 思って、 非常にた のしい 氣 がした。 志贺 氏に ii して は、 どうしても 外國の 作^と 比 

較 して 論じなければ ならない と 思 ふが、 それ はこ こで は^ 來 ない。 

「卄 水」 (長 與善郞 )。 これ は 病床に ある 老人の 哀れな 戀 愛の やうな もの を辔 いた もの だが、 力 

作であった。 勝手の いい 戀愛 を考 へて、 それ も. s 來 ない 人物が 半分 眞 率に、 ュ I モ ラスに、 is 後 

感 として^んで くる。 細君が 一等よ く © けてゐ て、 したしい 作品で ある。 

「小 烏^」 (久米 正 雄)。 直 木 三十 五の やうな 人物が 主人公に なって ゐる。 恐らく さう かと 思 ふ 

が、 直 水 氏に どんな 非難 を 加へ る 人が あつたと しても、 この 作品が 最もよ く 直 太 氏 を 辯 謎ー てね 

る。 これが 恐らく 今日までの 觀 察の 中で、 直 太 氏 を 最もよ く 見、 解釋 して ゐ るので はない かとい 

ふ氣 がした。 

「紋章」 (横 光利 一 )。 あらゆる ものから 锊 油を^ 造しょう とすると ころが、 私に 最も 與 眛を感 

じさせた。 腐った 魚 以外に、 なほ 別の ものから 雁金 は^: 油 を 製造し はしない かと^って ゐる。 萬 

物 還 銀 説 の やうに 何も か に も 萬 物が 锼^ になったら さ ぞ 愉快 だ ら う と 思 ふ。 長篇だ か ら何 ともい 

へない が、 横 光 氏の 考 へて ゐる ことが わかり、 その ねらって ゐる 世界 は 誰が 何とい つても、 私 は 

いいと 思 ひ、 矢張り 期待して ゐる。 



'9» 



め 

「月 あかり」 など 2 

「月 あかり」 (牧野 信 一)。 愉決 といへば、 これほど 愉快で 人 を 食った 作品 はない。 僕は讀 みな 

がら、 ボウの x.ing A Paragrab を 思 ひだした。 これほど 日本語 を自. S に驅 使した 作品 は、 ボ 

ゥっ 右つ.^ 品が、 どうしても 日本語に 譯 せない やうに、 これ もまた 他國 語に はどうしても 譯 せな 

い に^ ひない と^った。 

これ は志^; 氏の 作品に ある やうな 悟 連から 来る 微笑で はなしに、 人 を 食った 筌 想の 馬鹿馬鹿し 

さと、 ^^む 奇な 性格と から 來 るので ある。 何が あるかと いへば 何もない。 それで ゐて 吾々 を 

愉快に してし まふ。 私 は 牧^ 氏の ギリシャ 好み や、 醉っ拂 ひ 小 說は餘 り 好まない が、 この 作品に 

は 汲め どもつ きぬ B 術と い ふ ものの 面白さが 出て ゐ ると 思った。 

「母と 子」 (深: H 久^)。 この 作品 も 素朴で 大變 いい。 

「木の 枝に^ を あ づけ、 山 を 見て 髮を結 ふ」 とい ふやうな 賞に 味の ある 手紙の 一節が あったり 

して、 かう いふ 句 は 歌 や 俳句 を 通って、 然も それが 大人に ならなければ 出來 ない 文句で、 深 田 氏 

の ねらって ゐる 世界 は 相 常に 大人び てゐ ると 思った。 

「^法師の 長い 夕方」 とい ふ 文句 もあった が 田舍の 詩情 を 一節で よく 押へ てゐ た。 母性愛 小說 

とい ふ 通俗小説の 型が あるが、 これ は 子 佻の 母親 を 思 ふ小說 で、 哀切で 綺麗な 感情が 全體に 流れ 



てゐ た。 

その他 武 W 鳞太 郞、 井伏鱒二 氏 等の 小說 があった が、 格別 二人の 從來の 作品に 加へ 算を する や 

うな もので も、 また 引き算, をす る やう もので もなかった。 

r 行動』 は 新人の 作品 十一 篇を 集めて、 賑やかで ある。 

「地 圖」 (阿部知二)。 新ら し. s 世界と いふ ものに 鍬 を 入れて ゐ ると 思った。 地圖 について こん 

なにく りかへ し、 ちっとも 返 屈しな いのは 私自身 また 地圖を 愛して ゐ るせ ゐか。 それとも 一 つ 奥 

の 實に ふれて ゐる せいか。 

退屈し さうな ものが 退屈 しないと いふ やうな 世界 は、 なかなか 困難な 道であって、 最も やりが 

ひの ある 道で あるに 遠 ひない。 

「斑 點」 (伊藤整)。 これ は 成功した 作品と はいへ ない。 だが そのために 却ってい いと 忍った。 

多くの 新人が 危げ ない 日常茶飯の 些 末に 埋もれて ゐる 時、 この 作品の 如き は 新ら しい 方向 を誠實 

に 目指して ゐる 唯一 の ものと 思った。 人間の 善行と いふ ものと それ を 如何に 人間が 装飾す るかと 

いふ 問題に ついて 一 つの 比喩 を あげながら、 次第に 二人の 友人が 不思議な 爭鬪に はいって ゆく と 

ころな ど、 なかなか 鮮 かであった。 

「流 轉門」 (今日 出 海) は みじめな 老人の 心理が よく 出て ゐて、 挨拶の 練習 をす ると ころ や、 最 

後に やっと 立ち あがる 機會を 見つける ところな どよ く 書け てゐ た。 又 同じ 作者の 『新潮』 の rgs 



W5?u に は、 去勢せられ た贵 族の 一 面 を 諷刺して 痛快な ものが あった。 

「年 贺狀」 (德田 1^)。 四月の 創作 数十 篇中、 ュ ー モア 小説と いふ ものの 皆無な 中に、 ただこ 

の 一 SI だけが、 それであった。 狂ひ哚 きの やうな 愛情 を 求めて 放浪す る 一 老人の 姿が、 實 によく 

描け、 愛^と いふ 不忍 な もの を 眞劍に 研究しながら、 遂に それが わからす、 ダン サ ー を 歷訪し 

てみ たり、 ダン ザ ー に愤慨 してみ たりす るう ちに 病氣 になって 死ぬ とい ふ小說 であるが、 作者 は 

そんなぶ お S: を 決して 冷淡 視 せす、 どっち かとい ふと 親しい 氣 持ちで、 この 主人公 を 愛して ゐ る。 

恐らく こ の 作品の 成功 は そこから 來てゐ るに 遠 ひない。 

(『^京 日日 新聞』 昭和 九 年 111 月 二十 三日〕 



3oi 



文藝 時評 三 > 

日常 性と 歷. S 性 

先づ 三木淸 氏の 「行動 的 人間に 就いて」 (『改造』〕 をー讀 した。 

今日の 能動 主義者が、 日常 性と 歷史 性との 中間に ひっかか つてなる と いふ 指摘に 於て、 それ は 

結論 せられて ゐた。 

確かに この 指摘 は 現在の 能動 主義者の 中に ある 二つの 傾向と いふか、 矛 巧-とい ふか、 これ を 的 

確に 捕へ た 評語と して この 上な く 面白かった。 だが 私に とって は、 それ 以上に この 二つの 分類法 

が、 ドイツと フランスの 文化 を 特徴 づける 言葉と し. て、 この 上な く 面白く ョ 3 はれた。 

^'へて みると、 我 固の 文 學は、 今 曰 だけで はなく、 この 二つの 傾向の 中で、 迷 ひつ づけて 來た 

ので ある。 昨日 は ドイツの 歷史 哲學 風に なった かと 思 ふと、 今日は 叉 ベルグ ソンの 日常 性 を 蒸し 

返し、 併し 結局 は 何時も どっちに もなら なかった ので ある。 

例へば フランス 文學 にある 日常 性に は、 その 卑近の 日常 描寫の 中に さへ、 丹念な 飛^した もの 



302 



が ひきださ わて くるの が^で ある。 ルナ ー ルの 「曰 記」 のよ さはい はすと も、 それ: S クレ ー ルの 

トさ い.^ 迸の 屮 からさ へ も 感じられる 特畏 である。 然るに 吾々 の 文舉は — 曰 常 性と いふ ことに 

なると、 常に それが タ ツチの ない 實に W つた ものに なり 勝ちな ので ある。 

三 木 氏 はこの 二つ の^を 今日は 統一 すべきで あると いって ゐられ る。 統一 する ことによってい 

rb" ぉパ來 るか、 それとも^の フランス 文畢 をもう 一度 見な ほす か、 それとも ドイツ 文 舉に擧 ぶ 

べき か。 それとも、 それらの 何れ を も 破 菜して、 萩原 朔太郞 氏の いふ やうに 日本の 傳統に 眼 ざめ 

るか 

私 は それに 結; i を與 へる こと は, おし ひか へ る。 ただこの 分類法から 一 一三の 作に ふれて みたい。 

^生 IS 星 「女の 11」 (『改 ゃ3』) を M んだ。 

これ は 愛^と いふ ものが^^に 變 化する 51 合 を 適切に 表現し、 最も 卑近な ドロ ド W した 生活 Q 

どん- 弧を描きながら、 見 m に 一 つの 飛蹯に 到^して ゐた。 筋 は 金に する ことの 出來る 養女 を、 も 

の 養父が 愛情の ために どこか へ 逃がして やる とい ふので ある。 

ゴ ミゴミ した 生^と、 主題の 飛躍と が、 この 作品に 日常 性と 歷史 性と を 統一 させ、 今パ での^ 

^である こと を^お なく 感ぜし めた。 何よりも 作^の 意氣 込みの 壯烈 さがよ かった。 然し 不 に-を 

い ふなら ば、 この 作者 は 日常と 5- ふ ものの よさ を 十分に 知らぬ ので ある。 

先 づ^ 初ぶ 「,伴-: ポ八は 一 嵇 不思 fl な 人 CV では あるが、 ^の^の ハナ も:^ つて ゐる といへば^ ス 



303 



に變 つて ゐる 女であった」 とい ふ 力み か へ つた 表現から 始まる ので ある。 

然し こ の 作品が 最後の 飛躍に 到達す るた めに は、 もっと 靜 かな 何でもない 日常の 表現から 始ま 

るべき である。 さう でない 爲 めに 次ぎ 次ぎに 說 明せられ る 作 中 人物の 性格が 反って 死に、 作者が 

いふ ほどに 不思議で も 何でもなくな つてし まふので ある。 私 はこの 作品 は 主題の 立派 さに 較べ る 

と、 實は 文章の アヤが 眼に つきす ぎて ゐる とい ふこと を 何よりも 淺 念に 思った。 

洒 井龍 輔 「淵」 (『改造』〕。 戰爭の 悲劇 を 取扱った 作品で ある。 實に 克明で ある。 戰 線で 發 狂し 

た^を 描いて、 狂人と も 常人と もっかぬ 人間 を 丹念に 描き あげて ゐる。 そこに この 作品の 誇張の 

ない よさが ある。 然し それだけ である。 これで は 何とも 感想の 述べ やうがない。 

藤 懌桓夫 r ボ I シァ」 (『改造』)。 作者の ねらって ゐる 世界 は 人間の 善良な 意思で ある。 然し/ j 

んな ことに 何時までも 安住して ゐては 仕方がな いと 思った。 グッド. ウィル はよ ろしい。 然し こ 

の グッド. ウィル は 物 を 中途で 見た 時に 起る 美觀 で、 その美 觀を 表現す るた めに は、 素朴な 手法 

によっての みかう いふ 主題 は 生かす ことが 出来る。 然るに この 作品 は 通俗 小說 にもな りかね ない 

手法に よって ゐる。 これで は 歷史性 も 日常 性 もあった もので はない。 

子供 を 描いた 二 佳作 

宇 野 千代 「私と. 子供」 (『改造』)。 坪 W 讓治 「お化けの 世界」 (同〕。 



304 



二つ とも子 供の 世界 を 描いて 佳作. たと 思った。 宇 野 氏の 小說 では 繼 母と 一 緖にゐ る 子供の 悲劇 

的な 感^と、 成長と が ありあり と 描かれて ゐて 面白かった。 とりわけ 子供が 實 母と 逢った 日の は 

しゃぎ 方 や、 自動 率 を 買って もらった 時の 嬉し さうな 顔つきな ど は、 眼に 見える やうに 描かれて 

ゐた。 

描お の 正確さと 鮮 かさと いふ 點 では、 恐らく 今月 中での 壓卷 にち が ひない。 唯 だ 最後の 感怼な 

ど は 無く もがな と 思った。 

坪 田 氏の 小說は 子供の 世界と いふ ものに 作者が 這 入りき つて 書いた もので、 かう いふ 作家 は 今 

日まで 餘り 見かけなかった。 さう いふ 點で もこ の 作品 は 充分に 珍重す るに 價 する ものと 思った。 

子供の 想像力と、 お ほげ さな 誇張. 1 と、 子供 だけが 持って ゐる^ 猛心 I 。 こんな ものが よく 捕 

へ ら れてゐ た。 

だが 父親の 絕望 的な 狀態 はさて おき、 この 作品が 一 つの 諷刺に 到達す るまでに は、 尙ほ遙 かな 

ものの ある こと を 作者 は覺 悟し なければ ならない。 

r 行動』 に は 十三 人の 新人が 顔 を 並べて ゐる。 名前 さへ 見た こと もない 人が 多く、 今更の やう 

に 年少の 文^. 者の 多い ことに 吃驚した。 一 應通讀 したが、 現代 流行の 能動 精神 もなければ、 不安 

の哲畢 もない。 文擧が 描く ものである こと は事實 であっても、 日本の 文學 者が、 人間と 宇宙に 對 

する 一 つの 解釋を すら 持って ゐな いとい ふこと は、 かう いふ 若い 人達の 文學の 萠芽 を 見ても、 わ 



3。5 



かる やうな 氣 がした。 新文擧 が勃與 する 爲 めに は、 彼等 は 何よりも もっと 思考力 を 旺盛に しなけ 

れ ばなら ない。 

山內 せい子 「ひとで」 (『行動』〕。 作者の 素質の 中には 觀 念の 芽が ある。 それ は 恐らく 十三 人の 

中で この 作者 だけと 思った。 衣 匠 を 愛して 人 問 を 愛しない 男と いふ やうな 考へ 方に は 短篇 小說と 

いふ 形式の 持ち 得る 獨特 なコ ン ディションが ある。 僕 はこの 作者の 二三 作 を 以前に 讀んだ ことが 

あるので、 實は 期待して ゐ たので あるが、 さう. S ふ 特色 はあって も、 この 作品 は 完全に 行 情に 流 

れて 失敗して ゐた。 小說 とい ふ もの はかう いふ ディ ティルの ない 詠歎であって は絡對 にならない。 

德田 一穂 「花粉」 (『行動』〕。 题材 的な 不服 だが、 作者 は餘 りに も 父親の 愛人ば かり を 追つ かけ 

すぎる。 願 はくば 新ら しい 君 自身の 愛人に ついて 報じ 給へ。 然し これ は餘 りに 偉大な 父靱を 持つ 

た 人の 悲劇で あるか もしれ ない。 

野 口 富士男 「喜吉 の 昇天」 (『行動』)。 壓 縮した 才 氣を感 する。 文體に 特長が あるが それらが ま 

だ 吹き きれて ゐ ない。 

新田 潤 「突つ かい 棒」 (『行動』〕。 たどたどしい 表現で あるが、 素質 的な よさ を 感じさせる。 ^ 

つかい 棒ば かりした 問題の 家が ュ ー モ ラス で 底に 一 つ の社會 的な 批 钊 を 蔵して ゐる。 

近 藤 一 郞 r 箭」 (『行動』〕。 作者の 飛躍す る 感想と 大朥た 風格に 面白味が ある。 ^刻な ものと 瓢 . 

々とした ものが 常に この 作者の 中で は爭鬪 して ゐる やうで あるが、 かう いふ 作者 は 決して ュ I モ 9, 



ラスの 中で 眠って はならない。 この 作品に も その 片鱗が あるが、 父親 を 狼と 考 へる やうな 日常 生 

活の 切りつ めた 面 を 作者 はねら はなければ ならない。 

平 田 小 六 「雨が へし」 S. 行動』)。 左翼 作家ら しいが、 その 割に 文章 も 題材の 捕へ 方 も 新ら しい。 

^度で も 一 人の 男に 騙される 女の 愛情と みじめ さとが、 寒い 港の 風景と 一 緖 によく 出て ゐた。 

田村泰 次郞 「冬」 (『行動』)。 話 はつ まらない。 ただ 作者が 常に 何 か を 野心して ゐる とい ふ^で、 

これほど 元 氣で氣 ほひ 込んだ 作者 も少 いと 思った。 

阪 本越郞 「綱の^」 (『行動』〕。 ffi 中 最も 完備した 作品で ある。 一種の 旅行 文學 であるが、 ね Q 

描お の 中に^ 態 人情の 機微 を^して 作者の 落ちついた 巧み さが 感じられた。 

その他の 作品に も いちいちの 感想 は あるが、 何れも 似たり よったり で、 とりたてて 論す る ほど 

のこと はない。 

氣 f とい ひ、 苦悶と いひ、 技巧と いって みたところで、 もの を 見る ことが 正確で なければ 仕方 

がない。 これ は 吾 A お 互に^ 戒 しなければ ならない ことで ある。 かう いふ 新人の 作^ を粲 める/ J 

と は獎勵 にもな つて 而白 いが、 願 はくば 一 層 厳重な 遝擇を 得たい ものと 思 ふ。 

r コ ナン 大尉』 の梗槪 

ここまで 來て、 ふと 『セル パ ン』 で 『コ ナ ン 大尉 J とい ふ 今度の ゴ ンク ー ル 賞の 梃概 を! S んだ * 



307 



そして これ は 面白い 小 說に違 ひない と 思った。 大戰 直後の 兵士の 心理 を 描いた ものであるが、 見 

方が フ レッシュ で 恐らく 戰 爭文擧 として は 稀に 見るべき もので はない かと 思った。 ゴ ンク I ル赏 

などと いっても 大した 小 說の餘 りない 中で、 これ は 確に 優れた ものら しく 思 はれた。 但し これ は 

梗概 を讀ん での 感想で あるから 確な こと はい へない。 

戰爭當 時の 勇士で ある コ ナン 大尉が 戰爭 によって 性格 變換を 起して、 粗暴に なりながら、 然も 

自分が 國に盡 した 忠誠に 比較す れぱ、 自分の 粗暴 位 は 何んでも ない と考 へたり すると ころ や、 身 

體の 弱い 貴族 出の 兵士が 愛國 心に 燃えて 出征して、 反って その 性格の 弱さから 軍法 會議 にか かつ 

て 銃殺され たりす ると ころが 實 によかった。 芹澤 光治良 氏の 梗概で あるが、 なかなか よく ゆき 渡 

つて ゐた。 誰でもい い。 一日 も 早く この 飜譯 をして くれぬ もの かと 願った。 これ は 僕の 想像が 多 

分に 手傳 つて ゐる かも 知れない が、 戰爭の 悲劇と いふ もの を こんなに 性格 的に 取扱った 作品 は 恐 

らく 少ない やうな 氣 がした。 私 はこの 梗槪 を讀ん でから 一 一三 日 興奮して ゐた。 

さて この 時評 は四囘 とい ふ 約束 だが、 それで はもう 何も 書け ない、 まだ 無數の 作品が 玆 つて ゐ 

るからで ある。 

德 田秋聲 「部屋 解消」 (『中央 公 諭』)。 部屋の 性格と、 そこに 現 はれる 女達と を 描いて 自若た る も 

のが ある。 主人公の 表面に 表 はれぬ 強さが 常に 次ぎ 次ぎに 登場す る 女達 を 敗北せ しめる。 まるで 

網に かかる 小鳥 達の やうな ものである。 だが 主人公 は その 女達に、 常に 眞實 以外 を 見せない。 女 



3o8 



逮は やがて 去って ゆく。 主人公 は それ を 追つ かけない やうな、 それ を ひかへ る やうな 氣 持ちで 見 ON 

这 つて ゐる。 暗^な 部屋の 筌氣が 無數の 小事 件で 說明 せられながら 渾 然とした {4! 氣を つくりあげ 

てゐ る。 ただこの 作品の 特長 は筌氣 である。 だから その 中に ある 不動の 主人公 を 見失へば この 作 

品 はつ まらなくなる に 違 ひない。 

丹 M 文 雄 「岐路」 (『中央 公論』)。 前に 同じ 作者の 「象形文字」 とい ふ 作品 を讀ん で、 僕 は 作者 

に^ 識を 飛び越えて もら ひたいと いった ことがある。 こ の 作品 は あきらかに それ をな し 遂げよう 

とする 作者の^ 構へ に 溢れて ゐる。 これ は 大まかな 言葉で あるが、 作品の 中に ある エスプリ も 里 

見 弹 から 谷^ 閏一郞 に 接近しょう として ゐる やうに 思 はれる。 それ は 一 つの, 丽芽 としてで あるが、. 

一 つの^ 念 をた しな まう とする 所が 見えて、 私 はこの 作者の 成長と 方向と が 誠に 自然に 動いて ゐ 

るの を うれしく 思った。 

^後の 骸子简 を ころがす ところ も、 その 心理の 取扱 ひ 方 も、 緻密で いいと 思った。 それにして 

も 題の つけ 方が 如何にも 古い。 これ は 寧ろ 「黑 白」 とつけ たって、 まだ その 方が いい 位で はない 

かと 思った。 

武田 麟太郞 r 淨 穢の觀 念」 (『中央 公論』)。 武田 君ら しい 才氣と 落ちつき とが 方々 に ひらめき、 

二三 讚んだ 市井 ものより は 寧ろ この 方が 面白い と 思った。 但し 何となく 安易な 氣 持ちが して、 何 

よ n も 大切な 自殺 問題が 讀 者に 食 ひ 込んで 來 ない。 あれが もっと 響いて くれば、 この 作品 は 一寸 



素晴らしい 効^ を 持って 來 たので はない かと 思った。 

「脫 出」 推稱 

福 田淸人 「脫 出」 (『新潮』)。 感化院の 少年 共 を 描いた 作品で あるが、 素材 的に も 又 取扱 ひ 方に 

もュニ イクな ところが ある。 

この 题 村の 取り あげ 方 は 瑣末 主義と 思 はれる ほどに 微細であって、 然も それが 煩瑣に 響いて 來 

ない。 何よりも この 作品の いい 點は 作者が 對照を 「惡 い」 少年と して 描いて ゐな いこと である。 

人 問の 一 つの 種 類と して 描いて ゐる ことで ある。 少年 共の 敏捷な 異常 發達 にしても それが 少しも 

誇張せられ すに 描かれて、 然も 異常で ある。 今月の 新人の 作 中、 僕 は 第一 等に 推す。 新 » な^ 致 

とい ふ點 から 云へば、 恐らく 文壇 を 通じての 佳作で あるに 違 ひない。 

とりわけ 最後の 結末 は、 性格と. S ふ ものの 強烈 さ を 表現して、 人 問 力の 支配し きれない 世界の 

存在 を 指摘して ゐる。 性格と いふか、 本能と いふか、 さう いふ ものに 比較 すれば、 善良 さとい ふ 

もの や、 道德 とい ふ ものが 如何に 弱く 小さい かとい ふこと を考 へさす 點 でも 一 つの 暗示 的 作品 だ 

と 思った。 

寺崎浩 「長 姉の 手 銑」 Q 新潮』〕。 この 作品 は 文章の 疊 みかけて ゆく 調子に 大人び た練逹 さがみ _ 

える。 何 か 新ら しい 技法 を 持って なる。 それ は 福 田 君と も 違 ふ 獨特な もので、 もっと ぬらり くら 3 



りと した 世界で あるが、 大體に 於て 主題が 非常に 混亂 して ゐる。 

姉の 妹に 封す る 愛情 はわ かるが、 姉が 何故に 妹が 結婚 前に SR に 身體を 許した こと を 責めて ゐる 

のか、 意味がない。 あぶな 繪を 描きながら 而も 心の 高潔 を 保って ゐる姉 を 描かう としたの でもな 

ければ: さう. S ふ 妹の 行爲 が、 何も 悲劇の 原因に なった とい ふので もない し、 例へ 男に 早く 身 を 

まかしても それ を 非難す る现. H はない。 妹 は それで 結婚しても 問 違 ひで はない ので ある。 それ を 

究めて ゐる 半紙が 全 であるから、 一 一人の 姉妹 を說明 するとい ふ 以外に は 何の 役目 もして ゐ ない 

ことになる。 伐 は 寺 崎 君の 作品 は 今日まで 割合に 愛讀 して 來た 方で あるが、 例へば 最後の 姉の 「|れ 

計」 云. ^とい ふ 霄^に しても、 作お はこれ を肯ぉ して ゐ るが、 僕 はそんな こと は 明らかに 問^ ひ 

だと 思って ゐる。 人^と いふ も は 常に もっと 大きく、 解釋を 越えた もの を 持って ゐる。 

榊 山 潤 「翁」 (『新 沏』 )。 この 作^ を屮 心に して 考へ ると、 一 つの 客 觀小說 に 這 人って 來 たとい 

ふ點 で、 作者 は 新ら しい 試み をして ゐ るので ある。 ただ、 これに は 蟇な どが 澤山 出て くるが、 話 

は恭 であっても、 秋で あっても、 夂 A であっても j 向か ま はぬ ので ある。 「春」 とい ふ 表題に^ 者 

が苷 のび をして、 反って 主張 を 一 面 的な 感傷に 陷 入れて ゐる こと は 見逃せない 缺點 である。 

林芙奕 子 「朝夕」 (『文藝^秋』 〕。 別れよう として 別れ きれない 中年の SR と 女と を 描いて 好個の 

短 SI をな して ゐる。 敗北した 人 問 同士の 中に ある 素朴ない たはり が、 氣 持ちよ く窨 かれて ゐる。 

それ は 時に この 作者の 作品に 現 はれる わざとら しい 抒情詩 的 目つ ぶしで もな く、 自然で. 實に 好ま 



31 



しい 表現 を以 つて 描かれて ねる。 フィリップ を讀む やうな 可憐な 逸 作た る を 失 はない。 

片岡鐵 兵 「苦痛」 (『文藝春秋』〕。 轉 向した 一人物の 複雜な 心の 苦痛 を 描かう とした ものである。 

かう い ふ 作品 を 見る と、 そ の 出來榮 えの 如何 は 別と して 吾 々は そこに 良心と いふ もの を發 見して 、 

笾 術小說 とい ふ ものの よさ を 改めて 考 へる。 何も 作者 はかう いふ もの を 描かなくても 「花嫁 學校」 

の やうな のんきな 作品 を 書いて ゐれ ばいい ので ある。 だが さう ばかりで は ゐられ ない。 力う いふ 

精神的な よさ こそ、 藝 術小說 とい ふ もの を 怠惰から 常に 驅 りたて ると ころの ものである。 

(『讀 K 新聞』 昭和 十 年 二月 廿六 日〕 



寫 K リア リズ 厶 



「日^ 伶- s」 とい ふ 作品 を 僕 は 正月に 發 表した。 

これ は^代 流行の 不安の 文 擧に對 する 諷刺と して 書いた- 何も 吾々 は 吾々 の 運命 を 甘やかす 必 

Iju もまい が、 それ かと 言って 不安 趣味で 塗りつ ぶす 必要 もない からで ある。 然し 現代の.^ 說とレ 

ふ もの は、 何 か 不安と いふ 言葉が 一 つ 落ちて ゐ ると、 毛が 三本足らぬ やうに、 眼の 色を變 〈るの 

である。 然し これほど 滑^な 現象 はない ので ある。 

人 の 性、 もともと 未 來の签 想に 頼って 哀切な ものが ある。 どんな 人間に も 等しく この 性質が 

あるので ある。 僕 はこの 性質 を大膽 に蠲發 させて みょうと 思って、 自殺 を 決心した 男が ふと 冒險 

旅行に よって 一 衣 七十 萬 闘の 財産 を 作る こと を 書いた。 

すると 批^^の 多く は r ゥソ か本當 か先づ 迷った」 と吿 白したり、 「鬼面 人を嚇 かす もので あ 

る 一 と霄 つたり、 r 不 眞 面目で ある」 と愤漑 したり、 「安閑と して 不安がない」 と吱 いたり、 或-ひ 

は 「日^茶 颃小說 を 破 域す るの はいいが、 藝術的 リアリズムと いふ 問題 を どうす るか」 とい ふや 



うな 锬 問を提 m した。 

これらの 批評 を必 やし も惡 いとい ふ q ではない。 それぞれに 意味 を 持って ゐる こと は専赏 であ 

る。 だが なるほどお 眞 リア リズ ム にと りっかれ てゐる 人間に はかう も 感じられる もの かと 僕 は 先 

づ 驚いた。 あの 堅 くるしい 必然 論に ひっかかって ゐる 人^に はさう も 見える に 遠 ひ あるまい と 思 

つた。 

僕 は あの 作品な ど、 ちっとも いいと は 思って ゐ ない。 然し 精神の 高揚した 世界、 題 村に 對 する 

作者の 勝手 自在な 料理、 とい ふ點 では 少々 自惚れて ゐな いこと もない。 

あの 話な ど は本當 でも 噓 でもい いので ある。 本當の やうで も あり、 ゥソの やうで も あると ころ 

に、 あの 作品の 諷刺が あるので ある。 あれが^ 眞 リアリズムに なったら 諷刺になる 氣づ かひ はな 

い。 ゴ," ゴリ の^が 散歩す る小說 を、 誰が 「本 當か噓 か」 と 言って 迷 ふだら う。 それ は噓 でも 本 

{& でもい いので ある。 

X 「鬼面 人を嚇 かす」 とい ふが、 これ は 『早稻 田 文學』 の 逸見 廣 君の 批評で あるが、 恐れ入つ 

た。 ^は^ろ 今日の 不安の 文^-に こそ、 そんなと ころが あると 思って ゐる もので、 僕の 小說 など 

には眞 面目な 冗談が あるば かりで 諷刺に こそ あれ、 人 を 驚かさう などと いふ 了見 は 夢にもない Q 

である。 不安の 文擧の やうな 見せびらかしの 深刻 面 もなければ、 飜譯 ;竹攀 もない ので ある。 

然し 小 鋭と いふ もの は、 飛躍した 眞 K を 取扱 ふ もの だから 平板な 材料 や 日常生活 では 困る ので 



314 



ある。 この 僕の 考へ 方が 「鬼面 人を嚇 かす」 とで もい ふの なら、 承知す るが、 然 L 飜っ て^へば、 H 

そんなお^ リアリズム を 遵奉して ゐ るから 今日の リアリズムが 行きつ まるので ある。 

^は 先づ 今日は 何よりも 藝術的 リア リズ ム などと いふ もの を破壞 して 肩 を かるく して、 勝手な 

こと を くべき ことから 練習し なほす 必要が あると 思って ゐる。 

「紀元 j 二月 號 だった か、 丹 羽 文 雄 君が ジュ ー ル. ロメ ー ンの 『新ら しき 町』 か 何 か を リア リ 

ズ ム とい ふこと を さしおいて 愉快で あると 言って 批評して ゐ るの を 見た が、 ああい ふ氣 持が もつ 

と 起らなければ ならない と 思 ふ。 丹 羽 君な ども さぅ霄 ひながら リア リズ ム が 矢張り 氣 になる らし 

かった が、 それで は 『新しき 町』 は 作れない。 

ひところの 武者 小路 實 ^氏の 戯曲. など も 今日の 寫露 リアリズムに はいい 苦言 を提 して ゐ るかと 

思 ふが、 ああい ふ もの を^み かへ してみ る こと もい ぃ勉强 ではない かと 思 ふ。 哲學 的に 言へば、 

僕 は 偶然 論と. s ふ もの を もっと 大切に する 必他、 が 起って ゐ るの だと 思って ゐる。 さう すると 陳腐 

な リアリズム の 觀念も 自然 變 つてく るので ある。 

「人^^^ 塞 翁^」 とい ふ 霄槳が あるが、 あの 小說に はそんな ところ も ある。 あの 言葉 は 悟 達 

の 比喩であって、 怠惰の 比喩で はない。 偶然 論と いふ もの も、 私の 小說 も、 义 さう いふ 一面に 參 

與 したいと 思って ねる。 

さて 小 林 秀雄君 はこの 作品に は 何とも 言はなかった が、 だいたい 小 林 君 は 何時も 僕の 仕事 を 見 



ると やっつけ にか 力る のが 常で、 それ は 何 かしきた りの やうで も ある。 この頃 ふと 昔の 手羝な 

ど を片附 けて ゐ ると、 その 中から 小 林 君が 小生に X はした 「發明 家と 何とか」 とい ふ 童話の 原稿 

が 出て 來た。 

これ は 小 林 君が 小生の 近所に 住んで ゐて、 しきりに 僕のう ちに 來 たりして ゐた 頃の ものである 

が、 よんで 見る と 矢張り 何 を 書いて あるの かわからなかった。 今 も 昔 も 同じで 三木淸 氏が 可 時 か 

バ林君 を 批評して 「もの を 歪めて より 見る ことが 出來 ない 人 だ」 とあった のを覺 えて ゐ るが、 歪 

める どころ か、 何も 無い 爲め にわから ぬので はない かとい ふ氣 がした。 この頃 は その わからぬ と 

ころ を 生 力す 分別 を わき まへ たらしく、 それが 小 林 君の 發展 であるが、 僕の 作品に 對 しても わか 

らぬ^ 合 は、 + 度の やうに 何も 言 はぬ のが 一等 賢い ので ある。 たいてい 惡 口にき まって ゐる 批評 

などと いふ もの は、 あまりき まりき つて ゐて、 批評 されても 一向つ まらない ものである。 



7 

3 

小說に 於け る發想 



小説に 於け る發想 法を軎 けよ、 とい ふこと であるが、 そんな こと は 本尊の 小說を 書く ことより、 

もっと 難しい。 もっとも、 いつで あつたか、 私 は r 藝 術と は 天啓に よって 製作 せられる もので は 

ない」 と赛 いた ことがある。 「吾々 がいろい ろな こと を考 へたり、 發 想したり する の は、 技術と 

いふ もの を 持って ゐ るから だ」 と 書いた ことがある。 

これ は變に ^術^ 面する 人間の 態度が 胸糞 わるく、 技術と いふ ものの 大切 さ を 自ら 認識しょう 

として 爲 したと ころの 說 である。 だから 決して かう いふ 考へ 方が 全部 的に 正しい とはい へない が、 

先づ そんな 氣 持から ここで も 書いて みたい。 

私の. s ふ 意味 は、 吾々 人間が 文章 を 書きたい と 思 ふの は 文章 を 書き 得る とい ふ 技術 を 持って ゐ 

るからで ある。 技術 を 持って ゐな いもの は、 さう いふ こと を考 へない。 卽ち 泳ぎたい と^へ るの 

は 泳ぎ と S ふ 技術 を 知 つて ゐる 者に とっての み 可能 であると いふ こ と を 意味し てゐ るので ある。 

卽ち藝 術.^ 何 かの 發想 なり 蕾 想な り を するとい ふこと は、 その 人が 藝術を 製作し 得る 技術 を 持つ 



てゐ るからで あると いふた ので ある。 

それ は 泳げな いもの も 泳ぎた いと 考へ、 文章 の 書け ない 者 も 美文 を 書き たいと 思 ふ ことがある- 

然し それら は 純粹の 意味で 泳ぎたい と 思 ひ、 文章 を 書きたい と 思って ゐ るので はない 害で ある。 

この こと は 次第に この 文章 を讀ん で ゆく うちに わかって くる ことと 思 ふが、 吾々 が 何 かの^ 想な 

り、 着想な り をす ると すれば、 それ は その 人が、 多少の 技術 を 持って ゐる 場合に 於ての み 可能で 

あると いふ こと を、 吾々 は先づ 自覺 しなければ ならない。 

だからい ぃ發 想な り、 着想な り を 得たい と 思へば、 藝術 家を氣 取って 靈感を 待つ 前に、 その 人 

はよ き 技術 を先づ 習得し なければ ならない。 從 つて 逆によ き 技術 を 持って ゐる 者の み、 常によ き 

發想 をし、 着想 をし 得る とい ふこと がいへ るので ある。 それの 近い 例 は、 名工に しての み、 初め 

ていい 獨創を 示す のであって、 下手な 大工 は 下手な ことより 思 ひっかぬ ものである。 但し 名工が 

何時までも 名工たり 得す、 下手な 大工が 何時までも 下手で あると はき まらない。 

してみ ると、 何よりも いい 發 想と 着想 を 得たい 人 は、 先づ 文章の 技術 を 常に 習得し 鍊磨 しなけ 

れ ばなら ぬと いふ ことになる。 

技術の ない もの は、 どんない ぃ發想 をしょう と 思っても それ は 不可能で ある。 では その 技術 は 

如何 やうに して 習得し 得る か。 これ は なかなか 困難な 道であって 一 朝 一 夕に は 語りつ くせない。 

よく 人に よると、 「私 は實に 素晴らし いこと を考 へて ねる が、 筆が たたぬ から 駄目 だ」 などと 



313 



C ふの を a? く;^、 だが そんな 人に^つ て、 では どんな こと を 思 ひついて ゐ るの 力と 聞いて みると、 

多くつ まらぬ ことが 多い。 自分で は 素晴らし いと 思って ゐ るが、 技術と いふ 瀘過器 を瓧 過し ない 

考 へと いふ もの は 凡そ 粗雜な 場合が 多い ので ある。 

木 常に 素晴らし いこと を考 へて ゐれ ば、 それが 話せない わけ も 文章に 書け ない わけ もない。 そ 

の 人が 話術な り 文章な り を 知って ゐれ ば、 それが 自然に 現 はれて くる ものである。 現 はれない と 

い ふこと は 結局 その 人が 何も 持って ゐな いとい ふこと に 他なら ぬので ある。 

だから 吾 々は發 想と か 着想と かいふ こと を 漠然と 考へ すに、 先づ 文章の 技術 は 如何にして 習得 

すべき かを考 へ る 必^が ある。 

さて この 方法に ついては、 古來 いろいろな 窨 物と 說 とが ある やうで ある。 だが 最も 代表的で な 

も耍を 得た 一例 は 「三 多の 法」 に^きる だら う。 

左 膝 春 夫 氏の 說 によると * 谷 崎 潤 一 郞 氏の 『文章 讀本』 の 如き も、 この 「三 多の 法」 を 出て ゐ 

ない とい ふこと であるが II 卽ち、 看 多 I お ほくよ み。 做 多 II 多く こころみ。 商量 多 II 多 

く 工夫す る。 — とい ふこと が、 何よりも 大切 だとい ふので ある。 

いって みれば あたり まへ 至極の ことで あるが、 決してた やすい ことで はない。 さて これ を 字^ 

通りに 云った ので はつ まらない から 少しば かり 解說 する が、 私 は^ 多 — とい ふこと はおに 多く 

本 をみ ると いふので はなく、 本と IE 時に 自然 や 社 會萬般 のこと をよ く 見る こと il とい ふ 風に 鮮 



319 



釋 したい。 卽ち 作家の 心に 滋養になる もの は、 (一) 讀書 によって 知識 經験を 得る ことと (二) 

社會の 生活に 直接に ふれて 知識 經驗を 得る こと。 この 二つし かないので あるから 何よりも この 二 

つ を 大切に して、 なるべく 人の もの を讀ん では、 初めのう ち は それの 眞似 をして、 その 技術 を^ 

得し、 又 經驗を 深刻に 生活し、 それ を 正直に 記録して、 その 實景が 出て ゐ るか どうか を 考 へて、 

その 技術 を 確かにす る。 この 二つが 何よりも 文章 擧の 第一 步 であって、 而も 最も 大切な ことかと 

思ぷ。 

そこで 做 多 —— 右の やうな 讀 書と 生活の 經驗 をなる ベく 多く 書き 試みる ことが 大切に なって く 

るので ある。 次に 商量 多 —— 工夫 するとい ふこと。 これ はこの 文章の 初めに もい つた やうに、 初 

めから やれる もので はない。 看 多、 做 多、 の 出來た 人に して 初めて,:; 山來る ものである。 

この 工夫と. S ふこと は 古今の 傑作 を 見れば、 誰れ しも 心に 思 ひ あたる ことで、 その 技巧の 壯大 

さや 鐡細 さに それぞれ 感歎す る ものが 少 くない。 

手近の 例で 云へば、 谷 崎 氏の 『春 琴抄』 など も、 その 構造が 物語と して、 一 つの 聞き書きの 形 

式 を 持って ゐ るが、 あれな ども 作者の なみなみならぬ 工夫から 出て ゐる とい ふこと がい へ るので 

ある。 何時であった か、 あそこに 出て くる 佐 助と いふ 熱情 的な 男が、 自分の 眼 をつ ぶす ところが 

あるが —— あんなと ころな ども、 その他 いろいろ 眞 實を壞 して ゐる といって 一 部の 人が 非難した 

りして ゐ たが、 作者の ffl 意 は、 つまり、 さう いふ 虱に 噓に 見えたり する ほど 主人公の 性格が 浪曼 



320 



的で あるから、 小說の 構造 を 佐 助の 主觀を 通した 聞き 害の 形式に したので、 ここに 作者の 用意 ェ 

夫が あつたの である。 あの 構造が あるから こそ、 どんなに 噓の やうな ことが 出て 来ても、 佐 助が 

熱お であれば ある ほど、 それが 噓 でも 何でも ちっとも かまはなくなる ので ある。 これ はこの 作 

の 構造に ついての 作者の 發想^ 想に ふれた ので あるが、 ^ほ 次に 細部の 分析 をして ゆけば、 どう 

いふ 研究 も出來 るので ある。 然し かう いふ こと は 臆測に なりやすい。 

そこで 私自身の 二、 三 作に ついて 參考 までに その 發想ゃ 着想に 多少の 解說 をして みたい。 

私 は ひところ 人^の 信じあって ゐる さまの 美し さとい ふ ものが 書いて みたくて たまらなかった 

ことがあった。 その 時、 ある ^ が來 て、 ふと 話す に は —— 夕方 海 を 見て ゐ ると、 男 か 女 か、 沖の 

方へ 幾らでも 步 いて ゆく のが 服に 見え、 どうして ゐる のか 不思議に 思った とい ふ 話 をして く 

れた。 

それで 私 は、 ふと、 それ を 二人の 人 問に して 心中の 話に したら どうかと 考 へて 「或る 心中の 

話」 とい ふ 作品 を 書いた。 それ はたまた ま 人の 話 を 問いて ゐて發 想した ので あるが、 割合に 面白 

く 出来た。 

卽ち 或る 淋しい 女が、 海の 沖 を 見て ゐ ると、 一人 沖に 向って 歩いて ゆく 人 問が ある。 よく 見て 

ゐる うちに、 それが 急に 二人に なった。 はてなと 思って 望遠鏡で 見ようと すると、 二人の 影 は 抱 

きあつた まま 益 沖へ 歩いて ゆき、 やがて 海に 沈んだ。 これ は 心中に 遠 ひない。 然し かう いふ 冷 



321 



^な 3^ の^ 地 を 示した 心中が ある だら うか。 私 は 未だに その 事件 を 現 賞との みは考 へ られ ない 

が、 時.^^ ひだ. \ とい ふ 話で ある。 

この 發想 はたまた ま 人と 話 をして ゐて、 それが 人の 談話から 引き だされた 場合で あるが、 かう 

いふ こと も 吾々 作家と いふ もの は なかなか 經驗 する ので ある。 

次ぎに 『ゴルフ』 とい ふ 空 屮の曲 藝師の 話 を 書いた ことがあ るが、 あれ は靜 かな 海 を 鏡と 人 は 

よくい ふが、 若し^の 好きな 女が 大きい 海に 自分の 影 を 投げたら、 どんな もの かと、 :!: 時 か 中^ 

.^M 畔に^ つて ゐる雲 を 見て、 その 壯歷 を见 つた ことがある。 それで その 空想 を 一 つの 小^に し 

た。 それに は 男女 を签中 曲藝師 にしなければ ならす、 その 女が 男に 空の 中で 振り落され、 ^に^ 

おしながら、 海を鎵 と^って 幸福に 死ぬ とい ふ 風に した。 

これ は 初め 一 つの 大きい 鏡と いふ 签 想から m 來た 作品で あるが、 全然^ 想から 出發 したために 

それ を 肉 づけす る のに なかなか 苦勞 した。 

『氷る 舞踎 場』 とい ふ 作品 は、 或る日、 『科擧 K 報』 か 何 か、 もう 十数 年 も 前の ことで あるが、 

子供の 雑誌 を 見て ゐて、 家の 巾で も、 部屋に 水蒸氣 が充滿 して ゐて、 それに 裟氣が あたれば、 K< 

井から 雪が 降る 箬 だと 書いて あつたので、 その美し い 幻想が、 私を馳 りたて て 『水る 舞踏^』 を 

書かせた。 

卽ち、 淫蘊な 舞踏に 疲れて 多 救の 男女が 折れ 重なって 倒れて ゐる 時、 餘り S 氣が恧 くな つたの 



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で 一人の 土れ が 外氣を 入れよう として 窓 を 破る と、 寒冷の 風が 突進して 来て、 そのために 部 展 の 

屮 はおに うづ もれ、 醉ひ痴 れてゐ る W 女 は 雪の 屮に 包まれて しまった。 

これ は ー雜誌 を よんで、 ふと^ ひついた 例で ある。 

かう いふ こと を^いて 行けば^^も なく、 尙 ほそれ を ことこまかに 分析し 研究 すれば、 それ も 

きりがなく、 又 その 技巧 川-おの ほどに ついて 考 へれば 無限の 枚數が 必要に なって くるので ある。 

然し 何れにしても 作お の發 想、 若 想と いふ ものが、 常に 何 かの 事實 の機緣 から 起って くる もので 

あると いふ こと を、 これらの 例によって 理解し、 勉舉の 人 は、 常に 事實 とい ふこと に忠赏 になる 

こと を 忘れて はならない。 

ピカソ の やうな 壯烈 拔な繪 を 描く 人 問 さへ 次ぎの やうに いって ゐる。 

「n 分の 仕^ は、 常に 自然から 感じ、 自然から 發 見した ものば かりによ つて 出 來てゐ る。」 

卽ち^ 々は^に. R 然の sg.^ とい ふ もの を、 よく a る ことによって、 自分の 理想 や 空想と、 それ 

を 一致 させ、 解釋 するな り、 構造す るな り、 變形 するな りして、 ー篇の 小說、 文章 を 作る ので あ 

乙. •; ^々は 日記 を 大切に し、 お 生 を 大切に し、 然も これ を 構造す る 時には、 常に 先人の 糟粕を 嘗 

めぬ やうに、 新ら しい 怠 K と 新ら しい 工夫と を 必要と する ので ある。 



323 



偶然と リア リズ 厶 

こ の顷は リアリズムと いふ ことが 問題に なって ゐる。 だが リアリズムと は 一 體何 か。 

最近で 最も リアリズム をと りあげて 論じた もの は、 プロレタリア 文舉 であって、 彼等 は それ を 

プ a レク リア. リアリズム と 呼んで ゐる。 

皮 等の 歼先 題目 はバ ルザ ックゃ ゾラで、 丁度 バ ルザ ッ クゃ ゾラ の 時代の 社會的 不安と 現代の^ 

態とが 似 かよって ゐる とい ふところから それ は 來てゐ た。 だが バ ルザ ッ ク の 時代と 今日と が 同じ 

である^ はない し、 たと へ 似て ゐた としても、 もう 旣に 彼等が それ を 論じた 時と 今日と は 旣に肚 

會の狀 態が 激しい 變化を とげて しまった。 

バルザック 的と いひ、 ゾラ 的と いって みても、 今日で は 最早、 その 精祌ゃ 態度 を 論じる より 仕 

方が なく、 リア リズ ム として 彼等 をと りあげる こと は餘 りに 素朴に なって しまった。 

それならば 新ら しい リアリズム を 誰れ かが 論じて ゐ るかと いへば、 これ も见 あたらない。 何時 

か 『新潮』 か 何 かで、 谷川 徼三氏 他 二三の 人が それに 觸れて ゐられ たやう であるが、 さして 從來 



324 



の 說を訂 正す る やうな リアル の 根柢に ふれた 所說は 無い やうであった。 

私 はこの ii から 度々 この 問题に ゆきあた るので あるが、 リア リズ ムと いふより 先づ リアルと は 

; であるか、 とい ふこと に 就いて 吾々 は 一 考 する 必要が ある。 

リアルと いふ もの を 人 はありの ままの SKI 實と長 ぃ問考 へて 來てゐ る。 眞實 とい ふ もの に は不思 

識 がない と考 へて 來てゐ る。 不思議と は 吾々 の 理解が 到達し 得ない からであって、 到達 すれば 不 

^議 などはなくなる と考 へて 來てゐ る。 だから 從來の リアリズム 小說 とい ふ もの は、 さう いふ S! 

K に觸れ ようと 努力して 眞赏 とい ふ ものの 持って ゐる 不可解 を 常に 剁脫 しがち であった。 實 際さ 

うい ふ 理論から はさうな るより 仕方がない。 

飛^の ない MK。 無味な 生活。 さう いふ ものが、 だから 好んで その 題 村に 選ばれた。 とりわけ、 

その 最も 墮 落した 例 は、 日本の 日常茶飯 小說 で、 リアリズムと はかくの 如く 退屈な もの かと 屢ミ 

^々をして 思 はしめ る ほど 無味な 生活の みが とりあげられて 來た。 だが、 あれほど S1M 實 らしい 噓 

はなかった。 

^{れ と はそんな に 取 純な もので は あるまい。 吾々 は 見れば 見る ほど、 厲 實 とい ふ ものの 常に 複 

雜 で^く、 無^で、 見れば 見る ほど、 追究し きれない 面 を 次ぎ 次ぎに 現 はすのに 氣 付く。 そして 

從來 の K お 的な 概念 の 嘘に 氣 付く ので ある。 

ところで、 吾 々は 長い間、 哲舉 的に、 又科學 的に 眞實 とい ふ もの を 固定 的な もの、 一 つの 必然 



325 



忡 としての みおへ てゐ たので あるが、 新ら しい 思想 はこれ 等の 所說を 根柢から 破壊しつつ ある。 

卽ち M 資とは 最も 「飛 蹯」 にみ ち 「偶然 性」 によって 發展 して ゆく もの だとい ふ 思考であって、 

これは^ 近の 波動 カ舉、 i 子 論に おいて 益 ミ顯荖 な倾向 をと りつつ ある。 これ をい ふと、 又 かと 

忍って^ 執觀 念の やうに、 人に は 沿 秸に阳 える かも 知れない が、 私 は敢て その 妄執の 中で、 それ 

を 眩き つづける ので ある。 

だが おへて みると、 かくの 如く 眞實 とい ふ ものの 性質 を解釋 する こと は、 なかなか 大膽な こと 

であって、 ここで は M 實に對 する 觀 念が 過去と は 正反對 になって しま ふので ある。 彼等 は觀 測^ 

の 被觀測 物への 作 川 を 計算し、 そこに 計り 知れぬ M 實の 展望 を 見つける ので ある。 この 人 il 的に 

みられた 物質の 究極、 人^との 連關に 於て みられる 眞 K の 究極 こそ 面白い ので ある。 ここに こそ 

吾々 が 生命 を 賭し 得る ものの 相貌が ある。 無限と 不可知、 それが 故に 吾々 は それ を 追究す る こと 

に甚 びを感 する ので ある。 

卽ち 文^と いふ ものの よさ はこの 不思議 を 追究して ゐ るからで あって、 眞赏の 中に 不思議が あ 

るので はなく、 それ 自身の 性質が 不思議 だとい ふこと にある ので ある。 若し 眞 K とい ふ もの 

が 從來の やうに 無味乾燥で 飛躍の ない ものなら 文舉 など やった つて 無意^な ので ある。 

ここに 新ら しい リアル の 問題が 文學の 巾に 生かされる 理由が あるので は あるまい か。 こ の S. 以 

外に 药術 上の リアルと いふ ものが あり^る 害がない。 



320 



この^ 『世界 文^』 とい ふ 小冊子 を 開いて ゐ ると、 メリ ー • コ ー ラムと いふ 男 力 リアリズム 

i フロ ー ベルの 『ボ ヴァ リ, "夫人』 に 始まって シンク レア • ルイスの 『ァレ . ヴ イツ 力 I ス』 で 

や 々ハ^ を 引取らん として ゐ ると 書いて ゐ たが、 いつまでも 同じ こ と を 繰り返し てゐる 日本の 文 

Ait 論^より は 逸 か に 大^で 面白 か つ た。 

.V 體 リア リズ ム小 説と いふ もの はフ 口 I ベ ルゃ ゾラの やうな 浪曼的 性情の 作家が 書いた S- に の 

ケ^め るので あって、 浪曼 的で も 詩的で もない 凡^な 作家が Q 常 平板な 生活 を 書いても 仕方がな 

いとい ふこと は、 餘 りに ハツ キリして ゐる。 だいたい 自然主義と いふ もの も、 これ を S 然科學 的 

に兑 ないで ルッソ ォ 的に^ へれば、 明らかに 一 つの 浪曼主 蔻 であって、 日本で はさう いふ 風に 解 

釋 せられなかった やうで あるが、 これ を 反省す ると、 文學 の、 王 流と いふ もの は、 常に ルッソ ォ以 

來、 浪^主義 以外に はなかった とい ふこと がいへ るので ある。 

文舉巡 励と しての 日本の 自然主義 述動 とい ふ 物 は、 澎湃 として これほど 大きい 遝動は 今日まで 

なかった やうに 見える が、 赏は 歪曲と 誤解と にみ ちて ゐた。 彼等 は 「選 擇」 のない 無味乾燥の 小 

^の 一 つの 型 を 作って しまった。 然もな ほ 今 曰で も その 茶飯事の 記錄の やうな 小說が 生きつ づけ 

てゐ るの は 誠に 淺念 とい はなければ ならない。 

何の 飛 Ml もない、 死んだ やうな * コ ソコソ した、 蟛話の やうな :: といって みたところで そ 

れ ならお 手本になる やうな 別の 小說が あるかと い へば、 それ も 直ぐと は 思 ひ 出せない 



3^7 



だが いづれ にしても、 吾々 は リアリズムと いふ ものの 极柢を 全然 逆にし なければ、 最早 文學と 

い ふ もの を 生き生きと 考 へ られ なくなって ゐる とい ふこと は事實 である。 

然し ひるが へって 考へ ると、 歷史を 通じて 吾々 の 持って ゐる 優れた 傳統、 眞赏 の藝術 家と いふ 

ものの 到達した 世界と いふ ものが、 それが リアリズムから 這 入らう と、 ロマンチシズムから 這 入 

らうと、 皆が 皆、 かやうな 世界であった ことに は 誰れ しも 氣付 くので ある。 物に 對 する 絡えざる 

追究に よって、 彼等 は 最後に は 皆が 皆、 神韻 渺々 たる 眞實の 世界に 到達して ゐ るので ある。 

吾々 はもの 澳ぃゴ ャの繪 を みても、 美しい ボ ツチ H リの繪 を みても、 又 端麗な ホルバインの^ 

を 見ても、 重厚な レンブラントの 繪を 見ても、 常に そこに 何か說 明の つかぬ 不思議 を见 出さぬ こ 

ととて はない。 それ は 雪 舟に 於ても、 宗 達に 於ても、 大雅 堂に 於ても、 乃至 は 竹 E に 於ても、 ^ 

ろ 東洋に 於て こそ、 その 精神の 現 はれの いよいよ 激しい ことに 氣付 くので ある。 

然し それ は、 これらの 繪が 自然 科學の 洗禮を 受けぬ 前の 時代の もの だからで はない。 例へば a 

然科擧 の勃與 時代 と共にあった 印象派の 繪に 於ても、 更 らに现 在に 至る 繪螯に 於ても、 いよいよ 

同 じ やうに その 感じ を 深く する ので ある。 色彩 を 分解しょう とした マ ネ ー ゃセザ ン ヌ に 於て すら- 

^に それらの 繪の 中に 不可知の 深遠 さ を 見つける のが 常で ある。 それ は繪晝 とい ふ 技法と、 忍 想 

の 中に 常に 人間と いふ ものが 這 入って ゐ るからで ある。 

それ は 不可知, つても よい。 近代の 祌 話と 云っても いい。 ^貰の 深さと 云っても いい。 これ 



328 



ら總 てのもの は 古 來哲學 の 上で 偶然と 呼ばれて 來た 性質の 上に あるので ある。 そこに は 常に 計算 

しきれぬ 展赏 とい ふ ものの 深さが 見事に 捕 へられて ゐる。 

引例が 繪に のみ 走った が、 尙 ほゴッ ホゃゴ ー ギヤ ンゃ、 近來の マチス や、 ルォ I や、 ピカソに 

至って は、 その 不可解の 大きさ は、 更らに 彼等の 追究す る眞實 と等價 である ほどに 不可解 それ 自 

身に すらな つて ゐる。 然も それ は祌祕 とい ふ モッタ イブ ッタ、 陰鬱な ゴ マカシ ではない。 太陽の 

光の 中で、 とりわけ 近代に 近づく に從 つて、 透明な 外 光の 中で 見る 不思議 を 方向して ゐ るので あ 

る。 それ は僞資 を 創造し、 同時に それ を 超越して ゐ るので ある。 

吾々 は 今、 かくの 如くに して 文畢の 根柢 を 新ら しい リアル の 上に うちたてなければ ならない。 

これ こそ 蔺實の リア リズ ム と 呼ばれるべき ものに 遠 ひない。 然し 舊來の 習慣 を破壞 する 爲 めに 吾 

吾 は 一 應 リア リズ ム とい ふ もの を 否定す る、 そして 否定し つくした ところから 吾々 は 新ら しく 出 

發 しなければ ならない。 だが コラ I ム ©ぃ ふやう に 最も 怠惰な 作 象の 多數 によって リア リズ ムが 

令 日 支持 せられて ゐる とい ふこと は 最も 恐るべき ことで ある。 (昭和 九 年 十二月 十日) 



329 



文 藝雜感 

『二十 ©紀 英文 擊の新 還 勤』 

ボウ は 作品の 眞の價 値 は 「新奇と 適正との 結合に ある」 といって ゐる。 また 「外界に 存在す る 

もの を單に 模倣した だけなら、 それが どんなに 正確で あっても、 その 作家に 藝術 家と い ふ 尊. SS 

は與へ られ ない 」 といって ゐる。 

「新奇と 適正」 II これまさに 吾々 のい ふ 「正確に みる ことの 不 思籙」 をい ひ あてた 言葉で はな 

い 力 正確さ を 追究して ゆく ことによって 不思議に 到達 出來 ると したら、 これほど 希望に みちた 

こと はない。 

そォに L て も、 ジョイ ス の文學 をみ、 ブル ー ストの 文學を みれば、 今更ら に ボウの 言葉の 意味 

を现 解, L、 彼等が 從來の 文 學に對 する 考へ方 を 明らかに 改箪 しつつ あるのに 驚く ので ある。 ジ 3 

イスの やうな 怪物 は、 とりわけ 深い 傳統を 探りながら、 しかも 完全に 過去の 文舉 から 一つの 靳卅 

紀を 開かう として ゐ るので ある。 



33o 



徒らに 過去に のみ^いて, 現代の 文學と 過去の 文學と を、 同じ 指標で 比較しょう とする やうな 

粗忽者の ゐる 時、 彼等 を 見る こと は 何よりも 樂 しい。 

武者 小路 货 m 氏 はかって 最も 傳統を 尊重した。 しかし 彼 は 同時に 自分の 時代の 文舉に 革命 を 志 

したので ある。 又ジ イドの 『ドス トイ H フス キイ 論』 とい ふやうな ものにしても、 その 氣魄 の壯 

烈さ において、 彼 は. ド ス トイ H フ ス キイの 中に 惑溺しても、 然も その 中に 同時に 彼 自身の 文擧の 

新奇 を 明らかに 示して ゐ るので ある。 

どんなに 過去に 锊欵 する ことに 巧みで も、 建設的 意志 を缺 如した 文學 者な ど は、 無意味 だとい 

はなければ ならない。 

吾々 の周囫 では 先づ橫 光が、 その 作品に おいて、 感想に おいて、 舊來の リアリズムの たわいな 

さ を 述べ、 川端 もまた 「現代の やうな リアリズムに は反對 だ」 と、 この間 も 『行動』 の 座談 會で 

もらして ねた。 

だが、 それよりも、 もっと 活潑 にこの 仕事に ついて、 明らかな 方向 を 取って ゐ るの は、 春 山 行 

夫で は あるまい か。 

はの 文章が 時に 猾介 であっても、 それ は先づ 許さなければ ならない。 とい ふの は 彼 は あまりに 

も 改革の 熱情に 燃えて ゐ るからで ある。 それだけに 私 は 彼の 中から 常に 何者か を發 見す る。 

彼の 新^ 『二十世紀 英文 擧の 新遝 動』 を 見ても、 彼 は スタイル を 中心に して、 文舉の 新 方向 を 



331 



常に 論じ、 然も その ス タイル 41 の 背後で は、 ジョイ ス を リア リ ス ト として、 また ロマンチストと 

して 兩 方から 眺め、 その 衝突の 火花の 中で、 リアリズムと いふ もの を宙に 浮き あがらせて ゐ るの 

である。 これ は 明らかに 彼が リア リズ ム とい ふ ものに 新奇の 觀念を 持た うとして ゐ るからで あつ 

て、 恐らく 彼の 評論 位、 この 新 方向に ついて 最も 敏感な もの はなさ さう に 思 はれる。 この 一冊の 

丹念 さと、 新 精神に は なかなか 擧 ぶべき ものが 溢れて ゐる やうに 思 はれる。 

今の 多くの 若い 作家 や 評論家 は、 多く 酒 を 飮んで 通人ぶ る こと は 知って ゐて も、 プロレタリア 

文學 以來、 思想に 恐怖して、 何等の 哲學的 根據を 持って ゐな、 い 者が 多い。 その 中に あって、 この 

新著な ど は 充分に 新時代の 氣を 吐く ものと して 推稱 すべきで あらう。 

文學 者の 交遊 

この間、 池 谷 信 三郞の 全集の 打合せ か 何 かの 歸り がけに、 友達と 一緒に、 ふと 『文 學界』 の 同人 

會に 出席した。 出席しても いい かとい つたら、 いいと いふので 同人で はない が 寄って みた。 だが 

そこに は 林 房 雄と 武田 轔太郞 と、 それから ニーの 人し か 見あたらす、 林 房 雄 は 少しば かり 酒氣を 

帶 びて ゐ たが、 私 を 見る と、 「君 は 文學界 では 評判が 惡 ぃぞ。 君 を 辯 護す る もの は 川端 位な もの 

だぞ」 といった。 

文 舉界に は どんな 赫々 たる 同人が ゐ るか、 皆が 皆、 よく は 記憶して ゐ ない。 しかし それが 何で 



33 2 



あるかと 私 は 思った。 

文學の 仕事 は 一 人で よいので ある。 私 は 同人の どれ だけが どんなに 僕 を あしざまにの のしって 

ゐる としても、 そんな こと は平氣 なので ある。 また コソ コゾ といって ゐる 人間が あっても、 それ 

は それでよ いので ある。 面と 向つ ていへ ば 私 は どんな ことに も 敢然と して 自分の 所信 は 述べ る の 

である。 どんな 惡評 もまた よいので ある。 どんな 人間が どんな こと をい つて ゐ ると しても、 そん 

な こと は^くら へで ある。 自分 は それだけの 自信と 氣 力と は 持って ゐる。 

林 房 雄 は 彼が まだ 文舉を やって ゐ ない 頃から 僕 は 知って ゐて、 彼の 正直な 恬淡と した 性格 を自 

分 は 好む ので あるが、 彼の 隻句 を わざわざ 拾って、 今更い ふ ほどの こと はない かも 知れない。 だ 

が、 自分 は 若し 彼等の 屮の 誰かが、 自分 を痛駕 して ゐる としたら、 そして 若し それが 眞實 に觸れ 

た 一一;;! 1 紫と したら、 自分 は 謙虚に それ を 聞かなければ ならない。 これ は文擧 者と して、 自分の 平生 

USE とすると ころ * たからで ある。 

だいたい 自分 は惡 評な どと いふ ものに、 それほど 怯懦で も 臆病で もない。 ただ それらの 言葉が 

誠货を 失った 風評で ないやう に、 また 眞實 に對 する 恐怖から 來てゐ ないやう に 願 ふので ある。 

自分 は 何も さう い ふ. 言葉 に 風馬牛 をよ そ ほふ 必要 はな い。 もっとも その 夜の 林 房 雄 のい ふと こ 

ろ は、 何 かに あたりちらして、 それ は 彼の 不満の 安全瓣 かと 思 はれる ほど、 時に 憤慨し、 時に 悲 

^し、 時に 諧謔に みち、 僕に も W か をす すめ 何 か を 戒めて ゐた。 いちいち これに 答へ 應 じて ゐた 



333 



ら、 尙ほ 多くの 人が それに 對 して 何 か を 云 はなければ ならなくなる かも 知れない。 

しかし それ は それでも よい。 自分 は文學 者の 交遊と いふ もの を 思 ふので ある。 吾等が 常に 仕事 

の 上に おいて、 時に 身命 を 賭して 競 ひ、 爭ひ、 しかも 同じ 眞實 とい ふ ものに 對 して 追餒を 怠らぬ 

人嵇 だと い ふ 誇り Q 上に おいて、 い み じく も 鋭し い こ と を 思 ふ ので ある。 

かう いふ 交 はりこ そ 君子の 交 はりに 遠 ひない。 逢 ふ 時に 逢 ひ、 ^れる 時に 刖れ たがよ いので あ 

る。 僕 はかう いふ 交 はり を 何よりも 好む。 何も 婦女に 親しむ やうに 親しみ、 馴れ、 他を排 し、 ^ 

派の 風評 を ことと する 必耍 はない ので ある。 

きびしく、 しかも 眞實 につな がって ゐる とい ふこと ほど、 壯烈 で, 親し. S ことがある だら うか。 

これ こそ 男子の 交 はりで ある。 

自分の 一文 は 少.^ 感想に 流れて 揆 道に 走りす ぎた やうで ある。 しかし これが 自分の 平生から 願 

ひ考 へて ゐる ところで ある。 風聲 何す る も のぞで ある。 自分 はな ほ身體 のこと を 懸念して 生活し 

て, Q る。 しかし 精; .1 まで 弱って はゐ ない ので ある。 

年齡の 不思議 

自分 は病氣 をして ゐる 間、 幾度 か 死 を 思 ひ、 死 を 願った。 決して 死 を 恐れなかった。 

それ は 夢^に 襲 はれて 昏々 として ゐる時 も 平和であった。 平和と いふよりも それ を興脔 的に 考 



334 



へ て それ を樂 しんで ゐる こと さ へあった。 

あの 時の こと を あとから 考 へて、 人間 は 死が 近くなる と、 死の 用意 をし、 死 を さへ 希望して 自 

己を裝 飾す る もの かと 考 へた。 丁度 老婆 達が 「早く 阿彌陀 さんのお 迎 へに 逢 ひたい」 といって 自 

らの餘 命 を さへ 欺瞞して ゐる やうに。 . 

ところで その 死に 對 する 願 ひ は 病氣が 癒り だしてから も、 すぐに は その 感情から 引返さな かつ 

た。 自分 は 死の こと をよ く考 へた。 今でも 考 へない こと はない。 

しかし 今 は 死に 對 する 考へ 方が 變 つてし まった。 そして 年齢の 不思議と いふ こと を考 へ、 今 は 

長生きが したいと 思 ひ、 年長者と いふ ものに 心からの 尊敬 を拂 ふやう になった。 

この間、 一 舊 友に 逢ったら 彼 も 長生きが したいと いって ゐ たが、 あれ はお 互の 病身の せゐ か、 

それとも 年齢の せゐ か。 とにかく この間まで なほ ざり に考へ てゐた 生命と いふ ものに 妙に 未練 を 

感じ だした。 どうして こんなに 一 變 する もの かと つくづく 自分 を勡 物的に 考へ てし まふ。 

1 體人は 生れて 來た 上から は、 生命 を むさぼり、 醜惡を さらけだしても 長生きすべき か、 それ 

とも あの 生命に 戀々 とする 動物の なさけな さを輕 蔑して 自ら 自分の 生命 を 絡つべき であるか。 

恐らく 以前の 自分 は 後者 を 選んだ に 遠 ひない。 しかし 今 は 冷 靜に考 へて、 どっちが いいの かわ 

から なくなって しまった。 

ただ 年畏者 を 見る と、 何とい ふこと なく 頭の さがる 氣 がする。 それ は 道端に ゐる老 車夫 を 見て 



335 



も, また 骨董な ど を いぢって ゐる 老人 を 見ても 同じで ある。 

自分 は 年齢と いふ ものに 不思議と 敬意 を拂 ふやう になった。 これ は 疑へば、 恐らく これ も 自分 

が 老年になる ことの 用意 をして ゐる のか、 それとも 自分の 病身 を 思って、 この 幾度と なくお どか 

される 生命の 不安 を堪 へて、 あそこまで 生きて ゐ ると いふ ことに 尊敬 を 拂ふ氣 持ち か。 兎に角 自 

分 は 年齢と いふ もの を 不思議に 考 へだした。 

パスカル がいった やうに これほど 「破れ やすい 葦 はない。」 また モウ パッ サンが 絶望した やう 

に、 確かに 不安 極 はまる 機械に 遠 ひない。 

私 は 一寸 食事の 注意 を 怠って は 弱り、 少し 外出し すぎて は疲勞 してし まふ。 そして さう いふ 感 

情の 中から 見る と、 あの 老人 達の 顔の 皺で さへ が 綺麗に 見え、 どんなに 醉生夢 死の やうな 生涯で 

も、 生きて ねる とい ふ 事 だけで、 彼等が 尊敬 出来る やうに 思 はれて くる。 

昔の 哲人 は 病氣を 不德の 一 つに かぞ へたと いふが、 確かに 長生して ゐる 人が、 何 かの 聰明 さと 

德とを そな へ てゐ たとい ふこと は 事 實に違 ひない。 

また 自分 は 德富氏 ゃ德田 氏の もの を讀 むと、 どんな 斷片 にも、 何 か 不思議な もの、 深く 遠い も 

の を 感じて 驚かされる ことが 多い。 

吾々 の 知識の 世界と いふ もの は勉强 すれば ある 點ま では 常に 獲得 出来る。 しかし 年齢の 感情と 

いふ もの だけ は、 どんなにしても、 そこへ 行かなければ わからす、 すべて 知識 愁に 退屈した 人 さ 



33 り 



へが、 なほ 禪宗 の老佾 などに 何 かの 興味 を 持ったり する の も、 それが 人間の 最後の 興味で あるか 

ら では あるまい か。 自分 は 生きた 方が 本當 か、 死んだ 方が 本當 か、 わからない。 しかし 出来る だ 

け 生きて 仕^ をしたい とい ふ氣 持ちに 今 は 溢れて ゐる。 



337 



新ら し い 世界 

病氣 によると 十 年 も 一 一十 年 も 三十 年 も 潜伏す る さう である。 吾 *f の 天才に しても また 同じ やう 

に 十 年 も 一 一十 年 も 三十 年 も 潜在 しないと は 限らない。 

そこで 或る 男が 云った。 

「吾々 の 生命が もう 三十 年長かったら ど うだらう。」 

で、 その 友達が 答へ た。 

「隱れ た 病氣と 天才と が、 更らに 現 はれる に 違 ひない:: さう いふ 世界 を考 へる 時、 そこに^ 

な 座標系 を 人 問は發 見す るか もしれ ない。」 

「新ら しい 世界が 始まる だら うか。 そして 新ら しい 文學 が。」 

そこで 一 一人 は 非常に 明るい 顔 をした。 

「潜在して ゐた澤 山の ものが 人生の 表面に 姿 を 現 はす だら うか。 モウ パッ サン は、 吾々 に 五官 

以外の 感官が あったら、 素敵 もな く 目 新ら し. S もの を 吾々 は發 見す る だら う、 と 云って、 人生の 



338 



平凡 を 歎じて ゐる。 だが、 僕?;.. 一が、 今考 へて ゐる こと は、 彼が 考 へたよりも、 もっと 現實 的で 確 

かで、 可能性が ある こと ぢ やないだら うか。」 

「してみ ると、 吾 A は 現在と はまる つきり 遠 ふ 世の中 を 見る ことが 出 來るだ らう か。」 

不总議 な 明りが 二人の 心を與 ffi さした。 そして 彼等 は 新ら しい 病氣 と、 新ら しい 世界と、 新ら 

しい 文 學とを 空想し、 且つ それ を發 見す る爲 めに は、 第 一段として、 吾々 の 生命 を先づ 三十 年 だ 

け 延ばさなければ ならない とい ふこと に 想到した。 

「だが.: K お 的に 命 を 長く するとい ふこと は」 先づ 一 人が 暫く 考 へた 後に 云った。 「科 擧 的な 發見 

でもない 以上、 吾 々に は 一寸 不可能で はなから うか。 でお へ るんだ がね、 あらゆる 人間 を 早熟に 

さしたら ど うだらう。 二 年 ii を 一年 問に 生活 するとい ふ 風に、 つまり 六十まで 生きれば 百 二十 ま 

で 生きた ことになると いふ やうに。」 

「だが 僕 は 大器.; g 成が 好きだね。」 

片方が 云った。 そこで 二人の 友達 は 暫く 默 りあって ゐ たが、 

「だが さう い へば 世の中 は 太古 以來、 次第に 早熟に なって 來てゐ るん ぢ やないだら うか。」 

晚成說 の 男が いった。 

「さう だね、 さう いふ こと もい へる ね。 だが、 そんなら 何も 新ら しい 世界 を 探す 必耍 はない こ 

とになる。」 



339 



「さう だよ、 何時も 新ら しい 世界に 圍 まれて ゐる とい ふこと にな るんだ。」 

他の 方 は 何 か 面 くらった やうな 顔付き をした。 そしてい つた。 

「ぢ やそれ でお 終ひぢ やない か。 ただ 廻り 道 をして 平凡な 現 實の事 實に歸 つたのに 過ぎない。」 

「さう だよ。 だが 常に 新ら しい 世界が 何時も 來てゐ るのに、 吾々 自身、 不敏の 爲 めに 氣 付かな 

いで ゐる 場合が 如何に 多い かとい ふこと を、 吾. >< は自覺 しなければ ならん。」 

彼 はさう いってから 暫く 默 つて ゐ たが、 

「だが 早熟の 新 世紮は 困る ね。」 

晚成說 は 怒った やうな 顔 をして 付け 加 へ た。 

「困っても そんな 風に なって ゐ る。」 

一 人の 靑年 はさう いふ 問題 を 提出した 理由で、 他の 靑年は その 理論 を さう いふ 風に 發展 した 理 

由で、 共に 思 ひがけない 結 架を發 見して、 不氣 嫌らしい 哄笑 を 吐き だした。 



I 

4 

3 

「アジアの 嵐」 後日 譚 

出口 王 仁三郞 さんに 逢 ひたいと 思って ゐて 偶然 逢へ たの は 愉快でした * 

僕が 「アジアの^」 を 見た、 といったら、 

I あれ は 俺が 滿洲 で獨立 戰爭を 起した 時の こと を、 仕組ん どんの ぢ や。」 

と 答へ ました。 

王 lii ニ郞 さんと 話して ゐ ると、 セ ミヨ ノフ將 軍が やって 來 ました。 頭の 禿げ あがった 大變 血色 

のい い 若々 しい 人でした。 

王 仁さん ま 「 セミ、 セミ」 といって ゐ ました。 どっちが 赤 か、 白 か、 危險 なのか、 安全な の 力 

兎に角、 二人の 組合 はせ は 面白く ありました。 

セ ミ ョ ノフ さん は 王 仁さん の 手 を ひどく 握って 痛く する し、 王 仁三郞 さん は 平易な だけ それ だ 

け 難 かしい 京都 辯 を まくし 立てる し、 一 一人で なかなか やって ゐ ました。 

「アジアの 嵐」 の 主人公と いへば、 王 仁さん はなる ほど、 あの チム I ルの やうな 素晴らしい 蜀 



時 i£ の 風景 

〇 

現在の 如く fl て を 社會的 現象と して 考 へようと する 時代に、 明かに 數學 者の 如き は、 みづ から 

「象牙の塔」 に 立籠って、 その 先験的 存在の 組合せに 心 を 傾けて ゐる。 然も 彼等 は 安心して その 

「埒」 から 出ようと は 欲しない。 そしてい ふ。 

Ttiere is Do doubt that mathematics are difficult. All other foras of intellectual effort are mge 

child*s play in comp-arison. 

吾々 もまた 彼等が この 忍 土へ 出て 來て くれる こと を それほど 欲する もので はない。 彼等 は 彼等 

の 誇りに 生くべき である。 自分 は 今 の 世に 不思議な る こ の 貴族 主義者 を 甚だ 愛する。 

〇 

大き. S もの を 大きく 書く とい ふ 正直 さに 退屈した。 

力作 的な もの を 力作 的に 書く とい ふ 正直 さに 返 屈した。 

小さい もの を 小さく 書く とい ふ 正直 さに 退屈した。 



深刻な もの を 深刻ら しく 書く とい ふ 正直 さに 退屈した。 

暗い もの を喑く 書く とい ふ 正直 さに 退屈した。 

かくの 如く 時代 は 返 屈して ゐる。 然しながら この 逆說は 明かに 退屈して ゐ ない。 價 値の 評價が 

複雜 になり かけて ゐ るので ある。 一種の 價 値の 顚 倒が 行 はれよう として ゐ るので ある。 作者が さ 

うで ある やうに、 讀者 もまた 單 純な 氣 持ちで、 もの をみ たり 讀ん だり する ことに は 不滿を 抱く や 

うになる であらう。 鋭敏に 動く 氣 持の 尖端が どの やうに 人々 の 心 をく ぐり 這 ひ 廻る か、 これ は 見 

ものである。 普通み える 常 凡 相 を 常 凡に のみ 視、 或 ひ は 書く とい ふ —— その 單 純な 正直 さに は、 

吾 々 は 最早 退屈して 來た。 

〇 

いろいろな 書 を かけて 眺めく らして ゐる うちに、 初め たまらなく 心 を ひかれ 後 面白 くもなくな 

り、 初めさ ほどで もな く 次第に 深く 心の 動かされる もの、 初め 面白く 後 面白き もの、 いろいろな 

ものに 出逢 ふだら う。 ところで 自分 はこの 頃、 いくら 見ても 見 あきない 一幅に 向 ひながら 「力が 

あまって 書いて ある」 と 誰れ かが 評した 言葉 を 思 ひだし、 これ はよ い 評言で あらう か、 どうで あ 

らう かと 考 へる。 自分 は 力の 注ぎ 方で 作品が 出來る ものと は考 へて ゐ ない 故、 この 說には 割合に 

贊成 出来さう である。 吾々 は 先 づカを 持ちたい と 思 ふ。 そして それ を樂に 使へ る やうに なりたい 

と 思 ふ。 およそ 力の 注ぎ 方に 心を勞 する 時 は、 作品が 暴力 的に なり 外面 的に なりが ちで ある。 さ 



344 



うい ふ 風になる こと は、 決して 好ましい ことで はない。 

〇 

ブ II レ タリ ァ小說 と は 第四階級の 中の 幸福 を 見まい とする もので はない。 見まい とする こと は 

踏みに じる ことで ある。 第四階級の 幸福 を 踏みに じる こと は 勿論 プ 口 レ タリ ァ小說 として 決して 

上乘の もので は あるまい。 この 階級の 美 は 吾々 にの み わかる 美 だ。 吾々 貧しき ものに のみ わかる 

荧は、 今迄の 美學 から は 特殊で 異端で あらう と考 へられる。 吾々 が 古き 常識に よってく さされる 

こと は 吾々 の 名^で あらねば ならない。 先づ 新しき もの は 何時の 世に 於ても この 名譽 ある 惡罵を 

以て 遇される であらう。 

〇 

沈 滯と签 虛とを 破る もの は、 それが どんな 形式で あっても、 吾々 は それ を 担 否す る 權利を 持つ 

てゐ ない。 吾.^ はとはう もない 慘虐 にも 破倫に も、 何 かしら 心の わななきと 一種の 興味 を 感じる * 

ベルグ ソン は その 悲劇 論に 於て、 この やうな 狀態を 吾々 が 本質的な 人 問 性、 元始 的な 姿に 於て あ 

からさ まの M 理に ふれ 得る からだと いって ゐる。 藝術 運動 は 一 種の 元始 的な 色彩 的な 生活への 復 

歸 である。 總て の 因習 的な 見方 を 捨て てぢかに ものの 內 部に ふれる 爲 めの 祈りで ある。 

〇 

「人 H に 於て は 一 時間 以上 緊張した 興味 を 持ち 績 ける こと は 到底 不可能で あらう。」 と ボウ は 彼 



345 



の 作詩 ^舉 でい つて ゐる。 

最も 近代的で ある 活動 寫眞 は、 一 つの 物語 を 多くの場合 一時間 以內 でみせる。 自分の 綏驗 から 

ぃヽ ば、 すぐれた 映畫は 多く その 位 かと 思 はれる。 この やうに 時間 的 考慮 を も 含めて 映畫を 見る 

こと は、 人間の 神經の 持ち 方の 密度と 交錯 させて 甚だ 舆 味の ある ことで ある。 

近代の 映畫が この やうで あると いふ こと は、 近代 人が どの やうな ものに 嗜好 を もち、 且つ ど 3 

やうな もの を 求めて ゐ るか、 その 證左 とも 見る ことが 出來 ると 思 はれる。 

だが 流行な どから 離れる こと は、 一 つの 趣味と しても いいこと だ。 自分 は當分 長い もの を 書か 

うと 思 ふ。 

〇 

雜誌 『文藝 時代』 が 出た。 『文 藝 時代』 に は 嘗て 『文藝春秋』 の 編輯 同人 だ 者が かなりに 

ある。 余も义 その 一人であった。 それ 故 ここに その 一人と して 誤れる 巷說に 答へ てお く。 

世間で は 吾々 が 菊 池 氏の 恩義 を 裏切って 別に 對抗 的に 『文藝 時代』 をつ くった やうに、 或 ひ は 

菊 池 氏が 吾, << を 例へば 破門した とい ふやうな 說を なす 人が ある。 

これらが 臆說の 甚だしき ものである こと は 勿論、 この やうな 言説 は 何れにしても 菊 池 氏 並に 吾 

吾 を 侮辱す る ものと 自分に は考 へられる。 吾々 の立鍚 はもつ と S 異率 である。 その やうな 評 價を下 

される ほど 不自由で も單 純で もない。 



346 



この ゆ 問 一部の 誤解 者 は 今、 自分が して ゐ. る やうな 陳辯を 見ても、 或 ひ は 見れば みる ほど 誤解 

を 複雜に 深く する かも 知れない。 だが 自分 は 吾々 の 名 譽の爲 めに、 以上の 如く、 ハツ キリと 世間 

の^りで ある こと を ここ にこと わ つてお く。 

又 『文 n 時代』 創刊の 意義に しても、 しかく W 五の-個人に 對 する 爲め や、 所謂 文壇 的な ことに 

とどまる ほど 庸 弱 卑賤な 心が まへ で 始められ たもので はない。 吾々 は 足 もとで 起る、 この やうな 

秫 類の^ に は、 今後 全然 無關 心で あらう と考 へて ゐる。 

〇 

仕事が 出来る こと は 幸福 だ、 どの やうな 非難 者が あっても 反って 勵 ましになる。 仕事が 出來る 

こと は 幸福 だ、 どの やうな 蹈迫 者が 出ても 平氣で ゐられ る。 仕事が 出来る こと は 幸福 だ、 どの や 

うに 辯 舌が 下手で 社交 上の 落伍者に なっても さう いふ こと を輕 蔑して ゐられ る。 仕事が 出 來るこ 

と は 幸福 だ、 どの やうな 事件に よっても 自分 を 成長 させて ゐ ると 信じる ことが 出來 る。 仕事が 出 

來る こと は 幸福 だ、 どの やうに まづ いものが 出来ても 叉い いものが 出來 ると 思 ふこと が出來 る。 

仕事が 出来る こと は 幸福 だ、 どの やうな 稱讃 にも 有頂天に なって しま ふとい ふこと がない。 

然し 仕^が 出來 なくても 又 不幸ば かりで はない。 書きたくて 書け ない 時、 さう いふ 時の 氣 持ち 

は 苦しい が 叉た のしみ でも ある。 



347 



9 

4 

3 

偶然 論に 關 する 文 獻目錄 ( 一 九 三 五 年) 



^然 の毛毬 (中 河舆 一 『東京 朝日 新聞』 二月 二十へ 日) 

偶然 論と 文學 (石 原 純 『東京 朝日 新聞』 三月 二十 一 no 

作家の 敎泰 としての 科學 (岡 邦 雄 『大阪 朝日 新聞』 三月 二十 七 B) 

純 粹小說 論 (横 光利 一 『改造』 四月 號) 

毛毬の 偶然 (三 波 利 夫 『作家 群』 五月 號〕 

神 は 偶然 を 愛する (石 原 純 『セル パン』 六月 號) 

文學に 於け る 偶然 性と 必然性 (戶坂 潤 『文學 評論』 六月 珑) 

誤謬 • 偶然. 運命 (本 多 謙 三 『帝 國大學 新聞』 六月 一一 一日、 十 B) 

人間的 牽引力 (中 河與ー 『大阪 毎日 新聞』 六月 二十 七日〕 

偶ー然 論と 短歜 (石 原 純 『短 欲 研究』 七月 狨) 

偶然 文學論 (中 河與 一 『新潮』 七月 载〕 

ffl 然 論の 苗床 森山咚 「新潮』 八 8 號 ;} 



小說に 於け る 偶然の 分析 (三 抆博音 『.1 濟 往來』 八月 魏〕 

口 マ ン ティ シズム と短歜 (中 田忠夫 『日本 趺人』 八月 號〕 

偶然 論への K 擊 (中 河與ー 『讀 K 新聞』 八月 一日) 

偶 然 (稻原 勝 治 『讃賫 新聞』 八月 五 no 

桃と 桃の 實 (森 山 啓 『讀寳 新閗』 八月 六 B) 

偶然 論の 論爭 批判 (大 島璺 『讀資 新開』 八月 十三 ョ〕 

偶然 論に 關聯 して (中 河與ー 『東京 日日 新開』 八月 十五 3〕 

偶然 論 批判 特輯 (田逡 元 . 九 鬼 周 造 • 成 瀨無極 . 西 村眞琴 . 中島 健 蔵 . 伊藤整 • 田 中 公明 . 吉 村貞 

司 • 正木 雜ニ郞 • 石 原 純 『翰林』 八月 鲩) 

偶然の 問 S (石 原 純 『新潮』 九月 號) 

分裂と しての 偶然 (111 上秀吉 『あら くれ』 九 B 號) 

偶然 文舉 論の 深化 (中 河與 一 『鸫濟 往來』 九 H 號) 

偶然と 文學 特輯 (大 島璺. 保 田 與重郞 • 森 本忠. 模 山正獒 『藝術 科』 九月 號) 

非合理 主義 的 傾向に 就いて (三 木淸 『改造』 九月 號) 

迷へ るノ ー ト (林 房 雄 『報知 新聞』 九月 九日) 

偶然 論と 自然 科學 (石 原 純 『B 本 評論』 十月 號) 

ハイゼンベルク の哲 學說と 偶然 論 一一 枝 博 音 『セル. ハン』 十月 號〕 



35° 



偶然 文 學論爭 (長 谷川 巳之吉 『セル パ ン』 十月 號) 

再 論 偶然 文學論 (中 河與 一 『文^』 十月 號) 

偶然 文學 論の 檢討 (本 間 唯 一 『唯物論 研究』 十月 號〕 

作家の 世界 觀に 於け る 問題と しての 「必然と 偶然」 (森 山 啓 『文學 評論』 十月 號) 

偶然 文學 論への 應酬 ハ 萩原 屮 『文學 評論』 十月 號〕 

ft 子 論に 於け る 客觀と 因果律 (仁 科芳雄 『思想』 十月 號〕 

偶然に 就いて (今 野武雄 『思想』 十月 號〕 

偶然 論と 物理 學 (岡 邦 雄 『帝 國大學 新聞』 十月 七 S) 

確率 概念の 苹命 (屮 河與 一 『東京 日日 新聞』 十一月 一日) 

偶然 論摘耍 〔中 河與 一 『敎 育國 訝敎 育』 十 一 月號〕 

偶然 文 舉論爭 後 語 (森 山 啓 『若草』 十一月 號〕 

文學と 偶然 論 (屮村 星 湖 『メッカ』 十一 月號〕 

偶然 諭と 觀念論 (1: 邦 雄 『B 本 評論』 十 一 月號〕 

偶然 論の 必耍と 其 濫用 (本 多 謙 三 『中央 公論』 十一月 猇〕 



351 



學 文と 然 偶 

«! T 二 刷 *) 




K- 和 十 年 十 1 aj 十 曰 印刷 

昭和 十 年 十 1 H- 十五 日發行 

定價 一 圓ー 一十 錢 

著 者 中 河與ー 



東京 市:! 町 區 三番 町 I 

刊行 者 長 谷川 巳之吉 

東京 市 趣 町 E 一一 一番 町 一 

刊行 所 第 一 書房 

a-s 九 ほ win S3 

揭替 東京 六 K ニニ 111 

東京 市 神 SKI 西 神 田 一 ノ四 

印刷者 松 村 保 

製本 者 BS 本久士 a 



-aM 酱 .s & M sl^ K 六 お, 三 一 一-一 S 

trig- f i ^ 0^ i ^^^5 定儇ー i IS 五十 鉉 

その 透徹せ る精祌 にお いて、 その 明快なる 表現に おいて、 屮河與 一 氏の 文學 は、 最も 近 

代 的 光彩 を 放って ゐる。 しかし それ は 単一な 色彩に 燃える 炤 ではなく して、 あらゆる 苦惱 

をく ぐリ ぬけて たどりついた 近代的な 健康 性で あり、 明朗 性で あり、 躍動 性で ある。 試み 

に、 その^: 然 たる 作品に プリズム を あてよ。 分析 さるる さまざまの 光と 驗に 氏の 作品 を稱 

成す る 要素の 複雜 なる 屈折 を 知る であらう。 斷 然と 氏を輕 薄なる モ ダ -I ズム の 作家と^ 別 

する 一 線で ある 

氏 は 最も 近代的なる 作家で ある。 現實の 本質に 徹する 希求 は、 他方 尖銳 なる 科 學に對 す 

る? 1 心と なり、 氏 は 常に 新鮮で ある。 不斷 の自. a への 憧憬 は 洋 たる 海路 を 走り、 心の 旅 

は 國^ 土に さまようて は 豪華な 夢 を 築き、 港々 の 風儀 を も、 單 なる 旅行者 以上の 迫 sstt 

を 以て 描き 盡 した。 か r はしき 髮の 感觸も 滑らかな 皮膚の 色 も、 まざまざと ここに ある。 

ここに 收 めた 十八の 短篇 は、 ジ ヨン. バン ャ ン の 高き 槠祌の 書なる 『灭路 歴程』 に對し 

て、 いまの 世の 肉體の 書たら しめんと して その 赏 を 果せる のみならず、 新ら しき 文學 探^ 

を耍 する 航路 を祕 めた、 豐富 なる 文學的 海圔と いふべき である。 

中 河與ー 著. 左 手 神 聖 (隨 筆) r な 五一 一 n 

趣味 か、 生活 か、 生活の 內に、 ふとして さき 出づる 性癖。 時に 人 をして 秋 天の 如く 高 か 

らしむ。 用な き 事を談 じ、 題して 左手 神聖と いふ。 され ど、 ゆめ 左翼 を ひやかさ うとい ふ 

了見に は あらざる なり。 —— とい ふ 「左手 祌聖」 他 五十 數篇の 感想、 隨筆、 紀行 集。 



中 河 &:ぷ 菔 たき 花 (種 小說) XI I ー圜 VI £ 

本^ は、 さきに^ 西 兩朝ョ 新聞に 連載され て 好評 を 博した 中 河 氏の 唯一 の長篇 に、 その 

後 加^ 改削を 施して 成った ものである。 その 舞臺 は、 先づ鈒 座の 銪 道に 始ま リ、 アイス • 

スケ —ト 51、 樂器 店の 試聽 室、 鬼 怒 川溫 泉、 ^山海 岸の キャンプ 生活、 近郊 砧 村の- 1 家、 

&の «^ 場と、 次々 に、 今日の 都會 人士の 生活 還 境が、 映晝的 構成 を 以て 展開され るので 

あるが, それら を 莨いて 主 ^調 を 奏で 出す もの は、 その 世界に 躍動す る。 現代の 靑年 男女 

の 胸^に^ 喰へ る 妖しい 戀愛 心理の 描寫 である。 一人の マキなる 近代的 女性 を 周って、 そ 

の懋 人^ 男、 街の 王者 サ カイ、 亞米利 加 歸リの 不良 學生島 田、 彼の 乾 分 水兵の 吉、 梨沙 公、 

紀伏 公の 二人の ダン サァ、 靑年科 學者村 上、 失業 キヤ メラ マ ン 野中、 ボ クサ ー 下 律と 山^、 

街の 子 建、 女流 詩ん 屮. E* 村 上の 老父 等々 が、 夫々 の 性格と 風貌と を 以て 作 中に 流 躍し、 

彼等の 間に 激しい 懋愛爭 闘が く" ひろげられて ゐる。 然し、 ここで 特に 注 すべき は、 作 

者に よって 創造され た。 この 7 キ なる 一女 性の 特異な 性格で ある。 彼女 は 日頃 『源氏物語』 

を 愛讀し * 折に 觸れて その 1 節 を 口誦み、 尙 ほこの 源氏の 精祌を 現代に 生かさう とする や 

うな、 俾 統的敎 養に 富んだ 典雅な B 本 的 女性で あるが それと 同時に 彼女 は乂、 近代的 理智 

の 洗體を 受けた、 今日の 最も 聰明な 女人 群 を 代表して ゐる。 そして ここに 表現され た 彼女 

の 精神の 祌祕 性と 行動 性と は、 文學 上に 一 つ タイプ を 築き上げ たもの だと 云って 決して 

て 過 一 百で は ある ま い。 

從來短 ^作家と して、 その 獨自の 境地と 銳; « 的な 表現と を 以て、 新與 文壇の 雄と 數 へら 

れて來 た 氏が ここ に 初めて 苌篇 創作の 試みに 入り、 而も その 第一 作から 見事に 我が 國の文 

^界に 新し い 領野を 開拓され た こと は 痛快で も あり、 日本 文學 にと つ て 喜ぶ ベ きこと だ。 



國際 作家 會議 報告 . 

小 松 淸 1 文化の 擁 護 ^^一一。 I 

本年 六月 二十 一 日 パリに 於て 國際 作家 會議 が開俾 され、 世界 二十 四 ケ國の 代表 二百 三十 

人に より 五! H 間に 互って 文化 擁護の 手段と フ シズ ム の 暴 屍に 封す る 防 衞の對 策が 討議 せら 

れた。 然も 日本から は 一名の 代表者 をも參 加せ ず、 行動主義の 排 擊 と文學 赏の爭 奪と 身^ 

小說の 謳耿に 耽って ゐた。 本書 は 日本 文壇の かかる 璘末 主義に 對 する 厳重なる 抗議で あり 

文學 仝般 の重耍 問題と して あらゆる 流派と 黨 派と を 超越して、 今日 の 思想界 文學界 に眞摯 

なる 反響 を 求めん とする もの である。 

^ンロ ドレ んジ學 イ^ 蠢 一 粒の 麥もし 死なず ば r ハ版 

この 書 は、 人 及び 藝術冢 としての アンドレ • ジ イドの 生 ひ 立ちの 記で ある。 約 翰 傳のキ 

リ ストの 言葉 「 一 粒の 麥 もし 地に 落ちて 死なず ば、 唯 一 つに てあらん、 もし 死なば 多くの 

K を 結ぶ ベ し。」 に由來 する 表題に、 旣に 作者 ジ イド の 悲壯な 決心のう かが はれる 怖る ベ き 

SI 劍の書 だ 。「こ の や-つな 自分の 缺點ゃ 惡癖を 語る ことによって、 自分が どんな 損失 を 被る 

か、 もとより 僕 も 承知して ゐ るし、 僕に 對 して 人々 が 投げ かける 非難の 萆も 僕に は あら か 

じめ 判って ゐる。 然し この 物語の 存在理由 は、 眞赏 以外に はあり 得ない の だ。 いはば 僕 は 

贖罪の 爲め にこれ を 書いて ゐる やうな もの だ」 とジ イド は 云 ふ。 作家 ジ イドの 大を なさし 

むる もの は、 この 眞赏 への 熾烈な 希求と、 廣く 人類に 根ざす 良心で あり、 これ こそ ジ イド 

の 步みを 決定させる もの だ。 現在の * シ イド を 知らん とする もの は、 この 書に 舍 まれた 人間 

ジ f に の 本然の 姿 を 把握すべき である。 



パァ • バック 一一 ま甯. ic4t J> «fi S 六 判 111 六 五 w 

新 格譯 C^I / ブ M 定便 一 圑 五十 S 

ァ メリ 力 最大の 文 學赏を 得た 作品。 作者 は 生後 四 ヶ月 目に 支那に 伴 はれ 支那で 生長した 

閑 秀作 家。 の 支那 大陛に 生活す る 農民の 生活 を 描いた 世界 最初の 藝衛 作品であって、 ァ 

メリ 力で はこれ を 舞蹇に 上場したり、 また 目下 映黉 数作屮 である。 『夜 問 飛行』 の 行動 主 

義に つづき、 これ は 現 文 境に 新地 方 主義の 本質 を猙 蒙し、 革命の 第二 彈を投 ずる もの だ。 

モラ h ス著 ^ S0 <td nse s 六 判 一一 一 五 o 頁 

花野^ 藏譯德 .Bffi に 定 馔ー圑 五十 錢 

凡ゆる {Rr 職を拋 つた モラ H スは、 古い 傳統 の傳 はる 德鳥に 閑寂の 生活 を. 送って、 日本の 

自然と 風物の 中に 沒 入し、 我が 文學 の精髓 たる 隨筆 文學 に心醉 した。 亡き人々 への 追慕と 

眼前の 明け 慕れ に對 する 澄明な 觀 照との 日々 は, モラ H ス をして 幽 明の 境に 遊ばしめ、 彼 

の隨筆 『德 鳥の 盆 踊』 は、 かの 詩聖 アミ H ル の それに も 似た 「心の 遣 書」 となって ゐる。 

モラ エス 著 3? fc, #!- t. 四六判 三 一六 頁 

花 S ^ 譯 G ^ ITI- 定 悽ー圜 五十 錢 

モラ H スが、 愛と 誠意と を 以てな した 日本 W 究 である。 日本の 言語、 宗敎、 歷史、 藝衛 

の 本質に 對 する SS„I 摯な 探來 と、 それら を 貫く 日本 精神と は 如何なる もの か、 また その 將來 

は 如何に、 とい ふ i! 題の 眞 剣な 考察で ある。 



获原朔太郞著 絕 望の 逃 走 sm^r* 

抒 W 詩が 朔太郞 氏の 生活に 於け る 「夜」 であれば、 ァフォ リズム は 氏の r 畫」 である。 

而し てこの ァフォ リズム は 氏の 生活す る 詩情の 表現 の 一 面で あり、 思想 詩で ある。 こ の 一 

卷は 最近 六ギ 間の 收穫 で、 大部分の トピック は、 戸外 生活の 钱斷 面で ある。 

e 部 あ 治お 山への 思慕 鬥ハ|- 二 【 " 

山 を 愛する こと 氏の 如く 深き はない。 秋の 高原 を 語リ、 ー雰 山 を 描き、 春の 溪 谷を敛 する 

氏の^ 冽な^ 致 は、 つねに 幽玄な 思索に よって 裏附 けられて ゐる。 氏に とって 「山への 道」 

は、 また 内面 洞察 へ の 道で ぁリ、 眞赏 へ のた ゆみな い 思慕で も ある。 

戶川秋 骨ー者 自 畫 像 一 

東京 は 築地に 育った 氏の 眺めて 来た 銀座と 現代 銀座の 人間 風景、 一 葉の 生きて ゐた 頃の 

文 學界、 海へ 山へ の 紀行、 現代の 世相と 昔、 謠 曲の 體殮、 外國文 學、 果て は武蔬 野の 春 夏 

秋 冬, すべ て 秋 骨 氏の いは ゆる 自畫 像に^い 陰影 を 刻んで ゐる。 

^ ^ $ ^ s ax t ^ s 六 判 五六 ◦ s 

^ F ^ ^ s i S 定 is 一 固 五十 錢 

從來 宗敎 を^る ものの 多く は、 宗敎に 名を藉 りて 個人の 洞窟 に 人り 徒ら なる 自 「し 辯 譲 を 

なすに 過ぎない。 松 岡 氏の この 隨筆 集に 語られる 宗敎 は、 廣く 一般人 間の 胸奥に ひそむ 宗 

敎的 感情、 人 養と しての 宗敎 である。